“人生で必要不可欠なもの”、”あらゆる伝達手段”。
現実には人生において幅を利かせている言葉。人生で苦しんだのもこれほど愛おしいものもない。言葉は今の自分を形作る大事なパーツだ。
”不在によって形作られた私”という逆の意味でとても大きな存在なのである。
日本人であるはずが、幼い自分にとって日本語のまとう感情や空気感はなぜか受け皿の見当たらない、まるで空白だった。忘れんぼの私は言葉のルーツをどこかに置いてきたのかもしれない。
ともあれ、物心ついてからだいぶ遅れて必死に日本語を習得する際に、体の使えるもの全て使ったおかげで五感など目・耳から入る情報にすっかり敏感になってしまった。
そんな怪我の功名と持ちつ持たれつ、苦手だからこそ私を支えているコツがある。
人生の大半を占める言葉は「会話」ではなかろうか。相手がいて初めて会話のやり取りは意味を持つ。
けれど、なかなか正確に捉えきれないのが正直なところ。言葉だけで伝え切れるものではない。会話では伝えきれない私の助けとなっているのは、その人からはみ出るものだ。
それは一瞬の不自然な間だったり、興味なさげな顔で見せた会話の後の目の輝きだったりする。それが、その人の言葉と結びつく。
人の言葉の意味をわかるにはオンタイムでは難しい。その人に流れている時間に起きる変化を見逃さないのがコツである。
私が好きなのは、見え隠れして表れる態度と合わせて初めて意味をなす、下手でこじらせようが全体で伝えたがってる言葉だ。
何気ない会話すら私には結晶。
ヘドロから一つ一つ骨格や言葉にまつわる感情を洗い出し、手探りで相手に発見してきた結晶こそが私にとって言葉なのである。