傳修院レポート
参学者による活動報告です。
傳修院レポート
参学者による活動報告です。
2026年1月31日(土) 布薩会
今週は、午前中にアビダンマ『分別論』、午後に中観の入門書である『入中論』の解説がなされました。
【分別論】
午前の部は『分別論』に基づき、五蘊の「色」について分別法が解説されました。この分別法により色の定義が非常に明確になっていくと示されました。
色の定義: 「一切の色は無因である」「心と共にあるのではない」など、一つの特性による厳密な定義が確認されました。
破壊のニュアンス: 色のパーリ語である「Rūpa」という言葉の語源には「破壊」の意味が含まれています。そこから、色は常に壊れ、変化し続ける性質(変壊性/Vipariṇāma-dhamma)を持つものであると解説されました。
二種による分別: 物質を二つの側面から仕分けていきます。例えば「欲望の対象として執着されているもの」か「そうでないもの」か。こうした対になる記述を積み重ねることで、色の輪郭を浮き彫りにしていきました。
【入中論】
午後は、月称(チャンドラキールティ)著『入中論』の解説です。中道や空の感覚を、自分自身の感覚として身につけるためのステップです。
中観学習の必要性: お釈迦様が語られた断片的な教え以外に、中道の理論を体系立てて学べる機会は多くありません。中道の感覚を体得するためには、中観の学習が不可欠であると示されました。
菩薩の三因: 菩薩の因となるのは、「慈悲」「二辺を離れる知恵(不二智)」「菩提心」の三つです。なかでも不二智や菩提心の根源は「慈悲」にあり、『入中論』のエッセンスは一言で言えば「慈悲」であると説かれました。
空と無常: 私たちの営みを「水面に映った月の影」の揺らめき(無常)として見ること。あらゆる事象を「空」であると認めることができれば、無常ゆえの苦しみに打ち勝つことができると説かれました。
(参学者 S.)
2026年1月24日(土)布薩会
本日は午前は「釈尊の中道」についての解説。
午後は前回の分別論の続きをやった。
午前中の中道についての講義は実に興味深い話であった。
初転法輪経では二辺を離れよといい、その二辺とは、
一つはLoba、極端な貪欲、貪りを離れよ。
二つは、苦行、極端に肉体を酷使して痛めつけるような苦行はDosaが生じるからそこから離れよ。
この二辺から離れるのが中道であると言う。
しかしそうすると我々ほとんどは別にそこまで欲に溺れていないし、苦行もしていないからみんな中道を歩いている?と言うことになるが本当にそうなのか?これが仏教で最重要の教え、と言われるとたしかに首肯しかねる。
初期の仏語を伝えると言われるスッタニパータやダンマパダの内容を見ると、苦行を否定する言葉も肯定する言葉もみられるが、否定する方を見ると、それだけは涅槃に達することがない、と言うニュアンスで否定。
一方肯定する方はDosaがなく心清らかなら否定されるものではないというニュアンスに読める。
お釈迦様の苦行とは具体的にどういうものか非常に興味深いがそれは残っていないのでわからないのが残念だ。
結局、初転法輪経の二辺とはLobhaとDosaを離れよという意味だと理解するのが安全に見える。そしてそのための道が八正道であり八正道を歩むことが中道を体得的に了知する事であると。我々の考える両方の極端を足して2で割ると言うような安易なものでは全くないと思う。
午後の分別論は先週の続きで特に目新しいことは無し。
基本的には五蘊で色蘊で出たのと同じ構造がそれ以外の四蘊すべてで出てくる。
注意が必要なのは、
過去・未来・現在・内・外・麁・細・劣・勝・遠・近
と出てくるのだけど遠・近が空間的な距離の意味で使っていないこと。
ニュアンスとしては似ているものが「近」で似てないものが「遠」。
あとは勝と劣の比較ではグループごとに優劣の判定を下記のようにすることに特徴がある。
無記>善>不善、 不苦不楽>楽>苦、 定中(禅定)>非定中、 無漏>有漏
分別論は同じパターンの繰り返しで非常に頭が疲れる。今回は経分別だがこれがアビダンマの分別のなるともっと細かく分けるらしい。たしかに誰もやりたがらないわけだと思った。ヴィッパサナーする行者は頭で考えるわけではないが、我々学習者は頭で理解するしかないので勉強の仕方は工夫する必要があると思った。
(参学者 K.)
2026年1月17日(土)カティナ
講義前半:Vibhaṅga
Abhidhammaの典型的な手法に基づき、Rūpa、Vedanā、Saññā、Saṅkhāra、Viññāṇaの各蘊が、過去・未来・現在、内・外、粗・細、劣・勝、遠・近といった十一通りの枠組みで定義された。
特に受蘊における粗・細の区分は、不善受を「粗」、善・無記受を「細」とする場合と、不善受・善を「粗」、無記受を「細」とする場合とがあり、絶対的な区分ではなく対象同士の相対的な比較によって決定される。
また、想蘊においては眼触所生から意触所生に至る六種の想が時間軸や内外の別で分類された。
カティナ
講義の合間、会場がカティナ祭のために荘厳された中で儀式が執り行われた。まず、参学者と禅師との間で、カティナ布施の申し出と受諾にかかる一連のスタンザが唱和され、参学者手製の法衣が布施された。続いて、一同で三帰依を唱和する中、各々からお布施がなされた。
講義後半:釈尊の生涯
水野弘元著『釈尊の生涯』の音読を通じて、歴史上の釈尊の実像が検討された。本書は考古学的知見や信頼すべき史料のみで構成されつつも、仏教徒としての信仰心を呼び起こす内容であることから、釈尊の伝記として最も信頼に足る一冊として選定された。
音読箇所では、釈尊の超人化が原始仏教時代から始まっていたとする一方で、近代的な合理主義のみで神通奇跡を否定すべきではないという著者の見解が示された。
また、「仏陀」という呼称が大乗仏教において三身説を経て一般名詞化していく過程と、南伝仏教において「ゴータマ仏」として歴史的実在が強調される背景が確認された。当時の弟子たちの関心は釈尊の行脚の事実よりも、説かれた教法そのものにあったため、現存する断片的な聖典資料から当時の状況を慎重に推知することの重要性が説かれた。
質疑応答では、瞋触所生が「粗」で、増語触所生が「細」とされる意義、その場で生起消滅する名色の随念法、色声香味触法における「声」の媒体と捉え方について議論がなされた。
(参学者 S.)
2026年1月10日(土)Tusita Retreat
今年最初の瞑想会。
参加者は年初と言うこともあっていつもより多めの10名
今日はリトリートなので瞑想のみで午後スタート。
会場は今回初めて使う松戸市の松雲亭という小高い丘の上に立つ雰囲気の良い日本家屋。
広間からの庭の眺めも良く、こんな場所で1日ぼんやり過ごすのも悪くない。
どうやら茶の湯に使う屋敷らしく、どの部屋も茶釜が置けるようになっていた。
当日は1月にしてはかなり暖かかったので気にならかったのだが隙間風が非常に多い典型的な昔の日本の家、と言う感じだった。
歩行瞑想できるスペースは少な目だったが、とても雰囲気の良い住宅だったので春秋でのリトリートには最適では無いかと思った。
会場の都合もあって開始がいつもより30分遅れで瞑想時間も30分いつもより少なかったがいつもと違う環境での瞑想は気分転換にもなって大変良いと思った。
(参学者 K.)
2025年12月27日(土)布薩会
六十頌如理論の続きとVibhaṅgaの初回講義が行われました。禅師からは、これら二つのテキストを並行して学ぶことで、深く鋭い智慧の力を養うと共に(六十頌如理論)、ダンマの定義を精密に整理・整頓する(Vibhaṅga)という方針が示されました。
午前の講義では、六十頌如理論の01と02の偈を中心に解説が行われました。
01の偈では、「有無」は常見と断見を指し、「所依無くば」とはいかなる二辺に対してもTaṇhāが生起しないこと、「所縁無き」とは無相涅槃、「縁生の義」は近未来における五取蘊連続体の止滅体験を含む相互依存生起の真理と解説されました。
02の偈では、一切のDhammaが無性なら縁起も無性となり矛盾するため無性ではない、その上で一切のDhammaが有性かどうかをDhammaに沿って考察すべきと解説されました(次回の03に続く)。
午後はVibhaṅgaについて解説されました。
蘊・処・界・諦・根・縁起・念住・正勤・神足・覚支・道・定・無量・学処・無礙解・智・雑事・法心の十八徳目について、経分別、論分別、問難の三方面から分別していきます。
これはアビダンマ講座で学んだCross-examinationのイメージであり、例えば五蘊の色蘊では「過去・未来・現在、内・外、粗・細、劣・勝、遠・近」のあらゆる色を集めたものが色蘊と精密に定義されることで、随念の切れ味が鋭くなると説かれました。
(参学者 S.)
2025年12月20日(土)布薩会
今週からのアビダンマ講座でやる内容
中観とvibhangaをやることになった。vibhangaでダンマの定義をよりしっかり研ぎ澄まし、中論で三相、縁起の感覚を研ぎ澄ます。
今週のテキストは中観の「六十頌如理論」内容的には説一切有部の三世実有の誤りを正すために書かれた短い偈?の集まり。
これはサンスクリットが原本らしいが、現代には漢訳とチベット語訳のみが伝わるらしい。
日本人なので漢訳がメインだが内容が良くわからないのが多い。まず意味の解らない漢字の単語。そして理解に必要とされる知識が前提となっているので意味が取れない事が多い。
サンスクリット、パーリは語の定義がはっきりしていると思うが、漢訳は難解。ただ内容的に縁起の法について深堀してるな、というのは以下の冒頭の文にも伺える。
「若し諸法は縁を離れて生ずと了すれば、諸作法の行も是の如く離る。」
Nāgārjunaは大乗仏教では非常に重要な人物。だけどその内容は大乗らしくなく、むしろ根本仏教回帰とのこと。内容的には難解ではあるが非常に面白そうである。
その他メモ
六十頌如理論のテキストをカメラで撮ってAI(無料版のChatGPT)に読ませたらしっかり龍樹の中論、と認識してくれた。AIの答える内容が正しいかはそのまま鵜呑みにせず他のAIやWeb検索にもかける必要はあると思うが、単語の定義や偈文の解釈なども教えてくれて独学にはかなり便利と感じた。
(参学者 K.)
2025年12月13日(土)布薩会
長かった大念処経の読誦符もようやく今日で最後の結語まで来た。
午前中は説明と読誦。午後は質疑と今後の講義予定の話し。
結語は最長7年から最短7日で完全智(アラハン)もしくは不還果が得られるという内容。
ただし、もちろん誰でもその時間で結果が出るわけではなく、お釈迦様のいう通り修行すれば、の但しつき。
実際問題としてはvipassanā がずっと進んで七覚支が出てきた後の話しだと思うので現在の自分からするとずっと先の話なのだが、このお経の面白いところは修行の結果が出るまでの時間が書いてあること。ほかにこういったお経は無いと思う。
禅師によると、ワクワクさせるために言ったんじゃないか?と。
結語はほとんど繰り返しの内容で分量に比して覚える量は少ないから暗記は容易なはず。
四念処の難易度は身受心法の順に難しくなる。
身は一番簡単と言っても、墓地瞑想は死体が無いと難しい。三十二身分と四界分別は名色識別がないと難しい。するとすぐにできるのはアナパナと正知とiriyāpathaくらい。
その他メモ
今後の講義は何やるか?Vibhanga、二十四縁起、十二縁起をもっと奥深く突き詰める、Nāgārjuna の空、など。話しの流れ的にはvibhangaをやりそうな感じだったが、どれになっても面白そう。
土曜瞑想で一般向けをやりたいと言う話。午前に一般の人を呼んで、あいだに托鉢会をはさんで午後は今まで通りの内容で自由参加で実践など。
(参学者 K.)
2025年12月6日(土)Tusita Retreat
禅師を正面にお迎えし、全員で静坐。五戒・八戒の授戒ののち、『大念処経』のĀnāpānasatiに関する四行を唱和した。
Dīghaṃ vā assasanto ‘dīghaṃ assasāmī’ti pajānāti, dīghaṃ vā passasanto ‘dīghaṃ passasāmī’ti pajānāti.
Rassaṃ vā assasanto ‘rassaṃ assasāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā passasanto ‘rassaṃ passasāmī’ti pajānāti.
Sabbakāyapaṭisaṃvedī assasissāmī’ti sikkhati, ‘sabbakāyapaṭisaṃvedī passasissāmī’ti sikkhati.
‘Passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ assasissāmī’ti sikkhati, ‘passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ passasissāmī’ti sikkhati.
消灯して静謐な環境の中、各々が瞑想に集中した。
Ānāpānasatiは、坐・立・歩のいずれの姿勢でも修習可能であり、会場には歩行瞑想のためのスペースも設けられている。
初心者の方も参加でき、休憩時間には、禅師のご都合を見ながら質問やお布施を申し出ることもできる。
今日のスケジュール
12:15 現地到着・会場設営
13:00 瞑想第一部
13:40 休憩
14:00 瞑想第二部
14:40 休憩
15:00 瞑想第三部
16:00 終了・片付け
※Ānāpānasatiの修習方法や、五戒・八戒の授戒については、傳修院ウェブサイト内「傳修院TV」に掲載されている各動画もあわせてご覧ください。
(参学者 S.)
2025年11月29日(土)布薩会
本日の午前・午後の講義では、大念処経の道諦部分の読誦と解説が行われた。
【正業について】
講義ではまず、正業の “kāmesumicchācārā veramaṇī” の理解について解説された。これは単なる不邪淫ではなく、貪欲に基づく一切の邪な行為全般を指す広い概念であることが強調された。
【正命について】
正命については、身口意の三業との対応から説明があった。職業の善悪を超えて、Ājīva(活命)とは誓願(Adhiṭṭhāna)や意図・決意そのものであり、これが身業・口業を支える基盤であると説かれた。
日常の小さな意図から人生の大目標、涅槃の誓願まで、すべてが活命に含まれ、その誓願が行為を自然に律していく。在家も比丘と同様に誓願のスケールを持ち、これに基づいて身口意の三業をバイタリティ溢れるkusala(善)にすることが活命の意味であると説明された。
【正精進について】
正精進は一般にviriyaと理解されているが、経文で頻繁に語られるように、善に向かうchanda を奮い立たせることが正精進の要であると解説された。
【正定について】
正定については、特に二禅におけるsaddhā が取り上げられた。Vitakka・vicāra が静まり、言語が働かない内側に、透明で揺るぎないsaddhā が自然に満ちる体験がある。
これは、saddhāが強く燃え上がる三つの段階(①発心、②二禅、③預流果)のうち、第二段階に相当することが示された。
(参学者 S.)
2025年11月22日(土)布薩会
今日は午前が大念処経の滅諦の講義と読誦。
午後は午前の内容についての質疑応答。
まず滅諦は修行できないものである。なぜなら滅諦の段階はすでに煩悩を根絶しているから。
したがって修行としては集諦であるがままに観察していく。
滅(nirodha)が起こらなくても断( pahīyati)で煩悩が抑えられる。
修行のやり方としては
1,心路過程で見る
2、心路過程にこだわらず、今この瞬間で輪切りにして見ていく
集諦は随念、随観
滅諦は隨念し唱えるadhiṭṭhānaとしてやる。
修行者は 断( pahīyati)から始める。dhammmaが満ちればnirujjhatiがでる。
つまり四念処、八正道で vipassanāやってうまくいくと滅諦という結果になる。
ちなみに禅師はブラジル密林での修業時代は集諦滅諦を1日10数時間、チャンカマしながらでやっていたそうである。
(参学者 K.)
2025年11月15日(土)布薩会
大念処経―法念処―四聖諦―集諦の読誦と解説。
今回の講義は、四聖諦の「集諦(Samudaya Sacca)」、すなわち苦の生起の原因についてであり、その根本である「渇愛(Taṇhā)」の構造と生起・留まる場所が説かれました。
集諦と渇愛の構造
渇愛は、「Pono-bhavikā(再生をする)」性質を持ち、「Nandīrāga-sahagatā(喜びやむさぼりを伴い)」、「Tatrā-tatrā-bhinandinī(ここかしこで大きな歓喜を与える)」として定義されました。渇愛は以下の三種類に分類されます。
・Kāma-taṇhā(欲愛):欲界の対象に対する渇愛。
・Bhava-taṇhā(有愛):生存そのもの、または色界への渇愛。
・Vibhava-taṇhā(無有愛):非存在、または無色界への渇愛。
Taṇhāが生起・留まる場所
講義の主要なテーマは、Taṇhāが「Piya-rūpaṃ(愛しきもの)」「sāta-rūpaṃ(喜びをもたらすもの)」に生起し留まる、という60の場所の考察でした。これは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六門と、Pasāda(浄色)、Ārammaṇa(所縁)、Viññāṇa(識)、Samphassa(触)、Vedanā(受)、Saññā(想)、Cetanā(思)、Taṇhā(渇愛)、Vitakka(尋)、Vicāra(伺)の十要素の組み合わせに及ぶことが示されました。
質疑応答・解説の中で考察されたTaṇhāの側面
解説や質疑応答の中で、特に以下の作用について言及されました。
・PasādaへのTaṇhā: 「見える」「痛みなく噛める」など、肉体に備わった能力そのものに対する執着。老化や病気による能力の低下(例:老眼、虫歯)が、この普段意識しないTaṇhāを顕在化させ、苦を生じさせる。
・SaññāへのTaṇhā: 対象を区別し記憶するラベリング機能について解説がなされました。例えば、車を見た際にそのメーカーや年式を詳細に理解できることや、森の木々の種類を区別できるなど、特定の対象に対する細かい識別能力としてこの機能が働く。
・TaṇhāへのTaṇhā: 渇愛の対象ではなく、自身の渇愛の思いにさらに執着していくこと。
・Bhava-taṇhāとKāma-taṇhāの境界: スポーツ選手になりたいという願望について、それが地位や名誉といった結果に付随する具体的な属性への執着であればKāma-taṇhāである。一方で、「スポーツをすること自体が自分の生き方である」というように、その存在様式そのものや「有る/いる(Atthi/Bhavati)」という見解に対する根本的な執着であればBhava-taṇhāである。
この六門にわたるあらゆる作用に対するTaṇhāの考察は、随念(Anussati)及び随観(Anupassanā)の効果を高めるために重要であるとご指導いただきました。
(参学者 S.)
2025年11月8日(土)布薩会
大念処経―法念処―四聖諦―苦諦の読誦と解説。
苦諦は長いので講義は午前午後に分けて行われた。
前半は苦についてお釈迦様のいろいろな説明がある。
生老病死などについて同じような言葉で具体例を並べて説明するものと、paramattha的な説明が入り混じっている。
一つのお経で前者は当時のあまり知識のない一般人向けと、後者は修行者向け、が収まっているようなイメージ。
後半は有名な怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦が出てくるが、一般的なイメージはあまり修行に適さないので禅師が随念用に示された内容を簡単にまとめると以下のようになる。
怨憎会苦:苦を感じる対象が六門に出てしまう。
愛別離苦:楽を感じられる対象が六門に出てくれない。
求不得苦:求める善法、修行の成果(禅定や観智)が出てこない。求めていない修行の妨げとなる不善法(五蓋など)が去ってくれない。
とても解りやすくてよいと思った。そして苦諦の最後にお釈迦様は、「要するに五取蘊が苦である。」とまとめておられるので苦諦をギリギリまで要約するとそういう事なのだと思った。
(参学者 K.)
2025年11月1日(土)Tusita Retreat
禅師を正面にお迎えし、全員で静坐。五戒・八戒の授戒ののち、『大念処経』のĀnāpānasatiに関する四行を唱和した。
Dīghaṃ vā assasanto ‘dīghaṃ assasāmī’ti pajānāti, dīghaṃ vā passasanto ‘dīghaṃ passasāmī’ti pajānāti.
Rassaṃ vā assasanto ‘rassaṃ assasāmī’ti pajānāti, rassaṃ vā passasanto ‘rassaṃ passasāmī’ti pajānāti.
‘Sabbakāyapaṭisaṃvedī assasissāmī’ti sikkhati, ‘sabbakāyapaṭisaṃvedī passasissāmī’ti sikkhati.
‘Passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ assasissāmī’ti sikkhati, ‘passambhayaṃ kāyasaṅkhāraṃ passasissāmī’ti sikkhati.
消灯して静謐な環境の中、各々が瞑想に集中した。
Ānāpānasatiは、坐・立・歩のいずれの姿勢でも修習可能であり、会場には歩行瞑想のためのスペースも設けられている。
初心者の方も参加でき、休憩時間には、禅師のご都合を見ながら質問やお布施を申し出ることもできる。
今日のスケジュール
12:15 現地到着・会場設営
13:00 瞑想第一部
13:40 休憩
14:00 瞑想第二部
14:40 休憩
15:00 瞑想第三部
15:40 終了・片付け(通常、第三部は16時までの一時間)
※Ānāpānasatiの修習方法や、五戒・八戒の授戒については、傳修院ウェブサイト内「傳修院TV」に掲載されている各動画もあわせてご覧ください。
(参学者 S.)
2025年10月25日(土)布薩会
今回の講義では、『大念処経』法念処における「十二処(Āyatana)」について、読誦符の配布とともに要点を解説いただいた。
午前の部では、五門における内のPañca-pasādaと外のGocara-rūpa、意門における内のBhavaṅgupacchedaと外のDhammārammaṇaについて説明があり、ManāyatanaおよびDhammāyatanaの相関が整理された(※1)。また、Cakkhuが単数でRūpeが複数であることから、視覚対象が次々と現れる動的な性質が示唆され、印象深かった。
午後の部では、生滅随観智など高度なヴィパッサナーの進展において、「起こらなくなる」「形が消えていく」と心に映ずるとき、七覚支が生起し、Nibbānaへと心を強く導くことが解説された(※2)。難解な『無礙解道論』の英訳をもとに、発生と非発生、形あるものと形なきものの対比を通じて要点を明快にご指導いただいた。
※1 Manāyatanaは89種のCittaを指すが、CakkhāyatanaからKāyāyatanaまでがPañca-pasādaであることとの平仄から、所縁を写し込むBhavaṅgupacchedaとして随念。また、Dhammāyatanaは89種のCitta、5種のPasāda、7種のGocara-rūpaが既出のため、52種のCetasika、16種のSukhuma-rūpa、Nibbānaを指す。複雑ながら、理解が進むと興味深い体系である。
※2 『無礙解道論』(英訳)では、左列が七覚支の生起を、右列が不生起を示す。
non-arising / arising
non-occurrence / occurrence
signless / sign
cessation / formation
今日のスケジュール
09:10 現地到着・会場設営
10:15 修行者のためのアビダンマ講座
11:30 托鉢会
12:40 授戒・縁起・六隨念読誦
13:10 法話(午前講座の内容を継続)
14:10 終了・片付け
(参学者 S.)
2025年10月18日(土) 布薩会
今日のアビダンマ講座は9月から始まった 大念処経の読誦の続き。
大念処経-法念処-五蓋、五取蘊 の読誦符(パーリ)読み方と内容も解説。
五蓋はやや量が多いが内容的には同じパターンの繰り返しで覚えやすい。
五取蘊は短くて覚えやすい。
今日のアビダンマ講座で印象深かったのは、無常を常住と見てしまうことの禅師の説明。
無常なる現象に名前を付けて概念のラベリングをする。概念は実在ではないので時間に依存しない。そうすると、ラベリングされた無常の現象を常住と見てしまう。
概念の持つ性質に引っ張られて現象を理解してしまうという事だと思うが実に興味深い話であると思った。
今日のスケジュール
9:00 現地到着会場設営
10:00 修行者のためのアビダンマ講義
11:30 托鉢会
12:25 チャンティング
13:00 午後の講義(いつもは講義だが今回はHPや動画配信など対外活動についての意見交換)
14:30 終了片付け
(参学者K. )