田園調布に住んでいたころは、風邪をひいたり、元気がないとき、隣駅の自由が丘まで歩いて、決まった蕎麦屋で卵とじ蕎麦を食べることにしていた。そうすると治ると、自分内ルールで決まっていた。蕎麦屋で飲むことにハマっていたが、卵とじ蕎麦なんて食べたことがなかった。自由が丘のその店は日本酒をビタビタやりたくなるような粋な店ではなく、清潔で大バコな町蕎麦屋だったから、たまたま具合が悪いときに入店して、たまたま頼んだメニューに助けてもらったのだろう。後日、お礼参りに訪問、天ぷらか何かで一杯やったが、がらんとした店内はやはり飲むのに適してはおらず、結局、体調の悪いときだけのお守りになった。躰は丈夫なほうであり、しかも若かったから、年に1回か2回のことだったのだが。
韓国料理屋がやけに多い赤坂に、ソルロンタンの店がある。正確に言えば、ソルロンタン以外の料理も多少あるのだが、一人客は決まってソルロンタン。ソルロンタン、と告げれば、自動的に定食になる。韓国料理でおなじみの、おかずというかおつまみが、少量多皿で供される。キムチやカクテキ、ごはんもついてくる。これで一杯やるために生マッコリを注文。ひしゃくで掬う生マッコリはかなりの量なので、店のおばちゃんから「ひとりで飲みきれるの?」というような怪訝な顔をされるが、毎回きちんと飲みきる。
一人飲みは嫌いじゃないが、食べるものがないと飲めないタチなので、普通の店では難儀する。頼めるのはせいぜい4品くらいで、あとは〆をどうするか考えなくてはいけない。お腹がいっぱいにならないよう順番まで考えて選ぶのが面倒くさいし、食べたいものだけ頼むと、酒と折り合いがつかなくなる。その点、この店は、なんの心配もない。一度に、あれやこれや10品くらい、どんと置かれる。ゆっくり一人でいさせてくれるし、ここでマッコリを飲んでいるときの時間感覚が好きだ。高い店ではないが、あえて大きな仕事を終えたときに行くようにしている。
一度、店にいるときにスマホの充電が切れたことがある。あの解放感は格別だった。軽く現世から切り離されることも、韓国のおばちゃんに怪訝な顔をされることも、いまこのときの自分をリセットすること。近々新著を脱稿する。約二時間ほどの気分転換が待っている。