同郷の著名人のイベントに行くと、必ず訊く質問がある。

「奈良で生まれ育ったことは人生にどう影響しましたか?」

全員が「えー!」と大きな声をあげ、苦虫を噛み潰したような顔に変わる。六本木のスポーツBARで村田諒太は両手でオーバーに頭を抱え、熟考のすえに「特にないんですよね…」と搾りだした。ジャイアンツの門脇誠は少し悩んだあと「平城京の鬼ごっこが僕の脚力を作ってくれました」と模範解答。

京橋の国立映画アーカイブ、井筒監督は「んん〜」と口を真一文字に結んだ。重たい沈黙に司会者が「次の方から映画に関する質問のみでお願いしますと」とフォロー。ようやく口を開いた監督は天井を見上げ「奈良にはなにも無いんすよ。ほんと何もない。ほんで高いビルも無いから帰って景色を見るとほっとする。そういう場所っすね」

お礼を伝えると司会者が次の質問者を探すなか、「だから僕はね。日本人じゃなく飛鳥人だと思ってますよ」と、ほほ笑んでくれた。

奈良県民ではない。あすかびと。井筒監督の言葉は何となく理解できたが、心を重ねることはできなかった。たまに帰郷すると好きな町に旅行に来た気分になる。Googleの検索で1位を取るための記事を書き、競合メディアと争う日々。新宿に戻ったときのほうがホッとした。摩天楼を見上げると、やってやろうと思えた。

まだ自分の中に飛鳥人はいない。モヤモヤを抱えたまま繰り返す帰省。姪や甥が物心ついて一緒に遊ぶようになると、別れ際に「次はいつ帰ってくるの?」と言われる。

この3年間で祖父母も父もいなくなり、実家は母親ひとり。近鉄電車の窓から大和三山や田んぼを眺めると、ガラス越しに「お帰り」を感じるようになった。幹線道路やコンクリートは増えてきたが、高いビルはまだ無い。

少しずつ少しずつ、飛鳥人に近づいている。答えはまだ出ていない。宿題を抱えて次も帰る。