活動NEWS
◆石仏見学会「四街道 山梨・鹿渡周辺の石仏をめぐる」を11月14日に実施しました。
(当日の様子を 過去の見学会記録から(11月14日の様子) に掲載しています)
◆現地バス研修「上総東部~下総南東部の石造物をめぐる」を10月4日に実施しました。
(当日の様子を 過去の見学会記録から(10月4日の様子) に掲載しています)
◆会報第155号を発行致しました。
会員の皆様へ ここをクリック
①「会報」第155号(令和7年10月1日付)を発行致しました。
会員の皆様宛、10月1日に郵便にて発送致しましたのでご覧下さい。
②令和8年の新年懇談会を、2026年1月25日(日)13:30~に、「ちばさぽ」会議室にて開催致します。ご予定をあけておいてください。詳細が決まりましたら改めて掲載します。
③10月4日に行いました「バス研修 見学会」の際に撮影した集合写真をご希望の方は、事務局 林まで、メールにてお知らせください。
④会誌「房総の石仏」第30号(記念号)に掲載する報告、論考、記念号に向けた随想、等を募集しています。
今年度中の発行を目指しております。奮ってご投稿くださいますよう宜しくお願いします。
「房総石造文化財研究会」は、昭和55年に県教育委員会より刊行された「千葉県石造文化財調査報告」のために、千葉県内の石造物調査に携わったメンバーが中心となって、調査終了後も、県内の石造文化財の調査、情報交換を行うことを目的とした同好会として、1981年(昭和56年)に発足しました。
2024年4月現在、千葉県内を中心に、全国に50名余の会員が居り、
石仏見学会や勉強会の開催、定期刊行物や書籍の作成・発行、といった活動を行っています。
会合は、主に千葉市中央区の千葉中央ツインビル 内にある千葉市民活動支援センター「ちばさぽ」を利用しています。
会報
会報は、活動の予告や実施内容の紹介、会員の研究活動の紹介、等の内容で、基本、年4回、発行しています。
会員の方に配布します。
会誌
会誌「房総の石仏」は、会員による調査や研究成果の報告、論考、等を掲載します。基本、年1回の発行です。
会員の方に配布するとともに、千葉県立図書館、等に寄贈しています。
残部があるものにつきましては、会員以外の方への販売も行っています。
刊行済みの「房総の石仏」の目次は下記をクリックしてご参照下さい。
「房総の石仏」発行済巻号目次 ここをクリック
会員に限らず、広く多くの方に「石仏(石造物)」を楽しんでいただくための講演会を年一回のペースで開催しています。
令和7年度の開催予定
2025年12月7日(日)
場 所:千葉市文化センター 会議室
千葉市中央区中央2丁目5−1千葉中央ツインビル2号館9階
時 間:13時30分~16時15分
テーマ:「 災 害 と 石 仏 」 ―記憶と再生へ―
①石碑に記された関東大震災 講師:高橋直樹 氏
②災害に関わる石仏
この一年の開催内容
2024年12月1日(日)
テーマ:「弁財天」 ―姿かたちや信仰から探る―
① 弁才天の来た道と姿、その変化 講師:玉井 ゆかり 氏
② 弁才天と弁財天 その信仰と伝承 講師:木原 律子 氏
③ 弁才天のさまざまな姿 講師:稲木 章宏 氏
場 所:千葉市文化センター 会議室Ⅴ
時 間:13時30分~16時15分
参加者:37名の皆様のご参加を戴きました。
下の写真は当日の会場の様子です
令和6年度 石仏ゼミナールから:ここをクリック
五年ぶりとなる公開での石仏ゼミナールが、12月1日、千葉市文化センター会議室で開催されました。会場の定員に対してほぼ満席での講演会となりました。テーマは「弁才天」。その由来や信仰そして石造物としての弁才天の色々な姿が紹介されました。
初めは、玉井ゆかり氏から「弁才天の来た道と姿、その変化」と題して、インド発祥のこの「神様」について、最初の姿から仏教に取り込まれていく過程が紹介されました。
次に、木原律子氏による「弁才天と弁財天 その信仰と伝承」として、弁才天の信仰、水の神が収穫をもたらすことから財にかかわるとともに、知恵や技芸の神としても信仰されたこと、日本では奈良時代から、その信仰が始まったことが示され、現在民間信仰に見られる弁才天が祀られる場所=池の中島や、その姿が、さらに弁才天と道祖神の伝承(道祖神が弁才天に懸想したがそれを嫌って道祖神が渡れないように中島には一本橋を掛けた)が紹介されました。
三番目には、稲木章宏氏から「弁才天のさまざまな姿」と題して、西上総地域に見られる弁才天像が紹介されました。
また、「弁才天のさまざまな姿の事例写真紹介」では、本会会員によって見つけられた君津市内の「宇賀神像」が紹介されました。
全体を通じて、以下のような質疑応答がありました。
・「弁天講中が有ったのか」に対して、「講中と刻まれた石造物が船橋で見られるが講は確認できない」「木更津では子安講が弁才天を祀っている例がある」「講の存在についての調査は承知していない」といったやり取りがありました。
・「厳島神社は弁才天に必ず付随しているのか」に対しては、「弁才天を祀る神社としては、厳島神社、天川神社、江ノ島神社、竹生島、等いろいろある」との回答でした。
・「厳島神社に見られる白蛇とサラスヴァティ―が乗る白鳥に関係があるのか」という質問があり、「そのような見方はわからない」とのことでした。
最後に、川戸顧問より、岩波新書の「インド文明の曙」を参照されながら、弁才天信仰は紀元前1500年頃にインドにアーリア人がやってきたころに遡れる、といったお話がなされ、締めくくりとなりました。
千葉県内で、見学する地域を決めて、半日程度をかけて行っています。
会員以外の方も、事前にご連絡戴ければ参加できます。
(尚、参加に際してましては資料代をご負担いただく場合があります。)
今後の開催予定
2026年3月
松戸周辺の石造物をめぐる(仮)
詳細が決まりましたら掲載します。
この一年の開催内容
2025年3月22日(土)
佐倉市北部、先崎(まっさき)・青菅の石仏
見学先:福蔵院、鷲神社、正覚寺廃寺、先崎地蔵尊、正福寺、等
2025年4月26日(土)
船橋市前原・薬円台周辺の石仏をめぐり、船橋市立郷土資料館を見学
見学先:道入庵、百庚申、高幢庵、神明神社、庚申塔群、等
2025年10月4日(土)
見学会(現地バス研修)「上総東部~下総南東部の石造物をめぐる」
見学先:東金市 願成就寺 八坂神社、九十九里町 善福寺、山武市 元倡寺、匝瑳市 西光寺 龍頭寺 大浦路傍 山桑医光院墓地
2025年11月14日(金)
四街道 山梨・鹿渡周辺の石仏をめぐる
見学先:大隆寺、山梨・鹿渡の集落、善光寺、香取神社
過去の見学会記録から(11月14日の様子): ここをクリック
2025年11月14日 四街道 山梨・鹿渡周辺の石仏をめぐる
晴天に恵まれた11月14日金曜日、石仏見学会では9名の参加者で四街道市の山梨地区と鹿渡(シカワタシ)地区を巡りました。
四街道駅に集合し、バスで山梨の大隆寺へ。
ここの、お目当ては「勢至菩薩立像」です。寛文十一年(1671)の銘があり、この頃に作られた石仏には綺麗なものが多いと言われています。地元の研究者によれば、文化財指定されてもおかしくないものとのことです。
一方、このお寺には文化財指定された石造物として、異形宝篋印塔、十九夜塔、庚申塔か在り、それらも拝見して回ります。
異形宝篋印塔は、通常、立方体に近い塔身部が球形になっている事。一見、球形に作られる五輪塔の水輪を流用したものかと思われましたが初めからこの宝篋印塔のために作られたもののようでした。享保十一年(1762)の銘があります。
庚申塔は元文五年(1740)銘で、一面六臂の青面金剛像ですが、頭上に蛇のようなものを載せています。上部の日月の間には烏八臼が刻まれていると言いますが、為のようにも見えます。
また、本堂裏の墓地内には江戸時代初期にこの地を知行した間宮氏の供養塔があります。間宮氏の二代目は大坂の陣に参陣し真田幸村と戦ったと説明板に在りますが、「干城録」によればその時の傷がもとで亡くなられたとの事で、その後三代目が知行地を広げたそうです。これらの供養塔は江戸初期に見られる「板碑型」と呼ばれる形態で、最も古いものは元和二年(1616)の銘がありました。
大隆寺から佐倉街道古道に沿って歩くと、地蔵尊の祠と秩父三十四観音記念碑と廻国塔が見えてきます。この後ろに、五基の馬頭観音が祀られていました。古い地図によれば、ここは旧旭村役場の隣接地で、荷を運ぶ馬を仕立てる場所(馬繕場(マツクレバ))があったのかもしれません。
ここから隣の鹿渡地区に向かいます。
谷戸に下りる坂の途中に道祖神の祠があり、丸い石が複数置かれていました。山梨と鹿渡の境になる小名木川の橋のたもとには嘉永七年(1854)銘の馬頭観音が祀られておりここが古くからの道と分かります。急な鹿渡坂を上ったところ、こちらにも道祖神石塔(安政五年(1858)銘が祀られており、村の端で外からの悪いものに備えています。
集落内を進むと道沿いの祠の隣に道標を兼ねた馬頭観音がありました。幕末期の弘化四年(1847)の銘があり、説明板によれば、この辺りの開発に伴い移動されたものとのことで、刻まれた方角が一致していません。驚くのは、そこに刻まれた地名で、隣村の小名木や山梨と共に、遠く銚子、東金、船橋といった記述もあり、この道標が担っていた交通路の広がりが感じられます。
更に進むと、分かれ道に秩父供養塔がありました。「秩父三拾四番供養塔」の文字の上に梵字で阿弥陀三尊(阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩)が刻まれており、あまり見ることのないものでした。
その先に、真言宗の寺院、善光寺があります。ここには、文化財指定されている六観音立像があります。六観音とは、聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准抵観音・如意輪観音です。資料によれば、理由は分からないが行徳にあったものがここに移されたとの事、基壇には「行徳」の文字がありました。
また、本堂前には、大日如来像が二基祀られています。これらは、左側が金剛界大日如来坐像で正徳六年(1716)、右側が胎蔵界大日如来坐像で元禄二年(1689)の銘があり、いずれも、基壇に戒名が刻まれた供養仏です。おそらくはこの寺の墓地にあったものをここに祀り直したものと思われます。
門前の草に埋もれた中に、出羽三山参拝記念塔群がありました。集落から善光寺に入る所には複数の秩父三十四観音参拝記念塔と十九夜塔がまとめて整備された場所があり、対をなしているようです。参拝記念塔には参拝に参加した講の人々の名が刻まれますが、出羽三山には男性ばかり、秩父は女性ばかりと、千葉周辺で見られるこれらの講が男女できちんと分かれている様子が確認できました。尚、十九夜講も女性の講として知られています。
この集落のほぼ中心にある香取神社が今日最後の見学地。神社にお参りしてから境内の石造物を見ます。ここには、社日塔(五神名塔とも)があり、天照皇太神・倉稲魂神・埴安媛神・少彦名命・大己貴命の名を刻んだ五穀豊穣を祈るためのものです。千葉から佐倉にかけて多く見られるものとの事で、ここでは長くお祀りされていたらしく、時代の分らない断片が二基と大正期、昭和期の二基が見られました。
ここからかつての谷戸に向かって坂を下り、総武本線の線路を越えて住宅地として開発されたところのバス停から四街道駅に戻りました。
過去の見学会記録から(10月4日の様子): ここをクリック
2025年10月4日 令和七年度バス研修
10月4日土曜日、会員、会員以外の方合わせて20名で、バス研修を実施しました。今回は「上総東部~下総南東部の石造物をめぐる」ということで、東金市、九十九里町、山武市、匝瑳市を訪ねます。午後から雨の天気予報ではありましたが、千葉駅前大通り集合時には薄日もさしていました。
東金道路を経て、先ずは東金市松之郷へ。
ここの八坂神社には二対の狛牛が見どころ。拝殿前の狛牛は、少し首をもたげた阿形と、じっとこちらを見ているような吽形の牛たち、寛保三年(1743)の銘があり、282年の間、ここを守っています。
参道改修記念碑はよく見る石巻産の井内石自然石板ですが、その台座となっている自然石はこの地産の成東石です。また、境内の石燈籠はやや赤みがかった花崗岩で、刻まれた文化十三年(1816)頃であれば関西から運ばれてきたものである可能性があるとの事です。
八坂神社の裏手を下ったところの願成就寺には、現在国内では唯一とされる異形の五輪塔を見ることができます。むくり屋根型の火輪、地輪の上に返花があってその上に水輪が載るといった形はもちろん、各輪には八葉蓮弁の中に種子が四方に刻まれています。三基在りますが五輪が揃っているのは残念ながら一基のみ。しかし破損した二基からは内部構造を垣間見ることができます。時代的には鎌倉時代中期に遡るとみられていますが、記銘が見られないため、誰がいつ誰のために作ったかは判然としていません。
バスに戻って、九十九里町粟生(あお)の善福寺へ。途中、予報通り雨が降り出しましたが、田圃の中に佇む寺に着いた時には止んでいました。ここでは一対の石造仁王像が迎えてくれます。総高2M程の阿吽像で、石像ながら細かい彫りの美しい像です。宝暦十年(1760)の紀年銘が台座に刻まれています。顕本法華宗の寺院らしく、門前には題目塔がそびえていました。
再び降り出した雨に急かされてバスに戻り、浪切不動院の赤い建物を望みながら山武市成東の元倡寺へ。ここには高さ4M近い石造九重塔があります。「慶安二年(1649)、東金の代官であった初代野村彦太夫の十七回忌のために建立されたもの」との説明版が傍らにありました。最下部の塔身には四角い穴が開けられその中に一石五輪塔が納められています。特色は白っぽい石でこれは地元の銚子石とされており、これだけの大きさの銚子石が使われた石造物は珍しいとのことです。
再び雨が降り出した中、近くの昼食場所のレストランへ。食事が終わる事には雨は止んでいました。
食後は、40分ほどかけて匝瑳市へ。訪問地は八日市場の西光寺。お訪ねする各寺院には事前の見学させて戴く旨お知らせしていますが、西光寺では方丈様が出迎えてくれました。ここの見どころは、西光寺板碑として文化財指定されている地蔵図像板碑。以前、本会会員により刻まれた内容の分析が行われ、その希少性が改めて認識されたというもの。北朝年号の応安二年(1369)の記銘があります。今回も、懐中電灯で照らして見るなどして、上部に種子らしきものや天蓋、瓔珞、身光が刻まれている事を改めて確認することができました。お寺よりお接待の茶菓子まで頂戴し、方丈様にお礼を言って寺を後にします。
次は木積の龍頭寺へ。ここでは大日如来種子板碑を見学。一辺が1Mばかりの下総型板碑が二基みられます。こちらは北朝年号貞治二年(1363)の紀年銘があり、蓮台に乗った大日如来の種子がしっかりと刻まれたもの。以前は、参道の石段途中に埋められていたとのことで、坊守の方が、「いつも踏み付けていて罰当たりな事でした」とにこやかに仰っていました。境内墓地には多くの石造物が見られ、享保元年(1716)の紀年銘を持つ十五夜供養塔は上部に光明真言を刻んだ丸い石と笠を載せているという珍しいものでした。その隣は寛文十二年(1672)の地蔵菩薩立像ですが残念なことに首を継いだ跡がありました。
また、雨が降り出したところでバスに戻り次の見学場所は成田山の精進料理に出される「大浦牛蒡」で知られる大浦地区です。ここの路傍には、総高1Mを超える大ぶりの庚申塔(元文二年(1737)銘)があります。一面六臂でショケラ、二邪鬼、二童子、三猿、二鶏が彫りこまれた美しい姿をしており、笠部には二体の像(馬を引く鬼?と剣を持った人物)を浮彫したものがみられ、千葉氏縁の土地だけに妙見信仰との関連も考えられます。庚申塔の周りには30CM程の石が多く敷き詰められていて、願を掛けた石を置いて百庚申を構成していると考えられています。ここでは少し雨が降っていました。
最後は、山桑の医光院墓地の中にある閻魔像を見ます。正徳六年(1716)にこの土地の念佛講中によって建立されたものとあり、無縁となった仏達を祀ったものかもしれません。更に墓地内にある地元で建てられた三尊種子廻国塔(明和九年(1772)銘)や、男女の戒名が刻まれた廻国塔(寛政七年(1795)と寛政十年(1798)の銘があります)も見ることができました。
この日は、バスでの移動中や食事中には雨が降っていたものの、見学中はほとんど雨に降られることなく、予定したすべての見学場所を廻る事が出来ました。参加者の皆さんの日ごろの心がけと神仏のご加護の成果でしょうか。千葉駅前大通まで無事に戻り、午後五時頃に散会となりました。
過去の見学会記録から(4月26日の様子): ここをクリック
2025年4月26日(土)船橋市前原・薬円台周辺の石仏をめぐる
大型連休の初日、天気の急変が心配されましたが、あまり暑くなく日差しもなくて石造物の写真を撮るには好ましい日に、総勢12名の参加者で石仏見学会を実施しました。
新京成から名前の変わった京成松戸線の前原駅前に集合し、成田街道沿いの石造物を巡って船橋市郷土資料館をゴールとするコースです。ただし、成田街道は通行量が多く歩道も狭いので全行程を歩くことは諦め前原駅から薬園台駅の間はバス利用することにしました。
最初に訪れたのは前原駅近くの真言宗道入庵。境内には街道沿いらしく多くの馬頭観音石塔が集められ、十九夜塔、新田開発の由来を残す地蔵菩薩立像、筆子塔、等が整理された形で並んでいます。特に宝永二年(1605)銘の十九夜塔は頬に手の甲を当てる像で美しいものでした。
次に道入庵の裏手、京成線の線路を超えたところにある前原共同墓地を訪れます。ここの入り口近くに無縁佛之墓としてまとめられた石造物の中に、元禄十五年(1702)の紀年銘を持つ供養仏像(如意輪観音像)とその背後の地蔵菩薩立像(下部に「日□大師」と刻まれ宝暦五年(1755)の紀年銘が見られる)が目を引きます。如意輪観音は一面六臂とみられ頭上に線刻の天蓋を持つ像でした。
成田街道を渡って前原東郵便局の隣接地にある百庚申に向かいます。ここには享保十八年(1733)、享保十九年(1734)、延享四年(1747)銘の三基の大型の庚申塔(像塔)の前に80基程の「庚申塔」と奉納者と思われる方の名前が刻まれた高さ30cm程の石塔が並んでいます。この地域の調査を行われた会員のO氏によれば、かつてこの百庚申にトラックが突っ込んだことがあり散乱した石塔を地元の建築業の方が並べてコンクリートで固定したとのことで、今は草に覆われながらもきれいに並んでいます。歩道もないので道端にへばりついて見学です。
前原駅入口からバスに乗り薬円台駅入口に向かいます。
薬円台駅入口バス停近くの高幢庵は現在では墓地組合の方のための集会所のようですが、隣接する墓地内にある「木食僧観信の墓と木っぱ地蔵」「薬園台開発に携わった丹羽正伯の供養碑」の説明があります。これらの説明を見てから実物を見学します。周辺には大師堂や三山講碑、庚申塔、馬頭観音も見られました。隣接する薬円台共同墓地には個人の墓石ですが多くの供養者の名前が刻み込まれたものがあり筆子供養塔に相当するものであろうということです。
住宅地を抜けて神明神社へ。一段高く築かれたところに拝殿と社殿がありその周りは広く木々の茂る空間となっていて夏でも涼しそうです。ここで一休み。
この神明社は大正十五年の千葉郡誌によれば宝暦十九年(1769)に勧請されたもので祭神は天照大神。境内社として子安神社、八坂神社、愛宕神社、疱瘡神社、八幡神社が記されていますが、本殿脇の小社内にはこれらに加えて稲荷社、古峯社、金毘羅宮、の石祠が見られ、その横の富士塚らしき場所には小御嶽大権現と三仙元宮の石塔もありました。築山の下にある手水石には文化四年(1807)の銘がありその横には「御神井」と刻まれた石碑があってかつては井戸があったことが伺えます。
成田街道に戻って路傍の四基の庚申塔群を見ます。明和二年(1765)銘と寛延三年(1750)銘の像が目を引きます。また「御大典記念」と刻まれた文字塔の台座は明らかに時代の異なる石で三猿が浮き彫りされており、かつては青面金剛の像塔が有ったことを感じさせます。
次は不動堂に参ります。境内には大師堂もあり、「聖徳太子」と刻まれた大正六年(1917)に建てられた碑もあって太子講が行われていたことが知られます。
最後は船橋市郷土資料館へ。横にあるSL(D51125)の後方に建てられた「明治天皇駐蹕之處」碑の前で集合写真を撮影してから郷土資料館に入り、康永四年(1345)銘の巨大な板碑(高さ210.5cmで県内最大級とのこと)や弘安年間(1270年代後半)の板碑、その他の展示物を拝見しました。ここで本日の見学会は無事終了、散会となりました。
帰り道、地元の会員のO氏が、「この辺りに何かあったはず」というので行ってみると、郷土資料館の展示物に有ったものと同様な「陸軍用地」と刻まれた花崗岩製の境界石が民家の脇に残っていました。
過去の見学会記録から(3月22日の様子): ここをクリック
2025年3月22日土曜日 佐倉市北部、先崎(まっさき)・青菅の石仏
少々風が強いものの麗かな陽光に恵まれた春の日、石仏見学会で佐倉市北西部の先崎(まっさき)、青菅(あおすげ)と八千代市の下高野(しもこうや)の社寺と路傍の石仏を巡りました。ユーカリが丘駅に集合して、コミュニティバスで青菅に向かいます。この日の参加者は現地で合流した方も含めて11名となりました。
青菅バス停で下車、広い農地のひろがる谷地を抜けて先崎の集落へ、集落の入り口にはこちらを向いて口を開けた蛇の姿の「辻切」が迎えます。そのまま、上流方向にある下高野の福蔵院へ。
福蔵院には、古い墓地と、その横に整然と並べられた享保から令和までの十九夜講の子安観音像が並んでいます。260年余りにわたって続く信仰の証です。江戸中期までは観音像のみですが、その後は子供(赤子)を抱いた像になっていきます。中には、赤子と共に達磨が刻まれたものがあり、これは疱瘡除けの意味もあるとも言われています。
先崎に戻って、鷲神社を訪ねます。寛文十三年(1873)銘のある堂々とした鳥居をくぐって境内へ。この鳥居には、正覚寺の僧侶定宥が江戸深川の石屋五郎兵衛に作らせたという内容の銘が刻まれています。本殿には上り龍や下り龍、壁面の酒呑童子伝説の彫物が見られます。これらは上野国の彫師星野利三郎の作で、天保十五年に建立されたものとのこと。拝殿には文化十年(1813)の俳句の扁額が掲げられています。中には女性の句もあるそうです。
鷲神社の隣接地、先崎城址と言われる場所は、鷲神社の別当寺であった正覚寺廃寺の跡で、五輪塔や地蔵菩薩立像、出羽三山講碑、僧侶の墓塔、等が残されています。五輪塔には寛文九年(1632)の銘が見られます。
そこから200メートルほど離れた辻には、道標を兼ねた二十三夜塔、馬頭観音、道祖神の石塔が有りました。道標には、近隣の地名とともに「江戸」と刻まれているのが読み取れ、この道が江戸まで続く街道であったことが知られます。
鷲神社前を通り過ぎて戻り、先崎の地蔵堂を訪ねます。堂内に祀られた地蔵尊は、慶安三年(1650)の銘があるとされた堂々たる座像です。今でも土地の人々に信仰されているようで、地蔵尊は衣をまとい堂内には多くの奉納物が見られます。地蔵堂の前には七基の庚申塔がありました。割れて倒れているものもありますが立派なものばかりです。もっとも古い銘は正徳二年(1712)でした。
青菅の谷地の蓮田に面した細道を抜けていくと、どんど焼き(この付近では「ドンドレ」と呼ぶそうです)の跡という焼けたものが山になった場所がありました。更に進むと田圃の脇に水の枯れた池と弁才天の祠があります。このすぐ横が正福寺です。
正福寺には、寛文期から昭和に至る墓石や墓塔、供養仏が見られるとともに、享保期から昭和に至る十九夜塔が並んでいます。残念ながら、多くのものは倒れており、既に信仰がされていないように思われます。ここは、多くが「小島家」の墓地となっているようで、この地域の教育者として知られる「小島泰堂翁」の顕彰碑が目を引きます。
既に三時に近くなり、数少ないバスが来る時間ということで、約半数の方はここで帰途につかれました。
残ったメンバーで青菅分校跡へ。まだ桜には早かったようです。ここにはユーカリが丘を開発した業者によって昭和52年に移された複数の庚申塔や道標、馬頭観音等が集められています。寛延三年(1750)銘の庚申像塔、寛保四年(1744)銘の馬頭観音像塔等を見ることができました。
街道を少し戻ると、道端に花崗岩の道標が有りました。半分埋もれて言われないと分からず書かれている文字も読めませんが、昭和初期によく見られる花崗岩製のもので、ここが近隣を繋ぐ街道であることがわかります。そこから坂を登ったところにあるのが稲荷神社です。ユーカリが丘の開発地に隣接し新たに建て直された様子です。境内には星神社と記された境内社が有りました。ガラス張りの堂内には妙見様らしき像が安置されていました。
この境内で見学会は終了。青菅分校のバス停に戻りユーカリが丘駅に向いました。
テーマを決めて、石仏(石造物)についての講演、討論、情報交換、関連石造物の見学、等を行っています。
会員以外の方も、事前にご連絡戴ければ参加できます。
(尚、参加に際しましては資料代をご負担いただく場合があります。)
今後の開催予定
2026年2月
詳細が決まりましたら掲載します。
この一年の開催内容
2024年7月8日(月)
テーマ:「如意輪観音」
(1)如意輪観音の姿と形: 玉井ゆかり氏
(2)観音霊場の歴史と信仰: 植野英夫氏
(3)女人講の石仏―如意輪観音から子安さまへ:蕨 由美氏
2024年9月21日(土)
テーマ:「取手周辺の石仏」(10月見学会の事前学習) 木原 律子氏
2025年2月21日(金)
(1)市原市の六十六部廻国巡礼の諸相: 小松 廣和氏
(2)疱瘡神の姿と居所―千葉市緑区の事例から―:林 毅氏
2025年9月15日(月・敬老の日)
テーマ:上総東部~下総南東部の石造物をめぐる
(10月見学会の事前学習) 早川正司氏、玉井ゆかり氏
石仏勉強会(2025年9月)の資料から:ここをクリック
9月15日(月)、敬老の日、10月4日の上総東部~下総南東部の石造物をめぐる石仏見学会に向けて、事前の勉強会を、14名の方々の参加を得て、早川会長、玉井氏の説明で盛況のうちに実施されました。
上総東部の東金・山武から下総南東部の匝瑳は、いわゆる「七里法華」の地域に隣接し、日蓮宗寺院が多い地域ですが、それ以前の鎌倉期からのものと考えられる石造物も残る地です。今回は、そのような歴史層に思いをはせながら、種々の石造物を訪ねることになります。
以下、その一部を、当日の資料から抜粋して示します。
・東金市松之郷にある願成就寺の五輪塔は、その形態から鎌倉期に遡ることができるものと考えられています。特徴的な赤色の石は、かつては地元の銚子石と考えられていましたが、現在では他の説もあるようです。<写真>
・隣接する八坂神社には、狛犬ならぬ「狛牛」<写真>が、二対出迎えてくれます。
・九十九里町粟生(あお)の善福寺は顕本法華宗の寺院で、一対の石造仁王立像<写真>が鎮座し、他に題目塔などを見ることができます。
・山武市成東の元倡寺では、江戸初期の代官である野村彦太夫の供養塔とされる石造九重塔<写真>(市指定文化財)が見どころで、境内墓地には野村家墓塔、家型墓などがあります。
・匝瑳市八日市場の西光寺には、市指定文化財の「西光寺板碑」と呼ばれる「線刻地蔵図像板碑」<写真>があります。建立年代は南北朝期の応安二年(北朝年号)(1369)で、かつて早川会長が拓本を採ってその像容や記銘が明確になりました。<写真>
・同市木積の龍頭寺では国指定無形民俗文化財である「木積の藤箕製作技術」の祖と伝わる「おせん」の墓が市指定文化財となっています。また近年発見された「大日如来種子板碑」(貞治二年(1363)銘)<写真>も見どころです。
・同市山桑にある医光院墓地では、正徳六年(1716)銘の等身大?閻魔像<写真>が見どころです。墓地内には家型墓や、地元で建てられた三尊種子廻国塔(明和九年(1772)銘)もあります。
・医光院から県道を香取方面に向かった大浦の路傍に、総高1Mを超える大ぶりの庚申塔(元文二年(1737)銘)<写真>があります。一面六臂でショケラ、二邪鬼、二童子、三猿、二鶏が彫りこまれた美しい姿をしており、庚申塔の周りには30CM程の石が多く敷き詰められて、願を掛けた石を置いて百庚申を構成していると考えられています。
石仏勉強会(2025年2月)の資料から:ここをクリック
2月21日(金)、講演者を含めて13名の会員が集まり、石仏勉強会を開催致しました。今回は、会員から次の2件の研究報告が行われました。
1件目は、小松氏から「市原市の六十六部廻国巡礼の諸相 市原市における六十六部廻国巡礼供養塔の展開と考察」と題して、氏がさきに発表された研究論文「千葉県の近世六十六部廻国の諸相」の内容をさらに深めたお話がありました。
2件目は、林氏から「疱瘡神の姿と居所―千葉市緑区の事例から―」として、現地調査に基づくお話がされました。
各々の講演に引き続き、質疑応答や意見交換が行われ、何れも活発な発言や情報の提供があり、内容の濃い勉強会となりました。
六十六部廻国供養塔に関しては、次のような質疑がなされました。
・巡礼者の地元で帰ってから建立するだけでなく他国の巡礼者の供養塔も建てられたのは、善根宿主や名主が廻国巡礼者を祀る事で功徳となると考えられていたことから行われた。
・日蓮宗の影響範囲では廻国塔が見られないのは、別に日蓮宗の寺を廻る千カ寺供養の供養塔が見られるためと考えられる。
・日蓮宗の影響範囲でも、街道沿いなどでは廻国巡礼者を泊めたことを示す供養塔(船橋の五千人供養、等)が見られる。
疱瘡神に関しては、次のような質疑がなされました。
・千葉市内の他の場所でも神社近くの山中に疱瘡神石塔が見られる。
・子安観音像の中には子供と共に達磨が刻まれたものがあり疱瘡除けを願ったものと考えられている。
・廻国塔では疱瘡流行との関連が見られたが、個々の疱瘡神塔に関してはその地域の疱瘡流行の状況が名主文書等のローカルな史料で分からないと比べにくい。
尚、小松氏講演の資料は16ページに及ぶもののため、以下にその目次を中心に、抜粋と主要な図版をピックアップして掲載します。林氏の講演内容についても、発表資料の抜粋を掲載します。
石仏勉強会(2024年9月「取手周辺の石仏」)の資料から:ここをクリック
9月21日(土)、秋の彼岸の日、10月の取手周辺の石仏見学会に向けて、事前の勉強会を開催しました。
利根川をはさんで千葉県に相対する取手付近には、元は下総国の一部でありながら、現在の千葉県内では見られない像容の疱瘡神像が見られるなどの特徴があり、以前より事前調査を行っていたところ。
今回は、その一部が紹介されました。当日の資料から抜粋して以下に示します。
石仏勉強会(2024年7月「如意輪観音」)の資料から:ここをクリック
7月8日、千葉県内に熱中症警戒が出されていた中、勉強会には21名の皆様にお集まり戴きました。講演者の軽妙かつ内容の濃い話と、活発な質疑が行われ、盛況のうちに進行し、猛暑が一息ついた17時前に散会となりました。以下、講演者にご準備戴いた資料から抜粋して掲載いたします。
1.如意輪観音の姿と形
心覚の著した『諸尊圖像』に示された如意輪観音の姿形を、日本最古と言われる石山寺如意輪観音像(部分)や、日本三大如意輪観音像、等の現存する仏像を見て、どのように表現されているか、そのバリュエーションが解説されました。
2.観音霊場の歴史と信仰
坂東三十三観音霊場の中から、千葉県内にある七か所の縁起をもとに伝承や信仰の歴史を辿りました。西国や四国霊場には如意輪観音を本尊とするところがありますが、坂東霊場には無いそうです。しかし、西国三十三観音霊場の「写し」が県内に複数あるそうです。また、講演者は、成田の滑川観音の「船に乗る観音の御影」に触れ、同様な船に乗る仏や菩薩の図像に興味を持たれているとのこと。ご存じのものがありましたらお知らせ下さい。
(千葉県内の坂東三十三観音霊場については、例えば、https://bandou.gr.jp/area/tiba/ より参照できます。)
3.女人講の石仏―如意輪観音から子安さまへ
講演者が持つ北総地域の膨大な女人講の石造物資料から、如意輪観音像と子安観音像の変遷を辿りました。17世紀後半から19世紀前半には如意輪観音像が供養塔や女人講(十九夜講)の講塔として製作されていたが、20世紀には作られなくなったこと、当初は石祠により祀られていた子安様が、19世紀後半になると赤子を抱く子安観音像の形で製作され祀られるようになって、現代にも続いている状況が紹介されました。
本会では、これまでに「房総の石仏百選」「続 房総の石仏百選」の二冊を、たけしま出版より刊行しています。
現在、三冊目となる「房総の石仏 新百選」の刊行に向けて、掲載物の選定、検討を行っています。
房総の石仏百選
続 房総の石仏百選
本会では、継続的に会員を募集しています(千葉県内外は問いません)。
石仏見学会、勉強会、等の本会イベントに参加されたり、出版物をご覧になって、興味を持たれた方は、お問合せ下さい。
2025年4月時点での年会費は¥3,000です。
#お問合せ情報の扱いについて#
お問合せ戴いた方の、メールアドレス・氏名(ニックネーム含む)・お問合せ内容、等の情報につきましては、お問合せへの回答・本会からのご案内に使用、およびお問合せ戴いた記録として本会事務局内で保管させて戴きます。これ以外の目的では使用いたしません。
§本ページ内の写真、図表、文書、等、コンテンツの無断利用を禁じます§
# 試行版 更新履歴 #
2023年7月15日 試行版公開
2023年7月25日 更新履歴追加、会誌INDEXをPDFファイルから画像に変更(Googleへのログインを不要とするため)
2023年8月12日 「はじめに」「定期刊行物」「会員募集」の文言を修正。会誌29号発行に伴い当該号の目次を追加。「会員の皆様へ」を追加。「過去の見学会記録から」を追加。
2023年8月31日 「お問合せ情報の扱いについて」を追加。
# 正式版 更新履歴 #
2023年10月1日 正式版公開
2023年10月29日 勉強会の予定を更新。検索結果を考慮しヘッダーを変更。
2023年11月17日、24日 「会員の皆様へ」の内容を更新。
2023年12月20日 「はじめに」の文言を修正。「房総の石仏」目次、更新履歴をクリック表示に変更。石仏勉強会、石仏見学会、石仏見学会の記録から、「会員の皆様へ」の内容を更新
2024年1月20日 「会員の皆様へ」の内容を更新
2024年2月18日 石仏勉強会、石仏見学会、の内容を更新
2024年2月23日 「会員の皆様へ」、石仏勉強会、の内容を更新。「石仏勉強会の資料から」を追加
2024年3月15日 表紙に 活動NEWS 欄を追加、「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。
2024年3月18日 「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、会員募集、の内容を更新。
2024年3月25日 活動NEWS 、石仏見学会、過去の見学会記録から(3月24日分に置換)、の内容を更新。
2024年4月27日 「はじめに」の文言を修正。活動NEWS 、石仏見学会、過去の見学会記録から(4月26日分を追加)、の内容を更新。
2024年5月21日 石仏ゼミナール欄を追加。「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。
2024年6月10日 石仏見学会:6月10日実施予定分を中止に変更。
2024年6月25日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏勉強会、の内容を更新。
2024年7月 9日 活動NEWS 、石仏勉強会、の内容を更新。「石仏勉強会の資料から(7月8日分)」を追加。
2024年9月27日 タイトルバックの写真を変更、活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏勉強会、の内容を更新。「石仏勉強会の資料から(9月21日分)」を追加。
2024年10月14日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。「過去の見学会記録から(10月12日分)」を追加。
2024年11月11日 活動NEWS 、石仏ゼミナール、の内容を更新。
2024年12月3日 活動NEWS 、石仏ゼミナール、の内容を更新。
2024年12月24日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏ゼミナール、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。「令和6年度石仏ゼミナールから」 を追加。
2025年1月20日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」の内容を更新。
2025年2月22日 活動NEWS 、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。「石仏勉強会の資料から(2月21日分)」 を追加。
2025年3月17日 石仏見学会、の内容を更新。
2025年3月25日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏ゼミナール、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。「過去の見学会記録から(3月22日分)」 を追加。
2025年4月7日 石仏見学会、の内容を更新。
2025年4月28日 活動NEWS 、石仏見学会、会員募集、の内容を更新。「過去の見学会記録から(4月26日分)」 を追加、「過去の見学会記録から(3月24日分)」 を削除。
2025年6月3日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。
2025年6月30日 「会員の皆様へ」、石仏勉強会、の内容を更新。
2025年7月8日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。
2025年9月16日 活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏見学会、石仏勉強会、の内容を更新。「石仏勉強会の資料から(9月15日分)」 を追加。「石仏勉強会の資料から(2024年2月22日分)」 を削除。
2025年10月1日 タイトルバックの写真を変更、活動NEWS 、「会員の皆様へ」、石仏ゼミナール、石仏見学会、の内容を更新。
2025年10月7日 活動NEWS 、石仏見学会、の内容を更新。「過去の見学会記録から(10月4日分)」 を追加、「過去の見学会記録から(4月26日分)」 を削除。
2025年10月30日 「会員の皆様へ」、石仏見学会、の内容を更新。
2025年11月17日 活動NEWS 、石仏ゼミナール、石仏見学会、の内容を更新。「過去の見学会記録から(11月14日分)」 を追加、「過去の見学会記録から(10月12日分)」 を削除。