江戸和竿本家「東作」(埼玉県川口市)の6代目、松本三郎さん宅を訪問してハゼ竿を注文した時の話。(写真左)
「オモリ3号くらいを背負える八尺五寸(約2.6メートル)くらいの竿をお願いします」と大まかなオーダーをすると、松本さんは「どちらの船宿さんをご利用ですか?」「主にお使いになるのは川筋ですか、海ですか?」「穂先は布袋(ホテイチク)でよろしいでしょうか?」「糸巻はどのように?」「手元は細身の淡竹(ハチク)の根掘り(根の部分)がありますが、どうでしょうか?」と、くわしく質問や提案を続けた。
素材や漆の色など全てがきまると、おもむろに巻紙と硯を取り出して墨をすりだす。
まず注文主である私の名前、注文の日付、「鯊竿」と筆で書き記す。さらに部位ごとの素材、漆の色、調子など細かく書き加えていくのだが、その所作を見ているだけでゾクゾクした。昔の旦那衆と竿師さんは、こんな楽しい時間を過ごしていたんだと、うらやましく思った。
「小僧の修業時代は習字の塾に通わされました。筆文字がきちんと書けないと竿師じゃないといわれましてねえ。俳句や短歌の勉強もしました」という話を、同じ江戸和竿師の故・四代目竿治(さおじ)さんから聞いたことがある。
また「新聞は、毎日隅から隅まで読みなさい」とも言われたという。世情に疎いと注文に来た旦那たちと話ができないから、とのこと。旦那には政財界の大物や役者、遊郭の主人などさまざまなジャンルの人たちがいたので、一生懸命勉強したそうだ。
庭師さんは裕福で教養のある施主と会話するため日々多岐にわたる勉強をしたと聞くが、上物の江戸和竿師も同様であった。
(公財)日本釣振興会 常務理事・「つり人社」会長 鈴木康友