私たちは睡眠と覚醒を繰り返す。睡眠脳波の発見によって睡眠と覚醒は客観的に区別できるようになり、睡眠・覚醒の制御機構や睡眠の機能などが解明されてきた。しかし、覚醒時間が長くなるとやがて生じる「眠気(眠いという主観的な感覚)」の実体は未だ謎に包まれている(図1)。既存の学問体系では、「眠気」は文字通り睡眠との強い結びつきから「睡眠研究」の範疇であった。しかし、眠気は覚醒時に生じる感覚であり、睡眠そのものからは明確に区別される生理現象である。また、巷でしばしば論じられる睡眠負債による社会的損失も、その多くは睡眠時間の多寡ではなく、睡眠不足からくる眠気の強さが直接的な原因である。さらに近年、発達障害や炎症性疾患などで見られるような、睡眠では解消されない「病的な眠気」も問題になっている。これらのことから、従来の睡眠研究から独立して「眠気」を研究する学問分野が必要である。このような問題意識のもと、本領域では従来の睡眠研究の枠組みから離れ、眠気を科学する研究領域「眠気学」を創成することを目指す。
図1 本領域の目指す“眠気の理解”の変革
新しい眠気の理解を目指すために、独自の作業仮説をもつ領域代表(睡眠研究者)と、異なるアプローチ(多光子イメージング、膜電位イメージング、大規模電気生理、数理モデル)を得意とするメンバーが本領域に集結した。それぞれの切り口から取り組み、有機的に連携することで、従来の睡眠研究から独立した眠気の理解が可能になる。
A01班 分子行動(弘前大・丹羽)・細胞生理(浜松医大・阪東)
眠気がどのように感知・変換されるのかを、個体を用いた行動解析や、組織を用いた細胞生理解析によって明らかにする。
A02班 多光子イメージング(京都大・坂本、山梨大・真仁田)
脳深部イメージングを実現する超輝度・高感度カルシウムセンサーや新規プローブ開発を行い、眠気時の回路変化を多光子イメージングによって明らかにする。
眠気がどのように解消されるのかを、複数脳領域の神経活動を単一細胞の解像度で長時間記録可能な大規模電気生理によって明らかにする。
スケールフリーな数理モデルによって、各班で得られたマルチモーダルな生物実験結果を繋ぎ、眠気の蓄積から睡眠へと至る時間スケールの謎を明らかにする。
現代社会では、眠気は私たちのパフォーマンスを著しく低下させる「悪者」扱いされることが多い。だからこそ眠気に真正面から向き合い正しく理解することは、眠気に対する現代社会の価値観を転換させ、眠気が生むさまざまな社会的損失への対処法にも繋がりうる。眠気の異常は睡眠障害や精神神経疾患との関係も深く、本研究領域の成果はヒトの疾病予防や治療に対しても大きな波及効果をもたらす。