3月29日(金)
「状態」は脳でいかに表されているだろうか。あるゆる状態を特定の細胞集団で表すには細胞が足りないと思われ、各状態を特徴量(を表す細胞集団)の組み合わせで表していることが考えられる。その中でも、各状態を、(ある方策のもとで)その後どういう状態にどの程度遷移・滞在するかの組み合わせで表す「後継表現(Successor Representation)」が用いられている可能性が示唆されている。後継表現では、先々の状態の表現が遷移元の状態の表現に入れ子状に含まれているため、先々の価値が変わると、遷移元での価値予測も鋭敏に変わり得て、習慣的でなく目標指向的に見える行動が発現しうる。しかし方策依存的な表現ということもあり、状態遷移や報酬の内部モデルを用いた先読み推定と比べると柔軟性に欠ける。本講演では以上について概説した上で、それらと依存症・強迫症の関わりを検討した演者と共同研究者らの研究を紹介する。
本講演では、強迫性障害およびギャンブル障害に関して、強化学習を用いた行動データのモデリングと機能的脳イメージング(fMRI)を融合させた計算論的精神医学の研究を紹介する。特に、計算論的モデルを行動データに適用(model fitting)する際の手順と注意点、シミュレーション・データを用いた頑健性の検証方法に焦点を当てる。さらに、大規模オンライン実験で収集した精神疾患関連の質問紙データと意思決定課題の行動データの解析を通じて、疾患横断的な要因(次元)と強化学習の関係について検証した研究結果についても紹介する予定である。
数理モデルによる構成論的アプローチでは、知覚や認知という説明すべき現象を適切なレベルで抽象化し、その動作を数理モデルで再現することで、その現象のメカニズムを明らかにする。しかし、これまで、計算資源の制約などから知覚や認知「体験」の現象学的な側面を再現することは難しかった。一方、近年の機械学習の発展は凄まじく、大規模言語モデルや画像生成モデルに代表される生成AIは、本物と見分けがつかない文章や画像、動画といったコンテンツを作り出せるようになった。生成AIのみならず、仮想現実・拡張現実といった最新の情報技術の発展は、これまでトイモデルに留まっていた数理モデルを、一人称体験をシミュレーションできる強力なツールとして使う新たな方向性を可能にしつつある。本講義では、特に幻覚体験の現象学的特徴をシミュレーションする深層学習モデルの研究を中心に、計算論的神経現象学とでもいうべき一人称体験を研究する新しいアプローチについて紹介したい。
近年、様々な精神症候は一つの疾患に固有のものではなく、健常から様々な疾患までスペクトラムとして分布するものであると考えられるようになってきている。皮質線条体回路の関与などの生物学的背景に関するエビデンスに基づき、病的繰り返し行動に注目して研究を進めてきた。
私達は計算論モデルを作成し、健常から強迫症(OCD)やトゥレット症候群(TS)といった複数の精神神経疾患に至るスペクトラムとして存在する繰り返し行動を定式化し、計算論モデル・実験データを使って解明した (1)。さらに、複数の治療のメカニズムやその相加的な効果も、我々の計算論モデルで理解することができた。
治療のメカニズムという観点では、一部の重症精神神経疾患を対象として、深部脳刺激(DBS)を用いた治療が有効であることが知られている。治療としての有効性にとどまらず、直接的な脳刺激の効果を評価できる点は研究としても非常に重要である。しかし、現在のところ日本国内において、精神疾患もしくは精神症状そのものに対する手術の保険収載は行われていない。唯一TSに対してはDBSを用いた治療が国内でも行われており、我々は刺激部位やネットワークの評価を含めて研究を進めてきた(2-3)。データ収集中ではあるが、当日はDBSによる強化学習パラメータの変化も含めて紹介したい。
(1) Yuki Sakai and Yutaka Sakai (co-first authors) et al., Memory trace imbalance in reinforcement and punishment systems can reinforce implicit choices leading to obsessive-compulsive behavior. Cell Reports (2022).
(2) Takashi Morishita and Yuki Sakai (co-first authors) et al., Neuroanatomical considerations for optimizing thalamic deep brain stimulation in Tourette syndrome. Journal of Neurosurgery (2021).
(3) Takashi Morishita and Yuki Sakai (co-first authors) et al., Precision Mapping of Thalamic Deep Brain Stimulation Lead Positions Associated With the Microlesion Effect in Tourette Syndrome. Neurosurgery (2023).