友だちは少ない。

が、それをコンプレックスにおもったり、さみしく感じたりすることはない。

友だち100人もできたら、名前も顔もおぼえられないと、子どものころからわかっていた。

名前や顔をちゃんとおぼえられるような人だから、たくさんの友だちがいるのだろう。わたしは人の顔と名前を合致させるのがほんとうに不得意だ。

頻繁に酒を飲む相手はいるが、仕事上の付き合いがある人ばかりで、 別に「取引相手を接待している」感覚ではないが、はたしてそれは純粋な友だちと言えるのかどうか。「友だち」と「知り合い」の違いはどこにあるのか。境目はどのように設定されているのか。どうでもいいことをぼんやり考えているから自分は友だちが少ないのだとおもう。

いつの間にか、身のまわりの人たちがほとんど年下になった。自分が年齢を重ねたことよりも、周囲が年下ばかりという現実を受け入れられずにいる。わたしは、若い頃からずっと甘ったれの後輩体質なのだ。頼られるより、頼りたい。ずるいヤツ。だから、たとえば仕事関係の人から「年長者」として丁重に扱われると調子が狂う。向こうにとってはごく当たり前のことなのは承知しているが、どうにも居心地が悪い。

先日、息子と大差ない年齢の若者から面と向かって「友だちだと思ってるんで」と言われ、うれしかった。しかも初対面で。驚いたし、照れた。
仕事のつながりがあると言えばあるが、彼とそれまでのSNSメッセージでのやりとりは全くビジネスライクではなかった。
いざ、現実に顔をあわせることになった時、お互いいきなり武装解除して、のびやかに会話がバウンスした。彼はわたしに興味をもったし、わたしは彼に興味をもった。

それからしばらくして、男ふたりでアフタヌーンティーをした。
一応、インタビューだったが、わたしも彼も、それを仕事だとは感じなかった。
ノンアルコールであれだけ長時間話しつづけたのは何年ぶりだろう。
しらふでおしゃべりができる。それが友だちってことなのかもしれない。
わたしはあの青年にまた逢いに行くだろう。