会場:駒澤大学深沢校舎・講義室2-1
*駒沢キャンパス正門から200mほど南側へ離れた別のキャンパスになりますのでご注意ください(→アクセスはこちら)
趣旨文:日本とネパール両国の山間部農村に共通するのは、<若い人々の流動化>である。若者の人口流出は、集落の過疎化や生業の空洞化を招き、伝統文化の衰退や地域社会の機能低下をもたらし、住民の間に劣等感やあきらめの気持ちを蔓延させる要因となっている。<送り出し国>と<受け手国>という決定的な差がありながらも、農村から都市、そしてネパールの場合は外国へと、抗しがたい外からの力によって若い世代を根こそぎ奪われる痛みは、世界規模で生じている格差の増大や社会の分断といったグローバルな課題と軌を一にし、その基層を成すものである。本セミナーでは、ネパールと日本、それぞれの生活環境の中で、地元への回帰を経て転機を見出したふたりの話者の歩みを手掛かりとして、<地元に根を下ろし、そこからつながる>ことの根源的な意義を考える。
司会:別所裕介
(14時00分~14時10分)趣旨説明
話者1:辰己佳寿子
(14時10分~14時40分+質疑20分)
「ご縁と移ろい:ヒマラヤ山村とのなれそめから」
話者2:Tseten Gyalpo
(15時00分~15時30分+質疑20分)
「チベット国境の我が家から見える”つながった”世界」
(休憩:15時50分~16時00分)
話者3:錦織良成
(16時00分~16時30分+質疑20分)
「どこかなつかしいヒマラヤの村で自分自身に出会う」
話者4:別所裕介
(16時50分~17時20分+質疑20分)
「アルゴリズムとゆらぎ:AI時代の地元回帰をめぐって」
コメンテーター:安川唯史
(17時40分〜17時50分)
総合討論
(17時50分~18時20分ごろ迄)
Tseten Gyalpo(国境トレーダー/ネパール北中部ラスワ出身、貿易業兼ホテル経営)
1986年、ネパール/チベット国境に位置するラスワ郡のシャブル村に生まれる。進学のために村を出てインターンで海外で暮らすものの、親の意向で村に戻る。国境に位置するという地元の条件を生かして、主にヒマラヤ南北をつなぐ国際貿易に従事。長い下積みを経て着実に実績をつみあげ、チベット系実業家のパイオニアとしてビジネスを軌道に乗せる。10年前、国境を流れる河の両岸を跨ぐ通婚をタブー視してきた地元の慣習を打ち破り、初めて対岸の女性と結婚、村々の話題をさらう。今回の初来日が、<地元に根を下ろす>ことの意義を再確認する機会になることを願っている。
錦織良成(映画監督/島根県出雲市出身、福岡大学経済学部非常勤講師)
歌舞伎、相撲、日本酒の発祥の地、出雲で生まれる。高校の演劇部で演劇や脚本に目覚め演出家を目指すが親の反対にあい就職するも諦めきれず上京。脚本を学びながら35歳で自身の脚本により映画監督デビュー。39歳で故郷を舞台に脚本を書いた『白い船』の成功によって多くの気づきを得、自らの活動の舵を大きく切ることに。『渾身 KON - SHIN』『高津川』など、日本のローカルにフォーカスした作品多数。現在は島根にUターンし、映画製作を行っている。2025年2-3月、ネパールを初めて訪問。ツェテン氏と出会う。
辰己佳寿子(農村社会学/広島県出身、福岡大学経済学部教授)
広島県・島根県の「神楽」に魅了され国内外の農村調査を開始。錦織監督が塾長の「しまね映画塾」には塾生として参加。1990年にネパールを初めて訪れて以来、若者が流出していく農村変化を考察してきた。2000年からツェテン氏の村の定点観測を行いツェテン氏の成長を見守ってきた。ネパールにおける農村の衰退と若者の葛藤と成長、日本の農村の危機的状況を間の当たりにしながら、<地元に根を下ろす>人々をつないでいる。
別所裕介(宗教人類学/三重県出身、駒澤大学総合教育研究部教授)
1995年、チベット高原を走破する単独自転車旅行に挑戦し、過酷な環境を生き抜くチベット牧畜民の生き様に圧倒される。以来、チベット仏教社会の魅力に取りつかれ、聖地巡礼と五体投地、生まれ変わりと化身転生など、信仰を基盤とした宗教現象の社会性を研究してきた。2012年にはじめてシャブル村を訪問。ツェテン一家との触れ合いを通じて、国境を地元として生きる人々の理想と現実のギャップを深く考えるようになる。
安川唯史(プロデューサー、宮城県出身、護縁株式会社取締役)
広告代理店、芸能プロダクションマネージャーを経て、TV・映画等のキャスティング業務を開始。2002年、錦織監督の「白い船」を鑑賞し、転機を迎える。2003年、錦織組にキャスティングとして初参加。以降の全作品に制作・宣伝・キャスティングプロデューサーとして参加。2009年より護縁株式会社設立メンバー。現在、取締役プロデューサーとして制作にあたる。奥出雲に移住し、地元のブランド米「仁多米」の生産にも携わる。
※この活動はJSPS挑戦的研究(萌芽)「伝統文化継承とコミュニティ存続に関する普及型実践研究~方法論としての映像制作」(24K21439)の一部である。
Tseten Gyalpo (右)
Nishikori Yoshinari (左)
「ラスワ」は、中国側チベットと国境を接する、ネパール北中部のヒマラヤ山間地域の郡(District)である。
首都カトマンドゥから北へおよそ130Km、ラスワガディと呼ばれるラスワ郡最北端の峡谷部には現在、ネパール/中国間の貿易港(Dry Port)が築かれている。
このラスワガディを境に、ヒマラヤを南北に貫くキロン-ラスワ道路は、古来よりカトマンズ盆地と西チベットのキロン地方を繋ぐ幹線道として、平時にはキャラバンや巡礼者が往来し、有事には軍用路として機能してきた。ネパールの歴代王朝にとって、チベット-インド間の中継交易による利潤を左右するこの道路の支配権は死活問題であり、チベットおよび清朝との三度の戦争を潜り抜けたゴルカ朝の覇権を支えたのもこの道路だった。他方で20世紀以降は、新たにシッキムに開通した近代的通商路によってチベット-インド間の直接交易が可能となり、さらに中印国境紛争後は、ラスワの東側に位置するコダリ経由の中尼公路が開通したことで、多国間交易の主軸は完全にラスワを離れていったのである。
しかし今世紀に入ると、忘れられたこの古道は再び脚光を浴びる。南アジアへの経済進出を強める中国は、2012年キロン-ラスワ間に高規格道路を敷設し、翌年には「一帯一路」の枠組みの中で、ラサ-カトマンズ間を結ぶチベット鉄道がラスワを経由することが公表された。さらに2015年のネパール大地震で中尼公路が壊滅すると、物流のみならず観光もラスワに一本化されたことで、キロン-ラスワ道路は俄かに国際通商路としての幹線的機能(これを本企画では「幹線性」と名付ける)を取り戻し、中国の対南アジア戦略の鍵を握る重要インフラとして、内外の関心を呼んでいる。
⇑建設中の水力発電所 中国側の出入国管理局⇓
【問い合わせ先】
別所裕介(企画担当) gnasskor[at]gmail.com *[at]を@に変更して送信ください。