海の近くに住んでいる。
子供の頃は水着のまま浮き輪を抱えゴム草履で海まで走りそのまま海の飛び込んでいた。
海が好きだったというよりはそこに海があるからという感じ。
むしろ泳いだ後のスイカ、扇風機の前での昼寝。その時間の方が好きだった。
海に特別な思いはなかった。
海はそこにあるもの。
海は「生活」だった。
私の家は今は小さな可愛いカフェだが、前は祖父が興した小さな魚屋だった。
毎朝港に揚がる新鮮な魚を仕入れてはご近所さんが買い物籠を下げて買いに来る。
地獲れのしらすが揚がるとすぐに釜で茹で大きなせいろに広げて冷ます。
その中に混じっている小さなイカやタコをそっそりつまみ食いするのが子供達の楽しみだった。
小さな漁船を持つ元漁師が釣ったんばかりのイサギを1匹2匹売りに来る。新鮮なイサギの美味しさを知り尽くしているお隣さんがめざとく見つけて買いに来る。
ささっと白い身を薄く刺身に仕上げる。
売れ残った魚はすぐ干物にしたり家のおかずとして煮付けとなった。
なんと豊かな暮らしだっただろう。
いつのまにか漁船はめっきり減り今では魚屋は一軒も無くなった。
けれど海は相変わらずそこにある。
夕日に照らされてオレンジ色に染まる海は毎日眺めてもやはり美しい。
防波堤に座ってただただ波の行ったり来たりを眺めることもいいものだと思える。
故郷が、住む場所が、海を抱えている。
とても素敵だ。