寒かった。
セレクトショップで買った米軍デッドストックの黒コート、お気に入りのヤツを着てきてよかったと思った。ワードローブでは例外的にロングだったから。
これから、ここで寝なくてはいけないのだ。かろうじて室内だが、ブルーシートの上。躰が痛くなりそうだった。
電車が止まり、バスでここまで来た。だが、これ以上先にはもう進めない。電車は再開の見込みが立っていない。家までは歩ける距離ではない。家族の安全は確認できた。ここに泊まろう。
完成したばかりだがまだオープンはしていないオフィスビルの1階が、帰宅難民のために解放された。ケータイショップで初めてケータイを充電し、実家にも電話した。ほとんど空っぽのコンビニでアルコールを購入。チューハイだったかビールだったか。とにかく酒飲んで寝る構え。おにぎりも弁当ももうなく、乾き物をいくつか抱えながら、そこに戻った。
道すがら、震えていた。
寒かったからだが、妙に高揚してもいた。ホテル以外での初宿泊。半分路上。ハーフホームレス。最初で最後。だといいな。宿無しは一時(いっとき)だけにしたいものだ。
ぷしゅっと缶をあけ、あおる。やおら、隣のご婦人に話しかけられる。
ねえ、これ、デパ地下で買ったんだけど、一緒に食べない?
洋風のこじゃれたお惣菜たち。おそらく彼女が家族の夕食のために買ったそれを遠慮なくいただく。
なんか、お花見みたいですね。
そうね、昔は見ず知らずの人ともこうしてつき合ったものよ。
お惣菜と乾き物を彼女と一緒に食べ、二缶あけ、そろそろ寝ましょうか、おやすみなさい、とコートにくるまり、横たわると、電車復旧のアナウンスが流れた。
肩すかしをくらったような、中途半端なさみしさのまま、我が家に帰った。
寒かったせいか、その月に咲いた桜は綺麗だった気がするが、あの夜の記憶が脚色しているだけかもしれない。