その子らしく生きていくために

〜幼稚園時代〜

集団に入れない

息子が幼稚園に入園した翌日から、私は園庭の外から遠巻きに息子の様子を覗きに行きました。集団生活での息子が心配だったからです。息子は、同じ年中さんの他の子たちとは全く一緒にいませんでした。私が見た息子の姿は、園庭の一番端っこの砂場で一人でただひたすら山を作っていたり、一つ上の年長さんの教室に一人だけ違う色の帽子をかぶってまじっていたりといったものでした。


そんな息子の様子を見て、先生には「ご迷惑かけてごめんなさい」という気持ちでした。そこで、ある日、園長先生に言いました。

「何日か息子の様子を見ていたんですけど、あの子は全く他の子と一緒に居ないんですけど、あれでいいんでしょうか?」


とっても優しい園長先生が、その時に初めて怖い顔をして言いました。

「辛いのは、お母さんではありませんよ!」


その後に、こう続けました。

「Sちゃんは、Sちゃんなりに、いつかみんなと一緒にって気にしていますよ。今、無理に型にはめてもはじけてしまいます。ここでは私達が責任をもちますから、心配だろうけど、毎日登園してくれることでOKにしましょう。


でも、心配よね。ママも毎日いらっしゃい」


思いがけない園長先生の言葉に、私は思わずこう返しました。

「えっ、毎日ですか?でも、親が毎日来るって問題ないですか?」

園長先生はにっこりしながら、答えました。

「ここは、子どもたちだけの場所ではなく、親のための場所でもあるのよ。それが幼稚園だから。決して、それを拒むところではないわ。


PTAの役員になるといいわよ。2階の役員室からは園の様子が全部見えるから。それなら堂々と園に来られるでしょう!」


すごい園長先生に出会ってしまった!私も息子もなんてラッキーなんだろう!息子にとっての初めての集団生活は、このおおらかな園長先生のもとでスタートすることになりました。

ルールを決めれば集団の中で生活できる

幼稚園という集団に入ることで、息子のできないことがたくさん見えてきました。年中さんの一年目は、息子は全くみんなと一緒に過ごしませんでした。集団でみんなが集まらないといけない場面になると、息子は一人ですーっとどこか違う場所に移動していました。本当に集団に入れないんだと思いました。

集団生活をするためには、集団のルールが必要になります。もしも、幼稚園の先生たちが、集団のルールに息子を合わせようとしていたら、息子は自分のしたいことを止められることに対して、「どうして?」となって、きっとギャーっと泣いただろうと思います。けれども、先生たちは息子を集団のルールに合わせようとはしませんでした。

集団のルールに息子を合わせようとする代わりに先生たちが行ったのは、息子に合わせたルールをつくって、息子と約束をしたことでした。

・どんな嫌なことがあっても、勝手に家に帰らないこと

・「僕はどこどこにいます」とちゃんと伝えて、そこから動かないこと

・職員室にいてもいいけれど、絶対にパソコンは触らないこと

・みんなと一緒にいてもらわなきゃいけないことがある時は一緒にいること


息子は、ちゃんと伝えれば駄目ですと言ったことはしません。ですから、一つ一つのことを先生と息子で約束をしながら、徐々に徐々に、彼がみんなと接することができるようにしていってくれました。


毎日幼稚園に通って集団生活の中での息子の様子を見る中で、息子はみんなと一緒に行動するのはすぐには難しいこと、他の子とは違った対応が集団の中では必要な子であることがはっきりと見えてきました。


その頃から、この子をどうやって周りが受け入れてくれるのかを考え始めました。この子をどうやって、どこに向けて育てたらいいんだろうかを一番考えたのが幼稚園の2年間でした。


周りに迷惑をかけずに息子にあったルールをつくって、そのルールさえ逸脱しなければ、なんとか息子も社会という集団の中で生きていけることを幼稚園の先生たちから教わりました。


私に対しては、園長先生からこんな言葉をかけてもらいました。

「幼稚園でこうしなくちゃいけませんよっていうのは家に帰って言う必要はないからね。あなたの今までの育て方、決して間違ってないわよ。好きなことさせるっていいと思うわよ。2人で楽しみなさい」


そう言って背中を押してもらったことで、ものすごく気持ちが楽になりました。

好きを選べない

幼稚園での朝のルーティンは、出席ノートにシールを選んで貼ることから始まります。好きな動物やお花のシールを選んで、自分のノートに貼ります。けれども、息子はシールを選べませんでした。


息子には選ぶことの基準がわかりません。「好きってどういうこと?」どれも嫌いじゃないし、好きでもない。そんな気分だったのかなと思います。結局シールを選べなくて固まってしまいました。


先生と息子は、こんなやり取りの末に、シールを選ぶ方法を決めたそうです。


先生 

「Sちゃん、シールを選ぶいい方法を教えてあげるね。

『どれにしようかな、神様の言う通り』

と言って、シールを順番に指さしていって、止まったシールを選べばいいいのよ」


息子

「このシールから始めるとこのシールになります」


先生

「あらー、確かにSちゃんの言う通りね。

じゃあ、毎日、順番にひとつずつ違うシールを選んでいくのはどうかしら?

そうしたら、出席ノートに、いろんなシールが並ぶわよ」


息子

「はい、そうします」

子どもの心を育てる

「これは正しいですか」

「これは間違ってますか」

「1+1はいくつですか」

YesかNoで答えられるものや答えが一つのものなら、息子は答えることができました。


けれども、「どれが好き?」という正解のない質問には全く答えられず、フリーズしてしまいました。無理に答えさせようとすれば、泣き出したり、パニックを起こしてしまいます。


「お誕生日に何がほしい?」にも答えてくれなかったので、お誕生日プレゼントを選ぶのは本当に大変でした。


好きという気持ちや、何かを欲しいと思う気持ちは、その頃の息子にはよくわからなかったようです。好きと思う気持ちがわからないのですから、好きなものを選んでくださいの要求には困ってフリーズしても仕方のないことです。


「じゃあ、これにする?」

と言って、いやと言わなければOKとする。わざわざ負荷をかけて決めさせる必要はないと、私だけではなく、先生方も思ってくださいました。


幼稚園の集団生活で、心の成長に関して他の子との違いがはっきり見えてきました。 「楽しい!」「嬉しい!」などを人に伝えることもほとんどありませんでした。自分の気持ちにまだ気が付いていなかったのだと思います。


お友達に「ねえねえ、見て見て」「何してるの?」などのかかわりを自分からすることも少なかったと思います。自分以外の人に興味を持ったり、関わりたいと思う気持ちが育っているはずの年齢ですが、そこがあまり感じられない子でした。


まずは自分の楽しい気持ちに気が付く、そしてほかの人の楽しい気持ちにも気が付く。そんな心の発達が周りの子どもたちよりも息子は、ゆっくりだったのだと思います。心の成長を促すことは、とても難しかったです。

「楽しいね~」

「嬉しいね~」

「悲しかったね~」

「○○ちゃんは、いやだったんだよ」

その時々の感情を言葉にして彼に伝えることを続けていました。


私自身の感情も息子に隠さずに見せました。息子の前でも平気で泣くし、癇癪を起すこともありました。

「ママは今とても悲しい!だから泣いているのよ」

「どうしてママの気持ちをわかってくれないの」必ず言葉で息子に伝えました。

あまりに大声で私が泣いてわめくので、息子の方が唖然としてしまうこともありました。


息子は空っぽの箱のようでした。与えたものはどんどん吸収し貯えました。それは知識だけではなく、感情に関しても同じであってほしいと思いました。たくさんの情報を蓄えたコンピューターではなく、心豊かな人間に成長してほしいと、私は望んでいました。


花の名前を教えるだけではなく、「この花、いい匂いだね~」とか、「今日は、風が気持ちいいね~」とか、私が感じた気持ちを言葉にして伝える。そうすることで彼の心が育ってくれると信じていました。


季節感や行事も大切にしていました。旬を意識した食材を献立に使ったり、行事に合わせた食事を作っていました。ひな祭りにはちらし寿司。クリスマスにはチキンを焼く。息子は、食べられないものの方が多いのですが、いつか四季のある暮らしや行事を楽しめる心が育つといいなと思っていました。行事に合わせた玄関のディスプレイは息子にも手伝ってもらうようにしていました。


お休みの日には、彼を外に連れ出しました。

「どこに行きますか」ではなくて、「今日は◯◯に行きます」と言って。


連れて行ったら喜びそうな博物館や科学技術館に、ほとんど毎週のように出かけていました。私が車を運転してかなり遠いところまで、筑波や埼玉の端の方でも、面白そうな科学実験などがあるところには、よく連れて行きました。


科学技術館に行くと、そこから動かないという場所がいくつかあったりしたので、すごく楽しんでいたと思います。それでも、帰ってきた時に、

「ママ、もう1回連れてって」

という言葉を彼の口から聞くことはありませんでした。


感情をどうやって育てるのか、そもそも育つものなのかを当時の私は正直わかっていませんでした。ただ、感情は人と関わることでしか育たないものだと思います。振り返ると息子の成長の節目には、必ず、お友達の存在や、吹奏楽などの部活動での人との関わりがありました。人の心は他人とのかかわりの中で育っていくものだと、息子を育てながらなんとなく理解し始めていました。

行事に参加するのが難しい

幼稚園で初めての運動会に息子はほとんど参加していません。私はとても楽しみにしていたんですけど。


運動会の練習が始まってから、「何踊るの?」「何やるの?」と聞くと、全部教えてくれていました。

私  「できるようになった?」

息子 「下手だけど」

家でそんな会話をしていたので、運動会前日までは出るものだと思っていました。


ところが、運動会当日に幼稚園に行くと、息子の姿が見当たりません。先生に聞くと、

「そのうち出てくるかもしれないけど、今あの部屋にいるよ」

と言う答えが返ってきました。



それを聞いて、急いで教えてもらった教室に行きました。

私  「どうしたの?」

息子 「出るのやめたの」

私  「なんで?」

息子 「とにかく出ないの」

私  「・・・」


私は、もう何がなんだかわけがわからないなと思いましたが、息子にはこう声をかけました。

「嫌だって言うのはしょうがない。いやでいいよ。でも、そのうちちょっと覗きたくなったら出てきてよ」


どうしても息子が出なくちゃいけないかけっこの時に先生が呼びに来ると、それには参加しました。その後はまた、教室に入ってしまいましたけど。幼稚園で初めての運動会はそんな感じでした。

個の特性をいかしながら集団に入れる環境をつくる

運動会

今だからわかることですが、息子にとっては、当日になって見た運動会が自分の思っていた運動会と違っていたんだと思います。


幼稚園に行ったら、昨日の幼稚園と全く違っていて、国旗の素晴らしい飾り付けが空になびいていて、ここはどこだろうという状態になったんでしょうね。先生たちの態度もいつもと違ってみんなバタバタしてる。そこに音楽が大音量で鳴ってくる。お父さんお母さんが次々に現れて園庭が埋め尽くされてくる。


それを見て、息子は「何これ?」と思ったと思います。これはちょっと自分の居場所じゃないと思ったのか、騒がしくでだめだと思ったのか。とにかくいつもとは全く違う世界がそこに広がっていて、心の中はきっとパニックだったんだと思います。


それを無理やりに引きずり出されたら大変なことになっていたと思います。だけど、「そうなの。出ないの」と言う母と、「かけっこは呼びに来るよ」と言ってくれる先生だったので、なんとか段々と音や人がいることに慣れてきて、最後の方は何とかちょっと参加するようになったのかなと思います。


運動会では、お遊戯のようにみんなと一緒にすることに苦手意識ももっていました。「僕だけ一人いつも遅れてるんだよね」などと言っていました。親からみればお遊戯も完璧にできていると思えても、彼は、私たちが思ってる以上に完璧を求めていたのかもしれません。


幼稚園という集団に入ると、運動会以外にも集団でみんなで一緒に何かをする行事があります。

プール

夏になると、みんなでプールに入ります。息子は、顔に水がかかることがとても嫌でした。ですから、大きなプールにみんなで団子状態で入って、顔にバシャバシャと水がかかると、絶対入れないし、泣いてしまいます。


幼稚園では、先生たちが彼のための小さいプールを用意してくれました。「ここなら顔に水がかからないから OK でしょう?でも、みんなと一緒にプールだね」と言って。


授業参観のように親がプールの見学に行った時に、当然、他のお母さん達もみんな見学をしていました。息子が小さいプールに入っているのを見たお母さんたちは、苦情をいうどころか、

「水が顔にかかってプールで泳げなくなるよりもいいよね。小学校に行ったらプールがあるんだもん。ここで水を大好きにしといてもらった方がいいよね」と言ってくれました。


幼稚園の先生たちがきちんと理由を説明してくれたことで、子どもたちにも親たちにも、特別扱いだと感じさせずに率いてくれたやり方は凄いなあと思いました。

音楽発表会

音楽発表会の時には、他の子たちは何人かずつが同じ楽器を演奏する中で、うちの息子一人だけが鉄琴を演奏していました。しかも、みんなとあわせて演奏するのではなくて、曲のイントロ部分を彼が一人で演奏しました。そこにみんなが入ってくるというとても高度なことを幼稚園生がやってのけました。


演奏が終わった後で先生から聞いた話です。息子が、

「僕はみんなと一緒に合わせられない」

と言って、みんなと一緒に演奏することに納得しなかったそうです。


そこで、先生が、

「楽譜を読めるんだよね。じゃあ、このイントロの部分を毎日遊んでいる鉄琴でやってみない?みんなが合わせてくれるから、好きに弾いてごらんよ」

と言ってくれたらしいです。それで、イントロの部分だけを完璧に一人で練習して、みんなと一緒に音楽発表会の舞台で演奏しました。


音楽発表会のあとで、みんなから「すごいね」と言ってもらえました。先生からは、「みんなが一緒にやったんだよ。この曲は君がいたからできたんだよ」と言ってもらいました。


楽器を使ってもいいよとなったら、楽器のある部屋に一人でこもって楽器を演奏しているような子でしたから、みんなとは別じゃなくて、みんなと一緒になにかできるよというところに、先生たちがうまく繋げてくれたんだろうなと思います。

幼稚園の2年間で私が教えられたことは、子どもの特性みたいなものは変えられないし、何かしてくれたからこの子が変わるわけではないということでした。幼稚園の先生たちも、彼を変えようとしてるのではなくて、彼が集団に入れるいい環境を一生懸命つくってくれているとわかりました。


彼を取り巻く環境整備の大切さを、園での年中行事を通して理解することができました。そして、彼を理解している周りの人たちがいたおかげで、彼は幼稚園で楽しく過ごすことができました。


小学校に行ったら、幼稚園の時と同じように周りが彼を理解してくれるとは限りません。今ここで OK なことで、親が楽しちゃいけないんだなということは強く思いました。