母が亡くなって半年が過ぎた。
最初の3ヶ月ほどは気を張っていたのであっという間だった。
少しづつ寂しさを感じちゃんと悲しむことができるようになってくる。それからが受け入れて前を向く作業だ。
今私は5代目となる飼い猫との2人暮らしだ。
家の内と外を自由に行き来する半野良。名前は真っ黒だからくろっち。
私が甘えたい時にはそばに居ず、お腹が空いたり人恋しくなると寄ってくる。猫とはなんと自己中心的な生き物だろう。
しかし今の私にはその距離感が心地よい。割と淡白な我が家の家系にこれほどはまる生き物はない。
くろっちは8年前に他界した父と入れ替わるように我が家にやって来た。近郊に住む兄夫婦が駐車場で何日も泣き続ける子猫に根負けして連れてきた。先代猫を亡くし猫を飼うのはもう止めるつもりだったが、赤ちゃん猫の魅力に勝てる人はたぶんいない。
くろっちと1番長い時間を共有したのは母だ。
ソファの定位置に座る母の隣に気がつくとちょこんと座っている。お腹が空くとまず母に訴えた。母は赤ちゃんに話しかけるように声を掛け背中を撫でろとの要求には嬉々として応えていた。
母が亡くなってから少しの間、くろっちはその不在にとまどっているように見え不憫だったが、それも人間の思い過ごしかもしれない。
さて、私のハンドルネームはそのくろっちの大先輩の初代猫とその子供、たぬとろくに由来する。
狸のように丸い瞳だから、たぬ。
真っ黒だからくろをひっくり返して、ろく。
たぬは長い家出からふらっと帰ってきたように自然と我が家の猫に納まった。もう30年も前のことだ。
かつては飼い猫だったのだろう。お行儀がよく色々わきまえた猫だった。
甘えどころも無視どころも心得ていて大人なのだ。
そんな大人な猫が甘えてくれると嬉しさは倍になる。しかし思慮深げにじっとしていると何か見透かされているような気持ちになることもあった。
私達は皆たぬの掌で踊っていたのかもしれない。
ハンドルネームにたぬろくとつけたのは単なる思いつきだった。けれどその度たぬとろくに少しだけ思いを馳せることになる。
最近は特にたぬの思慮深げな瞳が、奔放な5代目くろっちと母亡き私を頼もしく見守ってくれているような気さえする。
深く考えずにつけた名前だったがここへ来て存在感が増している。