その子らしく生きていくために

〜小学校高学年時代〜

初めての意思表示

小学校4年生になる前のある日、学校から帰ってきた息子が言いました。

「吹奏楽部に入りたいの」

息子が何かをしたいと初めて意思表示をしたことに私は驚きました。極端に聞こえるかもしれないですが、「○○買って」とか「○○したい」とか、息子はこれまで自分の欲求を口にすることがほとんどありませんでした。「これ食べる?」「これ欲しい?」いつも私から促していました。


私たちが住む地域では、小学校4年生から、男の子はサッカー、女の子はミニバス、男女どちらでも入れる吹奏楽の3種類の課外部活動が始まります。部活動は任意参加でしたが、どうしても吹奏楽部に入りたいからこの手紙にサインをしてほしいと息子から言われたのです。


そう言われた後、私と息子はこんなやりとりをしました。

私 「自分でやりたいと思ったの?音楽をやりたいの?」

息子「うん」

私 「私は反対なんだけど、本当にできる?」

息子「なんで?」

私 「クラスで年中トラブルが起こっていて、あなたはいつも泣いてて、周りに迷惑をかけてるんだよ。部活動は、クラスのお友達だけじゃなくて、ほかのクラスや、ほかの学年の人とも関わることになるんだよ。担任の先生もいないんだよ」

息子「・・・」

私 「部活動までママが出て行ってあなたのフォローをするのはさすがに無理だなー」

息子「でも、どうしてもやりたい」

私 「でも泣いちゃうよね。わがまま言っちゃうよね」

息子「泣かない。怒らない。喧嘩しない。大丈夫だから」

条件を決めて子どもを預ける

家ではいつもキーボードを弾いていたし、音楽は小さいときから好きだったので、本当に吹奏楽をやりたいんだろうなとは思いました。けれども、何しろ周りとの協調性が無さすぎたので、今はまだ関わる集団を広げるべきではないと思いました。


だけど彼の初めての意思表示「やりたい!」を大切にしてあげたい。そこで吹奏楽を始めるまでに段階を踏みました。

まずはじめに、息子と「もしもトラブルが起きたら、もうそこでおしまい。やめるでいいですか」という約束をしました。


次に、息子と約束した条件を吹奏楽をみてくれる音楽の先生に伝えました。

「もしもお友達や先輩とトラブルが起こった場合には、もうそこでやめさせると決めています。彼もそれを理解した上で、それでもどうしてもみんなとうまくやりたいと言っています。ひとりで楽器を弾くこととは違うことも伝えてあるので、みんなと仲良くやれないような状況が起きた場合には、やめさせてください」と。息子が一緒にいるところで先生に伝えて、あらためて息子と約束をしました。


吹奏楽の先生に「部活に関しては一切手を出さないので、もし何かあったら本当に言ってください」と伝えて、先生に預けることにしました。


吹奏楽顧問の先生がとても理解のある素晴らしい方で、息子の音楽への知識やスキルを評価してくださって、やりたいようにやらせてあげたいと言ってくださいました。そして卒業までの3年間を温かく見守って育ててくださいました。

初めて部活動に行って帰ってきた日に、息子はものすごく楽しそうに「トランペットをやることに決まった」と報告してくれました。いろんな楽器をやってみたけど、自分がやりたいのはこれかなと思ってトランペットにしたそうです。そうしたら、同じ学年ではたった二人の男子が二人ともトランペットをやるんだと、本当に嬉しそうに教えてくれました。


部活に行った日はいつも機嫌よく帰ってきて、いろんな話をしてくれました。トランペットの管の長さをボタン(バルブ)で仕切って音の高さを変えるしくみを「半分が半音になるんだとか、何分の何だからここの音になるんだよ」とか。


結局、数字に結び付くのねと。彼の好きなことが、音楽とつながり広がっていることをとても嬉しく思いましたし、やらせて良かったとも思えました。トラブルが起こって、辞めることにならないようにと新たな心配事が出現しましたけれど。


結局、何回かはトラブったり、ぶつかったりしたと思いますが、先生が私に報告をせずに、とにかく最後までやらせてくれて3年間やり通せたのだと思います。そのおかげで中学での吹奏楽にもつながっていきました。

心を交流させた初めての友達

息子は学校が終わったらまっすぐ家に帰ってくる子どもでした。そんな彼が4年生のある日、いつもの時間をとっくに過ぎても家に帰ってきませんでした。何時になったら帰って来るんだろうと、ものすごく心配しました。


ずいぶん遅い時間になってようやく帰ってきた息子に聞きました。

私 「何やってたの?」

息子「◯◯君とね、おしゃべりしてた」

私 「お友達とそんなに喋ることって、何かあったの?」


算数の話しかしない子でしたから、驚きました。聞いてみると、家にもあったゴルフゲームのスコアの話だったようです。


その日から毎日、部活動で出会ったその子と一緒に帰ってくるようになりました。その帰り道、他の子とでは会話にならないようなマニアックな話を延々していたようです。まるで彼氏と彼女のように、その子の家まで送って行って。それでもまだおしゃべりが尽きなくて、今度は息子の家まで送り返してくる。帰宅時間はものすごく遅くなるわけです。行ったり来たりを何往復も繰り返していたのですから。


楽しい会話ができるお友達と出会ったことは、息子に大きな変化をもたらしました。自分以外の誰かにしっかりと向き合うきっかけとなったのです。

人の男の子との出会いが心の成長につながった

吹奏楽部で出会ったその男の子が息子にとって特別な存在になったのは、息子と会話が成り立つ相手だったからです。息子は質問されたら答えますが、そこでおしまい。息子からは質問をしないから、コミュニケーションにはなりません。だけど、やっとコミュニケーションを取れるお友達と出会いました。自分以外の気になる存在。相手の話を聞いて、自分の意見を言う。相手の気持ちはどうなんだろうと想像する。やり取りが自然にできる友達との出会いです。


たった一人の男の子のとの出会いが、息子の小学校の残りの3年間にものすごく大きな影響を与えました。人と仲良くなりたいとか、仲良くするためにはどうしたらいいんだろうとか、それまでにはなかった感情がいっぱい出てきたようです。


彼から出てくる「なぜ?」の対象が、物質的なものや環境的なものだけではなく、人間に対しても広がりました。「あの子は、なぜあんなことするんだろう」とか、「なぜ嫌がるようなことするの?」とか。そういうことが全く気にならず、気づくこともなく過ごしていました。そんな息子が、自分以外の子がいじめられてることに気づいたり、それを家に帰ってきて報告したりするようにもなりました。なんだか人間らしくなってきたなあと感じて、とても嬉しかったことを思い出します。


大好きな友達の行動は気になるものです。その子が誰かとけんかをしている。そしてその喧嘩の原因が、その子のわがままやルールを逸脱した行為ということもある。そんなときの息子の心はざわざわして、「どうして?」「なぜ?」「僕の友達は悪い子?」色々な疑問が息子の中に渦巻いていたようでした。


今度は息子とその子の言い合いが始まることもよくあったようです。帰宅後の息子の様子がおかしいときは、「何かあったの?」と問いかけて、ざわざわの理由を聞いてあげることもありました。


自分と同じでないこと、人にはそれぞれ違った考えや、気持ちが存在することをそのお友達を通して理解していったと思います。


私の存在に対しても息子はどう捉えてるのかは、その頃まではよくわかっていませんでした。


私がなぜ学校に行っているのか。私も働きたいけれど働けないということを少しずつ理解してきて、「ごめんね、今日も来てくれたんだね」という言葉が出るようになってきました。それまでは、来ても来なくてもいいよと思っていた息子が、「餅つきのお手伝いに今回も来てくれるの?」と、気にするようにもなりました。


以前は、私が病気になって具合が悪いことを彼に伝えても、「大丈夫」の一言もなければ、全く気にする様子もありませんでした。それが、5~6年生になっていく頃に、私が咳をしているのに気づいて、「風邪引いたの?大丈夫?」と言えるほどに成長しました。息子の発した「大丈夫?」の言葉には胸が熱くなりました。人を思いやる気持ちが育ってくれたことは、何よりうれしい出来事でした。

全く人を気にせず自分の目の前にあることに淡々と生きていた息子が、一人の男の子と出会ったことで驚くほどに成長しました。その男の子を大好きになったことが発端となって、その子と仲良くなりたいという気持ちと、一人のお友達と気持ちを交流させることの難しさを知ったことが、息子の心の成長につながりました。一人の男の子を通して、いろんな社会や人間関係が見えてきたんだと思います。

公立の中学に行きたい

息子は学ぶこと、新しい知識を得ることが好きでした。そして、息子はとても高い知能を持っていましたので、その能力を伸ばせる環境へと導いていくことが息子の将来にとっては大事だと考えていました。ただし、息子は学校以外の塾や習い事への興味はなく、帰宅後はゲームをしたり音楽を楽しんでいましたので、その時間は大切にしてあげたいとも思いました。なので、中学は公立ではなく、学力を伸ばすことに重点を置いて、県内初の公立中高一貫校か国立付属中学の受験を考えていました。


「どこの中学に行きたい?」と聞けば、学区の中学でいいよと息子は言います。でもそれではもったいないような気がして、私は受験をさせたかったのです。


私は息子にこう言いました。

「受けるだけ受けてみない?もし受かれば、それが神様が与えてくれた運命だと思うの」

勝手なこじつけですが、偏差値40以下の評判のよくない学区の公立中学校へ行かせることに正直ためらいがありました。

「数学の問題解いてみたいと思わない?結構難しいらしいけど」

そんな誘い文句に息子はあっさりと「受験してもいいよ~」と2校とも受験してくれました。


ですが、結果は見事不合格!1次試験は通過しても、本人がその学校にまったく興味がないので、まともな面接にはならないことを考えるべきでした。

「なぜこの学校を受験したのですか?」と面接での質問に「ママが行けと言いました」と答えたそうです。

「正直ね~!」と、今では笑い話のネタになりました。


学区の公立中学校に進学した息子は、思う存分に部活を楽しみ、地域の友人たちと共に成長していきます。学力に合わせた環境は、高校からで十分であることを私も学びました。偏差値や人からのうわさでは何も計れないことも実感しました。


息子にとっては、小学校、中学校、高校、大学、大学院と通った学校のうちで、どの学校よりも居心地がよくて一番好きだった学校が中学校と言えるくらいに思い出深い学校になりました。

集団の中の自分に気づく

息子の知能が並外れて高いと気づいたことで、幼稚園の頃には、息子を東大に行かせたいな、きっと行くだろうなと思っていました。海外の大学はその頃視野になかったので、東大だけを思い描いていました。


それが、東大に行かせなくちゃだめだろうと思い始めるのは、人との関りが苦手で、コミュニケーションに課題があることにだんだんと気づき始めた小学生になってからのことです。「変わっている子」「変わった人」そう形容されるなら、それを逆手にとって「東大出身なんだ~、頭はいいけどね~」そんなレッテルを貼るのも息子が生きやすくなる環境設定だと真面目に思っていました。


企業や組織に就職したとしても出身校は役に立つ。もし息子が研究者の道を選ぶなら、博士課程までの間に師事する先生に出会って欲しい。息子を理解してくれる少数の人との関りが、息子の居心地の良さにつながると考えていました。トランペットを通して音楽への興味も深くなっていたので、音楽の道を究めていくことも漠然とですが選択肢に入れていました。


学ぶことが好きで勉強はどんどん積みあがるので、あとは彼が東大を好きになり、あの大学へ行きたいと思ってくれれば入れる。母は耳元でささやいていました。

「絶対東大へ行ってね」

それが息子の幸せと信じていました。偏った考えには反論もあるでしょうが。


息子の将来を考えることと並行して、息子が周囲の人と関わるスキルや折り合いのつけ方も話し合って伝えていました。息子にトラブルが起こるたびに、なんでこうなっちゃったのかねという話を息子にしていました。息子が感じていることや見えている世界と私やお友達が感じているものとのずれを伝え、どちらが正しいのでもないけど、それぞれの人にはそれぞれの見え方や感じ方があることを繰り返し伝えていました。実はみんなは君のことをそんな風には思ってないんだよとか、君が見ていたものはちょっと違うんだよとか、こういう理由があるんだよとか、そこを君は見てないよねとか。伝え続けることで、いつか彼が自然と人と関わるスキルを身につけてくれると信じていました。


そのうえで、みんなと一緒に社会の中で生きていくのがすごく難しければ、一人でも好きなことをやって生きていけて、ご飯を食べていけるようにするために、何が君は楽しくて、どんな楽しいことで君は生きていけるのかなっていうのを考えていこうねと話し合うこともありました。


息子の通っていた小学校は中学受験をする子が多く、頭の良いお友達もいっぱいいました。だからこそ、息子は数学のおしゃべりをしたり、数学を土台にしたゲーム作りを仲間と一緒にやり始めたりしました。吹奏楽部に入って、仲間と一緒に音楽を作ることも。一人ではない育ちを小学校高学年でできるようになりました。


だからトラブルも減っていくし、周りが見えてくるし、ルールみたいなものをどうして守らなきゃいけないのかもわかってくる。今まで気づかなかったことがどんどん彼の中でも気づいてきて、誰かと関わる方にいったのかなと思います。


体育祭でみんなと一緒にダンスをすることも、「僕が一番下手なの」と言いながらも嫌がらずに一つの駒として動いていくことを楽しいと思えたり。クラス対抗で長縄跳びをやる時に、失敗しても「頑張れ」と言って助けてくれるやりとりを大事だと思い始めたそうです。


吹奏楽部でも、みんなが上手じゃなくてもそんなことはどうでもよくて、ひとつの曲をみんなで演奏する、そのシチュエーションが気持ちいいと思えたのでしょう。


息子は集団の中の自分に気がついて、集団の中で何かをすることは楽しい、心地よいと少しずつ思うようになりました。受験をして勉強だけの環境を作ることは、その頃の息子に必要なことではなかったのです。神様はちゃんと見ていたのです。

息子と私の中学選びの視点が違っていたんだと思います。息子は、みんなと一緒の公立中学に行きたいと言いました。

「勉強よりもみんなと一緒に行事をすることが僕には大事だと思う」と、高校を選ぶときにはきちんと言語化して私に伝えてくれました。中学入学の際も息子はもっと友達と関わって成長したいと思っていたのだと思います。進学した公立中学にはやんちゃな子どもが多くても、それもまた成長への刺激になっていきました。