内受容感覚は、主に身体内部の状態についての感覚である。近年、内受容感覚の生起メカニズムを脳の予測的符号化のモデルを適用して理解しようとする考え方が示され、状況に応じた身体状態の脳内予測と、実際に身体からインプットされる身体状態との予測誤差、予測モデルの更新、または身体状態の調整によるインプットの変化によって、顕在的な内受容感覚が生じると仮定されている。つまり、身体状態の調整も包含する概念としての提案がなされている。
また、内受容感覚やその生起メカニズムの非典型的な特徴が、さまざまな精神疾患で報告されており、これが多様な精神疾患に共通するリスク因子である可能性が指摘されている。そのため、内受容感覚の生起メカニズムや神経基盤を詳細に検討することで、精神疾患の診断を超えたアプローチへの貢献が期待されている。本講演では、このような背景に照らして、精神疾患症状と内受容感覚の関連性について認知神経科学的な観点に基づく研究をご紹介する。さらに、計算論的手法を活用した今後の展開についても議論したい。
サリエンスとはなんらかの事物が注意を惹くという心理的特性のことを指す。本講演の前半ではこのうち視覚サリエンスについて、サリエンスの定量化に向けた3つのアプローチを概説する。(1) 神経生物学的なアプローチでは、心理学の特徴統合理論に基づき神経生物学的な妥当性を持つItti-Kochモデルが提案された。これを応用することで、統合失調症患者ではフリービューイング中の視線分布が視覚サリエンスの高い箇所に視線が滞留することが明らかになった。(2) 機械学習的なアプローチでは、画像と視線分布の対を学習し、視線予測器を構築する手法が主流である。しかし、視覚サリエンスと視線分布は必ずしも等価ではない。(3) 情報理論的なアプローチでは、視覚サリエンスを外れ値検出と捉え、ベイズ的枠組みで扱う。さらに自由エネルギー原理に基づき、視覚サリエンスを情報獲得の大きさとして捉える。
本講演の後半ではさらに視点を広げて、知覚的なサリエンスと動機的なサリエンスの関係を考察する。サリエンスをアフォーダンスの一種として捉えることでサリエンスを三種類に分類できる。統合失調症の異常サリエンス仮説で想定されているサリエンスの亢進は、この三種のサリエンスの間の競合、対立を引き起こす、という検証可能な仮説を提案する。
発達障害は神経発達障害とも呼ばれ、定義上、脳機能の障害である。しかし画像診断上、ほとんどの症例で後天的な脳損傷のような病巣はみられない。発達障害を神経心理学的に理解するためには、病巣に基づく局在論とは異なるアプローチが必要である。Hughlings Jacksonの系譜にある研究者が築いてきた非局在論的神経心理学では、系統発生、個体発生、そして微小発生の過程で階層的に展開し、創発するものとして心理過程を説明しようとしてきた。この学派の見地からみると、発達障害でみられる症状の多くは、単なる機能の欠損や非典型的な機能ではなく、神経機構の階層構造間の解離や、ヘテロクロニー(異時性)を反映するものとみなすことができる。種や個体としての発達の履歴を意識しながら症状の病態生理を考えることが発達障害研究における神経心理学的なアプローチの一つになりうると考えられる。
2024~2025年の計算論的精神医学の最新トピックを紹介するスペシャルセッションです。勁草書房刊『計算論的精神医学』の執筆陣が、2024~2025年に注目されるホットトピックを共有し、招待講演者とともにフロアの皆様を交えて議論します。計算論的精神医学のいまを知り、未来を展望するまたとない機会に、ぜひご参加ください。
自他認知や意図、情動といった神経現象は、内受容感覚、外受容感覚、固有受容感覚のマルチモーダル統合を伴う感覚運動経験の中で、どのように創発するのだろうか。自己や主観的な経験に関わるこれらの現象は、多くの精神疾患の中核的な問題となっているが、計算論的な理解の進展は乏しい。本講演では、脳の計算原理として提案されている変分自由エネルギー最小化に基づいて動作するマルチモーダルリカレントニューラルネットワークを用いて、感覚減衰、アロスタシス(ホメオスタシス)、マインドフルネスの計算メカニズムを提案した研究を紹介する。特に、自己-非自己の分離、行為の意図、情動といった現象のミニマルな形態が、ニューラルネットワークが最小化する変分自由エネルギー(損失関数)の動的な切り替えという創発現象から理解される可能性を示し、自己感や精神疾患を説明するための土台となる基礎的な計算構造について議論する。
近年、脳疾患の病態理解において、これまでの生理学的観察や臨床データ解析に加え、非線形性や複雑な相互作用を持つダイナミクスの観点を取り入れることで、疾患の進行や治療について新たな理解が得られることが期待されています。本講演では、脳疾患の理解に向けた二つのアプローチを紹介します。まず、レビー小体型認知症の視覚幻覚に関する仮説駆動型モデルの研究を紹介します。レビー小体型認知症の特徴的な症状である視覚幻覚の発生過程を非線形力学系の観点から数理モデル化することで、その背後にある神経機構を考察します。次に、マーモセットデータベースを活用したデータ駆動型モデルの研究について紹介します。マーモセットの拡散MRI、機能MRI、遺伝子発現データを用いて、健常状態と疾患状態の脳のダイナミクスを比較することで、疾患の早期発見や進行メカニズムの理解、さらには新たな治療法への応用可能性を探ります。
本講演では、これらのアプローチを通じて、脳疾患の病態理解における新たな可能性を探り、力学系の視点からの研究がどのように医学の発展に貢献できるかを考えます。
近年、スマートフォンやウェアラブルデバイスの普及により、センサーデータを活用したメンタルヘルス予測が注目されている。従来の手法では、メンタルヘルスと関連のある特徴量を設計し、センサーデータからそれを抽出して機械学習モデルでメンタルヘルスの状態を推定していた。しかし、手動での特徴量設計や特定タスクへの依存といった課題が存在していた。2023年後半以降、大規模言語モデル(LLM)を用いたメンタルヘルス予測の取り組みが報告され始めている。この手法では、センサーデータをプロンプトに組み込み、メンタルヘルスの状態に関する質問を行い、LLMから回答を得るというアプローチが採用されている。具体的には、LLMが歩数、心拍数、睡眠時間といった時系列のセンサーデータを入力として受け取り、ストレス評価やPHQスコア推定といったメンタルヘルスの予測タスクを行う。LLMが時系列のセンサーデータを解釈できる理由は、膨大な量のテキストデータと数値データを含む事前学習を通じて、数値データが示すパターンや文脈を理解する能力を獲得していること、数値データからTransformerモデルを使用して相関関係を推測する能力を有していること、さらにファインチューニングにより、時系列データと正解ラベルの関係性を追加で学習できる点などが挙げられるが、未解明な部分が多い。また、LLMを用いた予測にはいくつかの課題も存在する。解釈性がブラックボックスである点や、生成やファインチューニングに必要な計算量が膨大である点が挙げられる。本講演では、これまでの機械学習によるメンタルヘルス予測手法から、LLMを活用した予測手法まで、具体的な研究事例を交えつつ紹介する。また、LLMを用いたメンタルヘルスの予測における課題と、それらを克服するための今後の方向性についても議論する。