カナヅチ、なのである。
高校1年の夏休み、学校のプールで水泳の補講を受けた。先生曰く、「25m泳げないやつは泳げるようになるまで特訓」らしい。
プールサイドでわたしの姿を見た同級生数人が、不思議な顔をしている。体育の先生数人が口を開けてポカンとしている。蝉の声だけが、やたら大きく耳に残った。
自分で言うのもなんだけど、100mを走らせれば陸上部より速かったし、ソフトボールは誰より遠くへ投げられた。垂直跳びや背筋力を測るとき、なぜか周りに人が集まってきた。先生たちや同じクラスの子から見たわたしは、「運動神経の良いやつ」。目の前の顔たちは、わたしのパブリックイメージの鏡。
少し背中を丸めながらプールに入る。見よう見まねで手足をばたつかせても、ちっとも前に進まない。
先生たちの声が飛んでくる。人間は浮くことになっているのだとか、全身の力を抜けだとか。
とりあえず言うことを聞いてはみたものの、どうやったら息ができるのか分からない。もがいていると、また身体が沈んでいく。
嘘つき。ちっとも浮かないじゃないか。
そうこうしてるうちに、プールの中にはわたし1人。どうやら25m泳げたら順番に帰れるシステムだったらしい。気づいた瞬間、暑さでうんざり気味の顔が目に入る。
誰かの唇が動いている。「なんでなんだろうなあ」
いや、それはこっちのセリフである。
「25m泳げるようになるまで特訓」は果たされず、いい大人になるまでカナヅチのままだ。
根気の足りないあの日の大人たちと自分に、「なんでなんだろうなあ」と今も時々問い続けている。