父は毎日ほぼ定刻に帰宅する人だった。毎日時計のように正確に家に着く。外に飲みに行くのは年に数回程度。とにかく家での晩酌が大好きな人だった。そのために毎日最短で帰宅していたのだろう。いつも同じ席で同じコップで同じように瓶ビールを飲んでいる人だった。
そんな父の大事なルーティンが崩れた時があった。それは小学生の私の塾通いがあった年。父は夜遅くなる電車通いを反対していたけれど、私がどうしてもと譲らず夜8時過ぎに帰宅する通塾を1年だけすることになった。夜道を心配した子煩悩な父は週に2回、車で最寄り駅まで迎えに来てくれるようになった。塾を出て駅で電車に乗る直前に公衆電話で家にかけ、コールを2回だけ鳴らして切る。すると最寄り駅には必ず父のグレーのハッチバックがあった。時には幼い弟を一緒に乗せて待っている。規則正しい晩酌が大好きだった父には結構な負担と我慢だったに違いない。
本番近い冬の頃のいつものロータリー。車に乗ると弟は半分くらいになった肉まんを夢中で頬張っていて、父は私にホカホカの一つを手渡してくれた。真っ白な肉まんの裏の紙をペロンとはがして食べ始める。家で夕飯を温めて待っている母に悪いような気がして、家に着くまでにと私はいつも急いで口に押し込む。そんな夜が幾度もあった。
やがて塾通いが終わるとそのお迎えもなくなった。今は実家も引越をしてしまったし、肉まんの出店も駅前にはもうない。それでもあの駅にたまに行くことがあると、ロータリーには父の車がいるような気がする。幼い弟がリスのように肉まんをほおばり、私にもホカホカで真っ白な肉まんが待っているような気がする。あの当時、とにかく頑固で我の強かった私を受けとめて晩酌を我慢してまで寄り添ってくれた父。これからもあの駅に降り立つたびに私は思い出すんだろうな。
これでも私年を重ねてだいぶ丸くなったよ
大好きな晩酌を我慢させてごめんね
駅まで迎えに来てくれて本当にありがとう