知られざる井戸の中の命
愛媛県の地下水に暮らすゲンゴロウの4新種を発見!
松山市から発見された1新種はゲンゴロウ科で29年ぶりの新属新種
──地下水環境に生きる“目のない昆虫たち”が示す
日本の地下水生甲虫の多様性とその危機──
昆虫分類学を専門とする柳 丈陽と秋田勝己らでつくる「地下水生甲虫研究グループ」では、日本全国の地下水に生息する甲虫類の分布調査と分類学的研究を行っています。
今回、当研究グループの調査により、愛媛県松山市の重信川(しげのぶがわ)水系で2種、宇和島市の来村川(くのむらがわ)流域で2種、計4種のゲンゴロウ科とコツブゲンゴロウ科に属する「地下水生ゲンゴロウ」が確認されました。
採集された標本について分類学的研究を行ったところ、計4種がいずれも新種であることが確認され、命名記載しました。
そのうち1種はゲンゴロウ科で日本国内では29年ぶりの新属新種(※1)として命名記載されました。
(発見された新種)
1. 学名: Matsuyamahydrus shigenobuensis Yanagi & Akita, 2025
和名: マツヤマイドケシゲンゴロウ (新属新種)
生息地: 松山市・重信川水系(重信川・内川)の井戸2か所
2. 学名: Dimitshydrus kunomurafluvialis Yanagi & Akita, 2025
和名: クノムライドケシゲンゴロウ (新種)
生息地: 宇和島市来村川流域の井戸1か所
3. 学名: Phreatodytes shiki Yanagi & Akita, 2025
和名: マツヤマムカシゲンゴロウ (新種)
生息地: 松山市・重信川水系(重信川・内川)の井戸2か所
4. 学名: Phreatodytes masumotoi Yanagi & Akita, 2025
和名: クノムラムカシゲンゴロウ (新種)
生息地: 宇和島市来村川流域の井戸1か所
(1) マツヤマイドケシゲンゴロウ、(2) クノムライドケシゲンゴロウの和名・学名には地名もしくは河川の名前を使用し、(4) クノムラムカシゲンゴロウの和名には河川の名前を使用しました。
(3) マツヤマムカシゲンゴロウの学名には、本種が生息する重信川や内川の俳句を詠んでいる松山出身の正岡子規にちなみ、Phreatodytes shiki Yanagi & Akita, 2025と命名しました。
それぞれの種は、各河川の流域の狭い範囲にしか分布しておらず、発見した現時点でも絶滅が強く危惧されます。
地下水生甲虫は地下水のみに生息し、光の届かない地下水に適応したために、後翅は退化して上翅も癒合して飛翔能力を失い、目が完全に退化しています。その代わり、全身に感覚毛が発達し、特殊な呼吸様式の獲得、さらに頭部が巨大化するなどの進化を遂げた「地下水生ゲンゴロウ」であり、今回の発見は国際的にも極めて注目される成果です。
一方、宇和島市須賀川流域に分布しているスカガワイドケシゲンゴロウ (和名改称 / 旧称:メクラケシゲンゴロウ ※2) Dimitshydrus typhlops S. Uéno, 1996の危機的減少が進み、絶滅が強く懸念される状況も指摘しました。
今後、日本列島全体での地下水環境の保全と生物相の解明をより一層進めていく必要があると考えています。
本研究は、日本昆虫分類学会が発行する英文誌「Japanese Journal of Systematic Entomology」31巻1号に2編の論文(※)で掲載され、2025年7月30日にオンライン出版されました。
(※) 下記文中では「論文1」、「論文2」と表記。詳細は本文14ページの「論文情報」に記載。
【1.はじめに:地下水のなかの“目のない命”】
私たちの足元の地中には、普段の暮らしでは出会う機会のない、小さな生命体が生きています。その中でも、地下水層という極限環境に特化し、目も翅も持たずに進化した昆虫たちは「地下水生昆虫」と呼ばれています。
本研究では、愛媛県内の3か所の井戸(松山市・宇和島市)において、地下水生昆虫の調査を実施し、甲虫目のゲンゴロウ科とコツブゲンゴロウ科に属する「地下水生ゲンゴロウ」の4新種を発見し、命名記載しました。
【2.今回発見された新種】
左:スカガワイドケシゲンゴロウ (和名改称)
中:クノムライドケシゲンゴロウ(新種)
右:マツヤマイドケシゲンゴロウ(新属新種)
(© Kenji Kohiyama)
ゲンゴロウ科ケシゲンゴロウ亜科
(論文1に掲載)
Matsuyamahydrus shigenobuensis Yanagi & Akita, 2025
マツヤマイドケシゲンゴロウ(新属新種)
松山市・重信川水系(重信川・内川)の井戸2か所
雄交尾器のmedian-lobeは鍵状の複雑な形態をしており、側片の先端部の内方には非常に長い剛毛が生えており、既知属とは大きく異なる交尾器形態を有しています。
また、ゲンゴロウ科の前脚の跗節は、繁殖行動のために、雄の方が幅広くなっています。しかし、本属は雄でも細長く、雌雄差がほとんどありません。
その他にも、頭部や上翅の形態なども既知属と異なっており、これらの顕著な違いから新属Matsuyamahydrusを設立し、新属新種Matsuyamahydrus shigenobuensis Yanagi & Akita, 2025として命名記載しました。
新属名のMatsuyama- は本種が発見された松山市にちなみ、-hydrusはラテン語(古代ギリシャ語起源)で「水生の生き物」を意味します。
左写真:マツヤマイドケシゲンゴロウ(ホロタイプ標本)(© Kenji Kohiyama)
右図: 前跗節
左: スカガワイドケシゲンゴロウ
中:クノムライドケシゲンゴロウ
右:マツヤマイドケシゲンゴロウ
(© Takeharu Yanagi & Katsumi Akita / ©Japanese Society of Systematic Entomology)
7c-9c: マツヤマイドケシゲンゴロウの雄交尾器
(© Takeharu Yanagi & Katsumi Akita / ©Japanese Society of Systematic Entomology)
Dimitshydrus kunomurafluvialis Yanagi & Akita, 2025
クノムライドケシゲンゴロウ(新種)
宇和島市来村川流域の井戸1か所
宇和島市内では、須賀川水系からD. typhlops S. Uéno, 1996 スカガワイドケシゲンゴロウ(※2)が知られていますが、交尾器などに明らかな形態差が認められます。このため、新種として記載しました。
スカガワイドケシゲンゴロウの生息域と本種の生息域の距離は、10km未満と近接していますが、地下水生ゲンゴロウでは近接した水系に別種が分布する例が知られています(※3)。
この発見は、宇和島市の全国的に「宝庫」とも言える、昆虫をはじめとする地下水生生物の驚くべき多様性を示すものです。今後、官民一体となって地下水環境の保全を進めていく必要があります。
種小名のkunomura- は本種が発見された来村川に、-fluvialisはラテン語で「川の」を意味します。
左写真: クノムライドケシゲンゴロウ(ホロタイプ標本)(© Kenji Kohiyama)
右図:雄交尾器
上列: スカガワイドケシゲンゴロウ
下列:クノムライドケシゲンゴロウ
(© Takeharu Yanagi & Katsumi Akita / ©Japanese Society of Systematic Entomology)
コツブゲンゴロウ科ムカシゲンゴロウ亜科
(論文2に掲載)
Phreatodytes shiki Yanagi & Akita, 2025
マツヤマムカシゲンゴロウ(新種)
松山市・重信川水系(重信川・内川)の井戸2か所
既知種であるウワジマムカシゲンゴロウ P. mohrii S. Uéno, 1996(愛媛県宇和島市)とサイトムカシゲンゴロウ P. archaeicus S. Uéno, 1996(宮崎県西都市)と比較し、頭部、前胸背板側縁溝、上翅側縁溝、雄交尾器などに明らかな形態差が認められ、新種として命名記載しました。
種小名のshikiは、松山出身の正岡子規にちなみます。
「内川や外川かけて夕しぐれ」や、「若鮎の二手になりて上りけり」(寒山落木 卷一所収)など、正岡子規は内川や重信川を題材にした多くの俳句を詠んでいることから、本種の学名に使用しました。
左右:マツヤマムカシゲンゴロウ(新種) (© Kenji Kohiyama)
重信川の河口付近 (© Takeharu Yanagi)
Phreatodytes masumotoi Yanagi & Akita, 2025
クノムラムカシゲンゴロウ
宇和島市来村川流域の井戸1か所
宇和島市内では、須賀川水系からP. mohrii S. Uéno, 1996 ウワジマムカシゲンゴロウが知られていますが、本種と比較すると頭部、上翅側縁溝、交尾器などに明らかな形態差が認められます。このため、新種として記載しました。
ウワジマムカシゲンゴロウの生息域と本種の生息域の距離は、10km未満と近接していますが、地下水生ゲンゴロウでは近接した水系に別種が分布する例が知られています(※3)。
この発見は、クノムライドケシゲンゴロウの発見と既知2種を併せた、4種もの宇和島市固有種の地下水生ゲンゴロウが発見されていることから分かるように、宇和島市の昆虫をはじめとする地下水生生物の驚くべき多様性を示すものです。今後、官民一体となって地下水環境の保全を進めていく必要があります。
種小名のmasumotoiは、第2著者の秋田の長年の研究パートナーであり、ゴミムシダマシ科・コガネムシ上科の分類学的研究を専門とする、益本仁雄博士(元・大妻女子大学教授)に献名したものです。
左右:クノムラムカシゲンゴロウ(新種)
(左:© Kenji Kohiyama; 右:©Jun Nakajima / ©Japanese Society of Systematic Entomology)
雄交尾器
5: マツヤマムカシゲンゴロウ
6:クノムラムカシゲンゴロウ
(© Takeharu Yanagi & Katsumi Akita / ©Japanese Society of Systematic Entomology)
※2 Dimitshydrus属に対しては、S. Uéno (1996)による記載時から「メクラケシゲンゴロウ属」の和名が用いられてきました。
しかし、1999年に日本昆虫学会と日本応用動物昆虫学会の両学会の会長名で、「差別用語を用いた昆虫和名の扱いに関する要望」が日本昆虫学会誌「昆虫ニューシリーズ」に掲載されています(湯川・宮田, 1999)。この中では、両学会の会員に対して「改称を含む適切な措置」を取ることが強く要望されています。これ以降、両学会からは新たな声明等は発出されておらず、現在でも有効な「要望」です。
動物分類学を対象とする他学会(日本魚類学会など)でも差別的和名の改称が行われました。また、近年では、オサムシ科チビゴミムシ亜科のメクラチビゴミムシなどの種において「差別的」とされる本和名を用いない出版物等も存在しています。
このため、将来の本和名が原因となる混乱を避けるためにも、上記両学会による要望・勧告を重く受け止め、新たに「イドケシゲンゴロウ属(和名改称)」の属和名を提唱します。また、これまで種「メクラケシゲンゴロウ」の和名が用いられてきた Dimitshydrus typhlops S. Uéno, 1996に対しては、生息地の水系である須賀川にちなみ、「スカガワイドケシゲンゴロウ (和名改称)」を提案します。
なお、和名の使用には、国際動物命名規約などによる法的拘束力はありません。
※3 高知市に分布するトサムカシゲンゴロウ Phreatodytes sublimbatus S. Uéno, 1996とカガミムカシゲンゴロウ P. latiusculus S. Uéno, 1996の分布域は、4km以下まで近接しています。
【3.生態的特徴と適応】
4種はいずれも地下水層に特化した特徴を示します。
目(複眼)は完全に消失し、代わりに長い触角や感覚毛を発達させています。
後翅は完全に退化しており、飛翔能力を持ちません。
色彩は薄く、黄褐色で半透明です。
遊泳能力はほとんど持たず、歩行が中心です。
【4.絶滅の兆候と既知種の現状】
一方で、宇和島市内の須賀川水系に生息している、スカガワイドケシゲンゴロウ(※1) Dimitshydrus typhlops S. Uéno, 1996は、直近30年で急激な個体数の減少が示唆され、危機的状況です。近い将来の絶滅が強く懸念されます。
1995~2005年まで:1回の調査で複数個体が確認できる(健在)。
2009年:1個体の記録(Watanabe & Hisamatsu, 2016)。
2016~2025年: 計16回の調査を行ったが、2018年と2022年に各1頭のみ(いずれも死骸)を確認。
同じ井戸に生息するウワジマムカシゲンゴロウPhreatodytes mohrii S. Uéno, 1996は、現在までの30年間に亘り、ほとんど同頻度で採集されており、環境の変化に弱いケシゲンゴロウ亜科に属するスカガワイドケシゲンゴロウに対して選択的な絶滅が進行していると考えられます。
原因として、農薬(特にネオニコチノイド系薬剤)やダムの放流操作による地下水位の変動、河川改修、工事などが考えられますが、今後の研究が待たれます。
【5.なぜ井戸で発見されるのか?】
地下水生昆虫は、ふつうの河川や湿地には現れません。深度3〜20mの地層中に存在する地下水のみに生息しており、その調査には特別な手法が必要です。
今回の調査も、地域の皆様の協力を得て特定の井戸に設置されたフィルターからサンプルを回収する方法で実施されました。
井戸は人工物ではあるものの、自然の地下水脈と接続されており、地下水生動物が地表に現れる数少ない「観測窓」といえます。
【6.飼育成功と生態観察の成果】
クノムラムカシゲンゴロウPhreatodytes masumotoi Yanagi & Akita, 2025の一部個体は生体のまま研究室に持ち帰ることに成功しました。21日間の飼育により、以下の点が観察されました。
地下水性ヨコエビの腐敗した死骸を摂食。
感覚毛への刺激で運動開始。
ペンライトの光に反応する行動(光受容機構の可能性)。
このような生態・行動の実験室観察例は極めて貴重であり、今後積み重ねていくことで、地下水生態系の機能理解につながる可能性があります。
【7.なぜ今、この研究が重要か】
現在、地下水環境は以下の脅威に直面しています。
農薬・肥料などによる化学汚染
ダムの放流操作による地下水位の変動
大規模工事などによる帯水層の破壊
河川改修による帯水層の破壊や、水位の低下
過剰な地下水汲み上げによる水位低下
こうした要因が、地下水生昆虫の局所的な絶滅を引き起こしている可能性があります。しかし、多くの種は発見すらされておらず、絶滅しても誰にも気づかれない可能性が高いのです。
【8.提言:地下に目を向ける保全政策へ】
今回の発見とあわせて、私達は以下の保全提言を行います。
1 地下水生昆虫のレッドリストへの掲載と適切な評価
2 全国的な井戸の中の生物調査ネットワークの構築
3 市民・自治体との連携による地下環境モニタリングの推進
4 学校教育での「見えない自然」の紹介と啓発
「地下にも命がある」──この視点が、持続可能な水利用と自然保全のカギとなるでしょう、
【9.今後の研究展開と国際的意義】
当研究グループでは、日本国内の各地から40種以上の未記載種の可能性がある地下水生ゲンゴロウを確認しています。今後、再現性の確認や、分類学的研究を行った後に、順次記載を進めていきます。
これらの研究は、地下水生ゲンゴロウの研究が遅れている東アジアにおいて、実態解明の第一歩となると考えています。
【論文情報】
(論文1)
論文名: Discovery of a New Genus and Species of the Subterranean Hyphydrini, and a New Species of the Genus Dimitshydrus S. Uéno, 1996 from Ehime Prefecture, Shikoku, Japan (Coleoptera, Dytiscidae, Hydroporinae)
著者名: Takeharu YANAGI and Katsumi AKITA (柳 丈陽・秋田勝己)
掲載誌: Japanese Journal of Systematic Entomology
掲載号・ページ: 31(1): 170-179
DOI: https://doi.org/10.69343/jjsystent.31.1_170
(2025年7月30日オンライン出版)
(論文2)
論文名: Two New Species of the Genus Phreatodytes (Coleoptera, Noteridae, Phreatodytinae) from Ehime Pref., Shikoku, Japan
著者名: Takeharu YANAGI and Katsumi AKITA (柳 丈陽・秋田勝己)
掲載誌: Japanese Journal of Systematic Entomology
掲載号・ページ: 31(1): 180-184
DOI: https://doi.org/10.69343/jjsystent.31.1_180
(2025年7月30日オンライン出版)
【お問い合わせ先/取材先】
地下水生甲虫研究グループ
代表メール: chikasuikouchu [a] gmail.com
記事化される場合、各種の写真等の報道素材を提供します。代表メールもしくは柳の電話までご連絡ください。
(筆頭著者)
柳 丈陽 (やなぎ・たけはる)
メール: takeinsect [a] gmail.com
電話: 080-8207-1129
(第2著者)
秋田 勝己 (あきた・かつみ)
メール: plesiophthalmus [a] gmail.com
電話: 090-4219-0855