COTにまつわる話

cyclooctatetraeneの正体

このブログは2012年に書いたものである.公開したつもりはなかったが,下書きを検索ロボットに発見されていた.整理して2回に分けて紹介したい.

大学の有機化学の講義では,Cyclooctatetraene (COT) は4個の二重結合をもつ8員環化合物と教わる.学生は,3個の二重結合をもつ6員環化合物(ベンゼン)と対比させて,ベンゼンは芳香族性を有する安定な化合物であるが,COTは不安定で芳香族性を有しないと覚える.

「なぜCOTは芳香族性を示さないか」という質問に対しては,「ヒュッケル則」において4n+2電子系(π電子数=6,10,14等)ではなく,4n電子系(π電子数=4, 8,12等)であるためという答えが返ってくる.その理由を古典的電子論で説明するのは容易ではない.ところが,フロンティア軌道論では明快に説明することができる.

2π(二重結合1個)と6π(二重結合3個),あるいは4π(二重結合2個)と4πに分割した場合,両端でHOMO, LUMOの位相が合わない(下右図).

注)HOMOは電子の詰まった最も活性な軌道,LUMOは空の軌道で電子を受け入れやすい軌道である.

位相が合わない場合,お互い遠ざかるように二重結合を結ぶ単結合は回転して平面ではなくなる.

そのため,それぞれの二重結合は隣接する二重結合のp軌道と平行(共鳴構造)ではなく桶型の構造(次図左下)をとる.

このように分子を任意に分割してHOMO, LUMOの相互作用で分子の安定性や芳香族性を予測する手法は分子分割法とよばれ,ノーベル賞受賞講演で紹介された.本件だけで,私はフロンティア軌道論に惚れ込んでしまった.詳細は別項参照

COTは桶型構造をとるため,次図(右図)においてジエン(青)とピンクの二重結合は接近しており,容易に分子内Diels-Alder反応を起こし,6員環と4員環が縮環したビシクロ体を与えることが知られている.

注)HOMO, LUMOは簡単な作図で求められるのでここでは判っているものとする.

注)COTの場合は,4nπ系 (n=2) は不安定な化合物と定義するヒュッケル則と一致する.しかし同じπ電子数のフェナンスレンとアントラセンの相反する性質はヒュッケル則では説明できない.

フロンティア軌道の相互作用を以下に示した.

分子軌道計算を行い,生成熱を比較するとビシクロ体よりCOTの方が安定であり,付加反応はCOTの形で反応することが期待される.ところが,実際の反応で環状8員環の形で反応した例があるかというとほとんどないと言っても過言ではない.皆ビシクロ体が反応したと考えられる反応物だけである.あるいはCOTの二重結合(2π)の一つが反応した付加体のトリエン部分が分子内Diels-Alder反応を起こしたのかもしれない(次図の点線部分は二重結合の一つが反応したことを示す).

注)七員環のシクロヘプタトリエンも三員環と六員環が縮環した化合物との平衡化合物として存在することが知られている.

COTに於いては,当然のことながらトロポン等のように6πで反応した例(次式)はなかった.

ところが,6πで反応した化合物が得られたと言っても喜んではいられない.次式で示す別のルートでも生成する.

普通のDiels-Alder反応が起こって [4+2]付加体が得られた後,1,5-sigmatropyによって熱的に安定な化合物へ転位する可能性がある.この種の反応において一次付加体を得るためには,加熱することなく反応が進行する高反応性ジエン基質が必要である.

そこで高反応性のシクロペンタジエノン(CPC, 1a)を用いて大過剰(衝突確率を高めるため)のCOTと室温(徐々に温度を上げ,最終的には80℃)で反応させた.予想通り[4+6]付加体と思われる付加体2aを得た.この結果は速報では受理されたが,詳報ではX線が必須ということでX線解析を試みた.しかし,結晶2aのX線解析は成功しなかった.

生成比:2a 46%, 3a 9%, 4a 35%

その代わりに構造類似のIbと反応させ,2bを得てX線解析で[4+6]付加体であることを証明し,米国化学会誌.に掲載された.

2bの結晶構造

生成機構に関しては,COTが6πで反応した化合物が得られたことから,直接付加による可能性が高いが,熱的シグマトロピー転位による相互変換が可能なため,転位による二次的な成績体の可能性を安全に否定できたわけではない.置換基を省略したモデルではなく,完全構造の密度汎関数計算が必要であるが,未だ完結していない.

ACNPTH10rotation.mov

CCDCからダウンロードしたCIFデータを画像表示ソフトMercuryで回転させ,画面をQuicktimeで収録した動画


Deposition Number(s): 1100873

Space Group: P 1 (2)

Cell: a 8.409(3)Å b 18.283(7)Å c 8.377(2)Å, α 98.88(3)° β 100.12(3)° γ 112.39(3)°

Publication(s):

M.Yasuda, K.Harano, K.Kanematsu, Journal of the American Chemical Society, 1981, 103, 3120, DOI: 10.1021/ja00401a033




化合物4から9への [3.3]-シグマトロピー転位反応および4から1への [1,5]-シグマトロピー転位反応は環状遷移状態をとることは可能である.

化合物9から1への [3.3]-シグマトロピー転位反応における軌道相互作用は,立体的に無理と考えられる.


以上は九大薬兼松研究室で行った仕事であるが,2aの単結晶X線解析に関してはうまく行かず,測定データを磁気テープに入れて熊大へ異動し,12年後に2aの結晶解析に成功した.別稿で紹介したい.

十数年後の単結晶X線解析(COT, ペリ環状反応, 結晶解析, IT) 👈


資料

1) Frontier-controlled pericyclic reactions of cyclooctatetraene with cyclopentadienones. First example of exo [4+6].PI. cycloadduct by effective secondary orbital control and its molecular structure. Yasuda, M.; Harano, K.; Kanematsu, K. Tetrahedron Lett. 1980,627-630.

2) Frontier-controlled pericyclic reactions of cyclooctatetraene with cyclopentadienones. First example of exo [4+6].PI. cycloadduct by effective secondary orbital control and its molecular structure. Yasuda, M.; Harano, K.; Kanematsu, K. J. Am. Chem. Soc. 1981, 103, 3120-3126.