北新宿のアパートを出たとき、南の空にヘリが飛んでいた。22時31発の総武線で大久保駅から千駄ヶ谷に向かう。


閉会式直後の22時44分、新国立競技場をスタート。本来のマラソンコースである42.195キロを走る。


新国立競技場(オリンピックスタジアム)~富久町~市ヶ谷〜水道橋~神保町~神田~日本橋~浅草雷門~銀座~増上寺、同じルートを折り返し、新国立競技場へ。


幻となったコースを走ることで、何かかが変わるわけではない。何かを変える気もない。ただ東京オリンピックという空白を獲得する。


千駄ヶ谷駅は見物人で溢れ返り、警備員は声こそ優しいが殺気立っている。オリンピックスタジアムはコロッセオのような威圧感。とても近づけず、東京体育館前から駆け出す。


人並みをかき分け、富久町から市ヶ谷へ。前夜の大雨を飲み込んだアスファルトはサウナのような蒸し風呂。7年前、旧国立競技場の解体時にもらった記念の赤いハンドタオルもスポンジのように汗を吸う。


日付変更線をまたぐと同時に蔵前へ。飛び込んで来たのはTOKYO to PARISの電光掲示。トリコロールのスカイツリーは3年後に背伸びしていた。買ったばかりのナイキの赤いランニングシューズ・ペガサスにつぶやく。


翼よ、あれがパリの灯だ。


2時間23分かけて浅草雷門に着くと、ナイキのApple Watchは深夜1時17分を指していた。真夜中のイカロスの孤独をぬぐってくれるのは20m間隔で光る自動販売機だけ。静寂のTOKYOで自分と自販機だけが呼吸をしているようだ。


2時45分、増上寺を通過。天に伸びるインフィニティ・ダイヤモンドヴェール。268台のLEDに包まれた東京タワーを見上げる。やっと逢えた。自分だけの聖火。ひとりぼっちの閉会式。もう走る気力はなかった。


4時55分、夜明けとともに6時間11分の旅を終えた。東京体育館前で缶コーヒーを手にした笑顔のマスコミとすれ違う。数人の警備員は怪訝な目でこちらを睨んでいる。いいんだ。なんとでも思え。朝日に祝福されたオリンピックスタジアムは、前夜より小さく見えた。