今年70歳になる父が昨年から体調を崩し、三輪素麺の自営業を廃業した。井筒監督と同い年で老け込むには早いが、今は一日中テレビを観ている。廃業届を出したわけではなく、営業していると思って他府県から買いに来てくれたお客様には母親が涙ながらに謝る。父の病気の原因はわからない。医者嫌いで部屋から一歩も出ない。家に来訪し、病院で検査するようにわざわざ説得に来てくれた常連さんもいた。

「再開してくれはるの待ってますよ。松田さんとこの素麺がないと夏が寂してくてなあ」。父の素麺は物心ついた頃から食卓にあった。それをこんなに楽しみにしてくれる人がいる。歳のせいか、失くしてから気づくことが増えた。

涼風を待つ夕暮れ、提灯に灯りがともると祭囃子がきこえてくる。耳をすませばヒグラシの声。当たり前にあった祭りの風景も日常から姿を消しはじめた。実家の目の前、仏教が伝来した大和川で灯籠を流した万葉まつりも今は形を変え、桜井市役所の前でキッチンカーが並ぶ秋祭りに変わった。

今年、4年ぶりに神楽坂の阿波踊りが復活する。5年前に編集者の上司と女性ライターが誘ってくれた。すべての組合連のパレードが終わると沿道の観衆が坂になだれ込んで、全員で阿波踊りを踊る。数分間だけ名前も知らない人と一緒に手を叩き、飛び跳ねる。一瞬の出逢いと別れ。夜が明ければ新しい日常が生まれる。子どもの頃から提灯や河に流す灯籠は火葬に見えた。どこか死を感じさせる夜祭りの匂いが好きだった。