重量挙げ競技が本県で始められてのは、戦後の混乱した昭和23年である。
当初、初代会長額賀誠(医師)が、早くから医学の立場より筋力養成について関心を持ち、さらには、戦後の荒廃した世相において、如何にして純真な青少年を育成すべきかを考え、スポーツでも特に逞しい精神力と頑健な身体を築き上げる重量挙競技が最も適しているとの信念のもと、自らの息子(馨示・静思・厚義)たちにコンクリート・バーバルを持たせて練習したときに始まる。
昭和23年6月、額賀誠は戦前から重量挙に興味を持ち、戦地でも練習を続けていた弟の額賀任(第2代目会長・医師)の復員を待って、さらに戦前、選手として活躍していた遠藤滝軌氏が帰郷したのと併せて、国体出場の話を進め、阿地遍海氏、佐川武夫氏、金子源三氏などの協力によって、昭和23年9月1日、福島県重量挙協会を成立し、息子たちを通じて地元の高校生を中心にこの競技の普及に乗り出し、重量挙げ福島の基礎を作った。
協会設立から76年、その間にオリンピック代表選手の輩出や全日本選手権・国民スポーツ大会・インターハイ等で優勝する選手を育成する等、選手・監督・協会が三位一体となってチーム福島を創っている。