ひとりでいるのが好きだ。

これはほぼ性格みたいなもので、生涯変わらないと思う。

だが、私がひとりの沼にズブズブと沈まずにいられるのは、人が好きだからだ。


陽の光を知らずに7年過ごし、やっと地上に出てきて鳴きまくる蝉の気持ちがわかるくらいには地中にいた。

ストレスが抱えきれなくなると体調に出てくるものだが、体も気持ちも横たわった体勢でいるとなおさら加速するのが、愚痴や不安や嫉妬である。

けれど体内時計が狂ってくる頃、不穏に浸りたい気持ちに飽きると明日のことなどを思った。

すると、ちょっと前に勝手な不満と一緒に浮かべていた面々が、こちらを振り返り笑いかけているよう。

今度は泣けてきた。

私がひとりで無理やり進もうとしていた時以外は、みんなそれぞれに親切なのだった。

弱っている時に我に帰る気がするのは、進行方向でない方向に思いを巡らす時間があるからだと思う。

そんな自分に白旗をあげていた時間が、人の長所に目が行く習慣になって昇華した。


弱音を上げて壊れるものは何も無いと知ってから、誰にでも教わりまくっている。

駆け込んだ先の車両で紳士からご心配とお叱りを受け、水筒から中身が漏れてると上りエスカレーターで年下女子に指摘され、インド人スタッフからコンビニレジの支払い方で流暢に突っ込まれる。

誰彼かまわずお世話になっている日常である。

そして、誰彼かまわず感謝している日常だ。


マイナスからプラスに変わる瞬間を1つでも多く体験する。

誰かの存在が間に入ることで変わる感覚は、私には平衡感覚を得るこれ以上ないコンパスなのだ。