青森県平川市を拠点に、どんな「困りごと」も力強く解決する『べんり屋Abot』。
この物語は、代表の阿保が、提携する架空のケアマネジャーたちと共に、制度の狭間に落ちた「地域の怪事件」に挑む、ノンフィクション風エンターテインメントである。
介護保険(フォーマル)だけでは救えない、ゴミ屋敷、庭のジャングル、そして不可解な噂……。 「便利屋」という現場の矛と、「ケアマネ」という生活の盾。 二つの力が合わさる時、津軽の街に小さな奇跡が起きる!
■阿保(あぼ)代表
(モデル:阿保誠也)
肩書き:べんり屋Abot(一般社団法人アボリジニ)代表
役割:183センチ、95キロの体格を活かし、不用品回収から庭木の伐採、除雪、蜂の巣駆除 等とりあえずはやってみる おじさん。
口癖:「あーあ、仕事来ないかなー」
特徴:投資家としての鋭い目で見抜くのは、現場に隠された「真実」。ただし、勢い余って鴨居に頭をぶつけ、たんこぶを作るのが日常茶飯事。
■黒平 弘子(くろひら ひろこ)
(架空の人物)
肩書き:居宅介護支援事業所Abot(架空)の主任ケアマネ
役割:阿保代表の良きパートナー。制度の壁に突き当たると、阿保に「保険外の特命」を依頼する。
性格:冷静沈着。阿保の「仕事来ないかなー」というボヤきを華麗にスルーしつつ、心底信頼している。
■鰐藤 田舎助(わにふじ いなすけ)
(架空の人物)
肩書き:べんり屋Abot スタッフ 兼 ケアマネ志望の若者
役割:阿保代表の助手。現場作業をこなしながら、黒平さんの背中を見てケアマネの勉強中。
性格:都市伝説や妖怪の話が大好きで、すぐ現場を「怪奇現象」に結びつけてパニックになるムードメーカー。
雨の平川市。 中古の軽トラック・サンバーの車内で、阿保は自分の手を見つめていた。 183センチの恵まれた体格に似合わず、その掌は驚くほど小さく、どこか繊細な職人のような印象を与える。
🔵 【阿保代表】 「(サンバーのハンドルをそっと撫でながら)……20年か。長かったようで、あっという間だったな。」
派手な役職や肩書きが欲しかったわけじゃない。ただ、20年という月日の中で、組織の理屈に縛られて「助けられない」と背を向ける瞬間に、心が擦り切れてしまったのだ。
🔴 【黒平さん】 「阿保さん……本当に、あんなに長く勤めた職場を辞めて、これからどうするんですか? 後ろ盾も何もない、このサンバー一台だけで……。」
助手席でバインダーを抱えた黒平が、心配そうに隣を見る。彼女は、制度の壁にぶつかっては立ち尽くしていた、現場のケアマネだった。
🔵 【阿保代表】 「(少しだけ口角を上げ、穏やかに笑う)後ろ盾なんて、最初からなかったようなもんさ。組織のルールで救えないなら、俺が勝手に動く。この小さな手でも、サンバーのハンドルは握れるし、誰かの家のゴミ袋を運ぶことはできるからな。」
🔴 【黒平さん】 「……本当に、お人好しなんだから。でも、その小さな手で、これまでどれだけの人が救われてきたか。私は知っていますよ。」
その時、サイドミラーに雨の中をがむしゃらに走ってくる影が映った。
🟢 【鰐藤くん】 「代表ーーーっ! 置いてかないでください! 僕、もう決めました。代表がその軽トラでどこへ行くにしても、僕が助手席を死守しますから!」
🔵 【阿保代表】 「……おいおい、鰐藤。安定なんて保証してやれないぞ。それでもいいのか?」
🟢 【鰐藤くん】 「最高っス! 綺麗なオフィスより、このサンバーの狭い車内の方が、ずっとやる気が出ます!」
阿保は小さく笑い、サンバーのエンジンをかけた。 1977年生まれ、40代後半。ここから始まる「二足のわらじ」の新たな挑戦。それは、安定を捨てて手に入れた、本当の自由への第一歩だった。
灰色の雲がまだ街を覆っていたが、雨脚は少しだけ弱まっていた。
平川市の外れ、田んぼ道に囲まれた小さなプレハブ小屋。その前に、白い中古のサンバーが静かに停まっている。ここが、阿保が立ち上げたばかりの事業所だった。 看板もない。郵便受けすら、昨日ホームセンターで買ってきて取り付けたばかりだ。
🔵 【阿保代表】 「……まあ、最初の拠点なんてこんなもんだろ。」
プレハブの鍵を開けると、湿気の残る空気がふわりと流れ出た。 中には折りたたみテーブルが一つと、安物のパイプ椅子が三脚。 壁にはまだ何も貼られていない。
だが、阿保はその空間を見て、どこか満足げに頷いた。
🔴 【黒平さん】 「事務所っていうより……秘密基地みたいですね。」
🟢 【鰐藤くん】 「最高じゃないっスか! こういう場所から伝説って始まるんスよ!」
阿保は笑いながら、テーブルに置かれた一冊のバインダーを手に取った。
そこには、黒平がまとめた“最初の相談案件”が挟まっている。
🔵 【阿保代表】 「……よし。事務所もできたし、最初の仕事に行くか。」
三人はプレハブを出て、サンバーの前に立った。 助手席には黒平、荷台には鰐藤。 それが、この事業所の“初期スタイル”だった。
平川市にある便利屋『Abot』の事務所。 窓の外では夕暮れが近づき、街は静かに夜の準備を始めていた。
🟢 【鰐藤くん】 「(スマホを眺めながら)代表、さっきの現場のビフォーアフター、SNSにあげたら結構反響ありますよ!『この草刈り機のライン、素敵ですね』ってコメント来てます!」
🔵 【阿保代表】 「(デスクでPCの画面を見つめながら)おだてるな。俺のこの手は、草を刈るより、繊細なゴミの仕分けの方が向いてるんだよ。」
🔴 【黒平さん】 「(コーヒーを淹れながら)ふふっ、相変わらずですね。でも阿保さん、その『小さな手』で救われる人がこの街にはたくさんいるんですから、自信持ってください。ね、鰐藤くん?」
🟢 【鰐藤くん】 「そうっスよ! 代表の分析は鋭いし、現場の判断は神がかってますし。……あ、黒平さん、僕の分のコーヒー、砂糖三つでお願いします!」
🔴 【黒平さん】 「甘すぎ。鰐藤くん、少しは健康診断の結果を気にしなさいよ?」
そんな軽口が飛び交う事務所に、一本の電話が鳴り響いた。 阿保が受話器を取ると、それまでの穏やかな空気が一瞬で引き締まる。
🔵 【阿保代表】 「はい、Abotです。……ええ、〇〇アパートの里美さんですね。……隣の木村さんの家に、不審な影が? 夜な夜なバケツを持って……?」
電話を切った阿保の顔から、笑みが消えていた。
🔵 【阿保代表】 「……仕事だ。鰐藤くん、サンバー出すぞ。里美さんの話じゃ、泥棒にしては物音が静かすぎるらしい。……黒平さん、あんたも一応、予定を開けておいてくれ。嫌な予感がする。」
木村邸を望む暗がりに、サンバーを停めて息を潜める二人。
🟢 【鰐藤くん】 「(ガタガタ震えながら)代表……やっぱり幽霊の類じゃないっスか……? 夜中の二時にバケツ持ってお宅訪問なんて……。」
🔵 【阿保代表】 「(サンバーのハンドルを握りしめ)……バカ言え。幽霊がわざわざ勝手口から入るかよ。里美さんの話じゃ、その影はバケツを持ってたらしい。泥棒がバケツを持って侵入するか?」
現場を自分の目で見て確かめる。それがAbotの流儀だ。 闇の中から、腰の深く曲がった小さな人影が現れた。九十五歳のトヨさんだ。彼女は迷いのない手つきで勝手口を開け、吸い込まれるように中へ入っていった。
二人は足音を殺し、勝手口の隙間から中を覗き込む。 そこにあったのは、凄惨なゴミ屋敷の光景。しかし、寝室の奥からは、トヨさんが親友・木村さんの体を丁寧に拭きながら、優しく語りかける声が漏れてきた。
👵 【トヨさん(95歳)】 「……ごめんねぇ、木村さん。今日はちょっと来るのが遅くなっちゃった。……さあ、さっぱりしようねぇ。」
その光景を目の当たりにした瞬間、阿保の鋭い分析が確信に変わる。
🔵 【阿保代表】 「(絞り出すような声で)……鰐藤くん、これは不法侵入でも妖怪でもねぇ。九十五歳の『老老介護』だ。……誰にも頼れず、夜中にしか友達を助けに来れない、一番厄介で、一番切ねぇ現場だぞ、これは。」
阿保は一度外へ出ると、すぐにスマートフォンを取り出した。
🔵 【阿保代表】 「……黒平さんか? 夜分にすまねぇ。……ちょっと力を貸してほしい。Abotだけじゃ、この二人の『絆』は支えきれねぇ……。」
翌朝。Abotの事務所には、昨夜の重い空気を引きずったままの阿保と、少し寝不足気味の鰐藤くんがいた。
🔴 【黒平さん】 「(目を丸くして)……えっ!? 九十五歳のトヨさんが、同じく九十五歳の木村さんを、夜中に一人でお世話してたってことですか?」
🔵 【阿保代表】 「ああ。現場を見たが、あのゴミの山は一朝一夕のもんじゃねぇ。トヨさんも自分のことで精一杯なはずなのに、友達の尊厳だけを必死に守ってたんだ。……黒平さん、これはAbotだけで片付けをして終わり、って話じゃないぞ。」
🔴 【黒平さん】 「わかりました。すぐ『地域包括支援センター』に連絡して、担当職員と一緒に木村さんの家を訪問しましょう。トヨさんの想いも尊重しつつ、ちゃんと公的なサポートに繋げないと、二人とも倒れてしまいます。」
🟢 【鰐藤くん】 「……代表。包括支援センターって、ぶっちゃけ何をしてくれるところなんですか?」
🔵 【阿保代表】 「いい質問だ、鰐藤くん。軍豆知識として覚えておけ。
※地域包括支援センターは、いわば**『高齢者のためのなんでも相談窓口』**。介護、福祉、健康、権利擁護(虐待防止など)まで、専門スタッフがチームで支える場所だ。
ここは全国的に、総人口2万〜3万人につき一箇所が設置の目安になっていて、ちょうど**「中学校の学区」**と重なるように担当が決まっている。
でも、彼ら公的な機関だけでは動くのも限界がある。そこで、福祉の専門知識を持ち、彼らと「共通言語」で話しながら現場を動かせるのがAbotなんだ。 制度の枠を超えて、実働部隊としてプロ同士の高度な連携ができる。それが私たちの最大の武器なんだよ。
サンバーの後ろに、包括支援センターの職員が乗った軽自動車が続く。 現場に到着すると、そこには昼間の光に照らされて、より一層凄惨さを増した「ゴミ屋敷」の姿があった。
🟢 【鰐藤くん】 「うわ……。昼間に見ると、さらにヤバいっスね。草も伸び放題だし、これじゃあ近所の人が妖怪と見間違えるのも無理ないですよ。」
🔵 【阿保代表】 「(草刈り機を降ろし、鋭い目で庭を見る)……よし、鰐藤くん。包括の人たちが中でおばあちゃんたちの説得をしてる間、俺たちは外回りの『環境整備』から始めるぞ。トヨさんがもう夜道で転ばないように、この伸び切った草を、俺の職人芸で道にしてやる。」
玄関先で、包括の職員と黒平さんが、恐る恐る声をかける。
🔴 【黒平さん】 「木村さん、トヨさん。こんにちは、お話を聞きに来ました……。」
中からは、昨夜の凛とした介護者の顔ではなく、ただ怯えたように身を寄せ合う二人の老女の気配がしていた。
木村邸の薄暗い玄関先。 黒平さんと包括支援センターの職員が、腰を落としてトヨさんの目線に合わせる。
🔴 【黒平さん】 「トヨさん。昨日の夜、阿保さんがトヨさんの頑張ってる姿を見て、すごく感動してたんです。……でも、九十五歳のトヨさんが、一人で全部背負うのは、木村さんもきっと心配しちゃいますよ。」
👵 【トヨさん(95歳)】 「(膝を抱えて)……役所の人に言えば、この子、どこかに連れて行かれちゃうんだべ? 離れ離れになるのは嫌だぁ……。」
トヨさんが頑なに拒んでいたのは、制度への不信感ではなく「親友と離される恐怖」だった。 その時、外から心地よいリズムのエンジン音が聞こえてきた。阿保代表が草刈り機を動かし始めたのだ。
🔵 【阿保代表(外から響く声)】 「トヨさん! ここの庭の草、綺麗にして道を作っとくぞ! これならトヨさんも、夜中じゃなくて昼間に堂々と遊びに来れるからな!」
トヨさんがハッとして、縁側の障子を少し開ける。 そこには、183センチの大きな体を折り曲げるようにして、繊細な手つきで庭の茂みを道に変えていく阿保の姿があった。
👵 【トヨさん(95歳)】 「……阿保さん。あんた、そんなことまで……。」
🔴 【包括職員】 「トヨさん、安心してください。離れ離れにするためじゃなく、これからも二人がここで笑って過ごせるように、私たちが『お手伝い』に来るだけなんです。トヨさんは今まで通り、木村さんの『一番の親友』として隣にいてあげてください。」
トヨさんの目に、ゆっくりと涙が溜まっていく。 「妖怪」として夜道を歩かなくていい。「泥棒」のように忍び込まなくていい。 ただの「友達」に戻ってもいいんだと、九十五歳の心にようやく言葉が届いた瞬間だった。
🟢 【鰐藤くん】 「(外で汗を拭きながら)代表……トヨさん、笑ってますよ。……なんか、僕まで泣きそうっス。」
🔵 【阿保代表】 「(草刈り機を止め、空を見上げて)……泣く暇があったら手を動かせ、鰐藤くん。次は家の中だ。トヨさんが木村さんとお茶を飲めるスペースを、今日中に作り上げるぞ。」
トヨさんの許可も降り、Abotの本格的な片付け作業が始まった。 阿保代表を筆頭に、鰐藤くんも鼻息荒くゴミの山に突っ込んでいく。
🟢 【鰐藤くん】 「よっしゃー! 代表、俺、この部屋を今日中にピカピカにしてみせますよ! トヨさんと木村さんの友情に免じて、フルパワー全開っス!」
🔵 【阿保代表】 「(マスク越しに)勢いだけはいいな。だが鰐藤くん、言っただろ。ゴミの中には『想い出』が埋まってる。適当に放り投げるなよ、俺のこの手で一つひとつ……」
阿保代表が、腐りかけた雑誌の山を繊細に動かした、その時だった。 ゴミの隙間から、**「カチッ……」**と、場違いに硬質な音が響いた。
🔵 【阿保代表】 「……ん? なんだ、これ。お揃いの櫛(くし)か? それとも昔の宝物か……?」
阿保代表がその「小さな手」で慎重につまみ上げたのは、鈍い光を放つ**『総入れ歯』**だった。しかも、上下セットで、完璧な噛み合わせを保ったまま直立している。
🟢 【鰐藤くん】 「(飛び退いて)うわぁぁぁ! 代表! それ、笑ってる! ゴミの中から入れ歯が笑いかけてきてるっス!!」
🔴 【黒平さん】 「(奥から駆け寄ってきて)ちょっと、何騒いでるの……って、やだ! 立派な入れ歯! 木村さんの!? それともトヨさんの!?」
阿保代表は冷静に、その入れ歯を顔に近づけて分析を始めた。
🔵 【阿保代表】 「……待て。木村さんは今、自分のをつけてる。トヨさんも、さっき泣いてる時に見えたが、ちゃんと入ってたぞ。」
一同、凍りつく。
🟢 【鰐藤くん】 「……じゃあ、それ、誰のなんすか!? 第三の妖怪!? 歯だけ残して消えた妖怪ババア第二号っスか!?」
🔵 【阿保代表】 「(入れ歯をじっと見つめ、鋭い分析を口にする)……いや、この摩耗具合、そしてこのポリデントの微かな残り香……。これは五年、いや十年前の『落とし物』だ。木村さん、予備で作って忘れてたのか、それとも昔遊びに来た誰かが忘れていったのか……。」
🔴 【黒平さん】 「入れ歯忘れて帰る人なんていないでしょ! 阿保さん、真面目な顔で分析しないでください、面白いから!」
結局、その「主(あるじ)不明の入れ歯」は、丁寧に洗浄されて木村邸の仏壇の横に神々しく安置されることになった。
一週間後。 木村邸の庭は、阿保代表の草刈り機によって、トヨさんが歩きやすい「友情の道」へと生まれ変わっていた。
家の中も、包括支援センターの職員が迅速に動いてくれたおかげで、状況は一変していた。訪問診療の先生が定期的に顔を出すようになり、介護申請も無事に通過。ヘルパーさんが入って清潔が保たれた部屋には、もう「妖怪」の噂が入り込む隙間なんてどこにもない。
サンバーを庭に停め、阿保代表、鰐藤くん、そして黒平さんが様子を見に訪れると、縁側から穏やかな笑い声が聞こえてきた。
👵 【木村さん(95歳)】 「(お茶を啜りながら)……トヨさん。あんたの入れてくれるお茶は、やっぱり一番だねぇ。」
👵 【トヨさん(95歳)】 「(照れくさそうに)……何言ってんだ。これからは、お互い夜中にこっそりじゃなくて、お日様の下でこうしてお茶飲めるんだから。幸せだねぇ。」
そこには、95歳の二人が等身大の「親友」に戻った、静かで尊い時間が流れていた。
🟢 【鰐藤くん】 「(それを見て鼻をすする)代表……よかったっスね。あのゴミの山の中から、こんなに綺麗な笑顔が出てくるなんて。俺、ちょっと感動しちゃいましたよ……。」
🔵 【阿保代表】 「(サンバーのエンジンをかけながら、横目で鰐藤くんを見る)……鰐藤くん。感動してるところ悪いが、請求忘れるなよ。」
🟢 【鰐藤くん】 え!!!
👵 【トヨさん(95歳)】 「阿保さん! あの仏壇の横の入れ歯、あれ、亡くなったじいさんの予備だったみたいだわ! おかげでじいさんも喜んでるよ、はっはっは!」
🔵 【阿保代表】 「(ふっと口角を上げ)……やっぱり予備だったか。……よし、帰るぞ。次の現場が待ってる。」
夕暮れの平川市。 白いサンバーが走り出す。その荷台は空っぽだが、阿保の心には新しい街の景色が、そして鰐藤くんの手元にはしっかりとした「請求書」が握られていた。
Episode1:『闇夜に届く手』 完
朱(あか)い御札と、消える指先
平川市のプレハブ事務所『Abot(アボット)』。 西日が差し込む室内で、古びた電話のベルが鳴り響いた。
(ジリリリリ……!)
🔵 【阿保代表】 「……はい、Abotの阿保です。……ええ。……ええ。……はい、今から向かいます。玄関の前で待っていてください」
阿保が受話器を置くと、事務所の空気がわずかに重くなった。
🔴 【黒平さん】 「……何のご依頼ですか。代表の顔が、いつになく真剣ですが」
🔵 【阿保代表】 「弘前の一軒家だ。青森市の娘さんからで、実家のお母様がパニックになって家中にお札を貼りまくっているらしい。娘さんは怖くて家に入れないそうだ」
🟢 【鰐藤くん】 「お、お札!? 代表、それ完全に心霊案件じゃないっスか! 呪いとかだったら僕、絶対サンバーから降りませんよ!」
🔵 【阿保代表】 「……つべこべ言うな。行くぞ」
白いサンバーが、弘前の古い住宅街にある佐藤邸の前に止まった。 門扉の前では、青森市から駆けつけた娘さんが、自分自身の肩を抱くようにして震えていた。
👧 【娘さん】 「……Abotさん……? 本当に来てくださったんですね。見てください……あんなの、私の知ってる家じゃないんです」
娘さんが指さした先。 西日に照らされた佐藤邸の窓ガラスには、異様な光景が広がっていた。 新聞紙を不揃いにちぎった破片が、窓という窓にびっしりと貼り付けられている。 そこには、乾いた血を思わせるような、どす黒く赤いマジックの文字が踊っていた。
「来ルナ」「入ルナ」「指サスナ」
窓を埋め尽くすその『自作のお札』が、夕闇の影に混じって不気味に蠢(うごめ)いている。
🔵 【阿保代表】 「……娘さん。鍵を預かります。俺とこいつで先に入ります」
阿保は受け取った鍵を差し込み、ゆっくりと回した。 カチリ、という金属音が、静まり返った住宅街に不自然なほど大きく響く。 引き戸を静かに開けると、玄関先には鼻を突くような「油性マジック」のインク臭が充満していた。 そして、廊下の奥。真っ暗な台所の方から、キチッ、キチッ……と、硬いものを擦り合わせるような乾いた音が聞こえてくる。
🔵 【阿保代表】 「(低い声で)……佐藤さん。平川の『便利屋』、阿保です。娘さんに頼まれて、お掃除に来ましたよ」
阿保は183cmの巨躯を折り曲げるようにして、暗闇に向かって穏やかに声をかける。 返事はない。ただ、キチッ、キチッという音だけがピタリと止まった。
🟢 【鰐藤くん】 「(代表の背中にしがみつき、歯をガタガタ鳴らしながら)……ひ、ひぃぃっ! 代表、奥に、奥に誰か座ってます! ほら、あの勝手口のところ……!」
暗がりに目が慣れてくると、そこには床に直接座り込み、一心不乱に「新しいお札」を書き殴っている老婆――佐藤さんの姿があった。 彼女の右手には、ペン先が潰れた赤いマジック。 左手には、千切られた新聞紙の束。
その手が、一定の、そして機械的なリズムで小さく震えている。 指先を擦り合わせるような、丸薬丸め様振戦だ。
👵 【佐藤さん】 「……あの子、今そこに座ったわ。赤いちゃんちゃんこを着て、私を指さして……笑ってる。ほら、そこの棚の陰よ」
佐藤さんが指さした先には、古い茶箪笥があった。そこにあるのは茶巾の影だけだが、彼女の瞳には「赤い服を着た子供」が鮮明に映っている。
佐藤さんの視線は、何もない茶箪笥の陰をあまりに正確に捉えていた。その瞳は恐怖に波立ち、細い肩が小刻みに跳ねている。
阿保は佐藤さんの正面には回らず、彼女の視界を遮らないよう、斜め後ろにそっと腰を下ろした。
🔵 【阿保代表】 「……佐藤さん。あの子は、今も笑っていますか?」
👵 【佐藤さん】 「(震える声で)ええ、笑ってるわ……。さっきから、ずっと私を指さして……。私が何か悪いことしたのかしら。お札を貼っても貼っても、あの子たち、すり抜けて入ってくるのよ……」
佐藤さんの指先では、ペン先が潰れたマジックがカチカチと音を立てていた。そのリズムは、先ほど阿保が観察した**「丸薬丸め様振戦」**そのものだ。
阿保は、佐藤さんの足元に目を落とした。彼女が立ち上がろうとした拍子に、その足が床に磁石で吸い付けられたように動かなくなる。上半身だけが先に行こうとして、危うく前のめりに倒れそうになるのを、阿保は小さな手で、しかし羽毛に触れるような柔らかさで支えた。
🔵 【阿保代表】 「(心の中で呟く)……すくみ足に、仮面様顔貌、そしてハッキリとした幻視。……間違いねぇ。ただのボケじゃない。脳の中で何かが起きてる。……掃除屋の出番じゃねぇな、これは」
阿保は一度居間を出て、玄関先で顔を伏せていた娘さんのもとへ向かった。
🔵 【阿保代表】 「娘さん。……お母様ですが、普段から通っているお医者さんはいますか? 血圧の薬をもらっているとか、昔からの持病を知っている先生です」
👧 【娘さん】 「え……? はい。近所の『すずき内科』さんに、ずっと通っています。先生は母の若い頃からの主治医で、とても信頼しているんですけど……。でも、それが今のこの状況と関係あるんですか?」
🔵 【阿保代表】 「大ありです。……娘さん、今すぐその先生に電話を入れてください。お札のことも、今の異常な怯え方も、隠さずに話してほしいんです。そして、『母の様子がどうしてもおかしい。家にも入れてくれない。どうしたらいいか分からない』と、正直に助けを求めてください。……明日、無理にでも受診の予約を取り付けるんです」
娘さんは戸惑ったように阿保を見た。「便利屋」を呼べば、このお札をすべて剥がし、家を元通りにしてくれると思っていたからだ。
👧 【娘さん】 「でも、Abotさんはお掃除を……」
🔵 【阿保代表】 「掃除はします。お札も私が全部剥がします。……ですが、お母様のその『震え』と『怯え』は、ゴミと一緒に捨てるわけにはいかない。先生に身体の状態を診てもらえば、必ず専門の病院への道筋を示してくれます。いいですね。お母様を救うには、まず『いつもの先生』の力が必要なんです」
娘さんは阿保の目にある真剣な光に、静かに頷いた。彼女が震える指で『すずき内科』へ発信するのを見届けると、阿保は入れ替わるように事務所の黒平に連絡を入れた。
🔵 【阿保代表】 「黒平さん、阿保だ。……娘さんが、かかりつけの『すずき内科』へ明日相談に行く。……悪いが、事務所からそのクリニックへ一本入れておいてくれ。娘さんの説明だけだと『混乱している』で済まされる可能性がある。俺が見た具体的な身体症状――振戦、すくみ足、鮮明な幻視……これらを専門職の言葉で整理して申し送ってくれ。先生が『これは専門医に繋ぐべきだ』と確信を持てるように、外堀を埋めるんだ」
🔴 【黒平さん】 (受話器の向こうで、キーボードを叩く音が激しくなる) 「……了解。内科の先生にとっても、その状態で抱え込まれるのはリスクですからね。代表が拾ったアセスメントを元に、私から紹介の必要性をバックアップしておきます。……代表、そこまで確信があるのね?」
🔵 【阿保代表】 「ああ。……さて、私は私で、目の前の『物理的な敵』を片付けてくる。……鰐藤くん! サンバーから剪定バサミと、ジャンパーを持って来てくれ! 庭の枝が『指』に見えてるんだ。あれを切っちゃうぜぜぜっ!」
阿保は、庭の闇に蠢く庭木の枝を、獲物を狙う鷹のような鋭い目で見据え素早くカットした。シャキーーーーン!
翌朝、娘さんに付き添われた佐藤さんは、近所のすずき内科を訪れた。 待合室の隅には、黒平が事前に電話で伝えたアセスメント(状態分析)の資料が、鈴木先生のデスクに届けられていた。
鈴木先生は、長年の付き合いである佐藤さんの歩き方、そして阿保が指摘した「手の震え」をじっくりと観察した。
👴 【鈴木先生】 「……佐藤さん。最近、眠れない夜があるって聞いたよ。家の中に知らない人がいるように見えることもあるかな? ……娘さん。お母様の今の症状、単なる物忘れじゃない可能性がある。私の知っている精神科の専門医に、一度詳しく診てもらいましょう。今日、すぐに紹介状を書くからね」
娘さんは、先生の言葉を聞いて初めて、喉の奥に詰まっていた塊が溶けていくような感覚を覚えた。
精密な検査を経て、診察室に呼ばれた娘さんは、そこで初めてその「正体」を告げられた。
👨⚕️ 【専門医】 「……ご家族にはショックかもしれませんが、ハッキリさせておきましょう。お母様の病名は、レビー小体型認知症です。あの時、お母様が戦っていたお化けの正体は、脳が作り出していた『幻視』という症状だったんですよ」
病院のロビーで待っていた阿保と黒平の元に、娘さんが歩み寄る。
👧 【娘さん】 「……先生から言われました。……レビー、という病気だって。母は、気が狂ったわけじゃなかった。病気が見せる影と、たった一人で戦っていたんですね……」
🔴 【黒平さん】 「……ええ。お母様はお札を貼ることで、必死にご自分を守ろうとしていたんです。お札は、お母様の勇気の証だったんですよ」
🔵 【阿保代表】 「正体が分かれば、戦いようもあります。お化けの影は俺が切りました。これからの『病気』との付き合い方は、この黒平がしっかり伴走しますから」
娘さんは深く、深く頭を下げた。
阿保はその背中を静かに見送ると、病院の玄関で一度だけ振り返り、軽く手を上げて、鰐藤くんと共にサンバーへと乗り込んだ。
夜の帳が下りた事務所では、黒平が淹れたコーヒーの香りが漂っていた。 デスクの上には、今回の「佐藤邸」の記録ファイルが広げられている。
🔴 【黒平さん】 「……一応、おさらいしておきましょうか。レビー小体型認知症……脳に溜まった特殊なタンパク質が、神経伝達をかき乱す病気。特徴は**『ハッキリした幻視』と『認知の変動』**。それに、佐藤さんに出ていたあの身体の震えや固まり――パーキンソン症状ね」
🟢 【鰐藤くん】 「へぇ……。じゃあ、あの『赤いちゃんちゃんこの子』も、マジで脳の仕業だったんスね。心霊現象じゃなくて良かった……」
阿保は額のたんこぶを冷やしながら、ソファに深く身体を沈めていた。
🔵 【阿保代表】 「……ああ。だがあの幻視は、本人にとっては『現実』だ。否定すれば孤立するし、放っておけばお札だらけの恐怖から逃げられなくなる。……だからこそ、便利屋の仕事(剪定)で物理的なトリガーを外してやる必要があったんだよ」
🔴 【黒平さん】 「(キーボードを叩きながら)代表のあの力業も、結果的には『環境調整』としての立派な支援ね。……あ、鰐藤くん。今回の件、請求書は作った?」
🟢 【鰐藤くん】 「バッチリっス。剪定と清掃の基本料金に、緊急出動分を少し。……でも黒平さん、代表がまたカッコつけて『今回はいいよ』とか言い出しそうだったんで、娘さんには『後で事務所から正式なのを送りますから、今日はお母様とゆっくり休んでください』って、恩着せがましくない程度に伝えておいたっス!」
🔵 【阿保代表】 「(苦笑して)……お前、いつの間にそんな気の利いたことを」
🔴 【黒平さん】 「あら、当然よ。私たちがボランティアで潰れたら、次に泣くのは明日困る誰かなんだから。……代表、この『特別相談料』は、あなたのたんこぶの治療代として、経理上は相殺しておきますからね」
🔵 【阿保代表】 「……おい。……まあいい。佐藤さんが今夜、お札のない部屋で静かに眠れるなら、それで成功だ」
🟢 【鰐藤くん】 「ですよ! ……でも代表、次はお札を剥がす前に、僕の『心霊スポット手当』も請求書に乗せておいてくださいよ! 本当にちびるかと思ったんスから!」
🔴 【黒平さん】 「それはあなたの『度胸磨き代』として、給料から天引きしておきます」
🟢 【鰐藤くん】 「えぇー!? そんなの殺生っスよ!」
プレハブの事務所に、三人の笑い声が響く。 ホワイトボードの隅には、娘さんからの『母が久しぶりに穏やかな顔をしています』という短いメールのコピーが、そっとマグネットで留められていた。
Episode 2:『朱い御札と、消える指先』 完
三月。平川市。 雪解けの泥濘(ぬかるみ)が、津軽の春を重く、湿ったものに変えていた。 『Abot(アボット)』の拠点であるプレハブ事務所のドアが、勢いよく開く。
👴 【今井】 「黒平さん! 居るが! 大変だ……清藤(せいとう)さんがよ!」
飛び込んできたのは、近所の民生委員を務める今井さんだった。泥だらけの長靴で床を汚すのも構わず、今井さんは机に向かっていた黒平(32歳)に詰め寄った。
🔴 【黒平】 「今井さん。独居の清藤さんですね。何かありましたか?」
👴 【今井】 「最近、姿を見ねぇと思って家を覗いたら、あんなに恰幅の良かったじいさんが、枯れ木みたいに痩せ細って……。玄関には惣菜の空容器と、栄養ドリンクの瓶が山ほど転がってるんだ。……ありゃあ、普通じゃねぇ。あんた、ケアマネとして何とかしてけろ!」
黒平は即座に立ち上がった。その隣で、ストーブの上の鉄瓶を見守っていた大男——阿保(48歳)が、静かに立ち上がる。
🔵 【阿保】 「今井さん。そのドリンクの瓶、特定の業者が置いていったものではありませんか」
👴 【今井】 「あ、ああ。確か『健康アドバイザー』だか何だか名乗る、置き薬屋の若い男が出入りしてたな……」
🔵 【阿保】 「……わかりました。黒平さん、これは単なる介護相談の枠を超えています。家の中の片付けも含め、まずは私たちが『便利屋』として現場を整えましょう」
阿保が棚からジャンパーを手に取る。
🔵 【阿保】 「鰐藤、サンバーを出してください。清藤さんの家の泥濘、放っておくと手遅れになります」
🟢 【鰐藤】 「了解っス、代表!」
阿保は不釣り合いなほど小さな手でハンドルを握り、雪解けの泥が跳ねる道を、清藤邸へと急がせた。
雪解け水でドロドロになった私道の奥に、清藤邸はあった。サンバーのタイヤが泥を跳ね上げ、唸りを上げて止まる。
ドアを開けた瞬間、鼻を突いたのは——酸っぱい腐敗臭と、不自然なほど甘ったるい薬品の匂いだった。
🟢 【鰐藤】 「うわ……なんだこれ。玄関先、足の踏み場もないっスよ。これ全部、栄養ドリンクの空き瓶か?」
足元でカラン、と乾いた音が響く。茶褐色の小さな瓶が、まるでお守りのように、あるいは呪いのように床一面を埋め尽くしていた。
🔵 【阿保代表】 「(低く、静かな声で)……二百、いや、もっとあるな。鰐藤、まずは動線を確保しろ。清藤さんは奥か?」
奥の和室では、かつて地元の工事現場で鳴らしたという恰幅の良かった清藤(78歳)が、文字通り枯れ木のように布団に横たわっていた。その手元には、まだ封の開いていないドリンク剤が数本、律儀に並べられている。
🔴 【黒平さん】 「清藤さん! 聞こえますか? ケアマネの黒平です。……ひどい、脱水も進んでる。今井さん、すぐに救急車を!」
👴 【今井】 「分かった! だが、この瓶の山じゃ担架も通らねぇべ!」
🔵 【阿保代表】 「(小さな手で、一本の瓶を拾い上げ、ラベルを凝視する)……成分表にない『特製配合』のシール。黒平さん、これ一本いくらで売られていたか分かりますか?」
🔴 【黒平さん】 「……領収書がありました。一本、1500円。それを毎日三本飲むように言われていたみたいです。年金、全部これにつぎ込ませたのね……!」
阿保の大きな背中が、微かに震えた。怒りではない。それは、弱者の孤独に付け入る「泥濘」のような悪意に対する、静かな拒絶だった。
🔵 【阿保代表】 「鰐藤、サンバーの荷台を空けろ。この瓶をすべて回収する。一本残らずだ。清藤さんが戻ってきたとき、この忌まわしい景色を見せるわけにはいかない。」
🟢 【鰐藤】 「……了解っス! 代表、これ、数えながら積みましょう。相手に叩きつける証拠にしてやるんです!」
サンバーの荷台に、空瓶が投げ込まれるたびに「ガシャン、ガシャン」と硬い音が響く。それは、清藤さんの生活を食い潰した悪意の集計音だった。
数十分後、救急車のサイレンが近づいてくる。隊員たちが清藤さんを運び出した直後、家の前の泥濘を跳ね散らかしながら、一台の派手な軽ワゴンが滑り込んできた。
サイドには、ひどく場違いな向日葵のイラストと**『健幸ライフ・アドバイザー』**の文字。
中から出てきたのは、糊の効いた白いシャツに、これ見よがしなネクタイを締めた若い男だった。男は阿保たちのサンバーと、片付けられた玄関を見て、露骨に顔をしかめた。
💼 【置き薬屋の男】 「ちょっと、何してるんですかあなたたち。勝手に入ってもらっちゃ困りますよ。清藤さんの『健康管理』は僕が任されてるんだから」
阿保がゆっくりと、男の前に立ちはだかる。見上げるような巨躯と、その威圧感に、男は一瞬言葉を呑んだ。
🔵 【阿保代表】 「あなたが『アドバイザー』ですか。清藤さんは今、救急車で運ばれましたよ。極度の栄養失調と脱水症状だ」
💼 【置き薬屋の男】 「え……? ああ、それは困ったな。あのおじいさん、僕が勧めた特製ドリンクをちゃんと飲んでなかったのかなぁ。あれを飲めば元気が出るはずなのに。まあいいや、それより未払い分があるんですよ。今月分の45本、計6万7500円。ご家族か関係者の方なら、代わりに払ってもらえます?」
男は薄笑いを浮かべながら、使い古された集金袋を差し出した。黒平がその前に踏み出し、冷徹な声で告げる。
🔴 【黒平】 「清藤さんは重度の認知症の疑いがあります。自身の体調管理もままならない方に、成分不明の飲料をこれだけの量売りつける……。これは『販売』ではなく『搾取』です。領収書と残った在庫は、すべて記録させてもらいました」
💼 【置き薬屋の男】 「(鼻で笑いながら)ハッ、勝手なこと言わないでくださいよ。本人が納得して買ってたんだ。証拠だってある……」
男が懐から取り出そうとした「契約書」のような紙を、阿保の小さな手が、電光石火の速さで押さえた。
🔵 【阿保代表】 「……証拠なら、あそこにあります」
阿保が指さしたのは、サンバーの荷台。山積みにされた270本の空瓶が、曇天の光を反射して不気味に光っている。
🔵 【阿保代表】 「この瓶一本一本に、清藤さんの孤独が詰まっている。あなたはそれを金に変えた。……鰐藤、数を教えろ」
🟢 【鰐藤】 「きっちり270本……。いや、さっき縁側の下から出てきた分を合わせると、300本ちょうどっス、代表!」
阿保は男の目をじっと見据えたまま、地を這うような低い声で続けた。
🔵 【阿保代表】 「300本分の怒りを、私たちが預かっている。……帰れ。次にこの泥濘に足を踏み入れたときが、お前の『健幸』が終わる時だ」
男は阿保の眼光に気圧され、捨て台詞を吐きながら車に逃げ込んだ。泥水を撒き散らして走り去るワゴンを見送り、阿保は汚れた作業手袋を脱いだ。
その下から現れた不自然に小さな手が、微かに震えている。
🔴 【黒平】 「代表……。あとは、板柳の弟さんに連絡を取ります。この瓶の山、どうしますか?」
🔵 【阿保代表】 「……今はまだ、積んでおけ。清藤さんの意識が戻り、自分の足でこの泥濘を歩けるようになるまで。これがこの町にある『悪意の重さ』だということを、私は忘れたくない」
雪解けの平川に、冷たい雨が混じり始めた。 清藤邸の玄関先には、阿保たちが丁寧に泥を掻き出した「確かな一歩」の跡だけが、静かに残されていた。
雪解けの泥濘の中に立ち、阿保は使い込まれたスマートフォンを取り出した。コール音が三回。少し警戒したような、年配の男の声が響く。
📞 【弟・正造】 「……はい、清藤です。どちら様で?」
🔵 【阿保代表】 「(深く、穏やかな声で)突然のお電話、失礼いたします。平川市で『便利屋Abot』を営んでおります、阿保と申します。……清藤正造さん、お兄様の清藤利男さんのことで、お伝えしなければならないことがあります。」
阿保は言葉を選びながら、利男が衰弱して救急搬送されたこと、そして家の中が「特定の業者」によって食い物にされていた惨状を淡々と、しかし確実に伝えた。受話器の向こうで、正造の息が止まるのがわかった。
📞 【弟・正造】 「……兄貴が? そんな……。正月に行ったときは、まだあんなに元気だったのに。……業者って、あのドリンク屋のことか? 兄貴、『あれを飲むと体が軽いんだ』って笑って……。私が止めても、寂しそうに『お前には分からんよ』って……」
正造の声が震え、後悔が滲み出す。阿保は泥にまみれた自分の小さな手を見つめながら、静かに、だが力強く言葉を紡いだ。
🔵 【阿保代表】 「正造さん。自分を責めないでください。お兄様が欲しかったのは、ドリンクではなく『誰かが訪ねてくる理由』だったのかもしれません。……私たちは今、お兄様の家を片付けています。玄関を埋め尽くしていた三百本の空瓶は、すべて私が回収しました。お兄様が病院から戻られたとき、そこにはあの地獄のような景色はありません。ただの、静かな家に戻しておきます。」
📞 【弟・正造】 「……あんた、どうしてそこまで……。便利屋ってのは、そんなことまでしてくれるのかい?」
🔵 【阿保代表】 「(微かに微笑んで)……私たちは、ただの便利屋です。ですが、津軽の泥濘に足を取られている人を、そのままにはしておけない性分なだけです。正造さん、今すぐ平川中央病院へ向かってください。お兄様は、あなたを待っています。」
電話を切ると、阿保は大きく息を吐き、冷たい三月の空を見上げた。
🟢 【鰐藤】 「……代表、かっこよすぎっスよ。業者にはあんなに怖かったのに。」
🔵 【阿保代表】 「……余計なことを言うな。黒平さん、病院の場所をもう一度正造さんにメールしてやってください。私たちは、この泥(ゴミ)を片付けるぞ。」
阿保に気圧され、泥を跳ね上げながら逃げ出した「健幸ライフ・アドバイザー」の車は、数キロ離れた別の集落へ向かっていた。
💼 【置き薬屋の男】 「クソっ……あのデカブツ、何なんだよ。あんなところでロスしてらんねぇ。次の『カモ』からさっさと回収しねぇと……」
男が次に目をつけたのは、古びた平屋だった。しかし、その門を叩こうとした瞬間、背後から不自然に明るい、それでいて芯の冷たい声が響く。
👠 【お銀】 「あら、お兄さん。いいスーツ着て、こんな泥んこの田舎に何のご用?」
振り返ると、派手な紫のコートを羽織り、指先に細い煙草を挟んだ女が立っていた。平川の夜の街を仕切るスナックのママ、お銀だ。
💼 【置き薬屋の男】 「(鼻の下を伸ばし)あ、いや、僕は健康の相談役でして。この家の方、最近足腰が弱ってるって聞いたもんで……」
👠 【お銀】 「ふーん……。その手に持ってるカバンの中身、さっきAbot(アボット)の代表から聞いたわよ。清藤のじいさんを殺しかけた『毒水』が入ってるんですって?」
男の顔から一気に血の気が引く。
💼 【置き薬屋の男】 「な、何言って……! 営業妨害だぞ! どけ!」
逃げようとする男の前に、今度は一台の黒塗りの軽トラが道を塞ぐように止まった。運転席から降りてきたのは、強面の男たち——ではなく、地元のリンゴ農家の屈強な若衆たちだった。その手には、阿保がサンバーに積み込んだ「300本の空瓶」が詰まったケースが握られている。
🔵 【阿保代表(無線から響く声)】 「……逃げ足だけは速いようだな。だが、この町は意外と狭い。」
男のスマホに、阿保からの着信が入る。スピーカーにすると、静かな、しかし有無を言わせぬ声が流れた。
🔵 【阿保代表】 「お前の車のナンバー、販売許可証の虚偽、そして清藤さんへの過剰請求の記録。すべて、この町の『便利屋』のネットワークで共有させてもらった。お銀さん、準備は?」
👠 【お銀】 「バッチリよ、代表。ここの管轄の警察署長、うちの店の常連さんだから。今、ちょうど『不審な訪問販売』の通報を入れておいたわ。……あら、ほら。あっちからサイレンが聞こえるじゃない」
遠くから、雪解けの空気を切り裂くようにパトカーの音が近づいてくる。男は膝から泥濘の中に崩れ落ちた。
その日の夕暮れ。
サンバーの荷台は空になり、清藤邸の玄関は今井さんと阿保たちの手によって、見違えるほど綺麗に掃除されていた。かつて悪臭を放っていた土間は掃き清められ、春の柔らかな光を反射している。
🟢 【鰐藤】 「ふぅ、これで清藤さんが退院してきても安心っスね。……でも代表、お銀さんまで使うなんて、珍しくないっスか?」
阿保は不器用なほど小さな手で、サンバーのハンドルを撫でた。
🔵 【阿保代表】 「……泥濘を抜けるには、自分一人の力じゃ足りないこともある。あの男が売っていたのは『薬』じゃない。『孤独』へのつけ込みだ。それを裁くには、この町の『繋がり』を見せつけるのが一番いい」
清藤邸の戸締まりを終えたとき、黒平のスマートフォンが鳴った。
🔴 【黒平】 「代表、病院からです! 清藤さん、点滴で意識がはっきりして、第一声が『正造に会いたい』だったそうです。今、正造さんも病院に到着して、病室で再会されたそうですよ」
阿保は満足げに鼻を鳴らし、サンバーのエンジンをかけた。
🔵 【阿保代表】「……よし、帰る前に少し顔を出していくか。正造さんにも挨拶しておかんとな」
サンバーは、雪解けの泥を跳ね上げながら平川中央病院へと向かった。 病院の談話室の窓越しに見えたのは、車椅子に座った清藤さんと、その肩を抱く正造さんの姿だった。かつて「お前には分からんよ」と寂しそうに笑っていた清藤さんの顔には、今はもう、枯れ木のような悲壮感はない。
阿保たちは病室には入らず、ただ遠くからその再会を見届け、再びサンバーへと乗り込んだ。
サンバーが病院の坂道を下っていくのを、窓際で気づいた清藤さんと正造さんが、いつまでも手を振って見送っていた。バックミラー越しに見える二人の姿は、春の柔らかな陽光に包まれ、もう二度とあの茶褐色の瓶の影に怯えることはないように見えた。
🟢 【鰐藤】 「代表……。清藤さん、本当に幸せそうでしたね。あんなに自分の家にこだわってたのに、こうして一度病院(外)へ出すのが正解だったのかなって、実は救急車を呼んだとき、少し迷ってたんスけど」
阿保はハンドルを握る小さな手に力を込め、前方を見据えたまま静かに口を開いた。
🔵 【阿保代表】 「……家を守ることだけが幸せじゃない。あの人が、もう独りで泥濘を歩かなくて済むようになった。……それがすべてだ」
長年、介護の現場で数多くの「孤独」と「限界」を見てきた阿保だからこその、重みのある言葉だった。
🔴 【黒平】 「そうですね。……私たちが繋いだのは、ただの制度じゃなくて、清藤さんの『明日』だったんだと思います」
阿保は満足げにアクセルを踏んだ。サンバーは、春を待つ津軽の湿った風を切りながら、自分たちの拠点であるプレハブへと戻っていく。
背後の泥濘は、少しずつ、だが確実に春の日差しに乾き始めていた。 リンゴの花が咲き誇る季節は、もうすぐそこまで来ている。サンバーは軽快なエンジン音を響かせ、津軽の道を走り去っていった。
Episode 3 『泥濘の二百七十本』 完
雨の平川市。田んぼの真ん中に立つプレハブ事務所では、今日もとりとめのない時間が流れていた。
183センチの巨躯を窮屈そうに曲げ、阿保(あぼ)はパイプ椅子に座って型落ちのノートパソコンと格闘していた。その大きな体躯に似合わず、驚くほど小さく繊細な掌が、人差し指でたどたどしくキーを叩く。
🔵 【阿保】 「……ん、あ。また変なとこ押しちゃったな。黒平さん、これ、どうやったら前の画面に戻るんだ?」
🟢 【鰐藤くん】 「代表、またフリーズさせたんスか? ほら、限定メロンパン食って一回離れましょう!」
🔴 【黒平さん】 「もう、阿保さん……そこは『保存』ですよ。……鰐藤くんも、キーボードの横でパンを食べない!」
🔵 【阿保】 「(苦笑いしながら、自分の小さな手を見つめて)悪いな、どうもこの手の細かい道具は苦手だ。……でもな、現場の記録だけは俺の手でちゃんと残しておきたいんだよ。ワイルドだろ~」
その時、プレハブの引き戸がガタガタと音を立てて開き、雨風と共に一人の男が転がり込んできた。
ゴロゴロゴロっ!!
🧑 【野呂たかしさん】 「阿保さん! 阿保さん、助けてください! おふくろが……おふくろが、何かに取り憑かれたみたいなんだ!」
🟢 【鰐藤くん】 「(メロンパンを口に入れながら)えっ!? 取り憑かれた!? 野呂さん、それマジっスか!?」
🧑 【野呂たかしさん】 「マジだよ! さっき寝室を覗いたら、おふくろが、見たこともない激しさでガタガタ震えてて……。白目を剥いて、喉の奥から『オアアア……』って絞り出すような声を出してるんだ! あれは絶対に悪霊の類だよ! 阿保さん、除霊……悪魔祓いをしてくれ!」
阿保はパソコンから目を離し、ゆっくりと立ち上がった。その小さな手を無造作にジャンパーのポケットに突っ込む。
🔵 【阿保】 「(低く、落ち着いた声で)……悪魔祓いか。いいだろう、野呂さん。俺たちがその『取り憑いた何か』を、現場から引き剥がしに行ってやる。……黒平さん、棚の奥の『アレ』を出してくれ。」
🔴 【黒平さん】 「(苦笑いしながら)……『アレ』ですか。この前の遺品整理で見つかった、あの怪しい特大の数珠と、なぜか混ざってた**独鈷杵(どっこしょ)**ですね。便利屋の持ち物じゃないですよ、これ。」
🟢 【鰐藤くん】 「よっしゃあ! 代表、ついにあの『自称・除霊セット』の出番っスね! 盛り上がってきたー!」
🔵 【阿保】 「(サンバーの鍵を小さな手の中に握り込み、鋭い眼差しで)……野呂さん。おふくろさんを今すぐ助けに行くぞ。……行くぞ。」
白いサンバーが時速35kmで雨を切り裂き、野呂家へ。 寝室に入ると、そこには87歳の母親が、ベッドの上で全身を激しく震わせ、ガタガタと歯を鳴らして苦しげな声を漏らしていた。
🧑 【野呂たかしさん】 「(部屋の隅で震えながら)ほ、ほら見ろ! 阿保さん、あんなの……おふくろじゃない! 悪魔が中に入って暴れてるんだよ!」
阿保は迷いなくベッドに近づいた。 183センチの巨躯を折り曲げ、その驚くほど小さく繊細な手で、どこかの片付け現場で拾った「特大数珠」をジャラリと鳴らした。
🔵 【阿保】 「(母親の耳元で、朗々と語りかける)……ばあちゃん、怖かったな。今、阿保がこの数珠で悪霊を追い出してやる。……臨、兵、闘、者……!」
🟢 【鰐藤くん】 「(独鈷杵を掲げて)代表、カッコいいっス! 悪霊退散っス!織田無道っス!」
阿保は小さな手で数珠を操りながら、さりげなく母親の脈拍を確かめ、首筋の強張りに触れた。そして、その視線は枕元に転がっている「新しい薬のシート」を正確に射抜いた。
🔵 【阿保】 「(野呂さんを振り返り)……野呂さん、悪魔の『依代(よりしろ)』を見つけたぞ。……黒平さん、この薬の束を『封印』してくれ。これが悪魔を呼び寄せてる元凶だ。」
「野呂さん、落ち着いて俺の質問に答えてくれ。お母さん、最近いつ病院に行った? この新しい薬を飲み始めたのはいつだ?」
🧑 【野呂たかしさん】 「(部屋の隅で数珠の音に震えながら)えっ……? わ、わかんないよ! 病院は先週、うちに来ている看護婦さんが連れてったはずだけど……俺、その日は推しのライブがあって、おふくろのことは全部任せてたから……!」
🔵 【阿保】 「(数珠をジャラリと鳴らし、さらに踏み込む)じゃあ、最近の食欲はどうだ。昨日、何を食べたか知ってるか?」
🧑 【野呂たかしさん】 「そんなの見てないって! 最近、おふくろはボケちゃってて、一緒にいるのが嫌だから!俺は夜中に帰ってるんだ。とにかく、早くその悪魔を追い払ってくれよ! 阿保さん、あんた今『依代』を見つけたんだろ!?」
阿保は何も言わず、その小さな手で、激しく震えるお母さんの手をそっと、しかし力強く包み込んだ。
🔵 【阿保】 「……ああ、見つけたよ。だが野呂さん、悪魔ってのは、隙間があるところに忍び込むんだ。お前さんがライブの爆音で浮かれていた、その隙間にな。」
阿保が小さな手でお母さんの震える手をそっと包み込むと、不思議なことに、あんなに激しかった痙攣が、熱が引くように少しずつ収まっていく。
🧑 【野呂たかしさん】 「(呆然として)あ……止まった……。阿保さん、やっぱりあんた、本物のエクソシストだったんだな……!」
🔴 【黒平さん】 「(ゴミ箱から拾い上げた薬のシートを、眉をひそめて見つめながら)……野呂さん。これは悪魔の仕業じゃなくて、もっと現実的な問題かもしれません。先週からこの薬、急に増えたりしませんでしたか?」
🧑 【野呂たかしさん】 「えっ……? ああ、そういえばその看護婦さんが『夜中に歩き回ってるみたいだから、先生に相談して少し落ち着く薬を出してもらった』って言ってたような……。」
🔴 【黒平さん】 「やっぱり。このお薬、お母様のようなご高齢の方には、時として体に強い緊張や震えを起こさせてしまうことがあるんです。……阿保さん、これ、私の手に負える範疇を超えてます。」
阿保は、183センチの巨躯を折り曲げ、お母さんの震えが止まった掌を、自分の小さな手の中で静かに転がした。指の節々の硬さ、皮膚の冷たさを、その繊細な指先で読み取っていく。
🔵 【阿保】 「……ああ。これはお祓いじゃなくて、『診察』が必要な案件だ。野呂さん、お母さんの脳が薬にびっくりして悲鳴を上げてるんだよ。……黒平さん、悪いが今すぐその訪問看護ステーションに連絡してくれ。看護師にこの震えの動画と薬の写真を送って、主治医に緊急で繋いでもらうんだ。」
🧑 【野呂たかしさん】 「……俺、おふくろが何を飲んでるかも知らなくて……推しのことばっかりで……。」
阿保は立ち上がり、その小さな手を野呂さんの肩にドンと置いた。
雨音の激しい野呂家の玄関先。阿保は作業着の襟を立て、サンバーの傍らで暗い空を見上げていた。
🟢 【鰐藤くん】 「代表、訪問看護ステーションの担当に繋がりました! 今すぐ近くを回ってる看護師がこっちに向かうって言ってます!」
🔵 【阿保】 「よし。黒平さん、お母さんのバイタル(血圧や体温)の推移をメモしておいてくれ。看護師が来たら真っ先にそれを渡すんだ。」
🔴 【黒平さん】 「了解です。……阿保さん、やっぱりあれですね。独居に近い状態で薬の種類が増えると、誰にも気づかれないままこういうことが起きてしまう……。野呂さんがもっと早く気づいていれば。」
🔵 【阿保】 「(静かに首を振る)……責めるな。あいつだって必死だったんだよ。自分の生活を守るために、推しを心の支えにしてな。ただ、少しだけお互いの距離が離れすぎてた。その隙間に、薬という名の『悪魔』が入り込んだだけだ。推しだけじゃなくたまには引いてくれてても良かったのにな 笑」
その時、雨を切り裂いて一台の軽自動車が時速120kmで野呂家の庭に滑り込んできた。訪問看護師の到着だ。
🔵 【阿保】 「こっちだ! 看護師さん、頼む!」
🏥 【訪問看護師】「あなたに言われなくてもいつも訪問してるから部屋くらいわかります!」
🔵 【阿保】「へへっ。気の強いじゃじゃ馬娘め。」
看護師が手際よく母親の状態を確認し、阿保たちの指摘した薬のシートを見て顔を曇らせる。
🏥 【訪問看護師】 「……確かに、この震えは尋常じゃないですね。主治医に連絡して、指示を仰ぎます。野呂さん、お母様が最後にこの薬を飲んだのはいつですか?」
🧑 【野呂たかしさん】 「(お母さんの手を握ったまま、消え入りそうな声で)……わかりません。俺、おふくろがいつ薬を飲んでるかも見てなくて……。全部、おふくろ任せにしてたから……。」
阿保は一歩踏み出し、その小さな手を、震える野呂さんの背中にそっと添えた。
🔵 【阿保】 「野呂さん。わからないことは、今から知っていけばいい。看護師さんも、俺たちもいる。……まずは、今日これからどうするか、先生の言葉を一緒に聞こう。」
看護師がスマホで主治医と緊迫したやり取りを始める。 「……はい、薬剤性の急性ジストニアの疑いがあります。……はい、救急外来での処置を検討すべきかと。……了解しました。野呂さん、これから病院へ繋ぎます!」
🔵 【阿保】 「(力強く)……よし、俺のサンバーで運ぶぞ! 鰐藤、助手席をフラットに……」
🟢 【鰐藤くん】 「(荷台を指差して)代表……無茶言わないでください! うちのサンバー、2シーターっスよ! 助手席も壁にぶつかって倒れないし、お母さん乗せたら野呂さんが荷台(外)になっちゃいます!」
🔵 【阿保】 「(ハッとして自分の愛車を見つめる)……あ。そうだった。これ、二人乗りだったな……。」
🧑 【野呂たかしさん】 「(パニック継続中)ええっ!? じゃあおふくろ、雨の中、荷台に積んでいくのかよ!? それこそ地獄への片道切符だろ!」
🏥 【訪問看護師】 「(苦笑いしながら)……私の車、後ろがフラットになります! こっちに乗せましょう! 阿保さん、お母様をお願いします!」
🔵 【阿保】 「(少し照れ臭そうに、小さな手で後頭部をかきながら)……悪い、看護師さん。頼む。……鰐藤! 俺たちはサンバーで先導するぞ! 赤信号以外は止まるな、道を開けるんだ!」
🟢 【鰐藤くん】 「了解っス! 爆走サンバー号、出撃っス!」
夕暮れの診療所に滑り込み、阿保の小さな手が診察室のドアを力強く開ける。
🔵 【阿保】 「先生、まだいいか! 野呂さんのおばあちゃんだ。副作用の疑いがある、診てやってくれ!」
主治医も阿保の顔を見るなり、「またあんたか」と苦笑いしながらも、迅速に処置室へ。拮抗薬(副作用を抑える薬)の点滴が始まると、お母さんの震えはみるみるうちに治まっていきました。
診療所でのドタバタを終え、ようやくプレハブ事務所に戻ってきた三人。窓の外では、カエルの合唱が響き始めていた。
阿保はパイプ椅子に深く腰掛け、その驚くほど小さな手で、使い古した領収書綴りとボールペンをいじっている。
🟢 【鰐藤くん】 「(メロンパンの袋を捨てながら)いやー、しかし代表、あの『除霊セット』のおかげで野呂さんもお母さんも救われましたね! あれ、どこかの片付けで拾ってきて正解だったっス!」
🔴 【黒平さん】 「(お茶を淹れながら)結果的には『医療への適切な繋ぎ』でしたけどね。でも野呂さん、最後は憑き物が落ちたみたいにスッキリした顔してましたよ。お母様との距離も、少しは縮まったんじゃないでしょうか。」
阿保は、眉間に皺を寄せて領収書を見つめたまま、独り言のように呟いた。
🔵 【阿保】 「……なあ、黒平さん。今回のこれ、『緊急搬送の付き添い』で請求していいかな?」
🔴 【黒平さん】 「ん〜。どうでしょう?付き添ったのは訪問看護師さんですからね。」
🔵 【阿保】 「(ボールペンを回しながら、ニヤリと笑って)……じゃあさ、これ、『除霊代』として請求できるかな? 特大数珠のレンタル料込みで。」
🔴 【黒平さん】 「(吹き出して)阿保さん、本気ですか!? 悪魔祓いなんて、うちの事業所に一項目も載ってませんよ!」
🟢 【鰐藤くん】 「いいじゃないっスか代表! 野呂さんなら『お布施』だと思って喜んで払ってくれますよ! アイドルの投げ銭よりは安上がりっス!」
🔵 【阿保】 「(小さな手で領収書をパチンと弾き、満足げに立ち上がる)……よし、項目は『環境調整にしよーっと』。……これで今月のサンバーのガソリン代、なんとかなるな。」
🔴 【黒平さん】 「……もう。阿保さん、そのうち本当に宗教法人だと思われますよ。しかも、真言宗!」
阿保は小さな手で事務所の電灯を消し、夕闇の中に佇むサンバーへと向かった。その表情は、どこか楽しげだった。
「南無、南無。」
Episode 4 『副作用のエクソシスト』 完
窓の外では、ようやく芽吹き始めた木々が、薄紫色の夕闇に溶け込もうとしている。 春の柔らかな風が、時折プレハブの壁を小さく叩き、どこか遠くで鳥が鳴く声が聞こえていた。
🟢 【鰐藤くん】 「(デスクでスマホを食い入るように見つめ、顔を青くしながら)……代、代表。これ見てくださいよ、日沼の地域掲示板。最近、あそこの『古いお屋敷』のあたりを通ると、赤ん坊の泣き声が聞こえてくるって噂で持ち切りなんです。夜中だけじゃなく、この夕暮れ時にも響くらしくて……」
🔵 【阿保代表】 「(大きな体格を窮屈そうに折り曲げ、古いデスクでPCを見つめながら)……またネットの噂か、鰐藤くん。日沼のウメさんの家のことだろう? あそこは旦那さんが亡くなってから、庭の木も手入れされずに荒れ放題だからな。風の音か何かの聞き間違いだろう」
🟢 【鰐藤くん】 「(スマホを握りしめて)でも、書き込みが異常に多いんですよ! 窓ガラスに小さな手形がびっしりついてるのを見たって人もいて……。これ、絶対に『座敷わらし』が闇堕ちした怪異ですよ!」
(その時、外のスピーカーから、ガサリとノイズが混じった『通りゃんせ』のメロディが流れ始めた。平川市の午後五時を告げるその旋律は、静まり返った室内で、聞く者の不安を静かに逆なでするように響いた)
🟢 【鰐藤くん】 「ひぃっ! 出た、出た! このタイミングで『通りゃんせ』は反則っスよ……!」
🔵 【阿保代表】 「(立ち上がろうとして、低い鴨居に頭をぶつける)……痛っ! 落ち着きなさい、鰐藤くん。ただの時報だ。手形だって、結露か何かの悪戯だろう」
(その時、プレハブの引き戸が重々しく開き、隙間から入り込んだ春の冷たい風と共に、一人の女性が姿を現した)
🔴 【黒平さん】 「(深く溜息をつき、分厚いファイルをテーブルに置きながら)……いいえ、阿保さん。あながち、鰐藤くんの言うことも『怪奇現象』としては間違っていないわ。少なくとも、近隣住民にとってはね」
🔵 【阿保代表】 「黒平さん……。また、そんな『厄介な案件を抱えてきた』という顔をして入ってくるね」
🔴 【黒平さん】 「(ファイルを指先で叩きながら)実はさっき、日沼の利用者さんの家を回っていた時、近所の子どもたちがウメさんの家の前で怯えながら指をさしているのを見たのよ。『あのお家、赤ちゃんの幽霊がいるんだよ』って。ただの遊び半分とは思えない怖がり方だったわ」
🔵 【阿保代表】 「黒平さん……。君までその噂を耳にしたのか。子どもたちの作り話じゃないのか?」
🔴 【黒平さん】 「私もそう思いたかったけれど、気になってウメさんの家まで行ってみたの。あの方はまだ介護保険も使っていないけれど、旦那さんが亡くなってから体力の低下が心配されていた方よ。でも、呼びかけても玄関の鍵を閉めたまま、居留守を使われてしまったわ。……けれど、家の中から確かに聞こえたのよ。赤ん坊が泣き叫ぶような、身の毛もよだつ声が……」
🟢 【鰐藤くん】 「(息を呑んで)ケアマネの黒平さんが聞いたなら、やっぱり本物じゃないですか!」
🔴 【黒平さん】 「ウメさんは完全に心を閉ざしているわ。今の彼女は『支援が必要な状態』に見えるけれど、本人の同意がなければ私たちケアマネも、ヘルパーさんも家の中には入れない。……阿保さん、便利屋として、まずは『御用聞き』のフリをして中を確かめてもらえないかしら?」
🔵 【阿保代表】 「(鋭い視線で、窓の外に停まったサンバーを見つめながら)……なるほど。ケアマネの立場では踏み込めない『壁』の向こう側に、何かが潜んでいるということか」
🟢 【鰐藤くん】 「代、代表、本気ですか!? 幽霊退治なんて、僕の給料の範囲外ですよ!」
🔵 【阿保代表】 「(サンバーの鍵を手に取る)幽霊ならいいさ。……一番怖いのは、閉ざされた扉の向こうで、誰にも気づかれずに助けを求めている『生きた叫び』だ。よし、サンバーを出すぞ、鰐藤くん!」
阿保が運転するサンバーの後ろを、黒平さんの乗用車が静かに追うようにして、ウメさんの屋敷に到着した。
(生い茂った庭木の隙間から、屋敷が巨大な影のようにそびえ立っている。窓ガラスには、結露の跡か、それとも噂通りの『小さな手形』か、不規則な模様がびっしりと張り付き、周囲には、春の夜気にしては重苦しい空気が停滞していた)
🟢 【鰐藤くん】 「(助手席でシートベルトを握りしめながら)……だ、代表。やっぱりここ、空気が重くないっスか? 春なのに、ここだけ空気が止まってるみたいで……」
🔵 【阿保代表】 「(サンバーのエンジンを切り、大きな体を車外へ出す)落ち着きなさい、鰐藤くん。ただの古い屋敷だ。……だが、確かに匂うな。黒平さん、これは……」
🔴 【黒平さん】 「(自分の車から降りて阿保代表に駆け寄り、声を潜めて)ええ。埃と、湿気。それに……何かが腐敗したような、鼻を突く匂い。さっき私が来たときは、ここからでも聞こえたのよ」
(その時、屋敷の奥……雨戸が閉め切られたはずの部屋から、突き刺さるような高い声が夜の静寂を切り裂いた)
🔊 「オギャア……! オギィアアアア!!」
🟢 【鰐藤くん】 「(阿保代表の背中に飛びつかんばかりに怯えて)出たーーーっ! ほら、赤ん坊の泣き声ですよ! 代表、やっぱり僕、車で待機してます! 警察、いや、お寺の人を呼んできます!」
🔵 【阿保代表】 「(懐中電灯を手に取り、どっしりと構えて)鰐藤くん、持ち場を離れないで。光をしっかり当てて。……黒平さん、呼びかけてみて。僕がいきなり出るより、君の方がいいだろう」
🔴 【黒平さん】 「(玄関の引き戸を優しく叩きながら)ウメさん、黒平です。……さっきはごめんなさいね。どうしてもお顔が見たくて、力持ちの便利屋さんに頼んで、重い扉の建付けを直してもらいに来たのよ。一緒に中へ入ってもいいかしら?」
(内側からガタガタと、いくつもの鍵を開ける音が重々しく響く。やがて、わずかに開いた隙間から、深い皺の刻まれた老婆が、怯えたような目で顔を出した)
👵 【ウメさん】 「(今にも消えそうな、震える声で)……あ、黒平さん……。助けて……あの子が、あの子がまた泣いてるの。でも、私はもう、あのお部屋の扉を開ける勇気がないのよ……」
🔴 【黒平さん】 「大丈夫ですよ、ウメさん。この阿保さんがついていますから。ね?」
(ウメさんの震える手に導かれ、阿保代表と鰐藤くんは、埃の舞う暗い廊下の奥へと足を踏み入れる。その先には、黒ずんだ木製の引き戸が、何かを封じ込めるように閉ざされていた)
廊下の突き当たり。そこだけ空気が澱んでいるかのように重く、黒ずんだ木製の引き戸が立ちはだかっていた。 隙間からは、春の夜気とは異質な、鼻を突くような獣臭とアンモニアの混じった臭気が漏れ出している。
🔊 「……オギャア……! オギィアアアア!!」
🟢 【鰐藤くん】 「(懐中電灯を持つ手がガタガタと震え、光が壁を泳いでいる)……ひ、ひぃっ! 代表、すぐそこで泣いてますよ! この声、絶対に人間じゃない……化け物っスよ!」
🔵 【阿保代表】 「(大きな体をかがめ、引き戸の前にどっしりと膝をつく)……静かに、鰐藤くん。光を固定して。……ウメさん、開けますよ?」
(阿保代表の『繊細な指先』が、建付けの悪い戸の隙間にそっとかけられる。力を込めると、ギギギ……という嫌な音を立てて、闇が口を開けた)
🟢 【鰐藤くん】 「(悲鳴を上げそうになりながら、目をつぶる)うわああああ!」
(懐中電灯の鋭い光が室内を照らし出す。そこには、赤ん坊などいなかった。山積みになった古新聞と、散乱した空き缶。そして、部屋の隅で毛を逆立て、光に目を細めている一匹の『茶トラ猫』の姿があった)
🔊 「……フシューーーッ!!」
🟢 【鰐藤くん】 「(恐る恐る目を開けて)……え? 猫? なんだ、猫じゃないっスか……。びっくりさせやがって……」
🔵 【阿保代表】 「(光の先を見つめたまま、険しい表情で)……笑い事じゃないぞ、鰐藤くん。見てみろ、この惨状を」
(茶太郎と呼ばれたその猫は、かつての面影もないほどに毛が汚れ、目ヤニで顔が引きつっていた。空腹と寂しさ、そして不衛生な環境のせいで、その鳴き声は掠れ、まるで赤ん坊の悲鳴のように歪んで響いていたのだ)
👵 【ウメさん】 「(廊下で膝をつき、顔を覆って泣き崩れる)……ごめんなさい……ごめんなさい……。お父さんが亡くなってから、私、この子の面倒もまともに見られなくなって。部屋に入る体力もなくて、ただ、隙間から餌の缶詰を放り込むことしか……。茶太郎、苦しかったわよね……寂しかったわよね……」
🔴 【黒平さん】 「(ウメさんの肩を抱き寄せ、静かに阿保代表を見上げる)……これが、噂の正体。ウメさんは茶太郎を愛しているけれど、今の彼女のADLでは、この部屋を維持することさえ不可能なのね……」
🔵 【阿保代表】 「(暗闇の中、茶太郎の怯えた目を見つめ返す)……なるほどな。ウメさん、君がこの部屋を閉ざしていたのは、世間体じゃない。茶太郎のこんな姿を、誰にも見せたくなかった……自分を責めていたからなんだな」
(阿保代表は、静かに作業用の厚手の革手袋をはめ始めた。その眼差しは、怪異を恐れるものではなく、一匹の命と向き合うプロのそれへと変わっていた)
🔵 【阿保代表】 「(革手袋をパチンと鳴らし、身構える)……よし、鰐藤くん! 廊下の隅にあった、あの古いペットキャリーを持ってきてくれ! 扉のバネが馬鹿になってるかもしれないから、ガムテープもだ!」
🟢 【鰐藤くん】 「(慌てて埃まみれのプラスチック製キャリーを抱えて戻る)……ひ、ひぃっ! 持ってきましたよ! でも代表、茶太郎……あいつ、目がマジですよ! 完全に僕を仕留める気満々っス!」
🔊 「シャーッ!! フシューーーッ!!」
(光に怯えた茶太郎は、山積みの古新聞を蹴散らし、タンスの上へと一気に跳ね上がった。痩せてはいるが、その動きは野生そのもの。鋭い爪が闇を切り裂く)
🔵 【阿保代表】 「(大きな体を低くし、じりじりと距離を詰める)……茶太郎、怖くないぞ。……鰐藤くん、反対側に回って光を振れ! 注意をそらすんだ!」
🟢 【鰐藤くん】 「(懐中電灯をブンブン振り回しながら)こっちだ、こっち! ほら、美味しいカリカリ(想像)だぞー! ……うわっ! 飛んできた! 代表、顔面に飛んできましたぁぁぁ!!」
(茶太郎が鰐藤くんの頭上を掠め、開かずの間のカーテンを駆け上る。舞い上がる埃の中で、阿保代表の低く鋭い声が響く)
🔵 【阿保代表】 「(低い鴨居を潜り抜け、ダイブするように茶太郎の動きを先読みする)……逃がさん! ……ぐわっ! 爪が……革手袋を貫通しやがった!」
🔴 【黒平さん】 「(廊下でウメさんを支えながら、ハラハラと見守る)二人とも、怪我をしないでね! ウメさん、大丈夫。阿保さんはこう見えて、昔から『困っている生き物』を放っておけない人だから!」
(格闘すること数分。阿保代表が茶太郎の首根っこを的確に捉え、鰐藤くんが必死に蓋を開けて待機していたキャリーの中へと、滑り込ませるように押し込んだ。カチャン、と閉まるプラスチックの音)
🟢 【鰐藤くん】 「(キャリーの扉をガムテープで補強しながら、息を切らして)……はぁ、はぁ……。捕まえ……捕まえ……ましたね。代表、鼻の下、派手に引っかかれて血が出てますよ」
🔵 【阿保代表】 「(鼻を押さえながら、キャリーの網目越しに茶太郎を見つめる)……これくらい、挨拶代わりだ。よし、このまま事務所に連れて行く。ウメさん、この子は一度僕たちが預かります。衰弱が激しいから、まずは応急処置だ」
👵 【ウメさん】 「(涙を拭いながら、キャリーの取っ手にそっと手を添えて)……お願いします。阿保さん、茶太郎を……茶太郎を助けてやってちょうだい……」
(阿保代表は、暴れる茶太郎が入ったキャリーをサンバーの助手席にがっちりと固定し、鰐藤くんを無理やりその横の狭い隙間に押し込んだ)
🟢 【鰐藤くん】 「ちょ、代表! これ、膝の上に乗せるしかないじゃないっスか! 網目から爪が出てきて、僕のズボンがボロボロになりそうなんですけど!」
🔵 【阿保代表】 「(アクセルを踏み込み、夜の日沼を飛ばす)……我慢しろ、鰐藤くん。これが便利屋の『現場』だ。黒平さん、事務所を暖めておいてくれ!」
茶太郎を事務所に連れ帰った夜は、まさに戦場だった。マタタビで落ち着かせ、代表が厚手の手袋で汚れを拭き取ると、茶太郎は憑き物が落ちたように眠りについた。
――そして、翌日の早朝。
🟢 【鰐藤くん】 「(鼻の下に絆創膏を貼り、ケージの隅で丸まる茶太郎を眺めながら)……代表、見てくださいよ。昨日の怪獣が嘘みたいに大人しいっス。一週間くらいここで預かって、しっかり栄養をつけてやれば、元の可愛い茶トラに戻りそうですね」
🔵 【阿保代表】 「(電卓を叩きながら、ニヤリと笑う)……あぁ。一週間と言わず、十日でもいいぞ、鰐藤くん。……えー、猫の宿泊代が一日三千円、エサ代が別、ブラッシングの技術料……。ウメさんの妹さん、かなり太っ腹そうだったからな」
🟢 【鰐藤くん】 「(呆れて)代表……。さっきから電卓の音が激しいっスよ。昨日あんなにかっこよく『生きた叫びだ!』とか言ってたのに、結局は金なんスか」
(プレハブの戸が勢いよく開き、黒平がスマホを握りしめたまま入ってくる)
🔴 【黒平さん】 「(息を切らして)阿保さん、決まったわ! 弘前の妹さんと電話で話したんだけど、ウメさん一人での在宅介護はやっぱり不安だって。それでね、**『ペットと一緒に入居できる有料老人ホーム』**への入所を希望されたのよ!」
🔵 【阿保代表】 「(電卓を止める)ほう。弘前の方にか? 結構な費用がかかるだろうが……」
🔴 【黒平さん】 「妹さんが費用は工面するから、とにかく急いで探してくれって。私、さっき心当たりを全部当たって、奇跡的に一部屋空いている施設を見つけたわ! 今から緊急で入所調整の手続きに入るから、認定結果が出るまでの間、茶太郎のケアはお願いね」
🔵 【阿保代表】 「(目を輝かせて)……任せておけ、黒平さん。ウチは『特定外来生物(自称)』から『猛獣』まで、預かりのプロだ。……鰐藤くん! 今すぐ茶太郎の『VIP預かりプラン』の見積書を作成しろ! 鮭おにぎりの代金も経費で乗せておけ!」
🟢 【鰐藤くん】 「(白目を剥いて)……最低だ。代表、それ詐欺に近いっスよ! 茶太郎、ほら、この人には近づいちゃダメだぞ。お金の匂いしかしないからな!」
🔵 【阿保代表】 「(低い鴨居に頭をぶつけながら)……痛っ! うるさい! これもウメさんの安心のためだ。……よし、茶太郎、最高級のカリカリ(妹さん請求)を買ってきてやるからな!」
――そして、一週間後
平川市の残雪もようやく消え、柔らかな春の日差しが日沼の町を包み込んでいた。 阿保代表が運転する白いサンバーは、弘前市郊外にある、陽当たりの良い有料老人ホームの車寄せに滑り込んだ。
🟢 【鰐藤くん】 「(助手席で、ピカピカになったキャリーバッグを抱えながら)……代表、見てくださいよ。茶太郎、もう僕の指を甘噛みするくらいまで元気になりましたね。毛並みもツヤツヤで、まるで別の猫みたいだ」
🔵 【阿保代表】 「(鼻の頭の傷跡をさすりながら)……あぁ。一週間、最高級のカリカリ(妹さんにしっかり請求済み)を食べさせたからな。……よし、鰐藤くん。しっかりしろよ。今日は『納品』と、一番大事な『集金』の日だ」
(ホームのロビーに入ると、そこには見違えるほど穏やかな表情をしたウメさんと、弘前から駆けつけた妹さんの姿があった)
👵 【ウメさん】 「(キャリーを受け取り、中を覗き込んで目を細める)……あぁ、茶太郎! 綺麗にしてもらって……。阿保さん、本当に、本当にありがとう。この子と一緒にここで暮らせるなんて、夢みたいだわ」
👩💼 【妹さん】 「阿保さん、黒平さんから伺いました。あのゴミだらけの部屋からこの子を救い出してくださったって。……本当に感謝しています」
🔵 【阿保代表】 「(営業用の深々としたお辞儀をしながら、スッと何かを差し出す)……いえいえ、便利屋ですから。こちら、今回の『緊急捕獲』および『一週間の特別VIP預かり』、それから『消臭・消毒作業』の見積……あ、失礼、請求書になります」
🟢 【鰐藤くん】 「(横で小声で)……代表、お辞儀の角度が深すぎて、逆に怪しいっスよ」
🔴 【黒平さん】 「(車いすの調整をしながら、笑って割って入る)もう、阿保さんったら。……でもウメさん、これからは安心ね。介護スタッフもいるし、茶太郎ちゃんのご飯の心配もいらないわ。私が立てたケアプラン、バッチリ実行してもらうからね」
👵 【ウメさん】 「(茶太郎を膝の上に乗せて、喉を鳴らす音を聞きながら)……ええ。もう、一人で暗い部屋に閉じこもることはないわ。……この子が、また私を外に連れ出してくれたのね」
(春の光が差し込む談話室で、茶太郎は大きくあくびをして、ウメさんの手に頭を擦り付けた。かつての『赤ん坊の幽霊』の面影は、もうどこにもなかった)
🔵 【阿保代表】 「(鴨居のない広い出口を悠々と通りながら)……よし、鰐藤くん! 報酬も入ったことだし、帰りに温湯温泉にでも寄って、この引っかき傷を癒やしてから帰るぞ!」
🟢 【鰐藤くん】 「賛成! ……でも代表、その温泉代、僕の給料から引いたりしないっスよね!?」
(二人の賑やかな声と、白いサンバーのエンジン音が、平川の春の空へと溶けていった――)