2年前の秋、母は大動脈解離で救急搬送された。

解離の場所が心臓に近く高齢のために手術は困難となりそれは宣告に近いものだった。

しかし母は奇跡的に一命を取り留め2ヶ月あまりの入院の末自宅に帰ってきた。

それからは毎日近所の旧知の友人たちが入れ替わり立ち替わり短く訪れてはたわいのない話をして帰っていく。それは何だか皆んなが母と長いお別れをしているみたいで私は密かに感動していた。


それから先日息を引き取るまでの2年。母はほぼ日常を取り戻した。


自分の家族を持たなかった私はたぶん人より母に依存していた。

2年前に病に倒れた時、本当に何かをもぎ取られたようだった。あの時母が居なくなっていたらと思うと今でも少し怖い。

毎晩泣いてばかりいた。


再発の危険を抱えて戻ってきた母との日々は再発の不安と背中合わせだったが、もう一度母と日常を共有した日々でもあった。

それは好きな韓国ドラマを観、花をいじり俳句を作る、静かな変哲もない日常だ。


そして失ってみて思うのだ。

もしかしたらこの2年間は、母が私に、そして神様が母と私に授けてくれた長いお別れだったのではないか。と。