2014年2月9日、代官山で獣を見た。雪ヒョウだった。
記録的な豪雪に見舞われた夜、肩の雪を払いながら近づく160センチの影。
黒のフリースに目深にかぶったフード、真っ黒に日焼けした頬を覆うマスクの上には、今すぐヒマラヤに挑むような眼光。
雪ヒョウの名は栗城史多。単独・無酸素・生中継で7大陸の最高峰に挑む登山家。手の指9本を失った凍傷の痕は、野生よりも野生を放っていた。
トークショーのボランティア・スタッフである私は挨拶もできず硬直。登山家もいちべつしただけで、また雪を払いながら控え室に消えていく。
「この登山家の本をいつか書く」。根拠のない確信に握り拳をつくった私は、トークショーの内容は一つも頭に入らない。
70人の観客がいなくなったあと、スタッフを見送る栗城に近き、「松田と申します。今はただのニートですが、いつかあなたの本を書きます」と電話番号とメールアドレスだけの名刺を手渡した。
訳のわからない宣戦布告に登山家は驚いた様子もなく、「うれしいな!僕もニートでしたよ。松田さん、頑張りましょうね!」と親指だけの右手を差し出し、やわらかく握手。
「Solo challenge 7 summit」と赤で刻字されたブルーの名刺を渡され、右手をブンブン振って見送られた。
「メールマガジンを始めます。ライターをやってくれませんか?」
栗城からメールが届いたのは講演の3日後。
2016年には世間からバッシングを受けながら、高山経験のない私をエヴェレストに撮影スタッフとして連れて行く。その2年後、栗城はエヴェレストより高い場所に独り逝った。
雪ヒョウの眼に襲われたのはあの一夜だけ。私は幻を見ていたのだろうか。