カウンターだけの店が好きだ。
メニューの少ない店が好きだ。
そんな店に一見の客として行くことが好きだ。

雨の土曜日、「ぎょうざの店 龍園」を初訪問した。
京都・二条の駅から歩いて10分はかかる。傘をささずにめざした。
ずぶ濡れになりながら入店。

怪訝なまなざしはない。「大丈夫?」というようなお愛想もない。
自分が知っている京都らしさともまた違った硬質でフラットな肌合いが心地よい。
L字型カウンターのコーナー部分に着席するよう無言で促される。カウンター好きにとってはポールポジション。はやる気持ちを抑えつつ、落ち着いてるふりをしながらゆっくり座る。厨房のすべてが見わたせる。

見たことのない旧式の手動機械で餃子の皮が潰し伸ばされている。手打ちパスタのようだ。
それが茶筒の蓋のような金属で、リズミカルにカットされていく。もちろん人力。

この作業を担当する女性よりは若いとはいえ、初老といってよいもうひとりの女性が餃子を焼き、そのあいだに他のあらゆる料理を作っている。餃子用の鉄板にもやはり初めて見る鎖つきの蓋が備え付けられており、古風な恐怖映画の趣さえある。こまめに取り替えられる中華鍋は磨き込まれている。プロが使いこなす強い火力に見惚れる。

ぎょうざ、天津麺、天津飯、やきめし、ラーメン、玉子スープ、そしてビール(中)。これが献立のすべて。ぎょうざ、天津飯、ビールを頼んだ。

静かな店で一見が気をつけなければいけないのは、向こうが注文をとるまでじっと待つこと。客のペースではなく、店のルールを優先するべきである。「龍園」の静謐をぶち壊すことは、この店の味わいを破壊することに等しい。京都の美徳のひとつに、無言の強制力がある。それは町中華であってもなんら変わることがない。

ビールを出すタイミングも向こう次第。若いほうの女性は料理の手があけば、すぐに年長の女性との餃子作りに参加する。どんぶりに大量に盛り上げられた餡を皮で包み込んでいく。餃子というより包子の風貌。

キリンラガー中瓶が到着した。きりりと冷えている。濡れた身体をビールが通過していく。餃子は焼き上がるまで時間がかかるから天津飯を先に提供する旨が通達される。

はい。そう答えながら、今まさに作られつつあるやきめしの様子に瞠った。これは美味しそう、ではなく、間違いなく美味しい。

カウンターだけの店で、考えた。
メニューの少ない店で、どのタイミングでやきめしを追加したらいいか思案した。
一見だからできる緊張が、わたしは好きだ。