試し読み

◇序文

 皆さんは、床を舐めたことがあるだろうか。

 まだ床を舐めたことがない人は、是非この手記を読んでいただきたい。

 床を舐めるなんてとんでもないという人も、是非この手記を読んでいただきたい。

 床を舐めすぎてしまった人は、この手記を読んで初心に戻っていただきたい。

 これは赤子が乳を飲むように、冒険者なら誰もが通る床の味についての記録である。



◇第一章・黒衣森の土は苦い

 床の味を語る前に、まずは土の話をしたい。

 皆さんは、食べられる土がある事をご存知だろうか。

 食土文化は人類史を紐解くとそんなに珍しい物ではない。

 クガネ地方の城の土壁などは、城に籠った際の非常食として芋がらをつなぎに塗りこめた土を用いたりしているらしい。



 私が初めて食した土は、黒衣森の中心部、バノック練兵場周辺だった。

 突然襲来したキノコの魔物達に、あっというまに倒されてしまった。

 (念のため、魔物達は他の冒険者達によって退治された事は追記しておく)

 力なく大地に倒れ、目を閉じた私の口の中に広がったのが、私と土、・・・偉大なエオルゼアの大地との電撃的な初邂逅だったのである。


 ここで黒衣森の味について記しておきたい。

 まず、エメラルド色に輝く青草の放つ、野生のハーブのように強烈な青草臭が薄れゆく意識を引き戻す。

 続いて、樹木からの落葉がミルフィーユのように重なり合って発酵しており、複雑な苦味とエグ味が口の中いっぱいに広がる。

 そして最後は、土である。

 発酵した落葉、チョコボの糞尿、魔物の死骸。

 それらが微生物に分解されて最終的に土になるのだが、黒衣森は特に生命に溢れていた。

 濃厚な生命力の塊。

 無数の千年樹を支える大地のエーテルの濃さたるや、筆舌に尽くしがたい。

 この書記を読んでいる方達にも、ぜひ黒衣森の土を味わって欲しい。

 初心者におすすめである。


 さて、話を戻そう。

 今でこそ、床のテイスティング上級者の私だが、当時は駆け出しの冒険者で、その魅力がわからなかった。

 気絶していた所を助けられて、ホームポイントであるグリダニアに戻った私は、カーラインカフェのオレンジジュースで、苦い味を忘れようとしていた。


「どうやら洗礼を受けたようだね」


 机にキノコのソテーが置かれる。

 見上げると店主のミューヌさんの微笑みがあった。


「お店からのオゴリ。ああ、そのキノコは魔物じゃないから食べても大丈夫だよ」


 香ばしいバターの匂いに腹がなる。

 一瞬、あのキノコ型の魔物の姿がよぎったが、フォークとナイフで退治した。


「それで初めての冒険はどうだった?」


 オレンジジュースと美味しい食事で、口が柔らかくなっていた私は、子供のようにグリダニアから出発した一部始終を話した。


 空を覆い尽くす巨木達に驚いた事。

 小さな虫型の魔物を初めて射抜いた事。

 大きな木の魔物を怖くて遠くから眺めていた事。

 通りすがりの冒険者にケアルをもらった事。

 全てが驚きに満ちていて、深く感動した。


 語る話に熱が入り、身振り手振りで伝える私をミューヌさんはうなずきながら黙って聞いてくれた。

 しかし楽しい話はそこまで。

 やがて私は己が倒された経緯をぽつぽつと話した。


 突然、沢山のキノコの魔物の群れに囲まれた事。

 ひたすらに矢を射っていた事。

 そして、苦い土の味。


 おかわりのオレンジジュースをすすりため息つく。

 熱々のソテーは、すっかり冷めて香りも閉じてしまっている。


「ありがとう。とても素晴らしい冒険譚だったよ。」


 彼女は微笑むと、冷めた皿を手に持って店の奥へと帰って行った。

 1人取り残された私は、またオレンジジュースを飲む。


 カーラインカフェの常連達の談笑が身に染みる。

 やはり私には冒険者など無理だったのだろうか。


「おまたせ」


 いつの間にか戻ってきたミューヌさんが、湯気が上る皿をテーブルに置いた。

 ミルクの優しさ。ハーブとスパイスのアクセント。そしてキノコの優雅さ。

 先程とは全く異なる豊潤な香り。


「冷めてしまったからね。チーズと香草を加えて温めなおしたんだよ」


 勧められるまま、私はフォークとナイフを持ち、その味を噛みしめる。


「その料理に使われている素材は君が苦いと言った黒衣森の土が育ててるんだ。集めてくれたのは君と同じ、駆け出しの冒険者達。」


 ふと周りを見る。

 常連達をよく見れば、無数の古傷やまだ血が滲む膝をそのままに酒を飲んでいる。


「気にすんな新人!傷も思い出だ!」


 ルガディン族の男が酒を片手に私に声をかけてきた。

 軽く会釈を返すと、笑いながら同卓のミコッテ族の女との会話に戻る。


「彼らも最初から熟練の冒険者だったわけではないよ。何度も挑戦して何度も倒れ

てきた。ここにいる誰もがね。」


 ミューヌさんは愛しそうにカフェに集う冒険者達を見つめる。

 カフェのランタンに照らされて、オレンジ色に映る彼らは、冒険小説の挿絵のように、鮮やかな陰影を描く。


「さあ、僕はそろそろ厨房に戻るとしよう。皆の胃袋がなきだしてしまうからね。」


 席を立ち上がり、ソースまで平らげた皿を持って離れていく彼女の背中に、私はお礼の言葉を述べる。


「お礼は結構だよ。僕も良いお話が聞けたからね。偉大なる冒険者の物語、その序章を。よければ、また聞かせておくれ。」


 そう言って微笑み、彼女は店の奥へと消えていった。


 翌朝、私は再び練兵場へと赴いた。

 行きたかったわけではない。

 また、あの魔物達に襲われたらと思うと身がすくむ。


 しかし、冒険者居住区に住むのも金がいる。

 それに、依頼されたクエストを途中で断るのも気が引けた。

 悩みに悩んだ末、私は黒衣森へと戻ったのだ。


「昨日は災難だったな。」


 先日、クエストを依頼してくれた双蛇党の兵士の調練をしているガルフリッドさんが、私に声をかけてくれた。

 ミューヌさんから聞いた所、倒れた私を助けてくれたのは彼だったそうだ。

 私は、助けてくれたお礼と依頼されたクエストの完了が遅れてしまった事をわびた。


「気にするな。十分な装備を身に着けていても、突然複数の魔物に囲まれてしまっ

てはどうする事もできないさ。」


 そう言って、私からいくつかの薬草を受け取り、それらを丹念に確認する。

 葉脈を木漏れ日に透かし、匂いを嗅いでいる間、私は緊張していた。

 何しろ初めての依頼だ。何か間違いがあるかもしれないし、もう誰かに迷惑をかけたり、落胆なんかしてほしくはなかった。

 静寂の森に心臓の音がやけにうるさい。

 ガルフリッドさんは、薬草を袋の中に戻すと、懐から金貨を取り出した。


「素晴らしい品質の薬草だな。第七霊災以後、このように素晴らしい薬草はなかなかお目にかけなかったんだが・・・。お礼も少し上乗せしておいた受け取ってくれ」


 手のひらに積まれる金貨の音が心地良い。

 たった数枚のギルだったが、私はそれを強く握りしめて街へと戻る。


 途中、私を倒したあのキノコ型の魔物の群れが他の冒険者達と戦っていた。

 すぐさま逃げようと思ったが、ふとその中で私と同じ弓術士を見つけた。


 彼女は複数の魔物に襲われても、冷静に距離を取って弓で攻撃をしている。

 なるほど。そういえば、私も遠くから攻撃できるのであった。

 ああやって、魔物から離れて攻撃を行えば負けることはなかったはずだ。


 私は、背中から弓を外してゆっくりと魔物の群れに近づく。

 別段、早く街に戻りたい理由がある訳でもない。

 今見た戦い方を試してからでも良いだろう。

 数瞬前の恐怖はまだ残っている。

 しかし、戦い方の発見と懐の金貨が私を大胆にしていた。


 矢をつがえて、獲物を決める。

 あの弓術士は3体の魔物に追われている。

 その内の1匹を私が担当すれば楽になるだろう。


 息を深く吸って弦を引き絞る。

 弓が強くたわみ、力が高まっていく。

 祈るような気持ちで弦を放した。


 石の矢じりは鋭い風斬り音と共にキノコ型の魔物の胴体を貫く。


「ギッ!」


 背筋が凍る悪意が私に向けられた。

 昨日、私を襲ったものと変わらない悪意。

 怖かった。

 足がすくんだ。

 矢を撃ってしまった事は間違いだったかもしれないと思った。


 しかし、魔物に追われていた弓術士が「ありがとう」と言ってくれた事で、私は冷静になった。

 落ち着いて、一矢射る度に距離を取った。


 今思い出しても、その姿は滑稽だったと思う。

 背中を見せ、大地に転びながら必死に距離をとって弓を撃つ。

 そもそもこのキノコの魔物は、人が歩くよりも遅い魔物で弓術士にとっては、楽な相手なのだが当時の私は必死だったのだ。


 泥だらけになりながら、そのキノコの魔物を退治した時、既に日は傾いて、魔物の群れもそれを退治していた他の冒険者達もどこかにいなくなっていた。


「おめでとう。新米冒険者。」


 練兵場のガルフリッドさんが、木々の間から現れた。

 隣には、先ほどの弓術士さんもいる。


「魔物の群れを退治したのに、どこにもお前が居ないのを彼女が心配してな。練兵場に相談に来たんだ。しかし、まさか鏡池桟橋まで来ていたとはね。」


 差し出された手を掴み、何とか立ち上がる。

 深い森の中で、紅色の光が水面を反射する。いつのまにか、街から離れた池の方まで来てしまっていたようだ。


「よほど激戦だったのだな。顔中、土だらけだぞ」


 指摘されて気が付いた。

 戦闘に必死になりすぎて、口の中にまで土が入っているのに気が付かなかった。

 口内に広がるその味は、昨日の土と同じように苦味とエグ味に満ちていたが、悪くない味であった。


 かくして、新米冒険者だった私は、この苦味を伴う魅惑的な味を知ってしまったのだ。


 蒼き霞吹く煙管。

 紅く燃ゆる火酒。

 全て飲み込む漆黒の珈琲。


 苦くて甘く、悲しくて嬉しい。そんな闇と光のような味。


 私はそれを求めて、はるか遠くへと飛び立つ。

 それがやがて、エオルゼア全土を揺るがす大事件に繋がってゆくとも知らずに。



◇第二章・生命、マテリア、すべての床


 ※手記はここで破かれている。

―― 他 1編収録