生まれて初めての記憶は「絶望」だった。母親が運転する赤い軽自動車、ホンダのシティの後部座席に揺られている。
車に乗ると必ず寝てしまう質でこの日もウトウトしていたが、突然なんの前触れもなくパッと飛び起き「あ、いま物心がついた!」と叫んだ。今でもハッキリ覚えている。ハンドルを握る母親が二度見したが、聞き間違いと思ったのか何事もなかったようにアクセルを踏んだ。
到着したのは4年前に開園したばかりの綺麗な園舎。桜井女子短期大学付属幼稚園という仰々しい名前で、小高い丘にあった。3歳のガキには幼稚園が何かもわからず、まさか来月から自分が通うとは思わない。
三輪山の麓にある実家の番地は601〜605まである広さで。子ども同士なら野球ができる。遊び相手は双子の弟がいたので、ずっと家で走り回る日々。「世間知らず」は自分のためにある言葉だった。
母親から「みんなと仲良くするねんで」と言われても、なに言ってんの? 園長先生に園内を案内されても、そもそも「通う」という行為を理解していない。
退屈な手続きが済み、やっと帰れると思ったとき事件は起こった。ちょうど音楽の授業中で、全員大声で何かの童謡を歌っている。『ドラゴンボール』や『北斗の拳』『キャプテン翼』のアニソンが聴覚だった自分にとって、なんてダサい歌を歌うのか!と戦慄が走った。ジャージ姿の女先生の指揮に合わせ、北朝鮮の軍隊のように全員が同調。自分のワガママを押し通すバカ殿様で育ってきた自分とって、それは恐怖の世界だった。その瞬間、自分がここに放り込まれることを理解した。
三つ子の魂百まで。37年経った今でも会社にスポーツ雑誌や寝袋など大量の私物を持ち込み、好き勝手に寝泊まりし、仕事をサボっては映画や野球を観に行き、緊急事態宣言中には立ち入り禁止の山に登るわと、コンプライアンス全無視の自分は社内から「魔人ブウ」「前世は爆弾」と呼ばれている。
それもこれも、物心がついた3歳のあの日。自分の殻に亡命する生き方を選んだ魔人ブウは、不惑を迎えても大人への入学式を拒否し続けている。