歴史と沿革
歴史と沿革
徳川家康の四男、松平忠吉が創建
興國山大光院は、慶長8(1603)年、徳川家康の四男、松平忠吉が、崇敬していた明嶺理察(みょうれいりさつ)和尚を招き、尾張国春日井郡清洲(現在の清須市)に創建した清善寺が発祥です。
忠吉が慶長12(1607)年に没すると、忠吉の法名をとって大光院と寺号を改め、さらに同15(1610)年の清洲越し(清洲から名古屋への遷府)で、愛知郡日置村(現在地の名古屋市中区大須二丁目)に移転しました。
藤原広実 画『関ケ原合戦絵巻』[2],写. 国立国会図書館デジタルコレクション
図会に描かれた縁日の賑わい
文化5(1808)年、烏瑟沙摩明王の別殿として明王殿が建立されると、腰部の諸病の治癒に霊験があるとして、多くの女性の参拝客を集め、毎月28日の縁日の賑わいの様子は「尾張名所図会」などに描かれました。
今も28日の縁日には境内や周辺にさまざまな露店が立ち並び、夜まで賑わっています。
岡田啓 (文園) , 野口道直 (梅居) 著『尾張名所図会』前編 巻1 愛智郡,片野東四郎,明13. 国立国会図書館デジタルコレクション
大須の赤門通の由来
建物は、江戸時代に起きた火災や昭和20(1945)年の名古屋大空襲による焼失などで幾度も建て直され、現在ある山門は昭和41(1966)年に、本堂と明王殿は平成15(2003)年に再建されたものです。
なお、大須商店街の北側を東西にはしる赤門通は、当院の朱塗りの山門から命名されました。