その子らしく生きていくために

〜小学校低学年時代〜

周りを見て行動できない

小学校へ入学しても息子の様子は気になりました。たまたま様子を見に行った教室で、息子がぽつんと一人だけ取り残されていたことがありました。

「なんで一人なの?」と聞くと、息子からは「わかんない」という返事。


小学校では、時間割が決まっていて、一つ一つの授業にスタートと終わりがあります。休み時間にトイレに行っておくなどのルールが決まってることは問題なくやれます。けれども、体育の授業では、スタートするまでに体操着に着替えて校庭や体育館に移動するというルールが息子にはとても難しかったようです。いつから着替え始めたらいいのかもわからないし、体操着を着るのにどのくらいの時間がかかるのかを自分では把握できませんでした。


見えないルールとか、暗黙のルールでそこは空気を読もうよというわけでもありません。周りを見て着替え始めるタイミングをつかめばいいのですが、周りが見られないんです。「周りを見てごらん?」と言われたら、「周りを見る」の周りってどこ?誰のこと?と思ったことでしょう。「周り」という言葉そのものが、息子にはあまりにも漠然とした指示なのでしょう。


例えば、「常に誰々ちゃんを見て」と先生に指示されれば、その子を見てやればいいし、「先生を見てやりなさい」といって先生が目の前で着替えてくれたらとても分かりやすい。入学当初は息子をそこまで理解してくれる環境はありませんでした。


ですから、トイレに行って帰ってきたらもう誰もいなかったなど、取り残されている状況がよくあったようです。その上、SOS を出すことも難しかったのでしょう。今の置かれている状況が理解できないのですから、そんな息子に気がついた先生やクラスメートの声掛けがあるまで一人取り残された状態だったようです。


息子の通訳者として学校に関わる

息子が小学生だった当時は、発達の偏りや特性を理解している先生もいませんでした。私自身も医学的や学問的な知識で息子を理解していたわけではありません。

「うちの子はちょっと変わっていて、いろんなことができません。ご迷惑をおかけします」

と、先生へ伝え、息子の困り感が見えた時にこまめに説明をしていました。


私には、「学校にいる時のことは学校の役割だよね」という考え方はありませんでした。ですから、幼稚園時代のように息子のそばについて学校内で過ごすこともありました。先生に完全に預けるまで、しばらく学校通いが続きました。

学校に行った時は、廊下でそっと息子を取り巻く背景を見ていたりしました。そして、息子には修正しなきゃいけないことや理解すべきことがたくさんあることに気がつきました。息子には、学校での相談先を伝えました。

「何をしていいのかわからないことや困ったことがおきたら、まずは担任の先生に伝えるのよ。先生にはお願いしてあるから安心して頼っていいのよ」と。


また、担任の先生には、

「困ったら先生に相談してと言ってあるので、なかなかもじもじして言えなかったら声をかけてほしい」

とお願いをしておきました。


そのうちに、先生もだんだんとわかってきて、

「今日こういうことがありました。家に帰れなくて学校にまだいます」

というような連絡をくれるようになりました。どうしてそうなったのかの理由がうまく説明できない時は、私の方で息子から理由を聞いて、それを先生に伝えるような通訳的役割を担っていました。1年生の時の担任はベテランの先生で、息子を上手に甘やかしながら、学校の中のルールを教えてくれました。


息子は算数セットが本当に大好きで、どんな時でも算数セットを机の上に出しておかないと気がすみませんでした。算数セットに会いに学校に行くんだ的に楽しみにしていました。国語の時間に先生が、

「今は国語の時間なので、算数セットはしまってください」

と言っても、どうしてもしまえませんでした。


その先生は、

「わかりました。今は国語の時間だから、国語の教科書をきちんと見て国語のお勉強をしてください。その算数セットは机の上に置いておいても構いません。だけど中のものを出すのはお休み時間にしましようね」

という約束を息子として、机の上に算数セットを置いておくことを OKに してくださいました。


否定的じゃない先生ってすごいなと思いました。それをしたらダメと言うんじゃなくて、何をしたらいいのかを伝えてくれる先生だったので、1年生は結構落ち着いて過ごすことができました。


否定的な言葉に極度に反応する

息子は否定的な言葉が苦手で、「ダメ!」という言葉に極度に反応していました。幼児期もクイズ番組の間違いの音「ブッブー!」がいやで、テレビを消してしまう時期がありました。学童期は自分に向けられる言葉だけではなくて、他の子に向けられる言葉に対しても反応していました。


子どもはすぐ「ダメ!」と言いますよね。何をやっても「それやっちゃダメー」「それさわっちゃダメー」とか。「ダメ!」を聞いた途端にパニックになることもありました。「いや~!」と言いながらお友達をつき飛ばしてしまうこともあり、この頃は、ケガにつながらないかがとても心配でした。


先生が大声で叱る様子にも反応し、「先生がダメーーー!」と向かっていくこともありました。落ち着いてから、「何があったの?」と聞いてみると、

「だって、突然怒鳴るの!なんで静かに注意しないの?先生なんだよ」と。とくに男の先生は苦手だったようです。

「○○してはいけませんって説明すればいいのに、いきなりあの先生は○○くんを怒鳴りつけたの」

と私に訴えました。


そんな息子の気持ちをその都度、先生にお伝えして理解してもらっていました。男の先生の怒鳴り声は中学生になってもトラブルの原因でしたから、この後も続いていきます。


心が育つまでは失敗して傷つかないようにサポートする

パニックをおこしてしまうと自分ではどうすることもできません。心が不安定になってきたことを事前に感じられたらいいのですが、この年齢ではまだ無理でした。クールダウンすることやその場を離れるなどの対処ができるようになるまで、息子には我慢を強いることになりました。

お友達を突き飛ばしてはダメ、お友達を殴ってはダメ。衝動的な気持ちをどう抑えるか?

いろいろ考えましたが、手で握れるくらいのドラえもんの人形をフェルトで作って、息子のポケットに入れることにしました。


そして、息子にはこう伝えました。

「いやーっ!て気持ちになったら、ポケットにいるドラちゃんをぎゅっと握ってママを思い出そうね。お友達に手を出しちゃダメ」

どれほど効果があったかはわかりませんが。今でもドラちゃんのマスコットはお守りとして息子のバックの中にいます。


3年生の時には、こんなこともありました。筆箱を開けると、鉛筆の木の部分がかじられていて、芯がむき出しになっていました。日に日にそのむき出し加減が激しくなって、すべての鉛筆がかじられてボロボロになっていきました。


きっと何かのストレスがあるんだろう。何かのアピールであり、SOSかもしれないと心配でした。でも理由を聞いてもなんとなく程度で、本人にもわかりません。とにかく鉛筆の芯の部分は体にはよくないだろうし、癖になってしまうのも困るので、自然にやめられたらいいなと考えました。

息子が眠ってから、すべての鉛筆を新品にして1枚のメモを筆箱に入れてみました。

「かまないで!痛いから~今日はかまないでね♡」

翌日学校から帰ってきた息子は、嬉しそうに「ママありがとう。かまなかったよ」と言ってくれました。

メモはしばらくそのまま筆箱の中。気にしてないとまたかんじゃうからとのことでした。担任との折り合いが悪かった3年生はいろいろありました。


実は、小学校に入ってからの遠足にも見つからないように隠れてついて行きました。先生には、

「何かあれば呼び出してください」

と言って、携帯の番号もお知らせしていました。

過保護といえば過保護ではあったと思います。彼を傷をつけたくないことが理由です。常に笑顔でいて欲しかった。多くの子どもは、失敗を次の成功につなげるという育ち方をします。頑張ることを周囲は応援します。けれど、息子には失敗を受け止められる時期まで、先回りでフォローすることが必要だと感じていました。心がもう少し育つまでは過干渉、過保護な母でいると決めていました。


もちろん、これは私のやり方であって、これが正しいと断言はできません。守れるところまでは守っていく。傷ついても受け止められる心が育つまで少し時間のかかる子どもだと思ったからです。


例えば、忘れ物をさせないこともその一つです。忘れることは失敗ですから。

「先生、○○を忘れちゃったんです。どうしたらいいでしょう?」

と、自然に先生にSOSできるようになるまで忘れ物はさせない。持ち物チェックは母が完ぺきにする。そして息子のフォロー役は私だけではありませんでした。クラスの女の子たちの中にも数名お世話役が居てくれました。「手がかかるんだから~」と言いながらかまってくれる女の子たちに、私はとても感謝していました。


言葉でSOSを出せない

小学校3年生の授業参観では事件が起こりました。その時の担任の先生は、残念ながら息子からのSOSのサインを受け止めてくれない方でした。その先生の授業参観で、一人ずつ前に出て発表する場面がありました。子どもは教室の後ろにずらりと並んだ保護者に向かって発表をします。


息子にとっては一番苦手なことだったと思います。名前を呼ばれて前に出ることはできましたが、彼は何も喋れませんでした。先生はただ見ているだけで、息子に声をかけることはありませんでした。


教室に沈黙の時間がしばらく続いた後、突然、息子は窓際にだーっと走って行ってカーテンを閉め始めました。その後、教室の電気をパチっと消しました。それで、教室が一瞬暗くなりました。それでも、担任の先生は何もしませんでした。


私は、自分が出るしかないと思って、カーテンをさっとあけて電気をつけました。そして、「すみません」と謝って、息子を教室の外に連れ出しました。


その私の背中に向けて、あるお父さんが、私に聞こえる声で

「親の育て方が間違っていると、ああなるんだね」と。


初めて、「ああ、こんな風に攻撃する人がいるんだ」と思いました。それまでは、そういう言葉は耳に入らずに、表向き否定されることもなく過ごしてきました。私自身も守られていたんだとも感じました。


子どもたちに息子をフォローしてもらう

そのお父さんは、初めて授業参観に来て、「何をしてくれるんだ、せかっくの授業参観を」と思ったのでしょう。いろんな子どもがいるという理解はなく、指示されたことをどの子もできると思っていたのでしょう。

「ああいうことをしたらもう NG の子だよね」という大人目線の捉え方でした。たった一度、初めて見た子どもの行動で、その子だけならず親までも決めつけてしまう。大人の見方は本当に極端だなと思いました。


きっとそういう目で見られることは、これからもずっとあるんだろうと改めて覚悟できました。親の考え方や行動は子どもに大きく影響します。息子へ向けられる敵意を考えると、子どもたちとの関係性を私が作っていく必要があると感じました。


私は親たちと仲良くなることよりも子どもたちと仲良くなっていきました。うちの子がどんな子なのかを知ってもらって、フォローしてもらう。子どもたちに声をかけることを大切にしていきました。


息子は、低学年のうちは、クラスの中の一員であるという意識だとか、この学校の生徒だとか、所属意識みたいなものもまだ全然芽生えていませんでした。その日に何がおこったかで、泣いたり笑ったりしながら過ぎていく。どこにもまだつながってないような状態でした。


息子は、ルールがわかるまでは、何をしたらいいのかわからず、すぐに泣いてしまいました。メソメソし始めると、先生も友達も困ってしまうほど泣きやまないことがあったと思います。それでも、いったん落ち着いて、「これはこうやってこうするんだよ」と教えてもらったら、彼もケロっとして、次からはできるようになる。その繰り返しをずっとしていたみたいです。


2年生の時に、私が衝撃を受けたことがありました。教室にいる息子に声をかけようとしたとき、同級生の女の子が近寄ってきました。

「ママ、今、声かけても何も聞こえないよ。真剣にあれやってるから。今ね、天才モードなんだ」

「天才モードなの?」と聞いたら、

「そう、なんか真剣にやってるときは何も聞こえないみたい。なんでもできるし何でも知ってるし、○○君は天才なの。でもね、時々赤ちゃんモードに変わるんだよね。もうそうすると大変なんだ。だって泣いちゃってね、止まんないんだもん」

と教えてくれました。

この女の子の表現を聞いた時、子どもの感覚での捉え方とフォローの仕方がすごいなあと感心しました。誰かに言われたわけじゃなくて、自分が接する中で、うまく接することができる時と何を言ってもこの子とうまくいかない時があるという二つの状況を分析して、当たり前のように口にしていました。それをクラスの中の共通言語にしている子どもってすごいなあと感じました。同時に、子どもたちに感謝しなくちゃいけないなとも思いました。


学校では色々なことがおこりましたが、私は、やっぱり息子が学校に通えていることが素晴らしいことだと思いました。子ども同士のかかわりが間違いなく息子を育てていると思えたからです。