生まれて初めてヒトに会ったのは母親の胎内だった。記憶はないが思い出はある。
8分早く生まれてみたけれど、自分を兄だと感じたことは一度もない。世界が勝手に一卵性双生児と呼んでいるだけ。いちいち説明するのが面倒くさいので「ふたご」という体で36年間生きている。
親は三輪素麺の職人。家の工場が広いからキャッチボールの場所には困らない。中学・高校から帰っても遊び相手は弟。人生の半分以上が同じ時空、同じ価値観。これが永遠だと思ったこともある。
29歳で結婚した弟は奈良にマイホームを建て、3年後には長女が誕生。翌年には10年勤めた信用金庫を辞め、プルデンシャル生命の営業マンに転身。
29歳で故郷を捨てた兄は東京へ。職も捨て7ヶ月間ニート。都会で山に出会い、雪に再会し、ずっと雪山に取り憑かれている。3年以上、同じ仕事を続けたことは一度もない。
令和に入ると弟が淵に立つ。1年目はハワイで表彰されたが、営業成績は下がる一方。貯金を食い潰す毎日に、奥さんは今年いっぱいリミットを与え転職を迫っている。
たまに電話して様子を聞くが、すぐに話題は映画とアメフトに変わる。そして帰省したときの長女へのプレゼントの相談がすこし。
地上の山を登っている者にできることなど、何ひとつない。挑戦に対しては、おめでとうしかない。いつだってクライマーにかける言葉は一つだ。
ENJOY YOUR MOUNTAIN