自分の眼で見たもの、耳で聴いたものしか意見を言わない。
ノンフィクションの本やドキュメンタリーを見ても脳が「事実」と認識しない。歴史の授業は好きだったが、フィクションとして楽しんできた。
今、ロシアやウクライナで起きていることも現地に行かない限り「戦争反対」を叫ぶことはない。人命が失われることは痛ましいが、だからこそ「情報」によって語りたくない。
生まれつき何かが欠如しているのだろう。了見が狭い。人間は情報をもとに「感じる」ことができるし、眼に映らないものを見たい。しかもライター、編集者として情報を届ける仕事をしておきながら矛盾しまくっている。
偏向を自覚したのは6年前、登山家のエヴェレスト遠征に同行したときだ。彼はアンチが多く、山岳協会やメディアから登山スタイルを批判されていた。だがそれはネットの情報や遠征スタッフに取材して書かれたもの。登山家に同行し、自身の眼で確かめたものは皆無。正しいか間違いかではなく、現場にいた自分には「批評」ではなく「陰口」にしか聞こえなかった。
エヴェレストから帰国した翌日、TOHOシネマズ新宿で『ハドソン川の奇跡』を観た。トム・ハンクス演じる航空パイロットが、事故に巻き込まれた機体を独自の判断でハドソン川に不時着する。最初は乗客の命を救った英雄になるが、次第に不時着の判断が危険だと事故調査委員会から疑われ、取り調べを受ける。
現場にいなかった者から好き放題、非難を浴びる姿が登山家に重なった。映画館を出るとき、自分で見たもの以外、沈黙を貫くと決めた。
登山家は4年前に亡くなり、その後も毎年のように本が出版されている。中には高名な賞を受けたものもあるが、耳を貸さないようにしている。自分はこれからも、半径3メートルの宇宙で生きていくだろう。