計算論的精神医学は、強化学習やベイズ推論、機械学習などの数理モデルを用いて精神疾患を理解しようとする学際領域として、この10年で急速に発展してきた。行動や主観状態を定量的に記述し、診断や予後予測、治療反応性の理解に新たな視点をもたらしてきた点は大きな成果である。一方で、多くの研究が非侵襲的脳画像法に依存してきたことから、神経活動との対応は主に相関的に捉えられてきたこと、また特定の課題構造やモデル枠組みに研究が集中しやすいといった方法論的特徴も指摘されている。
近年、ヒト頭蓋内神経活動記録(sEEG、ECoG、DBS、FSCV など)の進展により、ヒト脳における神経活動を高い時間・空間分解能で直接計測し、さらには刺激によって因果的に操作することが可能になってきた。これにより、計算モデルで記述される内部変数が、実際にどの脳回路で、どの時間スケールで実装されているのかを検証する新たな道が開かれつつある。
本講演では、計算論的精神医学とヒト頭蓋内神経科学を統合する研究潮流を概観し、侵襲的アプローチが計算論的精神医学の理解をどのように拡張しうるのか、その理論的意義と方法論的可能性を整理する。前半では、従来の計算論的研究が直面してきた課題を踏まえつつ、頭蓋内記録・刺激がそれらに対してどのような補完的役割を果たしうるのかを論じる。後半では、報酬学習、情動、記憶、主観状態といった計算論的構成概念について、ヒト頭蓋内記録・刺激を用いた先行研究および我々の研究を紹介し、因果的理解や治療応用(algorithmic targeting、closed-loop neuromodulation)への展望を示す。
計算モデル・神経活動・臨床症状を架橋する頭蓋内神経活動を用いた計算論的研究は、精神疾患研究の基盤的理解を深化させるとともに、今後の個別化治療戦略を支える重要な枠組みとなることが期待される。
本発表では、精神疾患の病態解明と個別化医療の実現に向けた「病態脳デジタルツイン」の構築と応用について報告します。これは、感覚・神経活動・行動がどのように関わり合うかという「動的プロセス」を生成AIモデルにより再現する構成論的アプローチです。 本講演では主に以下の3つの研究成果を概説します。第一に、脳の計算理論(予測符号化理論)を用いた自閉スペクトラム症(ASD)の表情認識シミュレーションです。脳内の神経興奮性の不均衡や、領域間のつながり(機能的結合)の相互作用が、ASD様の予測誤差や症状に与える影響を検証しました。第二に、霊長類皮質脳波とデータ同化技術を用いたリアルタイム・デジタル脳の開発です。これにより未知個体における覚醒・麻酔状態の推定や、仮想的な投薬シミュレーションに成功しました。第三に、ハイパーネットワークというAI技術をヒト脳fMRIに応用した、個別化モデル開発です。個人の脳回路特性に基づき、認知・情動課題における脳活動と行動を統一的にモデル化し、仮想介入による治療効果予測の可能性を論じます。
2025~2026年の計算論的精神医学の最新トピックを紹介するスペシャルセッションです。勁草書房刊『計算論的精神医学』の執筆陣が、2025~2026年に注目されるホットトピックを共有し、招待講演者とともにフロアの皆様を交えて議論します。計算論的精神医学のいまを知り、未来を展望するまたとない機会に、ぜひご参加ください!!
本講演では、統合失調症などで生じる妄想の形成と維持のプロセスについて考察します。とりわけ、妄想と証拠との関係をめぐる一つの難問に焦点を当てます。一般に、妄想は明らかな証拠に反し、反証にも揺るがない、証拠に対する著しい「鈍感性」を持つと定義されます。しかし一方で、妄想は全く無から生じるわけではなく、患者自身の主観的な経験や感覚的な証拠に基づいて形成されるという点で、ある種の証拠に対する一定の「敏感性」も併せ持っています。妄想形成プロセスを説明するには、この「鈍感性」と「敏感性」を同時に説明できなければなりません。他方で、従来の妄想形成プロセスの理論においては、そのような説明は未だ提供されていません。本講演では、ベイズ主義的アプローチに基づく二つの主要な理論、すなわち「二要因理論」と「予測誤差理論」を題材として取り上げ、この問題がそれぞれの文脈でどのように生じるのかを検討します。それぞれの理論の射程と限界を明らかにしながら、妄想の形成・維持プロセスを包括的に説明するための新たな思考の方向性を提示します。
計算論的精神医学において、強化学習モデルは意思決定や学習過程を定量的に記述する枠組みとして広く用いられている。これらのモデルから推定されるパラメータは、計算論的表現型とも呼ばれ、個々人の情報処理特性や認知過程の個人差を反映する指標として期待されている。一方で、これらのパラメータを臨床や個人差研究に応用するためには、その信頼性や妥当性を慎重に検討する必要がある。しかし、こうした点はこれまで必ずしも十分に検証されてきたとは言えず、そのことが強化学習モデルを用いた研究成果の解釈や実践的活用を難しくする一因となっている。本講演では、強化学習モデルのパラメータが持つ性質に関する近年の知見や問題点を概観するとともに、問題点を解決するための現在の取り組み等についても紹介する。