師匠と弟子は、同じ頃にそれぞれの店を出したのだという。師匠も初めての店である。そんな話は聞いたことがない。世界的にもめずらしいのではないか。
師匠はお菓子教室をひらいていた。弟子はそこに通った。伊豆・松崎町から東京・浅草橋へ。
いまでは松崎町にも浅草橋にも、同じ名前のお店がある。
本来であれば師匠の浅草橋が本店で、弟子の松崎町が支店ということになるかもしれないが、店名にそうした主従はなく、完全に同じ名前である。いさぎよい。
それぞれのモンブランをいただく機会があった。
まず9月に松崎町のモンブランを。まばゆく、とろける逸品だった。そりすべりをしているかのような、のどかな滑走。味わいは濃厚だが、クリームは軽快。粉雪を浴びるような栗のひかえめな輝きにオリジナリティが潜む。
10月に浅草橋のモンブランを。質実剛健。逃げも隠れもしない凛としたたたずまい。頂(いただき)という語感がふさわしい硬めのテクスチャに、オーソドキシーと誇りがはためく。抑制から醸し出されるノスタルジックな甘さにうなる。
両者のモンブランはかなり違う。しかし、異なるからこそ、浮かびあがる共通点がある。
いい意味で、食べ手に靡かない。媚びたり、すり寄ったり、そうした物欲しげな振る舞いが一切ない菓子。潔癖とも言えるし、悠然とも言える。
現在主流となっている、うっとりのベクトルにふっと背を向け、はっとする導きに賭けている。つまり、陶酔より覚醒。わたしはわたし、というような地に足のついた風情にも、わかちあっているものを感じる。
ル・グッテとは、おやつのこと。
師匠はなぜこのフランス語を選んだのだろう。
たかがおやつ、されどおやつ。
シンプルでかわいらしい店名だからこそ、ふたりの、決してこちらをそらさず見据える眼光がケーキを通して伝わる。
そのありようは、右目と左目。どちらが中心でもない。どちらも対等。
両目で初めて見えてくるものがある。
ふたりのル・グッテは、甘くない真実を教えてくれる。