春分の日、東京国立近代美術館で開催中の中平卓馬の写真展に行った。編集者から批評家、そして写真家になった彼の軌跡をたどる大回顧展。絶頂期に病に倒れ、回復し、また新たな作品を撮り始めた。
昏倒・記憶喪失とそこから再起した中平は記憶がなくなってしまう恐怖から毎日日記をつけた。四角張った文字で几帳面に記録する。毎日ほぼ同じ言葉を連ねる。
短い希望という名のタバコ。ショートホープの箱に赤色インクのペンで書かれた文字は乱れていた。
展示エリアの脇のスペースにある「眺めのよい部屋」から皇居を望む。石垣の向こう側にビル群。生い茂る木々のすき間で動くなにかがみえる。野鳥?小動物?動くそれを肉眼で追った。
展示を見終えると雨は上がっていた。竹橋を渡る。きらきらした春の陽光をあびながらお掘り沿いを歩く。神保町の中華店でビールと焼き餃子とメンマ。ハイサワーを飲み、ニラソバを食べた。
数日後、映画『四月になれば彼女は』を観た。エンドロールのクレジットに身近な人の名前が流れてゆくそのわずか数秒間。雨で黒く濡れたアスファルトの上を歩く。頬をなでる生ぬるい春の風。余韻に浸りながらハイボールを2杯飲んで眠る。翌朝は雨の音で目覚めた。毎年この季節、春の嵐がきた日にはロウ・イエの『スプリング・フィーバー』が観たくなるんだった。
スプリング・ハズ・カム。まだすこし眠たいけど、だんだんと意識が戻ってきた。3年越しの冬眠から目覚めた。強制的に断ち切っていた脳内のシナプスを再びつなぎ戻す作業。行き止まりで立ち往生していたニューロンたちは喜んでいる。麻酔から目覚めて手足の指先までの感覚がだんだんとわかるようになってゆくような感じ。そうした一つひとつのこと、そのすべてがうれしいのです。