博愛と呼べる対象がある。カレーだけはそうかもしれない。


この世でいちばん好きな食べものはいちごだ。いちごもイチゴも苺もストロベリーも全部好き。名前も字面も響きも英語も大好きだ。だが「そのまま」以外は結構うるさい。加工しているものとか「イチゴ風味」には厳然と対処する。「いちごというのものがわかってない」とかなんとか我ながら傲慢な態度で臨んでいる。また、牛乳でつぶすとか砂糖を加えるとかコンデンスミルクをかけるとか、全部邪道である。あれらは「そのまま」ではないし、とても失礼な食べ方だと認識している。その一方で、いちごパフェには目がなかったりする。


ところがカレーに対しては寛容だ。カレーパンやカレースナックやカレー粉がかかっているだけの唐揚げとかそういうものにも優しく接する。「これはこれで美味しいよね」とかなんんとか、すっかり「いいひと」気どりである。とりわけカレーライスにはものわかりが良く、それぞれの長所を感知する。定食屋のも、学食のも、社食のも、蕎麦屋のも、とんかつ屋のも、専門店のも、エスニックも、映え系も、本格派も、辛めも、甘めも、キーマも、無水も、焼鳥屋の〆に出るのも、世界には美味しくないカレーライスなんて存在しないのではないかと思うほどカレーライスには多様性を認めている。みんな違ってみんないい。


唯一スープカレーにはやや懐疑的だったが、昨年、札幌の地元民に愛される鮭スープカレーで開眼。今年は自力で発見した函館のラムースープカレーに舌鼓を打った。流行ってるカレーも、忘れられつつあるカレーも、よい。カレーは我が子のように愛いやつだ。


あなたのいちばん好きなカレーライスは?

多くのカレー好きを困らせる難問にもすぐに答えられる。

水の入ったコップにスプーンが浸されて供されるカレーライスである。

かつてはそのようなカレーライスがあった。いまも何処かにあるはずだ。

郷愁ではない。なぜ、そのようなことをしているのか未だに釈然としていないところにも優位性があるが、濡れたスプーンで掬う行為には、なんとも言えぬ爽やかさがある。先日立て続けに訪れたビリヤニの名店では琺瑯製のスプーンにこだわりを見せていたし、スパイスカレー系は木製であることも多い気がするが、ことカレーライスにおいては謎に冷えたスプーンが食べ手を軽やかにしてくれると、ひっそりここに断言しておく。