かって堺の祭はだんじりが中心でしたが、明治29年8月に「堺の地車騒動」をおこしてだんじりの曳行が禁止になりました。
その後、明治39年練物運行の許可がおり、明治40年よりふとん太鼓の奉納が華々しく広まりましたが、堺大空襲によりその多くを喪失しました。
橋本市の市脇だんじりから方違神社の御札が見つかり・・・・見学させていただきました「市脇の傘だんじり」です
【 橋本っ子の自慢は、市脇の〝堺型・地車〟だ。幕末・明治初期の大阪・堺の彫り師・西岡弥三郎が制作した傑作。地車は「源頼朝の富士の巻き狩り」や、獅子噛み、鳳凰、青龍など、地車全体が彫刻に覆われ、大太鼓は、地車下の観音開きの扉を開けて載せている。
もともと、堺市の方違神社の祭りで、曳行されていたが、1896年に起きた殺傷事件の余波で曳行禁止に。その後、この地車は突然〝蒸発〟するが、気がつけば橋本市市脇で、曳行されていたというエピソードがある。おそらく地車を解体し、大八車か何かで市脇に運び、再び組み立てたものらしい。
市脇区では「立派な地車を壊してはならない」として、2004年から相賀大神社で永久保存。今は、貝塚市で曳行されてきた〝淡路彫り〟の地車を購入、交代して引き継いでいる。 】
橋本新聞 より
https://hashimoto-news.com/news/2016/10/01/38285/