霞沢岳西尾根

2024年2月10日(土)~11日(日)

参加者4名

 

【行動記録】

2/9 晴れ 22:00新宿駅西口集合→2:00さわんど第2駐車場 仮眠

2/10 晴れ→雪 4:00起床→5:00坂巻温泉→6:30出発→8:30霞沢岳登山口

       →11:00幕営地(1900M地点)→15:00霞沢岳→17:00幕営地

2/11 晴れ 5:00起床→6:30出発→7:30霞沢岳登山口→9:30坂巻温泉→10:20さわんど温泉 梓湖畔の湯→14:30新宿駅西口

 

やってしまった。今日は、金曜日で、西新宿三井住友銀行ビルの前、夜10:00集合なのに右ひざの痛みが引かない。5日前の日曜日の地元の神輿でやったらしいが、筋肉痛ではないようだ。

今朝、鍼を打って山行に挑むつもりで鍼灸医にいったところ、内側靭帯を痛めたらしく。今、鍼打っても無駄という事。「先生、厳冬期のアルパインにいくので、なんとかなりませんか?」と聴くと「山を下りてきて、すごく痛くなってから来てください。」との事。うーん、たしかに今鍼打つより、もっと痛くなっていったほうが、治療費がお得かな?と納得しつつ。膝のサポーターと、激痛用のシップを処方いただいた。ロキソニンもあるし、ガチガチに膝を固めて、万全にして今こうして、さわんどの駐車場に向かってアクセルを踏んでいる。

霞沢岳西尾根は、冬季にしかいけないバリエーションだという。そして我々フレスコメンバー4人はアルパイン装備(カラビナ、スリング、下降器、ロープ)を含んで、テント泊の厳冬期仕様の20キロ近いザックを背負い登山口に一歩を踏み入れた。先頭はO塚さんだ。頼もしい。ところが、いきなりの急登に、すでにアイゼンを装着していても、足がずずっと落ちてきて、踏み込み、踏み込みしても、前に進まない。これは、先が思いやられる。登攀さながら最初の取りつき後を越えても、まだ急登。[止まらないhaha~]だ。やはり、さまざまな記録にあったように取りついたら最後ずっと5時間急登。やすむ間がないというのが、よく分かる。

まずは最初の幕営地まで2000Mを目指す。我々は、厳冬期のバリエーションの為に満を持してテント泊して、早朝アタック予定だ。本日午後から天気は崩れる予報だ。そして、翌朝も崩れる予定。いずれにせよ不安定な低気圧な為その先の行動には、迅速かつ決断が必要だ。幕営地には天候がくずれる前には着きたい。さらに登頂以外の、

もうひとつの目的は、テントでの夕食。フライパンしゃぶしゃぶだ。私は共同設備の野菜をザックの天袋の間に挟んで、急登を登る。あまりに激しい急登に、はみ出したネギの先端がちぎれまくっている。むしろ食べるとこが残ってるかが心配だ。もし我々が遭難したら、このちぎれたネギの後を警察犬に追ってもらえば我々の軌跡を追えるだろう。

振り返ると冬枯れの樹林帯の隙間から焼岳が朝日を浴びてキリリときれいだ。

梓川が蛇行して河童橋に向かっているのが山影の隙間に照らされている。

息をきらせて、急登を登ること2時間30分。膝を庇いながらも、厳しい急登を樹林帯の枝をつかみ、アイゼンを効かせて登る。

1900M地点で、程よい幕営地を見つけた。M浦さんが、左官屋さんのように、びたっと平らに雪を整地してくれた。テントが一軒家のようにポンとおさまった。おかげで8時間ぐっすりと自宅にいるような寝心地を味わうことができました。

思ったより早く幕営地に着いた。11時だ。そこで選択。今日登頂するか?予定どうり、明日アタックするか。せっかちなH木リーダーは、いけるときには絶対いく人だ。雲行きは怪しい。粉雪も出てきた。

「どうせ明日崩れるなら。今日いきましょう。」「そうですね。いきましょう。」

膝がめちゃ痛いのだが、ここは、ガンバルンバ。

実は、翌日の朝はすごくピーカンで最高の登山日和なのは、最新の気象情報をつかめない我々は、知る由もなかった。

思ったより、出発が遅れ12:30近くに幕営地を出発。今のペースを考えると15:00登頂。帰りは17:00。雲の流れで天候は早めに崩れることが分かる。日が暮れてからの幕営地帰還は避けたいところだ。

アタックザックに装備変更して登頂を目指す。ハーネスとカラビナを装着して、、。と思ったが、他の登山者は、だれもアルパイン装備ではない。そうです。霞沢岳は、むしろ軽量で当日日帰りが、主であるらしい。思えば、北アルプスの冬山バリエーションにしてはアプローチが短く、絶景が楽しめるため、最近の人気ルートという事なのである。

われわれは、日帰り登頂を目指すにしては、最後発組であった。

樹林帯を抜けること2時間。尾根にとりつき、ナイフリッジを往く。

雪が冷たく突風とともに顔をたたく。今回の核心の岩場にとりついた。フィツクスロープが3本40M落ちている。雪に埋もれず残っていた。私を除くフレスコ精鋭メンバーは難なく核心をクリア。その後の霞沢岳のビクトリーロードを進む。そのころから、もはやホワイトアウトの様相で、極寒だ。

降りそそぎ、視界が効かない、ふかふかの雪をラッセルのように進むと、膝の痛みが我慢の限界にきた。なかなか一歩が踏み込めない。ここまで来て、私の遅れで迷惑をかけるのが忍びない。ピークをあきらめかけたとき、ようやく雪の切れ目に霞沢岳のピークの柱を見つけた。吹雪の中。即写真を撮り、きびすを返して下山する。ホワイトアウトの状況で、あのナイフリッジは危険だ。雪庇を踏み抜いて落ちても、誰にも気づかれず、あっというまに白色の世界に落ち、飲み込まれるだけだ。

H木リーダーが4人はぐれないように、密に下山するように指示が入る。

と、言われても、なかなか交互に足が進まない。半歩あるいて、後方の足が揃い。

半歩あるいて、後方の足が揃い。の繰り返しで時間がかかってしまう。先方のH木リーダとの距離が縮まらない。後方のO塚や、M浦さんにフォローいただき、H木リーダーの強い足取りとルート選別で、どこまでか、地表か分からない吹雪の稜線を終えることができた。

樹林帯までたどり着ければ、突風と雪に悩まされることはない。

あとは、日没までに幕営地にひたすら下り。たどり着くだけだ。

膝の痛みは下りの方がきつく、かばいながら歩き続け、なんとか、予定の17;00に幕営地につき、人心地をついた。

バタバタと音をたてる暴風雪のなか、顎だしの効いたフライパンしゃぶしゃぶを食する。

買い出しいただいたH木リーダーと調理いただいたO塚さん、ありがとうございます。

そして、大いに笑って語り。M浦さんの整地したテントでぐっすり寝ることができました。

同行いただきました皆様に本当に感謝申し上げます。

万全なコンディションでも、この急登は厳しいものがありましたが、皆様の支えがあって無事登頂を果たせました。この場で改めてお礼申し上げます。

翌日、おもいっきり晴天の空を仰ぎ、残念がる事もなく、にこやかにH木リーダーは言いました。

「きのうの、ホワイトアウト体験。よかったですねー。」

 

 記録:角M