「みんな、ここを通った~戦争・交易・巡礼から見るヒマラヤ交易路の盛衰史」の報告書をこちらからお読みいただけます! ➔
ネパール北中部の要衝・ラスワを経由してヒマラヤを南北に貫くキロン-ラスワ道路は、古来よりカトマンズ盆地と西チベットのキロン地方を繋ぐ幹線道として、平時にはキャラバンや巡礼者が往来し、有事には軍用路として機能してきた。ネパールの歴代王朝にとって、チベット-インド間の中継交易による利潤を左右するこの道路の支配権は死活問題であり、チベットおよび清朝との三度の戦争を潜り抜けたゴルカ朝の覇権を支えたのもこの道路だった。他方で20世紀以降は、新たにシッキムに開通した近代的通商路によってチベット-インド間の直接交易が可能となり、さらに中印国境紛争後は、ラスワの東側に位置するコダリ経由の中尼公路が開通したことで、多国間交易の主軸は完全にラスワを離れていったのである。
しかし今世紀に入ると、忘れられたこの古道は再び脚光を浴びる。南アジアへの経済進出を強める中国は、2012年キロン-ラスワ間に高規格道路を敷設し、翌年には「一帯一路」の枠組みの中で、ラサ-カトマンズ間を結ぶチベット鉄道がラスワを経由することが公表された。さらに2015年のネパール大地震で中尼公路が壊滅すると、物流のみならず観光もラスワに一本化されたことで、キロン-ラスワ道路は俄かに国際通商路としての幹線的機能(これを本企画では「幹線性」と名付ける)を取り戻し、中国の対南アジア戦略の鍵を握る重要インフラとして、内外の関心を呼んでいる。
以上の史的変遷を受け、本企画では、ヒマラヤの南北を結ぶ交易路のローカルな機能と、国家間の駆け引きの中で超地域的に形成される「幹線性」の相関を焦点として、学際的な議論を深める。具体的には、まず小松原(歴史学)が、多国間関係の中で推移してきた交易路の幹線性を、長期的なスパンで位置付ける。その上で、異なる地域の物産や知識、技術を繋ぎ合わせる交易路本来のローカルな機能と「幹線性」が具体的にどのように絡み合ってきたのかについて、個別の論者がそれぞれの知見に基づいて発表を行う。井内(歴史学)は、11世紀の宗教者によるカシミールおよびインド-チベット間の往来について、仏教史学的見地から考察する。別所(宗教学)は、17世紀以来のキロン-ラスワ道路を介した宗教文化交流について、西チベットの拠点僧院を中核としたヒマラヤ仏教圏形成の視点から論じる。ネパールの牧畜実践を広く踏査してきた渡辺(地理学)は、「ヒマラヤ家畜回廊」の視座から、畜産物の流通を広域経済の中に位置づける。チベット語諸方言を研究する海老原(言語学)は、牧畜語彙の伝播と人・家畜の超域的移動の関係性について調査報告を行う。最後に、小林(歴史学)が再び史的変遷の見地から、近現代のチベット・イギリス・中国関係とヒマラヤを超えた交流の変遷を論じる。総合討論にあたっては、現代チベット史に精通する大川(社会人類学)、及び現地で草の根NGOを運営する貞兼(ランタンプラン代表)の2名が全体的なコメントを提起する。
以上のように本企画では、多分野にわたる学際的な見地から、ひとつの交易路の歴史的盛衰を集約的に検討することで、辺境社会の近代化をめぐって行われがちな単純な開発礼賛や、その対極をなす伝統社会偏重論などの近視眼的な議論を退けつつ、近代国家による間地域的干渉関係の渦中にある国境地帯に新たな角度から光を当てる。
中国政府が「一帯一路」を始動して以来、それまでごく少数のネパール研究者に知られるのみだったこの地は、俄かに国際的研究プロジェクトのホットスポットへと変貌した。これまでにドイツのMartine Saxer(Ludwig Maximilian University)が組織した人類学チームのメンバーや、アメリカのEmily Yeh(University of Colorado Boulder)が率いる地理学チーム等がこの地に入り、調査を進めてきている。
しかし、それらのプロジェクトは、基本的に中国の「一帯一路」を念頭に置いた地域経済の短期的変動に関心の主軸があり、本企画のように長期的な視座をベースラインとして、ひとつの道路の幹線性の変遷を、ローカルな具体的事象とつなぎ合わせて検討するような手法は未だ開拓されていない。
また、中国が南アジアで進める開発案件の成否は、海を隔てて同国と接する我国にとっても重要な示唆を提起するものであるが、ともすれば安易な中国脅威論の台頭により、実証的な現地研究に基づく視点の形成は立ち遅れ気味である。特に一帯一路との関連でいえば、日本にとって関心の深い「海のシルクロード」における「債務の罠」といったネガティブ面が強調される一方、内陸アジアという見えにくい場所で進められる「陸のシルクロード」の実像にはほとんど目が向いていない。
内陸アジアの重要インフラに焦点を絞り、学際的なアプローチの下で、長期的な視座を共有する本企画の実施は、上述の現状に有効な一石を投じることが可能である。
13:00〜13:15 オープニング:
Fieldnetからの挨拶:吉田ゆか子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所・准教授)
開会の挨拶・趣旨説明:小松原ゆり(明治大学研究・知財戦略機構・研究推進員)、別所裕介(駒澤大学総合教育研究部・准教授)
13:15〜13:40 報告1:
小松原ゆり(明治大学研究・知財戦略機構・研究推進員)
「戦争とヒマラヤ交易路:チベット、ネパール、清朝関係を中心に」
13:40〜14:05 報告2:
井内真帆(京都大学白眉センター・特定准教授)
「後伝初期のロツァワとパンディタの往来について」
14:05〜14:30 報告3:
別所裕介(駒澤大学総合教育研究部・准教授)
「交易路の幹線性と宗教関係ネットワーク―ネパール・ヒマラヤのチベット仏教圏形成を巡って」
14:30〜14:45 質疑応答
14:45〜14:55 休憩
14:55〜15:20 報告4:
渡辺和之(阪南大学・准教授)
「ヒマラヤ家畜回廊――祭礼に伴うネパールを中心とした畜産物の流通と広域経済」
15:20〜15:45 報告5:
海老原志穂(AA研・日本学術振興会特別研究員)
「チベット=ビルマ系言語における「馬」を表す単語をめぐって」
15:45〜16:10 報告6:
小林亮介(九州大学大学院・准教授)
「20世紀前半におけるチベット-インド交易の展開とカリンポン」
16:10〜16:25 質疑応答
16:25〜16:35 休憩
16:35〜16:55 コメント1:
大川謙作(日本大学・教授)
16:55〜17:15 コメント2:
貞兼綾子(ランタンプラン代表)
17:15〜17:50 総合討論
17:50〜18:00 閉会の挨拶:小松原ゆり、別所裕介
【問い合わせ先】
小松原ゆり(企画責任者) xiaosongyuan74[at]yahoo.co.jp *[at]を@に変更して送信ください。