その子らしく生きていくために
〜 高校生時代〜
〜 高校生時代〜
高校に進学した彼は、全く知らない人たちの中に一人飛び込むことになりました。成績優秀な子たちばかりで、みんな大人になっているので、高校の雰囲気は中学の頃とは違っていました。そんな中で、息子は部活動を始めたのですが、そこには大きな誤算がありました。
高校には吹奏楽部がなかったので、息子は中学で実力をつけたトランペットを続けるつもりでオーケストラ部に入りました。オーケストラ部の中ではトランペットは学年で一人の枠しかなく、息子はオーディションを受けることになりました。
人前での緊張や突然のオーディションに対応できなかった息子は、オーディションで全く吹けなかったそうです。たった1回のオーディションで、彼はトランペット奏者にはなれませんでした。
顧問の先生から「ホルンのパートが不足しているから、ホルンをやってほしい」と頼まれて、彼はホルン奏者として活動を始めることになります。
ところが、部活動を始めて3ヶ月ほど経った頃、「部活を辞めたい」と彼から私に相談がありました。息子が自分で顧問の先生に辞めたいことを伝えたのですが、「そんないい加減なことは認められない」と一蹴されてしまったのです。
中学時代の息子は、さまざまな地域から集まった個性豊かな仲間たちと自然体で三年間を楽しみました。そんな彼が、千葉県内でもトップクラスの高校の門をくぐったその日から、中学校のにぎやかな雰囲気とはまるで違う環境の中で過ごすことになります。
クラスの誰一人として彼に声をかける生徒はいませんでした。理由は単純です。全員が初対面であることに加えて、真剣に勉強に打ち込む生徒たちは、互いに様子をうかがいながらも感情を表に出すことがほとんどなかったからです。休み時間に勉強をする生徒もいて、昼食は各自が黙々と自分の机で食べるような環境でした。
息子は自分から話しかけるタイプではないので、休み時間は何をしていいかわからなかったそうです。昼休みにお弁当を食べてしまった後は、廊下を一人で行ったり来たりしていたという話を後になって聞きました。辛いというよりも、ぽっかり空いた時間を持て余していたようでした。
そんな中で、部活動を始めることになります。彼はずっとトランペットを吹いてきて、それなりに自信もありましたので、当然高校でもそのまま続けるものとばかり思っていました。その高校には吹奏楽部がなく、代わりにあったのは格式高いオーケストラ部でした。弦楽器が中心で、バイオリンなどを幼い頃から習ってきた子たちが多く所属するような部でした。
トランペットは非常に人数の少ないパートで、1年生のトランペット奏者を決めるオーディションが行われました。息子はその場で全く音が出せず、オーディションに落ちてしまいました。本人は悔しがることもなく、「吹けなかったから仕方ない」と受け止めていました。
トランペットの代わりに顧問の先生から勧められたのがホルンでした。まったく初めての楽器でしたが、「ホルンのパートが足りないから、君にはホルンをやってほしい」と言われ、彼は素直に引き受けました。
問題はその先でした。数ヶ月経って、息子は「部活動を辞めたい」と私に相談してきました。そのときの表情を、私は今でも覚えています。
息子が「部活を辞めたい」と言ったのは、ホルンが嫌になったわけでも、トランペットが吹けなかったからでもありません。彼が一番つらかったのは、その部活動の中で「楽しくやれない」と感じてしまったことでした。
中学の吹奏楽部は、先輩が後輩にしっかり教えてくれて、役割も関係性も明確でした。誰に従えばいいのか、どこに向かって努力すればいいのかがはっきりしていて、そういうわかりやすい世界が彼にはとても合っていたようです。
けれども、高校のオーケストラ部は全く違いました。基本は個人練習中心で、それぞれが別々の部屋で自主的に練習するスタイルでした。先輩が何かを教えてくれることもほとんどなく、努力してもそれが正しいのかどうかもわかりませんでした。
特に、彼がいた管楽器のパートは人数も少なく、弦楽器とは完全に分離された練習の仕方で、自分が部活動にいる意味もわからなくなっていたようでした。彼には、それが居心地の悪さになっていたんだと思います。
私はその話を聞いたとき、無理して続ける必要はないと思いました。部活動は、好きで楽しめる場であってほしいと思ったのです。
ところが、顧問の先生は「そんな中途半端は認めない」と、なかなか理解を示してくれませんでした。これは私の出番だと思って、学校に足を運びました。息子の特性やこれまでの音楽への真面目な取り組みをお伝えし、できれば居心地のよい環境を作ってあげてほしいとお願いしました。
顧問の先生から返ってきたのは、「それは育て方の問題ですね」という言葉でした。「一旦はホルンを引き受けたので、来年度に新しい生徒が入ってくるまでは辞めるのは無理です」とも言われました。
結局、彼は1年間だけホルンを続ける約束をし、その間は一切手を抜かずに真面目に取り組みました。顧問の先生からも「これだけできるなら続けてほしい」と言われたほどです。でも、彼は、「1年間は必ずやってくださいとの約束に僕は応えたので、これ以上は僕の中では無理です」と言って、きっぱりと1年でオーケストラ部を辞めました。
高校での彼を支えてくれたのは、もうひとつの出会いです。音楽の授業を担当していた合唱部の顧問の先生が彼に声をかけてくださったのです。「うちにも来ない?」と。その言葉に彼は救われました。歌うことも好きだった彼は、自然とその居場所に馴染んでいきました。
高校は、息子の将来の進路を見据えて選びました。彼は塾には通わず、家でも宿題以外の勉強はほとんどせずに過ごしてきました。だからこそ、学校の中ですべてを完結させて東大を目指せる高校を選んだのです。
入学してすぐに、その高校にはまさに理想的な取り組みがあることがわかりました。学年主任の先生が中心となり、その年から「東大進学チーム」を立ち上げてくれたのです。
私には、その先生と直接お話する機会がありました。
「本当に塾に行かせずに、東大を目指せますか?」
と、率直に尋ねたところ、先生は少し笑ってこう答えてくださいました。
「大丈夫です。行かせますよ」
後から聞いた話では、先生ご自身も内心少し半信半疑だったそうです。でも、本人に「やりたい」という意志があるなら、すべて学校でフォローするという覚悟で取り組んでくださっていたのです。
東大進学チームの希望者を募ったところ、20人ほどの生徒が手を挙げました。息子もその一人でした。
息子がこの高校への進学を決めたきっかけの一つが、入学前に訪れた文化祭でした。校門をくぐってすぐの場所で、合唱部の生徒たちがずらりと並び、一斉に歌っていたのです。その迫力と美しさに、音楽好きな息子は心を奪われていました。そのときは「すごいね」と一言つぶやいただけでしたが、あの光景はずっと心に残っていたのだと思います。
入学後、彼は迷うことなくオーケストラ部に入りました。もともとトランペットが好きで、「自分はトランペットをやっていく」と信じていたからです。けれど、実際に活動を始めてみると、どこかしっくりこない。そんなとき、心のどこかで合唱部のことが気になっていたのでしょう。
ある日、音楽の先生であり合唱部の顧問でもある先生が、授業中に息子に声をかけてくれました。
「一度、合唱部の練習を見においで」
この先生はとてもユニークな方で、運動部や他の文化部に所属する生徒にも「助っ人」として合唱に関わることを勧めていました。息子もその一人として、朝練や昼練に自然と足を運ぶようになり、1年生のころからずっと合唱部の活動に参加していました。
もしかすると、オーケストラ部だけだったら、彼は途中で心が折れていたかもしれません。合唱部という居場所で人とつながれたことが、彼の高校生活を支えてくれたのだと思います。
彼の高校生活を豊かにしてくれたもう一つの要素が、学習面での充実した環境です。入学早々、学年主任の先生が「東大受験チーム」を立ち上げると宣言されました。
高校に入る際、私は息子にこう伝えていました。
「高校の3年間で、自分の進む道を見つけてください」
そして――
「もしも3年間でやりたいことが見つからなかったときは、東大に行きなさい」
息子は自然な流れで、東大受験チームに手を挙げました。
チームの生徒たちは、時々集まり、どうすれば東大に合格できるのか、どんな工夫をして勉強すればよいのかを、先生たちから直接学ぶ機会を得ていました。
また、毎朝下駄箱のところに朝学習用のプリントが1枚ずつ置かれていて、それを自由に持ち帰れるようになっていました。強制ではなかったものの、息子はいつもそのプリントを教室に持って行き、2時間目や3時間目の休み時間に取り組んでいたようです。
けれど、内容は朝の短時間では到底終わらないレベル。息子はそれを家に持ち帰って、宿題のようにコツコツと取り組んでいました。
「これを全部クリアできたら、相当な実力がつくだろうな」
と思えるような教材を、学校は惜しみなく毎日提供してくれました。そうした体制こそが、あの高校の大きな強みだったと思います。
塾に通わない息子のような生徒にとって、授業だけでは足りない部分をどう補うかについて、学校はしっかりとサポートを用意してくれていました。あとは子どもがそのサポートを活かすかどうか。息子はその環境の中で、真面目に、そして楽しみながら学び続けていました。
私は3年間、「勉強しなさい」と一度も言うことなく、息子が自ら受験に向かってくれると信じて見守っていられました。
学年主任の先生の考え方も本当に素敵でした。塾に通わずとも大学受験はできる。この高校に入ったからには、すべてを学校の中で完結させようという方針。——「僕が大学に行かせます」とまで言ってくださる先生に出会えたことは、本当に心強く、感謝の気持ちでいっぱいです。
オーケストラ部や合唱部での活動、そして学習面でも無理のない形で学べる環境に恵まれたことが、息子の高校生活をより豊かなものにしてくれました。
音楽、学び、人との出会い。すべてが息子にとってかけがえのない3年間でした。
「この学校を選んで本当によかった。間違いじゃなかった」
心からそう思えます。