この世にオギャアと生まれた人間は誰と出会うか、それ以外に意味はない。だから俺たちは都会で生きている。7年前、上京直後に聞いたセリフ。いまならハッキリ自分で言える。


『レヴェナント:蘇りし者』が公開されたのは2016年の4月。熊に襲われたハンターのヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)が、殺された一人息子の復讐のため、瀕死の状態から蘇るストーリーだ。


ヒュー・グラスは真冬の川に入り、魚を掴んでそのまま頭から食いちぎる。バファローの生肉をかぶりついては嘔吐し、瞳孔を開いては再びかぶりつく。そして馬の死体をナイフで裂き、内臓をえぐり出し寝袋にする。


強烈な生(せい)に屈した脳は「すごい」「最高」という最低の言葉しか生み出さず、悶々としたままTOHOシネマズ新宿を去る。そして帰宅してパンフレットを開いた私は、さらなるショックに打ちのめされる。


あるライターがヒュー・グラスの復讐を「鮭の遡上」に例えたのだ。この映画は「生まれ直し」を描いていると。


たった2つの比喩にぶった斬られた。日本語は日本刀だと思い知らされた。私が持っていない「表現からの自由」を突きつけてきた。ライターに真っ二に裂かれた瞬間、レヴェナントは私の細胞になった。


半年後、登山家の撮影隊としてエヴェレストの標高5500mにいた私は重度の高山病におちいる。身体中から酸素を奪われ、真夜中に目が覚めて血液の酸素濃度を計る。


18。フルマラソン完走直後の酸欠状態でも40だ。もはやエースナンバーは遺体と遜色なく、医学的にはとっくに死んでいる。それでも三途の川を渡らず、すぐに水を6リットル飲み干し、腹式呼吸を繰り返すことで蘇生した。


翌朝、テントを開けるとそこは半年前にスクリーンで見た雪原の荒野。あのとき、ひとつのレビューが細胞に連結させたことで、医学を超えることができた。生まれ直すことができた。それ以外に答えはない。


令和元年、ライターは文章教室を始め、私たちは合流する。日本という河を泳いでいた私は、再び捕らえられた鮭となる。


釣り人の名は相田冬二。月に数回くり返している出逢いは、自我を研ぎすまし、本当の自分をすくい上げる2人の勝負である。


ヒマラヤで命を拾ってから3年、自分を産み落とす旅が始まった。