見たり触れたりするモノは、自然に存在するモノと、人が手を加えたモノに大別される。人が手を加えたモノは、カタチによらず価値のある物質か、カタチに価値がある物体かである。
しかし、その境界はあいまいだ。鉄は、物質として価値があるが、カタチが不ぞろいの鉄の塊をもらっても困る。やはり、形の揃ったインゴットなり、厚みの揃った鉄板なりでないと、価値を与えられない。鉄板をプレスして、組み立てて、自動車を作れば、これは、カタチに価値がある。凹んだり、傷がついたりしたら、自動車という物体の価値が損なわれる。
化学工業は、資源から物質を生産する製造業だ。カタチのない物質を、搬入し、貯蔵し、輸送し、反応させ、出荷する。工場のレイアウトは、工場の顔であり、プロセスフローダイヤグラムは、物質の製造の設計図だ。
空中窒素を固定し、肥料を得て、食糧を増産することは、20世紀の悲願であった。空気を原料にする化学工業には、気密性の高い容器が要る。鉄の釜が使えるようになって、高圧の気相合成がやれた。アンモニアの合成は、触媒を使い、超臨界状態で反応が進む。アンモニアを原料とする硝酸は、ダイナマイトなどの火薬を生み出し、鉱山の発破や、鉄道網の整備に使われた。一方で、爆発物は戦争にも使われ、多くの人々を殺傷した。ダイナマイトの発明者だったノーベルは、ノーベル平和賞を遺言した。
冶金と言えば、まず製鉄。馬具、武具、農具、工具として使われ、近代製鉄が始まってからは、鉄道と蒸気機関車、蒸気船と産業革命の立役者と言っていい。橋梁や鉄塔、鉄筋コンクリート、化学プラントの槽や塔も、鉄鋼なしには建造できない。
電気を運ぶのに電気を流すアルミニウムや銅の金属が要る。微細な半導体チップとリードをつなぐのに柔らかい金が要る。冶金の中でも非鉄金属の多くはは、溶融塩電解や電解精錬で、その活躍の場を広げることとなった。
人は、絵や文字を書き残す。書き残したものを配ることで、広く伝えようとする。紙に墨で書いた手書きだった文書は、印刷し、新聞や書籍になった。それどころか目に見えない電子で半導体に書き込むようになった。書き込まれ記録された情報は、ネットの世界を駆け巡り、携帯端末のディスプレイに表示されるまでになった。半導体に書き込まれる情報は、微細化の一途を辿り、目に見えないどころか、極端紫外線を液浸の反射露光装置を使い原子の大きさに近づいている。
人は食べ物を作るのに、手でこねたり、かき混ぜたりする。人力の代わりに使い始めたのは、風車や水車による粉挽きであろう。パンを主食にするヨーロッパでは、小麦粉を作るのに風車と石臼が普及した。
モノを混ぜたり、運んだりするには、動力が必要だ。人力から、馬力、風力、水力、そして蒸気機関の発明で、化石燃料から動力を取り出すことに成功した。さらにそこから発電し、モーターによる動力が使えるようになった。
熱機関を搭載した輸送手段が、石炭を燃料とする蒸気機関車や蒸気船から、石油を燃料とする自動車や飛行機に移行すると、移動や物流を劇的に変貌した。
高分子の原料となるアクリロニトリルは、プロピレンを酸化して合成する。その反応は、それまでの化学の常識では、考えられない反応だった。その反応はアメリカの石油メジャーで見出され、恐ろしく複雑な触媒を使い、触媒反応としてはもっとも難しい酸化反応を実現した。それならということではじまったアクリル酸やメタクリル酸の合成に使う触媒の開発は困難を極めた。地道な努力で困難を克服し、完成度の高い技術にしたのは日本の化学会社だった。
化学反応を工業として応用するには、触媒の開発だけでは済まない。触媒を管や塔に充填したり、触媒の粒子を浮遊させたりと、反応装置の設計があってはじめて実用化できる。
彩られた世界は、生活を豊かにする。コンビニエンスストアで、ペットボトルの商品を探すときに、飲料の中身がただ透けてみえるだけの風景が、いかに殺風景か想像できるだろうか。紙に墨で書かれた文字が改竄できないように、古くから情報の記録にも色素材料が使われてきた。いまや、カラーディスプレイで、動画やアニメのキャラが躍動するのも、色素材料あってのことである。
材料が機能を発揮する。混ざらないものを混ぜたり、電気で情報を表示したり、電気を流したり、作ったり。欲しいのは機能であって、物質ではない。金属、セラミックス、有機材料、高分子材料と多岐にわたる。
生物の力を借りる発酵工業は、温度や圧力が穏やかで、エネルギーも使わず、 設備も簡単だ。江戸時代には、木桶ができて酒や醤油などが作られた。反面、微生物を使うので、管理をしっかりしないと腐敗したりする。また生成物に微生物や副生物が混入するので、分離や精製に手間がかかったり、反応時間が長くなったりする。