国指定史跡

池辺寺関連遺跡

熱海の土石流災害を映像で見て,中学生時代に熊本市西区島崎荒谷で起こった類似の災害を思い出した.金峰山系荒尾山の裾野を削った土石流発生地点の現在の様子をGoogleマップで調べると,その痕跡は認められず宅地化が進んでいるのに驚いた.数百メートル下流に,わずかに「土石流危険渓流」の汚れたプレートが残っている程度である(文末資料).昔を知る西区の知人に確認すると被害状況等をよく覚えていて,昭和30年(1955)ではないかと教えてくれた.65年以上前の災害のためウエブ上に情報がないのも無理はないと思いながら,金峰山周辺の同様な地形の箇所を調べていると傾斜地に切り開かれた土地があり,その一角に「池辺寺跡(ちへんじあと)」と書かれていた.ストリートビューに切り替えると,その周辺は遺跡の発掘調査が終了し公園化されていることがわかった.

池辺寺関連遺跡

池辺寺は和銅年間に創建された天台宗山岳寺院であり,盛衰を繰り返しながら明治初期まで存続してきたが,明治3年の廃仏毀釈で廃寺となった寺のひとつである.

池辺寺跡 文化遺産オンラインに書かれている位置関係

[池辺寺跡ちへんじあと] 熊本市の西部にそびえる標高665メートルの金峰山から南東へと延びる支脈は、いくつかの小谷を形成しながら裾野を広げて市街地のある平野部へ達する.平野部との境に近く,平川が東流する小谷の西奥,標高130メートルから140メートルの地点に百塚と称される東向きの斜面地が広がり,そこに池辺寺跡が位置する.

池辺寺関連遺跡の報告書が,2015年熊本県教育委員会から公開されているので報告書(ダウンロード可能)の概要を理解するために,その序文を以下に示した.

『熊本県文化財調査報告309:池辺寺関連遺跡1』 序文

熊本県教育委員会では、平成 19年度から5年間、一般県道砂原四方寄線地域連携推進改築事業に伴い、熊本市西区池辺寺関連遺跡の発掘調査を実施しました。平成 23年度からは、熊本市の政令市移行に伴い当該事業は熊本市の事業となりましたが、 それまでの調査分については、熊本県教育委員会が報告することとなりました。

発掘調査の結果、旧石器時代から近世までの幅広い時代の文物が見つかりました。 特に古墳時代の樹木や中世の寺院跡との関係が指摘される基壇は、後世の土砂堆積や 土地改変等の影響下でも発見することができたのは幸運と言えます。

本遺跡は、その名のとおり古代の山岳寺院として有名な池辺寺跡との関連がある遺跡です。和銅年間に創建されたとされる池辺寺は、明治時代初めまでその姿を変えながら存続してきました。これまで中世における池辺寺の位置や様相について、調査事例が少なく不明な点が多いのが実情でした。今回の調査成果は、こうした問題の解明に貢献できるものと言えます。

今回の調査成果が、学術的資料としてのみならず、皆様の文化財保護への理解を 深めていただくための資料となれば幸いです。

最後になりましたが、調査の円滑な実施に御理解と御協力を賜りました関係機関、 地元の方々に対して厚く御礼申し上げます。

平成27年3月31日

熊本県教育長 田崎 龍一

熊本市のパンフレット(史跡 池辺寺跡)には以下の記載がある.

江戸時代の書物に古老の説として、「平村に古の池辺寺があった」と記され、昭和 三〇年代以降に百塚地区や堂床地区で瓦や土器がみつかったことなどから、一帯が池 辺寺の候補地と考えられてきました。また、池辺寺や池上町の「池」とは、『続日本 紀』という史書に記載がある「味生池」のことです。味生池は、和銅年間 (七O八~ 七一五)に国司道君首名 (みちの きみのおびとな)が築いた灌漑用 の大きな溜池で、万日山・独鈷山・ 妙観山に囲まれた低地一帯に池が あったと想定されます。

池辺寺の最有力候補地のひとつ だった百塚は、「百(たくさん) の塚がある」という意味で、古く から残る通称地名です。 山中のい たる所に石が積まれ、現代まで「侍 の塚がある」と伝えられてきまし た。昭和六一年度より熊本市教育 委員会が同地区で発掘調査を開始 し、百塚地区が平安時代初の池辺寺跡ということがわかりました。 百塚地区は国史跡に指定され、保 存整備を実施しました。

熊本市のパンフレット(史跡 池辺寺跡)には,池辺寺縁起絵巻,宝物,出土品等が高画質で収載されているので,リンクをクリックして見てほしい.

土石流警戒箇所の検索の過程で遺跡発掘という一見関連性のない事項に遭遇したが,いろいろ調べてみると利便性の追求には自然との調和が必要であることを改めて知ることとなった.西区池上町に在る池辺寺跡の発掘調査は近くの県道整備工事のため実施されたとのことである.

一方,近くの西区谷尾崎町と池上町の住宅街では,熊本市が整備を進める熊本西環状道路の高架橋工事による地盤沈下が起き,住宅十数軒で傾きなどの被害が発生している.両町ではいずれも橋脚工事に伴い地中から大量の地下水が噴出したため,ポンプでくみ上げて排水しながら工事を進めたところ家屋や宅地の異常が出始め工事との関連が問題になっている.

池辺寺や池上町の「池」は,過去に存在した溜池とのことである.記録(続日本紀)に残る最も古い国司である道君首名 (みちのきみのおびとな) が造った灌漑用の溜池(味生池)であり金峰山系の外輪山である万日山と独鈷山の間に位置し現在は井芹川が流れていて橋名に味生の名称が残っている.伝説によると溜池には龍が住んでいたため,近くの台地に池辺寺を建て龍を鎮めたという.龍を水災害と捉えればその鎮静化を意味しているといえる.池上小学校の校舎壁面には青龍,赤龍の模型が飾られている

追記

池辺寺に関する資料は国会図書館に存在するが,デジタル化されていない.熊本県立美術館で特集展示が組まれたことがある.

道君首名(みちのきみのおびとな)大宝律令の編纂に参加,筑後,肥後の国司.疫病退散のため薬草の神である御祖天神を祀った.生前の徳を讃えて建てた寺が水前寺である.また.高橋東神社は祭神としている.

西区島崎6丁目小山田川沿いの看板(土石流危険渓流)

2021.7.14