令和4年の2月2日、ある映画監督のデビュー作がリバイバル上映された。2日前の深夜0時、チケットの発売開始と同時に予約。銀河でいちばん好きな監督のアニバーサリーを祝福しようと、リモートワークのカラオケ館から会社を早退して向かう。


20年前の2002年2月2日、公開された唯一の映画館である下北沢トリウッドは、商店街の路地裏に佇む45席のミニシアター。当時は初日から行列ができたらしいが、上映30分前の19時に着くとチケットが残っていた。


入り口でQRコードを提示すると、1枚のA4用紙を渡される。上映後、監督がサプライズで舞台挨拶を行うが、ファンが押しかけないよう終わるまでSNSでシェアしないで欲しいという注意書き。


25分の短い上映が終わり、いよいよ舞台挨拶。監督の話のあと、4人限定で質問できると大槻支配人からアナウンス。このチャンスを逃してたまるかと、最後列から勢いよく右手を挙げる。全員が黒い服のなか、ヤンキースの真っ白なジャージが目立ったのか、女性2人のあと3人目に指名された。


ガチガチに緊張し、声を震わせながら訊いた二つは「どちらも20年間で初めての質問です。作った自分でも気づきませんでした」と褒めてもらった。


「この作品は自分で木を切って組み立てた、ささやかなログハウスです。自分の中から自然と出てきたものだけを詰め込みました。いまは1カット1カット理論武装しないといけないので、初期衝動だけでつくれたのは幸せでしたね。ひとつのシーンが完成したときの高揚感は、この20年間のエンジンになっている気がします」


作風や規模が変わったと言われるが、それは表層的なもの。監督は今も大人への入学式を拒否する少年だ。わずか5分間だったが、新海誠の無意識のこえが聴こえた。