坂井純也(代表)の軌跡をざっくり紹介
坂井純也(代表)の軌跡をざっくり紹介
1978年4月4日
青森県つがる市(旧木造町)出身
十和田市(小1まで)
深浦町(小2~小6)
五所川原市(中1~高3)
宮城教育大学 学校教育教員養成課程
社会科教育専攻
3年で中退
どこにも属さない1年間を過ごす
カウンセラーを目指す
産業カウンセラー、教育カウンセラー
養成講座を受ける
ロジャーズの来談者中心療法にはまる
日本大学 文理学部 哲学科
編入学(通信制)
悩める青年期の私は
「実存主義哲学」にはまった
27歳 実家に戻る
中学校教諭だった父の生徒が
不登校になり
その対応に悩み
父がうつ状態になる
「実家に
引きこもっている場合じゃない」
何かに 導かれるように
再び 仙台へ
進学塾に アルバイト講師として勤務
午前中に通ってくる
不登校の中学生と出会う
運命的な出会い だった
翌年から
自由度の高い
家庭教師に転身
塾講師とは異なり
家庭教師は
毎回 本人のほかに
家族との対話があった
家庭教師先の中学生が
不登校になる
「おれが学校に行かないと
先生来なくなるの?」
家庭教師の概念が変わる
瞬間だった
学習指導以外で
家庭教師として通った
彼との対話がほとんどだった
2009年
家庭教師向けの講師研修会に参加
そこで 師と出会った
仲間の先生と
民間のフリースクールを設立
発達支援に特化したフリースクール
心理検査や教材の実践研究
なによりも
多くの親子とのかかわりが
貴重な学びになった
フリースクールに通う子どもたちは
一緒に楽しむ仲間を求めていた
少人数でのお出かけを考案
1泊で 東京や新潟にも行った
ファミレスやゲーセンが多かった
花火大会や夢メッセのイベント
自然の中でキャンプやBBQもした
私がだれよりも一番楽しんだ
毎年8月は 大分県へ
2泊3日の研修
数日間かけて 車で移動していた
初日のオープニングでお題が出され
最終日に発表という流れ
多くの人たちとの出会い
濃密な交流は 今でも
私の活動のエッセンスになっている
2011年 東日本大震災
七ヶ浜にて
3人の小中学生と
皆既月食を愛でる
午前中は 七ヶ浜で緊急子どもサポート
夕方は 家庭教師として 仙台市内の
高校生や特別支援学級のお子さんのご家庭へ
フリースクールは
使える状態ではなかったので
子どもたちの声にこたえて
少人数で車でお出かけをしていた
2012年 春
決意を新たに 独立する
今までサポートしていた
小中学生の居場所として
私のアパートの部屋を使った
お出かけが多かった
ボランティアの部分が多かったので
1年も経たないうちに 破綻(波乱)
2013年
家庭教師先の高校生が
近所の飲食店の店主を紹介してくれた
店主との出会いによって
私は救われた
数年前 家庭教師先だった
ご家庭のお母さんから連絡があり
私と同じような活動をしている方を
紹介してくれた
ようやく
マンションの一室を借りて
子どもたちの居場所になる
同時に私の住居にもなる
チラシも完成し
協力してくれる
お店などに
置かせてもらった
数ヶ月後
運命の歯車が
動き出す・・・
子育てに加えて
自身のあり方と向き合う
お母さんたちとの出会い
そして
多くの子どもたちとの出会い
2泊3日のお泊り会や
クリスマス会のとき
多くの親子が
キラキラしていた
気仙沼で
フリースペースを運営している
中村みちよさんと数年ぶりに再会
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