大学の自治と自由な教育・研究環境を取り戻そう!

全国の大学教職員、これまで大学で学んだ、いま大学で学び、これから大学で学ぶすべての人々への連帯声明文


学問の自由・大学の自治は憲法第23条に記された日本国の法治基盤にある考え方です。ところが、学校教育法や国立大学法人法の改悪とその拡大解釈により、大学の自治の精神が近年、急速に破壊されています。大学の自治、とりわけ学長選考や人事権を巡る紛争が、東大・京大・筑波大・大分大など各地で起こっています。成果第一、経営第一のトップダウンの考え方が導入され、一見華やかに見える分かりやすい成果の陰で、人員削減・効率化の名のもとに教育現場は悪化の一途をたどっています。現場の教職員の意見は運営にまったくと言っていいほど反映されず、学生たちの不満も高まり、大学での学びそのものが危機に瀕しています。

多くの大学で学長の権限が強まり、教職員は巧みな規則の変更や管理体制の強化によって恐怖政治のような環境におかれ、たとえ矛盾を感じていても声を上げることもできず、膨大な業務に追われてみな疲弊しています。このような環境で、自由で独創的な研究や豊かな学びができるわけはありません。

政府の改革は教育・研究の長期的な社会への貢献を顧みず、大学をひたすら自分たちの意向に従う下部組織へと追いやろうとしています。こんなことをしていたら、国家は必ず道を誤り、国民は大変な不幸を背負うことになる。これは歴史が教えるところです。私たちは大学の自治・学問の自由の下で学び研究してきたものとして、このことだけは言わずにおれません。

この声明文は、自治のみならず大学の伝統やアイデンティティまでが破壊されていることに声を上げた教職員や市民たちが、日本各地で同様の危機が深刻化していることに気づき、連帯した結果生まれたものです。研究・学びが誤った方向に向かっていることに、私たちは深刻な憂慮の念を抱いています。

学生のみなさんが大学で過ごす時間はそれほど長くないかもしれません。しかしそれは自分の頭で考えて行動するために必要な“知”を修得する貴重な学びの時間です。そうした学びがあってはじめて、正しい判断のもとに社会をひっぱっていける人が育ちます。大学で学び、現在社会でご活躍のみなさまも、これからお子さんを大学へ送り出そうという保護者のみなさまも、この点はご同意くださるでしょう。大学の危機は、日本社会の未来の危機でもあります。いまからでも遅くはありません。大学の自治を取り戻し、自由で豊かな研究の場、学びの場を取り戻すために、社会のみなさまからのご賛同を広く募ります。

※4月5日現在、社会の幅広いみなさまの707筆ものご署名をいただきました。

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「大学の自治」の恢復を求める会が国立大学法人法の改正案に反対する声明と署名活動を始めています。みなさまのご協力をお願いいたします。(3月6日)

北大クライシスを憂う会のHPが立ち上がりました

「北海道大学前総長 名和豊春氏」の訴訟を支援する会です。メディア報道によって広がったイメージと実態の間に相当の隔たりがあることが分かります。(2月26日)

筑波大学学長選考を考える会の記者会見の模様が朝日新聞、共同通信、茨城新聞に流れました。(2月10日)

筑波大学学長選考を考える会が記者会見を行います

2月10日(水曜日)16時10分より文部科学記者会見を行います。17時には文部科学大臣宛「筑波大学による指定国立大学法人申請における水増し疑惑に関する要望書(緊急)」を、文部科学省高等教育局国立大学法人支援課第2係に提出します。情報の拡散をお願いいたします。(2月8日)(一部時間変更あり、2月9日)

2月4日放送の【大下容子ワイド!スクランブル】<NEWSドリル>が全国で相次ぐ学長問題について取り上げました。(2月8日)

北大総長・名和豊春氏の文部科学大臣による解任の闇について、真相究明講演が行われました。その模様が動画にアップされています。この解任劇には一般に知られているのとは相当に異なる背景があるようです。名和氏はこの解任について国と北大を提訴しています。(2月2日)

筑波大学学長選考を考える会が顧問弁護人を通じて、学長に公開質問状を送付しました。内容は上記のPDF、並びに同会のHPをご覧ください。(2月1日)

ZAITEN2月号に掲載された霧島藤次氏の記事「筑波大学『独裁者学長』が留学生水増し疑惑」に対し、同誌編集部に筑波大学の代理人弁護士から、内容についての訂正並びに謝罪広告を掲載せよという抗議文が届いた、という記事です。同誌は「記事に大きな誤りはなく、言いがかりもはなはだしい、大学側が説明責任を果たすべき」と主張しています。(2月1日)

仕組みとしての学長選考会議の問題点の指摘です。(2月1日)

朝日新聞の記者解説記事が出ました。執筆は社会部・土屋亮氏です。(1月26日)

長期にわたり学長選考会議の議長となっている河田悌一氏に対し、リコールの署名活動が行われています。1月末を期限として匿名での署名も受け付けております。(1月20日)

旭川医大では14年間学長の座にある吉田晃敏氏のリコールを求める署名活動がはじまりました。詳しい経緯・署名手続きなどの詳細はこちら。大学ガバナンスの改悪が日本全国で異常事態を引き起こし、教育・研究現場の混乱と停滞を招いていることが分かります。(1月20日)

毎日新聞「投票廃止、任期撤廃の筑波大 「軍事研究ゴーサイン」の学長再任への消えない不信

筑波大学学長選考を巡る一連の経緯についてまとめた長文の記事が毎日新聞に掲載されました。吉田卓矢記者による取材・執筆です。また筑波大学学長選考を考える会に「変な会がいちゃもんをつけた」と発言した河田議長が「精神的な苦痛を受けた」として筑波大学の代理人を名乗る銀座ファースト法律事務所より考える会に通知文が届いています。(1月19日)

「筑波大の学長選で選考過程を疑問視する教職員らに対し、永田恭介学長を次期学長に選んだ選考会議議長の河田悌一・関西大元学長」の発言が東京新聞茨城版<あの ひとこと 2020茨城>7〜12月(12月31日)の10月の欄に紹介されました。(1月19日)

毎日新聞に学長選考についての長文の記事が出ました。(1月7日)

Business Insiderの記事です。執筆は石原俊氏(明治学院大学社会学部教授)です。(12月29日)

指定国立大学に選ばれた際のデータについて、筑波大学執行部に説明責任が求められています。(12月28日)

明日、12月23日18:30よりオンラインシンポジウムが開催されます。事前申し込みが必要です。(12月22日)

福岡教育大学の再生を願う教員の会からの問題提起です。(12月16日)

”2020東京大学総長選考を考える” ウェブ上で「検証報告書へのコメント」が公表されました

「令和2年度総長選考会議における総長の選考過程の検証報告書」に対するリアクションです。(12月13日)

筑波大学の学長選考をめぐってのコラム記事です。(12月13日)

情報公開の徹底を求む(指定国立大学法人等について)

筑波大学学長選考を考える会が指定国立大学法人についての意見を募集しています。(12月3日)

Business Journalに下関市立大学で起こっている驚くべき事態が報告されています。(11月30日)

上記の田中圭太郎氏の記事にある下関市立大教授の理事解任に対し、大分大学のガバナンスを考える市民の会から下関市立大学理事長に対し抗議文が出されました。(12月13日)

金沢大学のガバナンスにかかわる問題が現代ビジネスに指摘されています。(12月13日)

本記事でも学校教育法と国立大学法人法の改正が国公立大学の現状を招いた原因だと指摘しています。(12月3日)

朝日新聞の記事「学長選び、教員不満噴出 現場の意向と「選考会議」、対立 東大・筑波大」(11月23日)に対し、福岡教育大関係者より力強いメッセージが発せられています。また本HP賛同者欄において同大名誉教授からも「大学存続の危機ですら考えねばならない時期に来ている実感を真剣に大学執行連中は考えていないようだ。OB連中が頑張らねばなりませんかな!!」というコメントをいただいています。(11月27日)

KUNILABO緊急トーク企画「大学はどこへ向かうのかII」

「大学はどこへ向かうのか」の第二弾企画が年明けの1月10日(日)18:30〜からオンラインで行われます。視聴無料です。申し込みはこちら。今回のテーマは大学入学共通テストです。(11月25日)

オンラインシンポジウム「ここがダメだよ、京都大学」

参加無料。どなたでもご視聴いただけます(11月23日)

下関市立大学を守り発展させる会からも連帯いただきました

(11月21日)

ヤフーニュースでも取り上げられた給食「仲介」費削減についての分析です。(11月17日)

筑波大学学長選考を考える会からの報告 稲垣副学長からの「お尋ね」の書面とその回答

筑波大学学長選考を考える会でも新しい動きがあります。(11月17日)

東京大学新聞に紹介いただきました。(11月16日)

連帯団体・会・組織

・「2020総長選考を考える」東大教員有志一同(田中純、阿部公彦、佐倉統、清水晶子、水越伸、山田広昭) 

・北大総長解任の真相を究明する市民の会 

・憲法・教育基本法改悪に反対する市民連絡会おおいた

・下関市立大学を守り発展させる会

団体・会・組織単位での連帯表明のご希望は tsukubagakuchnosenko2020@gmail.com にお寄せください。賛同順に追加していきます。

コメントより

*新しいコメントは上部に加筆しております。

※具体的すぎる事例については事実関係の確認ができないためコメント掲示を見送らせていただいたり、固有名詞を省略させていただくことがあります。ただし内容についてはすべて把握しております。


・大学の自治を守りたいです。ぜひ国は、もう一度考え直していただきたいです。予算が無ければ、どうしようもないです。

・国にしても大学にしても、今のようなシステムから本当の意味で利益を得る人は、きっと誰ひとりいないでしょう。それほど救いがない状況です。

・学問の自由は民主的な研究組織の運営があればこそ成り立つと考えます。にもかかわらず、近年の大学執行部をめぐる不明瞭な意思決定の問題は常軌を逸しており、将来的に学問の発展を阻害する結果となるでしょう。私のような一般市民が声を上げることによって、状況の改善にどれほど役に立つのかわかりませんが、この思いを皆さまと共有し、希望を絶やさないようにしたいです。

・「大学とは誰のものか」、「大学は何のためにあるのか」という本質的な問い、そして大学そのものの理念を語る言葉が力をもつのはなぜでしょうか。それが日本の大学の現状とどれほど隔たりがあるとしても、自由な知性への信頼、過去の大学人が残した業績への敬意が込められているからだと思います。声明文の趣旨に賛同します。

・本務校の私立大学では、2014年の私学法改正を先取りする形で、学長を含む法人理事会の権限が強化された。その結果、大学教育に対して理解の無い理事者が、自分たちの「好み」「思いつき」により組織再編やカリキュラム改革を一方的に決め、それを一般の教職員に従わせるという上意下達式、独裁的やり方が続いている。理事会メンバー誰一人として当事者意識はなく、彼らの権力闘争に関係ない学生や教職員が巻き込まれて、酷い目に遭っている。教員は授業の無い休業期間にも法人執行部からやってくる雑務に追われて、研究活動もできず、授業内容の改善もできない。

・国立大学法人法体制の下で、国立大学は国策大学化し、学問の自由は空文化しています。国民のための大学として、人類の平和と福祉に貢献する大学本来の役割を果たすためには、大学の自治の再構築が不可欠です。そのために、連帯の輪をひろげましょう。

・国公私の大学が危機に陥っています。共に連帯して大学の自治と学問の自由、個人の尊厳をまもる運動を広げましょう。

・2011年に大学に入学した私から見ても、大学という場所がどんどん窮屈になっていっています。独立行政法人化以降の「会社化」のみならず、「学校化」も同時に問題であると思います。近年、中学や高校における人権無視の理不尽な校則や生徒指導が問題になっていますが、こうした問題は大学の変容と無関係ではないはずです。大学の自治、学問の自由を取り戻し、学問とは何か、そして教育とは何かを今一度問い直さなければなりません。

・連帯声明に賛同いたします。学問、科学は人類の共有財産であり、大学は社会の共有財産です。特定の価値観、一部の人々のためのものではありません。共有財産としての学問、科学、大学を守るのは、権威ではなく、開かれた公正な議論です。

・「学問の自由はこれを保障する」-憲法第23条は,誰がいつどこで何を学ぶかは自由であると宣言しています。そうであれば,大学の運営には民主主義が最もよく貫かれていなければなりません。大学の変質は将来に禍根を残します。「学問の自由はこれを保証する」は,川柳を詠む私にとって,最高の川柳です。

・奈良県の国立大学法人統合についても説明責任が全く果たされない(果たす気もない)まま、独善的に進められています。その中、目下行われている奈良女子大学の学長選考においては、法人統合推進等、現学長の方針を踏襲するという踏み絵を踏まない限り学長候補者となることもかなわない(現学長の再任ありきの)歪みきった選考基準が学長選考会議から提示されています。本当に情けないです。

・我が国の国立大学は独立法人化後、大学の自治や教授会が蔑ろにされている。大学執行部は文科省役人の天下り先とされ、数年在任中に学内を無責任にもかき回し去って行く。これに同調する一部の教員が恰も任期が無いように役職をたらい回し学内をまるで私物化。正常な議論の場は無くなり民主的大学運営はなされなくなっている。これが私が勤務していた福岡教育大学の状況である。少なくとも学長を構成員が選べる元の制度に戻すべきである。現在の学長選考委員会は学長自らが任命するような在り方で成されており、権限を一手に有する学長の傀儡組織である。負の連鎖を絶たなければ未来は無い。

・教育基本法改悪・学校教育法改悪など法そのものの改悪をベースとして、多くの大学で起きている専制的運営を憂慮します。

・国立大学の独立行政法人化以来ますます露骨化する研究教育現場への、自公政権下で新自由主義の名のもとに全体主義的な権力の介入支配が極度に強まっている。これは日本の高等教育並び学術世界の戦後最大の危機である。前政権から引き継ぐ現政権の日本学術会議の委員任命拒否問題もまったく同じ弾圧の一環である。高等教育機関にかかわる者は、今この時に声を上げなければ現代社会の今と未来への責任が果たせない。連帯声明文に心から強く賛同し、この教育現場への弾圧に抗う渦が強く大きくなることを祈念する。

・大学存続の危機ですら考えねばならない時期に来ている実感を真剣に大学執行連中は考えていないようだ。OB連中が頑張らねばなりませんかな!!

・日々、民主主義を踏みにじる現政権に倣うかのように、教育の場の有り様も平然と侵されていると知り、大変危機感を覚えます。/学びと研究は未来そのものです。/声を上げてくださった皆様への感謝共に。

・趣旨に大賛成です!

・このままでは、日本がダメになるという強い危機感が有ります。黙っていてはいけない。今回の声明、心強く思っています。

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・大学と学問の自由は長い時間をかけて追い詰められてきており、昨今のさまざまな問題はその表現です。ですが、長期的な視野で、遠い未来の自由な学問と教育が行われる大学の種子を残すために、今こそがふんばりどころだと思います。声明に賛同いたします。

・趣旨に賛同いたします。民主的自治の大切さは大学の教えるところでもあり、まず自らがその価値を守り抜きたいと考えております。

・現政権の手法と、オーストラリアなどですでに起きていることを考え合わせると、つぎには研究者の研究内容や大学での教育内容に介入してくることは必至と考えます。いま、関係者が一致して立ち上がることが肝要だと考えます。

・今回、連帯声明を出している大学以外でも大学自治が異常化しているケースは多数あります。それらとの連携を深めるとともに、今なお大学自治が「正常」となっているケースとの比較も重要かと思います。政治的・社会的な運動とともに、大学自治に関する歴史・現状・比較分析を行う学術アプローチも展開すべきと考えます。

・学力は国家栄達の基礎基盤です。そして国家は国民の共有資産を守る最大単位。然るに学問を蔑ろにして得られるメリットなど無いでしょう。

・成果主義を追求する新自由主義は世界中で見直される中、新自由主義を学問界に実装しようという試み自体現状認識の甘さが如実に垣間見え、他意があるとしか思えない改革には断固反対です。

・いま日本は危うい岐路に立たされている.日本学術会議任命拒否問題は決してうやむやにされてはならない。

・高等教育だけでなく、子どもたちや学生たちの可能性を引き出せるような、潰されることがないような教育を、お願いしたいと思っています。

・声明文に賛同します。現在高校教員でもあり、生徒児童の保護者でもあります。大学で数年間、自由な空気の中で、多様な人々の間で、学び考えアウトプットするという時間は人生の中でかけがえのない貴重な時間です。そこでの充実度は、その後の人生や社会生活の充実度につながると思います。個人の問題だけではなく、そんな社会人が多い方が、社会は豊かに成熟できるはず。/しかし現在、その方向とは真逆の方向に日本の大学が向かっているとすれば、高い学費を払ってそこへ行く価値はかなり減るのではないか。そう考える人が増えてもおかしくない、と個人的には思っています。だから大学から自由を奪われることについては、本当に危惧しています。

・自由な学問は国の基礎科学のべースです。

・法律違反が露呈した苦し紛れに異論や批判を排除し、学問研究すら政権に従属させないと気が済まないような政治は、「改革」の名で呼ぶにも値しないものです。自らの引き起こした誤りを改める代わりに、他者を攻撃することによってごまかそうとする人たちが政治権力を持っている現状を、私たちはこれ以上放置しておくつもりはありません。

・かつて大学で学んだ者として、当時の自由な大学がどんどん窮屈になっていくことに懸念を覚えます。/また、今現在、そしてこれから大学で過ごす子どもたちが自由で豊かな研究の場で委縮せず、やりたい学問を修めることができることを願って、この声明に賛同いたします。

・京都大学で学生の自治や自由が破壊されていくのを目の当たりにしてきました。学術会議で山極さんが頑張っていたという話を聞くたびに、だったらどうして足元の京都大学ではあれだけの管理強化を上から徹底できたのか、理解に苦しみます。学術会議の問題に関心を持っていただいた皆様には、是非とも大学で何が起きているのかについても思いを馳せて欲しいと思います。学問の自由を担保するのは制度や組織だけでなく、そこで生きている人々のエートスでもある筈です。それが根こそぎ破壊されつつある現状を、看過することはできませんし、後世にその残光しか手渡せないというのは、あまりにも悲しく辛いことだと思います。

・就職に有利かだとか国家の役に立つかとか、そんなことのために大学で学問を究めるのではない。経団連が大学入試改革にまで口を出したり、補助金をちらつかせて政府が政策的な介入をしようとしたり、大学の自由が損ねられることに対し強く異議を唱えます。

・博士課程2年の大学院生です。途方もない量の業務をこなし、すき間時間でなんとか研究活動を行っている教員の方々を見ると、将来自分にこんな働き方ができるのだろうか、研究は好きだが本当に大学教員を目指すべきなのだろうか、と疑問、不安を感じることがあります。研究・教育環境改善に微力ながら協力させていただきたいと思います。

・現今の大学が置かれた状況に強い危機感を覚えるとともに、本来の自由と自治を取り戻し守っていけるよう心から願っています。

・大学の自治と、「学問の自由」を取り戻すために声をあげられた大学人のみなさんに、心より賛同いたします。

賛同します。学びの場に政治権力が土足で踏み込んでいる状況です。連帯して異議申し立てをします。

・愛媛大学大学院の卒業生です。/今回の事態を憂い、謹んで賛同させていただきます。

・労働弁護士の立場から見て、現在の大学は、理事者の独断に起因する、教職員を当事者とする労働事件が多発しているといえます。本来大学は、憲法で保障された「学問の自由」の制度的保障として、「大学の自治」が保障されているはずであり、その大学の自治の中心は、教授会による自治のはずでした。しかし、教授会をはじめとする学内構成員によって積み上げられた意思決定が、理事者の独断で無視される事態が、紛争を多発させている状況を招いております。この状況は、違憲状態にあると考えます。

・学問の自由と言論の自由を失わないために、今、声をあげよう。

・民主主義の根幹に関わることと思っています。このままでは大変なことになるという危機感も感じます。個人ではどうしようもありません。多くの方の連帯が必要です。

・これは、学問の自由という問題に留まらず、我が国は法治国家であり続けるのかということが問われている事案だと思われます。とんでもないことです。1日も早い是正が望まれます。

・自分が大学生として享受した学問の自由が、現在・未来の学生さんにも保障されますように。

・研究が(「趣味」ではなく)「仕事」として認められ、研究で「飯が食える」社会になってほしいと思い声明に賛同しました。

・昨今の揺れ動く時勢の中でも、学問の世界は普遍的に開かれ、かつ爽やかな風が吹いていて欲しいと願っております。

・かつて大学に学び、企業で働く者として、大学の自由と自治こそが、企業文化と社会にとって必須のものだと思っています。ここを破壊させてはならない。

・外国語を専攻している大学生です。学びたいこと、研究したいことを自由に選べない社会が、民主主義を掲げる国家だとは思えません。

・学術会議問題が今話題となっていますが、それ以前からも理事への権限集中や交付金の削減といった国による大学に対する管理強化は徐々に進んでいた印象です。/多くの先生方が述べられているようにこうした大学の自立力を削がれる今の流れが取り返しのつかないうちに止められるのは今だと感じています。/一学生が出来ることは少ないと思いますができる限りのことは行動していきたいと思います。

・学ぶことは、人を人たらしめる基盤のようなものだと思います。「学ぶ」ということをしなければ、どんなに愚かしい過ちであっても人は何度でも繰り返すでしょう。/未来を考え、現在を生きるために、これまで人類というものが培ってきたもの全てに対する「学び」があるのだと思います。その「学び」を得る場所、そして得た学びを基に思索と探究に励み、未来を作っていく場所として大学がある。ゆえに大学は今あるあらゆる権力、あらゆる思惑から自由でなければなりません。そうでなければ誰かや何かの意図に狂わされた過去しか得られず、誰かや何かにおもねった未来しか生まれない。それが誤っていたとしても、誤っていると言える人、分かる人がいなくなり、あるいは口を塞がれてしまうでしょう。/大学や図書館が重んじられ、あるいは戦ってきたことには理由があります。なぜなのかは学ぶことができます。今までを歩んできた人類の財産として、その道理や理念があることを、よく考えてみるべきだと感じています。

・今私たちが学ぶ近代国家の権力による支配は再びこの現代に復活しようとしていると考えます。そのために出来る発言権をここで行使させていただきたいと考えました。

・時の政権が学問をコントロールしようとする姿勢や、論点をすりかえて問題を矮小化しようとしている現状に非常に危機感を覚えています。多くの声が届きますように。

・政治家を含む一部の人の狭い知見と価値観により日本という大きな国の膨大な知を統率しようなどとは、亡国の挙としかいいようがありません。愛国を叫びつつ、その実は自己愛を偏重し、その実国家の力を衰退させるような動きは止めないといけません。

・近年蔓延する反知性主義には恐怖を感じます。ささやかではありましたが大学、および修士課程で使った時間はその後の人生・活動・仕事に大きく寄与するものでした。またすぐに金銭的な成果が反映しない基礎研究・歴史研究等の積み重ねが非常に大事であることも目にしております。政権に忖度しない学び、研究の場がこれからも守られることを希望しここに連帯します。

・都内国立大学教員です。3年前に私立大学から現在の職場に移りました。恥ずかしながらそれまで国立大学学長の選考が「意向投票」というかたちになっていることにも気づいておらず、民主的自治の基盤が失われていることに衝撃を受けました。私の職場では、学内のさまざまな意思決定が、実際に教育と研究に責任を負っている教員たちの手の届かない範囲でどんどん決まり、それに対する異議申し立ても行えないような事態が連続して起きています。日本学術会議任命拒否問題は、そのことと地続きの問題だと感じています。私自身、学部から大学院博士後期課程までずっと国立大学で学んできました。国立大学に限ったことではありませんが、学問や思想の自由を次の世代につないでいく責任があると思っています。真剣に学ぼうとしているひとりひとりの学生たちのために、連帯を求めます。

・国全体で学問を否定するような動きがあるのを悲しく思います。

・連帯声明に賛同します。現職の大学教職員の皆さんが、大学の垣根を越えて共同声明を出されたことは、大きな意義があると思います。深刻な事態の中では、人々を絶望に追い込みかねないという点でも、対抗の力を削いでしまうという点でも、「孤立」が最も恐ろしいことだからです。学生の皆さんや、保護者・市民の皆さんに呼びかけておられることも大切なことと思います。大学の中でも、非常勤講師のみなさんや、任期付き採用の方、常勤でない方など、声をあげにくい方々も沢山おられます。そのような方の意見も汲み上げ、代弁していただきますよう、お願いします。

・社会の一員として、また子を持つ親として、未来を担う子供達のためにも、学問や研究の自由が奪われることはあってはならないと思います。政府が土足で踏み入ってくるような今の状況は容認出来ません。

・国立大学独法化の時は、すぐさま全国レベルで動いた教員や院生仲間を誇りに思い、淘汰統合を恐れて行動しなかった教員に深く失望しました。その結果が次々に表面化してきた今こそ、研究者・教員には本来の大学自治回復のために声を上げて国民的議論を牽引していただきたいと強く願います。このような全国的な横の連帯と広く市民に支持を呼びかける動きに希望を託し、賛同いたします。

・先日、ツイッターで高校生が「大学に行く意味がわからない。やりたいこともないし、そのために勉強するのも面倒だから行きたくない」と言っているのを見て、個人の問題もあるのだとは思いますが、若い人が学問に希望を持てていないということでもあるような気がしました。学問は、学ぶことで、まず自分を救えると思います。どんな人も学問を諦めなくてもいい社会になってほしいです。

・大学組織の運営が実社会のあり方に応じて変わっていくことの重要性は理解します。ですが、公権力や経済的利害から独立した学問が評価されない状況は大変危険だと感じます。そして、自由な民主主義社会は、様々な手続きの公平性・透明性を保つ努力を通じて維持するものだとと思います。各大学の総長選の問題、それから日本学術会議の問題と接した時に、決してそれを手放してほしくないと感じました。連帯に賛同します。

・大学だけは学問や思想の自由が保障され、知性と倫理で権力に対峙できる最後の砦であってほしいと思います。

・私は現在大学に在籍しています。また、いずれは研究職につけたら良いと考えています。そのため、今の日本のアカデミックな世界の酷さを耳にすることが多く、非常に悲しいですし、非常に先が不安です。そういう中で、この声明文を目にしたので、賛同しようと思いました。

・国公立大学の運営を支える資金は、学生が払う学費と市民が広く負担した税金から成っています。政治家や官僚が大学運営の資金提供者なのではありません。それゆえに大学は学生と市民のためにあるべきであり、各大学の運営方針や構成、学長の選出方法などはこの視点を優先にして検討されるべきです。

・真実の追求を。権力ではなく。

・私は大学で「学ぶ」ことの楽しさをたくさん味わいました。それは、講義で教えてくれた先生方、図書館の司書の方、サポートしてくださるすべての大学職員の方、一緒に学び刺激しあえる友人たち、本の中で自由で新しい知見を見せてくれた(会ったことのない、もしかしたら同時代に生きていない)たくさんの研究者の皆さんのおかげです。/私にたくさんの楽しさを授けてくれた、大学の自由に学び議論する環境が、これから学ぶ未来の学生にも保障されることを心の底から願って声明文に賛同させていただきます。

・京都大学においても、吉田寮への廃寮化攻撃が激化しています。福利厚生の放棄に留まらず、学生自治そのものを破壊しようとする動きに対して、強く抗議します。

・子の世代にきちんとした学問の場を残しておきたいと思い賛同します。

・オンラインの授業が多くまだ大学にあまり関わっていけていませんが、そのような中でも大学構成員の意思を無視した運営がなされていると感じることがあります。広く構成員に開かれた自治に関わっていける大学生活を送りたいです。

・教育こそ平和の礎であり未来を築く原動力です。みなさんの行動が実り多いものであることを切に願っています。

・真の学ぶ喜びを奪われたくありません。

・国の非道で学びを奪われてしまった若者たちに、早く手を差し伸べてください!時間は無限ではないのですから。

・教育と学問は、時の政権から完全に独立して在るべきだと思います。誰かの人権を阻まない限りにおいては、未来に向けて最大限の多様性が必要だし、即効性の高い物だけを「役立つ」として長期的視野を無くしてはいけないと思うからです。

・政府は自らの政策に反対する意見をも尊重する義務がある筈です。誰もが自由に考え・学び・語り合える社会の実現の為、極力 学問の場が萎縮するような影響を与えない配慮をすべきではないでしょうか。

・いま大学の自治が死にかけています。それは学問研究の自由と科学の発展を蝕みます。魂の自由を奪います。日本を精神的荒廃から守るためにもなんとしても大学の自治を守らねばなりません。

・かつて大学に学んだ者として趣旨に賛同します。/大学の自治独立を尊重し、教育予算を大幅に拡充すべきと思う。今は金も出さずに口を出している状態だ。

・知を担う大学に、自由がなくなっては、学生が窒息します。大学本来の在り方を取り戻してほしいと思います。

・怖いくらい学びに締め付けがかかっており、予算も削られ、このままでは優秀な人材の流出が止まらない。

・私個人には何の力もありませんが、せめて賛同させて頂きます。この危機的状況に声を上げて下さりありがとうございます。

・大学の教職員の意思を反映しない学長の下では健全な研究・教育はできないと思います。

・トップダウンで全てが決まることによって、それまでの丁寧な議論が邪魔なものとされていく過程に非常に危機感を感じています。議論まで効率化の元に省略されることに抵抗していかなくてはならないと思います。

・来年修士課程に進学を予定している者です。将来研究者を目指していますが、既に大学院で学ばれている先輩方の話を聞いたり、ニュースを見ると、研究職の社会的な貢献の大きさに対して十分な研究環境のための公的な支援や公正な評価を得ているようには到底思えず、私自身も将来に不安を感じます。/大学の学長選挙も学校内外の政治アクターによる権力闘争という意味合いが強く、学問的探究が二の次になっている印象があります。/大学が学問探究の拠点として価値を高めるためには、学内の研究を第一に優先し、長期的な視座を持って研究者を守り抜くリーダーシップが必要であり、学長は大学の長としてその役割を果たす責任を負っているはずです。その役割が学外の権力関係によって侵害されている状況に強い懸念を持ち、その懸念を表明するために今回署名をしました。

・学問を軽んじる政権の蛮行に断固反対します。

・自分は未だ一介の学生に過ぎないが、それでも近年の大学の在り方には不満を覚える。紙面では「自由の学風」だとか「対話」だとかを売り文句にしているが、実態は反対であり、立て看板を奪い、集会をも解散させ、自分たち学生に「大学生の限界」という無力感を刻み込ませて隷属させんとする。自分は、大学とそこに居場所を持つ者たちの、この不平等状態を解決せぬままにしておいてはならないと考える。

・大学自治に学生として関わってます。私の在籍している大学は、私立大学であり、国立大学の状況とは大きく異なります。しかし学長選挙において、経営第一の考えのもと、民主主義的なプロセスが形骸化されることを目の当たりにしました。/大学の発展、研究活動の推進には、大学自治が大きく関わっていると考えております。

・京大のタテカン攻防など、従わせることに躍起になる大学に辟易します。大学は、一部の支配層に都合の良い人材を育成する場ではなく、自分で考え動ける人材の育成の場であって欲しい。

・学問が否定される国にはなりませんように。

・エセ科学や歴史修正主義などの反知性がはびこるのはなぜか。日本は崩壊または帝国の復活へ向かって流されている。それを押しとどめる力は知性を持つ人々の連帯から生まれると思います。

・学問の自由と大学の自治が失われた不健全な社会は衰退するでしょう。/学問弾圧の先には言論統制の危惧もありますし、社会全体で共有すべき問題だと思います。それほど深刻な事態と受け止めています。

・絶対に許されることではありません。無法はファシズムへの近道です。

・大学教育の環境を守る声明に賛同いたします。

・賛同します。たかが時の政権ごときが、学問・教育に手を突っ込むことなど、本当は、あってはならないことです。

・日本学術会議のことだけでなく、政治による教育、学問のコントロールがじわじわと進んでいる現状に大変怖さ、危機感を持っています。皆が声をあげ、思想の自由、学問の自由をしっかりと守っていくことを社会全体で今一度確認したいです。

・学生の身ですが、これからの学問の在り方を非常に憂慮しています。将来自分たちが担っていくであろう学問の立場が少しでも良いものとなるよう微力ながら賛同させていただきたいと思います。

・大学自治は徐々に後退している印象があります。学問の自由の衰退は国力の衰退であることを、政府当局者はよく理解してもらいたいものです。

・学問の自由と未来の希望のため、賛同いたします。

・今日国会での学術会議推薦メンバー除外に関するやりとりを見ましたが、首相の答弁は全くもって理屈の通るものではありませんでした。強権的なところも論外ですが、筋の通らない話をして平気でいる人が国の最高権力者であることがとても辛いです。

・大学の自治、学問の自由は中世イタリアのボローニャ大学に始まる。真理への追求は、人類普遍の担保されるべき分野で、いかなる権力にも左右されるものでない。

・賛同いたします。子供たちが自由にのびのびと学べますように。

・大学の自治は大切。学問の自由は大切。高校も上から管理され教員はただのコマのようになっています。そこに通う子どもたちにどう自由を教えればいいのか。

・趣旨に大いに賛同いたします。

・今回の声明に対して賛同の意を示し、開かれてアカデミックかつ柔軟に学問の追求が保障されることを願います。

・安倍・菅内閣による日本学術会議委員の任命拒否に反対するため、この声明に賛同します。/日本学術会議法 ① 3条から5条の趣旨/② 内閣が任命拒否した場合に欠員が生じるが、それを補うための手続に関する定めがないこと(7条)③ 会員に不祥事があった場合にも、内閣には単独で退職させる権限がないこと(26条)/から、内閣の任命拒否が予定されていないことは明らかです。/菅内閣による違法な任命拒否は、学術会議の自律性への介入を招くもので、違法、ひいては違憲と評すべきものです。/以上から、私は、本声明に賛同して学問の自由を擁護すべく抗議の意思表示をいたします。

・現政権は馬鹿の故事みたいな事をやっていて、批判される事を極端に嫌っています。/翼賛政治の末路は戦前の大日本帝国が嫌というほど証明しています。/同じ轍を踏まないためにも、学問への介入は絶対に許しちゃいけないと思います。

・日本学術会議の問題、そして各大学でも自治が大きな問題になっていることに日本の学問の危機を感じます。一市民として連帯声明文に賛同いたします。

・本やマンガ、音楽舞台、スポーツなど豊かで自由な発想や作品を愛する1人として、子ども達に自由な学べる場所をを作りたいと願う大人の1人として、連帯声明文に賛同します。

・人にとって学問は暴力の支配を避ける唯一の手段です。/学問の発展なくして人の営みに発展はあり得ません。/人にはあらゆる知識と、それを用いるための良心が必要です。/発展できるものをわざわざ衰退させる趣味がわたしにはないので賛同します。

・学問の自由は常に守ろうとしなければならないものだと強く思います。

・連帯に賛同します。/多くの受験生を大学、大学院に送り出してきました。彼らの学ぶ権利と適切な学習環境、研究環境の保障を強く求めます。/アカデミズムも時代にあわせて変わらねばなりません。しかしそれはあくまで学習と研究が未来へ向けて発展してゆくための変化でなければならないはずです。/今明らかになった一連の“騒動”は学習者・研究者のための大学ではなく“(短期的な)成果”のための大学を目指す点に問題があると考えます。これは大学にとどまる話ではなく、短期的な利益(ほとんどの場合経済的利益)を追求する社会の問題にも行き当たります。/お金儲けが悪いとは言いません。むしろじゃんじゃん経済は発達すべきです。それがアカデミズムと相互に好影響を与えていける道があるはずです。昨今のノーベル賞を取った日本人がその証拠です。経済と学問研究の好循環が生まれることに期待しています。/どうやら今は、そんな理想論を語っている場合じゃないようですね。本アピールに賛同し連帯を表明することが力になる。そう信じて投稿します。

・学問、表現、思想の自由は、新しいイノベーションの素です。政治が国民のために行われず、一部の利権のために堕していれば、批判するのは、国民の権利であり義務です。今、戦前へ戻らせようとする動きには、断固反対します。同じ過ちを繰り返さないために声を上げます。

・学びが真似びであるとすれば、先に生きている者がその意義と価値を自らの姿勢によって示さない限り、共同体の健やかさは保たれませんし、後に続く者からの信頼も得られません。私たちが恐れるべきは外から襲来するウィルスではなく、内なる怠惰と妥協と忖度ではないでしょうか。「総合的・俯瞰的」という単語を使うのであれば、まずは自分自身の生き方を判じ見つめることから始めて、「無知」と「無恥」から脱する努力をすべきでしょう。

・私学では既に研究者として存在することは「贅沢」だ、という風潮になっていることを感じます。大学教員は教員であると同時に研究者であることを決して忘れるべきではない。そして、その研究や教育は一つの価値に縛られて、方向づけられるべきではない。広く闊達に議論のできる場と、学生も含めお互いを尊重しあえる土壌を、大学に取り戻したい、と強く願っています。

・国は、仕事に就く為の予備校の様な場所では無く、学問を修める場所として大学を機能させてほしいと切に願います。何よりも「教育に予算を」。目先の「役に立つ・立たない」で学問を区別することなく,専門知を重要視する社会を取り戻したいです。

・日本の国立大学が始まって以来の歴史的暴挙が某国立大学で行われました。じつに多くの学類生(オピニオンリーダー的な学生さんを含む)や卒業生による反対運動への賛同があったにもかかわらず、学長選考委員会はそれを無視し学長への再選を強行しました。特に社会的にもっとも弱い立場であるはずの、学類生のみなさんの勇気ある行動にあらためて感謝と敬意を表します。しかしみなさんの先生、特に教授の先生方が反対運動の賛同者に名を連ねることができない様子からも、いかに大学内で(人事ポイントの再配分権を本部が握ることによる)自由意志の抑圧や、反対意見を表明した教員にたいする「検証」という名の脅しが横行しているかよくおわかりかと思います。これは主権がまるでない独裁社会です。みなさんが大学に通い一生懸命勉強し、もし運よく助教に採用されたとしても、(教授たちでさえ奴隷である)この独裁社会の最下層にやっと入れるに過ぎないのです。我々が真に検証しなければならないのは、いかにして自分自身が永久に学長でいられるように制度を改悪したか、副学長たちによる重大な利益相反の疑義、民主主義の最後の頼みの綱だった意向聴取における投票行動の妨害や監視(つまり不正選挙)の疑義などです。

・心より連帯します!

・時の首相が学者を選別すること自体が、学問共同体の創造性の基礎である多様性を壊す行為と思います。首相が日本国憲法にしたがい、国民全体の代表者としてふるまうこと(それは首相にとって気に入らない意見を言う国民こそ代表する公的な義務があるということ)を求めます。

・趣旨に賛同します。社会の良い所を潰して幸せになろうと考えることは、間違っていると思います。大学が持っていた豊かさは、社会の豊かさにつながっています。どうか手放さないでほしいです。

・近年、多くの大学(私立もです)が、学生のためではなく、文科省のため(つまり助成金のため)に多くの労力をはたいている現状は、大学の質を低下させることになっています。/日本が何百年と培ってきた教育や学問の土壌がたった10年やそこらで腐敗した政治によって凌辱されていくのを見るに堪えません

・声明に賛同します。ここ十数年にわたって学問の自由は脅かされてきたことだと思います。これは大学制度だけでなく、声明にあるように民主主義の根幹に関わることだと思います。

・大学はブラック労働の温床になってます!非正規雇用を助けてください!若手研究者をたすけください!

・学問すら自由で独立したものでないと、足元から揺らぎます。誰かの息がかかった権力者が好き放題できるような世界を一掃したいところです。

・僕はおよそ自治とも自由とも無縁な,新自由主義の元祖のような世界で生きてきました。だからこそ,最後の砦を守ってほしいと強く願っています。

・学問の自由・自治なき大学はファシズムそのもの 真理の探究の場を守ろう

・応援しています。書かれていること、本当にその通りだと思います。

・本来、学問は政治から独立しているべきで、政治色が濃くなりつつある現状は大変危険と言えます。学問の自由が実質的に制限されている今の日本が、他国に比べ遅れつつある事は明らかでしょう。日本の学問の発展のためにも、我々学生・及び教職員が自由に学問を行える場を守っていかなければなりません。

・大学は、本来、就職のための準備をする場所ではなく、リベラルアーツなどの深い思考を学ぶ場所であり、また、国が求める研究期間でもなく、様々な専門分野を人類の知として追求していく場所であって欲しいと願います。

・学問の自由・大学の自治は、学問の発展にとってなくてはならないものです。学生さんが将来自分で考え判断するために必要な「知」を得るためにも、何者にも忖度しない自由な環境で自由に学べる大学が必要です。

・息子が今年受験生です。学べる場を政治に利用させないで!応援しています!

・多彩な学問や研究が自由にそしてなおかつ学生さんだけでなく大学に関わる方全てが人間らしい生活が出来ることを望んでいます

・国立大学法人化直後の大学における研究科長と高等教育質保証機関における研究開発部長の経験から最近の大学の状況に憂慮しています。大学評価の観点が影響している側面があるのかとも。

・平成時代に入って以後の国家と学問のあり方を考え直さないと、未来は私たちの手からこぼれていく。選択と集中、自己責任、トップダウンなどのワードがいかに自由を壊していったか。

・国公私立大学の法人化の荒波を真っ先にかぶった横浜市立大学では、中田宏市長の新自由主義的な「改革」で、教授会自治は破壊され、学長選挙における自治の要素もほとんどなきがごとき状態になりました。大学の自治、学問の自由を守る大学人・学生教職員・社会人の奮起が求められていると感じます。

・教育研究の課題には数十年~百年先を見据えて取り組まねばならないと思います。独裁的な経営手法、短期的な成果を誇る効率主義は、教育研究の世界には無用です。

・こういうことが続いていると、研究者の国外流出が加速し、日本が二流国へと転落することは避けられません。

・これは学者だけの問題ではない。かれらが目指しているのは市民すべてが管理される社会。それを許すか許さないか、一人ひとりに問われている問題である。

・日本の発展には教育、知性への投資が何よりも大切だと考えます。

・総長選挙において学外からの意見を重要視すべきと公然と語られていることにびっくりしました。気が付かないうちに常識が変えられすでに自治が危うい事を痛感しました。学術会議の問題も含め、学問の自由を守るために連携する事はとても大事で有効だと思います。立ち上げありがとうございます。

・研究者や学生のそれぞれの良心と自主性が、学びの場において尊重されることを希望します。/管理したり、支配したりすることでは実現しえない、人間の協業的な関わりの実践の場としての大学の自由な空気が守られることを希望します。

・ファシズ下でないとこんな恐ろしいことを首相はできません。既にスガ首相の頭には民主主義はなく強権支配の独裁国家があるのです。一般の人も自分達とは関係ないと思わず、この恐ろしい事件を絶対許さないでください。看過したら、今度はあなたに必ず降りかかります。自由な意見が言えなくなる日本に戻っていいのですか。

・知の襷が過去から受け継がれ現在に至っています。人類はさまざまな分野で謎を解明し発見し反省し発展を遂げてきました。政治は生活と直結しており、文化文明も生活そのものです。一部の都合や好みで強制撤去するのは冒涜であり暴力です。学問の自由を阻む政策は民主主義への介入であり、絶対に許してはならない。未来への知の襷を断ち切らせてはいけないのです。

・政府や自治体行政の恣意的な干渉を許してはならない。

・私は大学に2度落ち結局ドイツの大学に進学することにしましたが、これから先女性/多浪として学部及び院で学び研究していくことを考えたり、京大(志望校のことくらいしか分かりませんが)の現状を見るにつけむしろ大学に受からなくてよかったんじゃないか、と自己正当化もありますが思ってしまいます。それは今の大学への政府からの理不尽な圧力や、学振制度の杜撰さにあります。「アカデミアで生き残りたいなら生活保護を受ける」というジョークが院生やポスドクのあいだに存在していることの悲しさや貧しさが、この先の日本社会の衰退に繋がっていくと思います。/私自身「昔はよかった」と懐古することは嫌いだし懐古できるほど生きてもいませんが、私が小・中学生の頃に抱いていた大学像は「各々が好きなことを好きなだけやることができる」というものでした。経済状況などもあるとは思いますが、やはり大学を政府の言いなりにしてしまおうという思惑等、見るに堪えないものがあります。/いちどは日本のアカデミアを目指した身として、また、これから先他国ではありますが研究していくことを目指している身として、そして日本で研究していこうと奮闘している友人を持つ身として、私にだけ降りかかる問題ではないと信じているので以上の理由よりこの声明に賛同します。

・「税金が使われている」からこそ時の政権が口を出すべきでない教育・研究領域に介入する菅政権の行為は「公共」の理念に反し、また明らかに憲法に反するものです。

・学問の自由を守ることは、国の未来の発展を守ることです。子どもたちの自由な教育の場を守ることなしに、国の健全な成長はありません。

・政府が任命拒否の理由を明かさないことが学者・研究者に最も安上がりで効率的な萎縮効果を生み出す、という中島岳志さんの指摘が的を射ています。そして菅氏のこの威圧的な強行策を後押ししているのは杉田和博官房副長官であるということに注意が必要です。彼は公安警備警察のトップを勤めてきた警察官僚あがりで、強面役として安倍氏に重宝され79歳の今でも内閣人事局長を兼ね政権を支えています。その上彼らはすでに秘密保護法と共謀罪という武器を持っていますから尋常ではありません。  

・過ちを繰り返さないために、社会の発展のために、大学、学びの場は、政治的な力から一線を画する場所にあるべきと思います。

・人文系の大学院生です。現在の大学の自治問題以前から、文系の学科を減らそうとする姿勢を見せる政府に対して信用はありません。人間がどう生きるかという根本的なことに目を向けず、目先の利益ばかりを追求する姿勢は、学問とは相反するものではないでしょうか。微力ながら声明に賛同させていただきます。

・日本で今起こっていることは、世界各地で起こっている危険な事態の一部です。そのことをきちんと見据えて、ねばり強く冷静に正しいことを訴えていきましょう。

・平安時代以来、わが国には学問を尊重する素晴らしい伝統が連綿と存在する。それが日本を美しくしている。学問を愛する美しい日本を守れ。

・大学で学ぶ者として、素晴らしい声明文に深く共感いたしました。教員の皆様の負担減、そして、より高度な知識を学ぶ場から就職予備校になりつつある大学の現状、これらが改善され、大学が本来の姿を取り戻すことを強く願います。

・声明に賛同いたします。大学改革の名のもとに進められた施策のため、研究環境、教育環境は悪化の一途を辿っています。学問は、国から指示された領域のみ理解を深化させれば良いというものではなく、実用に活かされるものはごく一部にとどまります。しかしながら、基盤となる知見は多岐にわたり、それは政治家や官僚の想定できるレベルのものではありません。

・大学内部だけでなく、広く社会の皆さんと私たちの社会で学問の領域がどうあるべきかについて考えることが大切だと思います。とくに学問の領域が時の政権から独立していることがいかに健全な社会にとって重要であるかについて再認識すべきだと思います。また大人は子供たちに伝えていくべきだと思います。

・自分が8年間学んだ大学での学生生活と、その後36年間勤務した大学での教員生活を顧みると、国立大学の教育・研究環境は法人化以後著しく悪化したと認めざるをえません。その弊害はすでに目に見える形でさまざまな領域に現れていますが、このまま現在の強権的運営を続ければ日本の大学教育が活力を失い深刻な危機的状況に陥ることは確実です。早急に大学全構成員の英知を結集してあるべき姿を取り戻さなければ日本の未来を暗い影が覆うことになるでしょう。

・研究環境のみならず、日本の社会全ての環境悪化を食い止めねば

・連帯の呼びかけと声明、大変感謝しております。大学の教育や研究、意志決定のシステムが壊れる様を見てきて、同じことが全国レベルで起きていることに危惧を感じています。多くの方々に声が届き、情報共有と連帯が促進されることを願っています。

・ガバナンスの名の元、多くの大学で問題ある学長により大学の自治が脅かされていることを危惧しています。この流れを何とか押し戻したいものです。

・政府と対峙するのは大変だと存じますが、この国の未来がかかっております。どうか、中途半端に屈することのないよう、お願い申し上げます。

・今、世の中が変な方向へ向かっているような不安があります。学問の自由を尊重する事、私は応援します。

・国立大を卒業した在野の一科学者として声明に賛同します。

・今回の学術会議会員の任命不当拒否問題も大学自治が形骸化される中で生じた問題です。学長選考に関して筑波大学のような暴挙がなされるのはもちろん論外ですが、学術会議会員の任命不当拒否に類似する人事問題は他の国公立大学でも日常茶飯で起きています。各学部・研究科教授会が研究業績や教育能力を元に民主的手続を踏んで選考し、公募した教員候補者を推薦しても、研究や教育を専門的に判断する能力があるとは思われない理事会によって任命されず、選考が差し戻されたり宙に浮いたりすることが頻繁に生じています。政府は今回の問題で、そうした独法化による国公立大学での上意下達方式を模倣したのではないか、とすら勘ぐってしまいます。大学自治は本来学生や職員も含んだ三者構成自治であるべきだと思いますが、教員による自治もまたまったく形骸化している状況です。全構成員自治を目指して巻き返したいものです。

・もうリモートしてるのなんて大学生しかいないじゃないか、大学に行かせろ!

・こんなことを一々表明する必要がある時代が来るとは想定していませんでした。未来は今よりきっと良くなると思っていた頃が懐かしく感じます。未来をより良いものとするため、まず大学の教育研究環境が改善されることを願って賛同いたします。

・筑波大学の人文学類で哲学を専攻している者です。筑波大学では人文学の縮小が意図的に行われています。予算が少ないために、定年退職で教員が減ることはあっても、教員が増えたり補充されたりすることはないからです。そのために、今までは別々だった哲学と倫理学のコースが統合されました。非常勤で講師を雇うことも難しく、自由な学びの場が損なわれていると感じます。

・このような問題が起きているのは日本政府が大学を軽視し、自由な学びの場ではなく社会人を養成する機関だと勘違いしているからだと考えます。また、政府や学長が権力を持って大学組織を恣意的に動かそうとしていることも原因の一つだと考えます。

・学生は多くの教授たちと学ぶことで学問の広さと深さを知ることができます。特に古典はその価値を十二分に理解している教授と読む必要があります。教養を身につけ、自分の頭で考え、正しい判断ができる真っ当な人間になるためには、大学での学びが実り豊かであることが確保されなければならないと考えます。"

・今まさに学んでいる学生や院生が、学びや研究に集中できるように、教育予算を拡大して大学に支給し、学費の減額や無償化に繋げてください。

・私自身の所属先は今の所それほど変なことになっていませんが、全国の大学でぽつぽつと看過できない事例が出てきていることを憂慮しております。大学をこんな風にしてしまって、次の世代にまともな学問やまともな教育を残せるでしょうか。まともな社会を残せるでしょうか。大学破壊は国の将来に対する破壊行為でもあると思います。健全な大学を保つことは次世代への我々の責務ではないでしょうか。

・学問を、知性を、自由を熱烈に欲していながらも政治的抑圧によってそれらを踏みにじられてしまった祖父母達のような思いを自分は決してしたくないし、自分より後の世代に感じさせるような事も決してあってはならない。その為に、非力だろうが無力だろうが、出来る事はやる、上げられる声は全力で上げていくつもりだ。

・現在進行形で起きている日本学術会議の任命拒否問題。これに対して山極壽一元日本学術会議議長がとった行動の内容と、山極壽一元京都大学総長が大学で行っていたことを考えると非常に情けなくなる。そして東大をはじめとした多くの大学で表層化している総長・学長選考における不透明化。今の大学を取り巻く問題はこれらだけにとどまらず、その環境は絶望と言ってもよいかもしれない。しかしそのなかでも抗わなければなすがままになってしまうだろう。だから私は声を上げる。連帯をする。

・どこをどうやったら「どう考えたって学問の自由とは関係ない」と言えるのか。言い訳を重ねれば重ねるほど自家撞着を起こしていることに気づけないような人に、決して屈してはならない。学問だけではなく、表現の自由・言論の自由が脅かされている現状に対して、沈黙することは無責任だ。

・本来の大学は広く自由に学べる場所であったはず。昨今の自治侵害はもはやこれを揺るがすものである。賛同します。

・大学の自治が掘り崩されているのを感じます。大学の意思決定においては教授会や学部自治や学生自治が最大限尊重されるべきです。学問は真理の探究以外のいかなる利益関係からも独立しているからこそ、長期的な視点で人類全体に利益をもたらすということを社会全体で再確認したいと考えています。

・賛同します。入ってからずっと、このままで大丈夫なんかな?という気持ちがありました。自分はそのうちいなくなりますが、未来のためにも。

・大学の自治、学問の政治からの独立性は、すべての人の生活の知的側面を象徴する大切な物だと考えます。趣旨に賛同致します。学問の基礎である「論理」は人間の対話の基礎でもあります。意思を伝え合うベースとなるものを無視して、一方的な権力の行使は暴力であり、思考の放棄であり、民主主義の後退そのものだと思います。

・賛同します。大学での研究は自由であらねばなりません。

・学びたいものが学べること、その内容や指導教員を理由に後の人生で差別を受けないことは、非常に大切な事だと思います。学問の自由がなくなれば、国は、人類は衰退します。

・主旨に賛同いたします。連帯して抗議の声を広めていかないと、本当に学問の未来は失われてしまいます。

・大学の執行部をめぐる今回の一連の問題は、公正で透明な組織運営を求められるガバナンスから遠く離れたものになっています。このままでは大学組織の発展的な活動を阻害され、構成員や関係者の不利益になることを深く憂慮しています。

・大学の健全なる自治は大学教育や研究の根幹として必要である。

・なんの肩書もない、ただかつて国立大学で学んだだけの一般人です。どうか志のある優秀な人材が、日本に見切りをつけて出て行ってしまわないように。実益どうこうのみの判断・評価ではなく、どんな分野の研究にも理解が進むよう、願っています。

・大学自治に対する危機感を共有します。

・賛同します。学問の自由が守られる世界を、子どもたちに生きてほしい。

・即時的な「役に立つ」至上主義に対して,私までただ傍観しているだけになってはならないと感じた.

・学生としては自分の在籍している大学に特に大きな思い入れはありませんが、今後社会に出る身として、大学の自由がなくなると言う事はすなわち学問の自由がなくなると言う事その先には表現の自由がなくなることが待っていると思います。このようなことを起こしてはならないと思い賛同させていただきます。

・学問を政治の道具として使うことに反対です。学問は万人のものです。

・大学トップのパワハラなど論外であるにも関わらず、それを許す制度には賛成できない。このようなら事態を想定できない政府の管理能力は徹底的に問われるべき!

・大学が、行政や企業の論理とは異なった論理、異なった立ち位置の中で自らの価値を発揮していくことこそ、社会を真の意味で多様で豊かな場所にしていくための必須条件だと考えます。しかしその条件が大学内外から蝕まれている現状は、大変憂慮すべきものです。

・**大学が指定国立大学になったことが現学長の大きな業績のように扱われていますが,現学長がきった空手形は99.999%実現不可能なものなのです.頑張ればどうにかなるという類のものではないのです.指定国立大学になったことで**大には大きなお金が流れると思いますが,これは現学長と執行部による詐取といっても過言ではありません.しかも,それが社会に知れるころには現学長や執行部の面々は責任を取らずに逃げた後です.このまま進めば**大の将来ないと imagine the future します.

・大学運営のあり方や学術会議の問題などにまず必要なのは、政治と学問、そして社会との幅広い対話と相互への理解の姿勢だと思います。そしてその素地を醸成する場として大学は非常に重要な位置にあると思うし、実際私も日々大きな刺激を受けております。そのためには、研究や教育に余裕を持って臨める時間と自由にのびのびと考えを述べることができる環境が必要で、それ自体が学問の価値であると考えます。

・かねてから憂慮していましたが声をあげることが大事だと思いました。

・学問的誠実さは、その本性上、あらゆる権力関係からの独立を必要とするのであって、学術的機関は、あらゆる権力や制度を対象化・相対化し、普遍的な学問的進歩に邁進せねばなりません。大学も社会の一部を占め、社会にその成果を共有・還元さねばならないにせよ、それは権力に奉仕することを意味しません。学問の批判的精神は、学問をして社会の良心たらしめるものであります。政治もまた、みずからの論理で動くものではあるにせよ、それが学問的領域を弾圧し、社会から批判的精神の一切を奪い去り、批判なき全体化で以って社会を支配しようとすれば、国家の名のもとに社会は失われ、国家は反省能力を喪失し、再び道を誤って破滅するでしょう。国家による再度の全体化を阻止するために、社会に良心を失わせないために、政治的権力による学問への介入を非難します。

・佞臣は阿て諫せず、ですよ。

・趣旨に賛同いたします。渦中の大学からは声を上げることも難しくなっています。まさに連帯が必要な時期になっています。

・学生・教授共々大学側の困惑せざる負えないような政治に縛られ,多くの研究成果の発表の機会を損失していると感じております.自由かつ活発に研究活動を行える環境を取り戻すためにも,賛同させていただきます.

・学校教育法改悪で大学コミュニティをトップダウン型組織に変質させ、基盤的予算を削減して兵糧攻め、政府の一連の「改革」政策は大学を腐らせます。学術・教育の場に「物言えば唇寒し」という雰囲気を充満させるような政策と、そのお先棒を担ぐ大学内の人々は誤っていると思います。

・本来単体で成り立たないものの人類共通の財産となる基礎研究こそ政府が支援するべきものを、目先の成果、短期的利益ばかり追い求め、日を追うごとに研究者へのバッシングが大きくなっていく現状を見ていると、知的な集団としての日本は終わったと感じます。

・海外の大学院に進学して実感するのは、全教職員と学生の権利が厳重に守られていることです。日本の大学院に在籍中は、学長や一部の教授陣に権力が集中し、数々のハラスメント行為や研究不正が組織ぐるみで隠蔽される一方、非常勤や若手研究者、研究職を志す院生らが自由に発言することが出来ず、ハラスメント被害を受けても泣き寝入りせざるを得ないという光景をしばしば目にしてきました。これは学問の自由の根幹に関わる問題である他、全教職員及び学生の人権に関わる問題でもあります。このまま改善が見られなければ、日本に未来はないと思います。

・日本学術会議問題にとどまらず、教育機関が危機に瀕していると私も認識しています。過ちを繰り返させぬために、今行動することが大事ですね。

・外部からの圧力や強い権力によって、積み重ねてきた議論がねじまげられることはあってはならないと思います。ただでさえ、運営費交付金の削減、人員削減で大学で働くみなさまは職場で疲弊しきっているところにさらに攻撃を仕掛けてきて、どんな未来を生み出そうと考えているのか全く分かりません。現状を少しずつでも良くし、自由で豊かな研究の場、学びの場を取り戻すため、賛同します。

・賛同します。/近年教育に対してあまりにも一般行政が介入しすぎている。それも、教育に軸足を据えるのではなく、財界や政治的意図を中心とした考え方によるものである。これは大学のみでなく、小学校から高等学校に至るまですべての教育において言えることであり、今年度は新型コロナウイルスの感染拡大の混乱の中で特に明示されたものである。大学においても、基礎研究を軽視する行政の施策により、大きく日本の学術研究は被害を被っていると感じるものである。大学は就職予備校ではない。大学は政府の機関ではない。教育と学問は国家統制の道具にされてはならない。/学問に対して、広く国民が考える機会となってほしい。

・私自身は大学と関係ないところで働いておりますが、親しい友人が准教授として働いています。/海外の大学教育にも明るく、信頼・信用できる友人がこの声明をシェアしていたので、現場の人間として様々な圧力や不信感を抱えて今回声を上げたのだろうと察し、賛同致しました。/各学校の教育の質やレベルで大学が淘汰されていくというのは、少子化が進む今仕方ないことだと思いますが、そもそも私物化や都合の良い法解釈で大学の質が落ちていくというのは、あってはならないことです。/これから学ぼうとする子どもたちや、今懸命に研究と教育を両立させている教員達を軽んじることは、結果国民全員を軽んじることになるのではないでしょうか。/私は友人がシェアしてくれるまで、これらのことを知りませんでした。もっと広く大学の現状が周知されるのを願います。

・大学の自治を取り戻してください。皆んなの前に顔も出せない学長は辞めてください。学長ならびに理事に退職金も出す必要はない。大した仕事もしていないから。税金の無駄遣い!

・今回の騒動に関して言えば、学術会議は諮問機関的な立ち位置として国の制度設計に関わる以上、学術的な確からしさによってのみその正当性を担保されるべきであり、少なくともアカデミズム的観点から推薦された研究者の任命を業績上の問題等ならばともかく”総合的・俯瞰的判断”を理由として政府が任命を拒否するというのは、国家運営の基準として学問よりも為政者の個人的な意向を優先するという表明に他ならない。そのような不透明な”総合的・俯瞰的判断”の結果、例えば企業関係者のような政治家と利益供与の関係になりうる人間が委員会に加わってしまえば最後、政府に同調し学問の名のもとに箔をつけるだけの翼賛機関になり果てることは容易に想像できる(さながら大日本学術報国会とでもいったところだろうか)。また、世間には学者の政府批判的スタンスをもって「政治的なバランスがとれていない」などと主張する者もいるが、委員の中で政府の行為に対して反対する学者と賛同する学者の人数を政府がその都度”バランスをとって”調整してゆけば事実上批判を封殺できるということを考えれば、このような指摘が的外れどころか政府の干渉を正当化する恐ろしい言説であることは明らかであり到底許容できるものではない。

・日本が間違った方向へ大きく舵を切るのを、絶対に止めなければいけないと思います。

・日本学術会議の問題と同時に重要な問題が「大学の自治」の形骸化です。すでに後者は法の改悪やそれを用いた各国立大学内での規則の改悪、運用の密室化によって、「自主、民主、公開」の原則から大きく乖離してしまっています。菅首相や政府は学術会議問題を「学問の自由とは関係ない」と言うために、今さらのように「学問の自由とは大学の自治が中心だ」などと言い始めていますが、それは「学問の自由」の廃墟と化しつつある大学を前提に行われていることに留意しなければなりません。その中でも学長選出の問題は核心にあります。/学術会議問題から論点をそらさせないようにしつつ、大学内に「学問の自由」を取り戻す運動を注意深く進めていく必要が、今まさに高まっています。

・当方、アカデミアに属する者ではありませんが、アカデミアの危機は自由な思索と表現を必須とするすべての領域にとって共通の危機であり、文芸・文筆の世界も例外ではないと考えます。連帯して抗議の声を上げさせていただきます。

・私は現在高校三年生で貴校への入学を考えていた矢先今回の任期延長を知りました。貴校では主に政治分野を学ぼうと思っていたわけですが、今回の人事を知り、志望を変更しました。独裁的な運営がなされる大学において政治を学ぼうなどと思うはずがありません。今回の選考が早期に改められ、自由な学びが保障された場となることを願っています。

・「学問の自由」は全国民に保障された権利です。最近の制度的保障を破壊する動きは、大学に関わる人々だけでなくすべての国民の自由を侵害する行為です。権力が国民の自由を守るべく行使されることを望みます。

・学問の自由は広く市民社会に認められている思想・信条の自由を基礎に、それを制度的に保障するために存在します。/大学自治は大学構成員が学問の自由と思想・信条の自由を擁護するためにあります。/それは反対に、大学自治が否定されるということが、学問の自由と思想・信条の自由が否定に繋がることを意味します。/たいていこの否定は学問の自由や思想・信条の自由が一部特定団体や個人に隷属するためになされます。/市民社会における思想信条の自由を擁護する立場から大学自治の一部個人や団体への独占に反対します。

・本学における総長選考会議による公開質問状に対する回答、日本学術会議をめぐる首相の一連の答弁いずれも誠実さを欠いているように感じられ、挙げ句の果てにデマまで飛び交う始末。こうした事態は、基づく理念を欠いた恣意的な権力の濫用または表に出せないような理念に基づく権力の行使の表出であり決して看過できるものではない。/正すべきことがあれば、議論の遡上にあげるべきで、影で規則や解釈を恣意的に改変して対応するのは民主主義・法治主義の否定であり目的によらず手段として大きな誤りである。「既得権益」の言葉により学者vs国民という対立の構造を生み出す一方で、解釈や規則を密かに改変する政権の手法がやがて学術以外の分野にも広がっていくのではないかとの憂慮を覚える。

・恩師の中野三敏先生、今井源衛先生などが忙しい研究生活の中で、文科省や社会に対し、大学や学問の自由を守るために、熱く激しくさまざまの発信をしておられたことを思い出し、それを引き継げているのかと自問しています。そして、この連帯声明文の活動を歓迎し喜ぶとともに、こういうことも含めて、分野を問わず、偉大な研究者が自分の研究に専念できず、貴重な時間をさいてこのように政治に物申さねばならない、その現状自体が本当に何よりも許せないです。

・40年前、京都大学で学内管理強化と闘っていました。いま息子が学ぶ京大はますます当局の締め付けが強まっていると感じていました。国家やその意をくむものによる弾圧はまず言うことを聞かない者たち、気に入らない者たち、そして知識人から始まるのが常です。ニーメラー牧師の経験を思い出すまでもなく、その刃はだれにとっても他人ごとではありえません。

・学びの場所は、これまでも、これからも、皆に等しく大切な場所です