7人きょうだいの末っ子である母の家系は代々、大阪でお茶屋さんを営んでいた。空襲で奈良に逃げ、そこで母が生まれて三輪素麺を営む父とお見合い。戦争がなければ僕はこの世にいない。戦争を否定すれば自分の存在の否定になる。
だからというわけではなく、昔から戦争に反対したことがない。他人の情報は信用しない、現場に行かないと判断しない。だから賛成も反対もできない。祖母は戦争で兄を亡くしているが恨み節は一度も言わなかった。小学生のときは戦争ごっこでよく遊んだ。著名人が戦争反対を表明するたび、ロバート・キャパのように現場に行ってから言えよと腹が立っていた。
小学六年生の修学旅行。広島で原爆を受けた男性に質問した。「戦争が終わったと聞いた瞬間、どんな気持ちでしたか?」「ほっとした気持ちはあったけど、負けた悔しさが強かったね」。せっかく怖い戦争から解放されたのに悔しい?小学生にはピンとこなかったが、今ならわかる。
僕は平和活動をしている人を支援している。立命館大学の先輩でmウガンダの地雷撤去のNPO活動をしているひとに毎月千円だけサブスクで寄付。1年12,000円。8年間で十万円ちょっと。それが平和を望む心がない僕のすべてだ。