成城学園前には映画の撮影所があり、よく取材に行く。駅からまあまあ距離があるが、歩くのが苦にならない。古くからの高級住宅街ということもあって落ち着きがあり、目に入るものが優しく、懐かしい。
何十年も通っているから、親戚の家に行くくらいの親近感がある。行きと帰りではルートを変えている。いつの間にか、そうなった。どちらの行程が距離として近いのかはわからない。なんとなく、しっくりきている。雨の日も、雪の日も、灼熱地獄でも、慣れた往路復路は心地が好い。

録音技師へのインタビューが上機嫌に終わり、編集者と別れ、ワイヤレスイヤホンを耳に。音楽を聴きながら駅に向かった。

不意に、元ラーメンズの片桐仁と令和ロマンの髙比良くるまを合わせたものの割り切れなかったような男の顔が飛び込んでくる。

誰だ?

片桐の人懐っこさと、くるまの狡猾さ。そのどちらもあるような笑顔が手を振っている。

わたしは人の顔が憶えられない。向こうが知ってても、こっちが見覚えがないということはよくある。

慌ててイヤホンを外す。

やっぱり、知らない相手だった。

ということは。

行商人である。キャッチセールスに引っかかっただけだった。

りんごを加工したものを車であれこれ売っているようだった。添加物なしなのだというスピーチを、向こうのペースに乗せられるまま聴いていた。なぜか悪い気はしなかった。人が好いだけでも、ずる賢いだけでもない、見知らぬその顔に、どうしてなのか安心していた。荷物にならず、保存もききそうな、小瓶のジャムを購入した。

すぐに開ける気はせず、数週間してから食パンに塗った。チョコレートのようにどす黒く、懐かしいりんごの酸味がした。原材料名は、りんご、りんご果汁。りんごは生まれ故郷のものだった。

あの道を帰るとき、このジャムではなく、片桐仁や髙比良くるまの顔を想い出すのだろう。これからを夢想するわたしは、たしかにリラックスしていた。