宮司のたわごと
神社の日常や季節の移ろい、参拝者や地域との関わりを宮司が綴る日記。祭事の裏側や草花、動物たちとのエピソードも交え、ユーモアと洞察に富んだエッセイ風の読み物です。(注、チャットAIが考えた説明。だいぶよくなってきた)
宮司のたわごと
神社の日常や季節の移ろい、参拝者や地域との関わりを宮司が綴る日記。祭事の裏側や草花、動物たちとのエピソードも交え、ユーモアと洞察に富んだエッセイ風の読み物です。(注、チャットAIが考えた説明。だいぶよくなってきた)
7.9.20 おみこし渡御の日は晴れだ
お祭りで露店を冷やかしたり、なにか買って食べたりするなら、晴れたほうがいい。
だが、おみこしについて歩くとなると、曇りのほうがよいのだ。
気温が20℃以上だと汗はかくし、歩く距離にもよるが日に焼ける。
30℃を越えてくると熱中症の恐れも高まり、危険だ。
晴れの日なら、おみこしについて歩く最適な気温は10℃台後半ではないか。
もちろん雨はイヤなものである。
濡れるし、それなりに事前準備をする必要もあり、片づけもたいへん。
かつては二週間以上前から天気予報を見て、曇りだ、晴れだと移り変わるのを気にしていた。
しかし最近はほとんど見ない。ようやく数日前、確認したくらい。
結局、気にしても降るときは降る、晴れるときは晴れる。
当然ながら天気予報は数日前だと、精度が高い。
そこで確認し、雨なら雨に当たってもよいよう準備をするだけだ。
今回は秋晴れ、ちょうどいい気温のようである。
雨が降るかも、なんて考えないでよい分、気持ちも楽。
ただ、あすは諸準備の日だというのに雨の予報。
あさっての朝、宵宮祭当日が予備日である。
まあ、おみこし渡御の当日降るよりはマシだろう。
7.9.19 祝詞を書き始める
秋祭り用の祝詞を書き始めた。
宵宮祭、本祭を初め、いくつも書かねばならないのである。
折り目のついた奉書紙を使っていて、これにあらかじめ線を引いておく。
最初は縦線だけだったのが、横線も引くようになり、今や原稿用紙のようだ。
本来の書き方ではないのだが、できるだけ美しく見えるようにすることも敬意を払うためなのである。
もう何度も、何年も書いているから頭の中で微調整しつつ、いきなり書いていく。
お祭りの準備等で疲れていると、つい誤記してしまう、ということも起こり得る。
それで、頭がハッキリしているときに集中して書く。
だいたい一時間ほどで一折、できあがる。
かつては細切れの時間を利用しつつ書く、ということもあった。
神主はお祭りごとをだいじにし、お祭りごとでもっとも大事なのは祝詞。
だとすれば、こんな書き方もやはり、邪道ではある。
また、以前は、型にはまらないような構成や表現を好んで使ったこともあった。
だが今は、特に本祭ではオーソドックスな構成、表現のほうがふさわしいと感じている。
毎年変わりばえのしないものとなるが、そのよさがわかってきたのかもしれない。
7.9.18 墓をしまって墓を建てる
いわゆる「墓じまい」のお祭りをしてきた。
神道形式で先祖のお祭りをしているおうちである。
これが少しイレギュラーで、三世帯同時だった。
今の各世帯主の曾祖父が同じで、つまり親戚どうし、お墓が三基横並び。
そのうち二基の敷地の上に、神道会の合同慰霊墓を建立することになったのである。
神道会とは、神道形式で先祖のお祭りをする方々の団体。
そのお祭りは相内神社で行うから、お寺さんでいう檀家に似ている。
もうどんな墓を建てるか決まり、業者との契約も済み、工事開始までの段取りもほぼ完了。
年内には竣功予定である。
現場の状況から、祭壇はほぼ真ん中に設置、お祓い、お供えをし、祝詞を読む。
玉串は通常、祭壇にてあげてもらうが、今回はそれぞれの家の墓の前にあげてもらった。
お祭りを閉じたあと、親戚だし関わりがあるだろうから、ほかのおうちの墓もお参りください――と勧める。
そして、各自がお参り中に片づけ。
祭事中、ずっと霧雨が降っていた。
しかも風がついていて、顔にバンバン降りかかるのだ。
びしゃびしゃに濡れたが、神事に雨はむしろよいと自分に言い聞かせ、ご奉仕したしだい。
7.9.17 のんびりのほほんとしていたい
氏子区域内、国道の両側の10キロほどの区間に、お祭りの大のぼりが立った。
2対で計14本、高さ5メートルくらいか。
同じく境内の国道側にも2対4本。
きのうはその作業日だった。
私も加わり、手伝うフリをしたのだったが、暑くて汗だく。水分をとり、また汗だく。
晩はお祭りの会議。
最終の会議なので、今後の流れの確認や、これまでの進捗状況の報告が中心である。
あとは懸念される事項を若干、協議したくらい。
毎年、大のぼりは本祭の一週間前に立てることになっているから、私としては「もう一週間ないのか」という気分になる。
やることは山積みなのだが結局、優先順位をつけて、ひとつひとつ片づけるしかない。
その「やること」、思いのほか時間がかからないことも多い。
それに、サラリーマンじゃないから社務所を閉めたあと、寝るまでの間にやるなど自由がきく。
こうした忙しい時期は特に、なににつけ、あまりマジメに考えすぎないよう心がけている。
もっとマジメにやれと、言われるかもしれない。
だが多忙な時期ほど、ノンビリするのが大事だ。
のほほんとしたまま、お祭り当日を迎えたいものである。
7.9.16 家はなくなり個人の時代……か?
終戦後、だんだんと「家」が解体されていった。
「お父さん」が働いて金を持ってくる。
「お母さん」は家の中をとりしきる。
複数の子供がいて、その子供にとって祖父祖母にあたる人がおり、サポートしていた。
「父」に助言をしたり、「母」の家事、育児を手伝ったりするなど。
そのサポートを不要とする人が増え、核家族化が進む。
さらに女性が社会進出して、「母」が仕事をするようになる。
家事や育児は分業となっていったが、長引く不況の中、子供を育てる余裕がない人も増えてきた。
するとだんだん少子高齢化してきたが現在、若者は子供をつくるどころか、結婚しようとする人さえ少なくなってきた。
リアルな異性と深い関係を持つのは、コスパが悪い。
金もないし、自分の生活を高めるため趣味に使いたい。
だから一生独身でもいい。
このような状況からすると、「家」はすでに崩壊したのかもしれない。
民法上の「世帯」はまだあっても、血のつながりはあっても、「個人」が集まっているだけ。
仮にこれが正しいとしたら、個人としてどう生きるかが今後、より問題になってくるだろう。
――というところで字数が尽きた。
7.9.15 悪口
昔は、最寄りの神社ばかりお参り。
あとはせいぜい旅行時など、有名な神社にお参りするくらい――といった人が多かった。
最近では、自由にあちこちお参りする人が増えている。
当社へのお参りの人も、同様である。
すると自然に、よその神社の話を耳にすることも多くなってきた。
話を聞き、反面教師というか、人のフリ見て……というか、気をつけねばと思うこともしばしば。
なぜか、悪口が多いからである。
いくつかあげよう。
以下ひとつの神社ではなく、複数である。念のため。
ある神社にて、宮司らしき人が話しかけてきたがニヤニヤして気持ち悪かった。
ピンポンを押し、社務所玄関で待っても全然、出てこない。
チョコレートをもらったが、とけていた。
SNSを見たら、宮司の自己満足感が全面に出ていてキモかった。
――とまあ、さまざまだが、みなさん容赦ない。
すべての人に好かれようとするのは、無駄な努力。
参拝者にしても、同様だろう。
それにしても、私がこんなことを言われたら心が折れちゃうね。
だが私だって、悪口を言われているはず。
それが耳に入らないのは、耳をふさいでいるからだ。
7.9.14 るの造語力
伊東市の小学生の間で「田久保る」というスラングが今、はやっているという。
嘘をつく、という意味らしい。
テレビでやっていたそうだが、一部なのか、子供のほとんどなのか。
はやっているというと、ちょっと疑わしい気もする。
このニュースを聞いたとき、その真偽よりも、やっぱり「る」か、と感じた。
名詞に「る」をくっつけて、動詞として使う例は過去にもたくさんあったからだ。
「メモる」「キレる」「ボケる」なんてのが代表選手。
外来語の一部に「る」をつける例もある。
「サボる」はサボタージュ。
「バテる」はバッテリーからきた、という。
最近では「ググる」「バズる」など。
では、なぜ「る」をくっつけるのか。
これは「見る」「する」「ある」など、基本的な動詞に「る」で終わるものが多いからだそうだ。
「ある」は、平安時代には「あり」だった。
つまり、それ以降「ある」に変わったあとで、「る」をくっつけだしたことになる。
江戸時代初期には、「料理する」の意味で「料る」という語がつかわれていた、とのこと。
「田久保る」はそのうち消えるだろう。
つぎは、なにに「る」をつけるのか楽しみだ。
7.9.13 文学ト云フ事ノ思ヒ出
20代の頃、ボーっとしてなにもせず一日を過ごすと、夜眠れなかったものである。
体は疲れておらずストレスもないから、当然だったろう。
そんなとき、テレビをつけ、やっぱりボーっとして観ていたことがあった。
深夜といえば当時、お色気番組が定番だったが、それだけではない。
過去の名作映画あり、若手のプロデューサーが実験的に制作した番組あり。
そのなかで趣味に合い、毎回必ず観ていたのは『文學ト云フ事』という番組。
近代日本文学の小説の内容を、映画の予告編のようにして見せる、というものだ。
例えば平成6年5月18日放映の、太宰治『人間失格』ならば――
キャッチコピーは「恋はあまりにも、地獄だった」「文学史上最も壮絶な魂の叫び」である。
この番組には、その後人気の出た男優、女優が多数出演。
BGMの方は、逆にもう定評ある人の曲を使っていた。
『人間失格』の回では久石譲、細野晴臣である。
この頃はテレビが、おもしろかった。
今は、当時とはテレビのありかたが大きく変わったし、観るほうの私も20歳ではない。
私にとってテレビは「昔、仲のよかった友人」といったところかもしれない。
7.9.12 太ったかもしれない
今シーズン最後の助勤が終わって、帰ってきた。
今回は港町の神社。
好天ながら20℃代前半、おみこしについて歩いていると潮風が涼しく、快適だった。
ほかに助勤の神主が計6名、この近辺の神社としては最大規模である。
しかし……この業界も少子高齢化が進み、私でさえまだ若手。
祭典奉仕の席次が下の方なのは、全然気にならない。
これは若手の役、新米のやることなのに、などと思うことはない。
若手扱いされてたいへんなのは、食事のときだ。
一日目、宵宮祭が終わったあとの夕食時。
みなさんあとで一杯やるから、おかずをすべて食べる人は少ない。
だが、残してはいけないという意識が働く。
すると、どうなるか。
食える者に分け与える、ということになるのである。
要するに、だ。
私のところに、おかずが回ってくるのである。
しかも、どんどん回ってくる。
なにせ、若手あつかいなのだ。
私だって、残してはいけないと思うから、出されたものは苦手であっても食う。
さらに先輩神職から回ってくるおかずも、なんとか腹に納めると、もうパンパンになる。
計5度の助勤で、太ったかもしれない……。
7.9.11 幽霊が炭取を回した
柳田國男『遠野物語』の中にある話。
ある老婆が亡くなり、その通夜でのできごと。
深夜、寝ずの番をしている家族の前に、その老婆の幽霊が現われた。
しずしずと歩き、家族の前を通り過ぎる。
呆然として見守っていると、着物の裾が炭取に当たって、クルクル回った。
炭取は炭の入った籠のこと。丸い形状だったから、回転したという。
三島由紀夫はこのエピソードをあげ「ここに小説がある」と言った。
老婆の幽霊が炭取を回したところに、現実と非現実の接点がある。
つまり、幽霊が現実を浸食してきているのだ、だから面白い――
リアリティがあって怖いよね、という話である。
幽霊は非現実のもの。
炭取は現実のもの。
一般に日本の幽霊はあやふや、あいまいな姿をしているように考えられている。
だがだれかが亡くなった直後は、まだ生前の印象が強い。
だから幽霊といっても、この老婆は現実と非現実の境目にいたのかもしれない。
現実でもあり、非現実でもある状態だったから、生者のように炭取を回すことができた。
――と考えるが、理屈っぽいだろうか。
なお、老婆が着ていたのは生前の普段着だったという。
7.9.10 神様へ上からな持ち方
神主のお作法のうち、物の持ち方にも意味がある。
これ、一般の人には面白いかもしれない。
お供えは息がかからないよう高く持つ。
カギとか玉串とかお祓いする棒などは、胸の高さで持つ。
祝詞は用紙の上の端が目の高さになるように。
ルールでがんじがらめと言えばそうなのだが、みな神様に敬意を払うためだ。
決まりがなければ、意味がないわけである。
別に私だって人格者じゃないから、他の神主を見ていて「こいつはダメだな」と感じることがある。
それは、今あげた祝詞用紙の位置を、下にしている神主。
これだと、下の者に述べ聞かせるという意味になる。
つまり、神様に対して「上から」になるということ。
いや、実際には外での祭事で強風が吹いているときなど、柔軟に対応するということはある。
ただ、神社の公式ホームページとかSNSとかで、関係者が撮ったらしい画像でそうなっていると……。
「これ、人に見られたらかなり恥ずかしい姿だけど、だれもチェックしてないの?」と感じる。
なお、私は自分の姿を公開したくないし、されたくない。
祝詞を読んでいるとき、人には姿が見えなくなれれば最高なのだが。
7.9.9 不在中に旧友がきた
昨日、高校時代の友人が夫婦で訪ねてきたのだが、あいにく留守にしていた。
それでも御朱印を受ける目的もあって、ウチの猫を見て喜んで帰っていったという。
彼は剣道を長いことやっていて、そのためか高校生当時から落ち着き、おとなびた印象を受けたものである。
ところが、このおふたり、私の不在をあらかじめ知っていた。
なぜだ。
私はSNSなどに「今どこそこにいる」「〇〇神社のお手伝い」などとは投稿しない。
兼務している神社について、ふだんは神職がおりません、などとアピールもしない。
これは防犯上、当然のことだろう。
悪いやつが、そこに目をつける可能性だってあるからである。
タネ明かしをすると、友人夫婦はここにくる前、近隣の神社に寄り、御朱印を受けた。
よく知っている宮司さんだし、先日べつな神社の助勤時に会っている。
つぎはどこのお祭りがあって、集まるメンバーはだれそれ、と知っているわけだ。
そこで私の友人と知ると、
「今日は〇〇神社に(お手伝いで)行ってるはずだから、いないかも」
と、教えたということだ。
今回は会えなくて残念だったが、またくると言っていたそうである。
7.9.8 また助勤へ
昨日、今日と再び助勤へ。
これまで同様、一泊二日で、よその神社の秋祭りのお手伝いをしてきた。
二日目の今日は、おみこしの渡御あり。
今回もよい天気で、気温も上昇、汗がダラダラ落ちる。
おみこしと一緒に歩いていて、ふと空を見上げると、ひつじ雲が浮かんでいた。
今回の神社は空港に近いので、ジャンボジェットが間近く飛んでいるのを目撃。
途中、駅近くの歩道橋を渡っているとき、特急列車オホーツクが停まるのも見た。
空を眺めたり、乗物を見たりしているが、これでもマジメに勤めてきたつもりだ。
前回の助勤よりも歩行距離は少ないはずだが、今回はコースに高低がある。
上り下りがコース中に三度、最後に鳥居前の石段を上る。
おつとめがみな終了し、控室に帰ってきて座布団に座ると、あいたたたと思わず声が出た。
筋肉痛がもう出ていたのである。
助勤の神主みんな、あいたたたと言っていた。
平気だったのは、その神社の宮司さんのみ。
ふしぎなことだが、私も自分の神社の秋祭りでは、走り回っても筋肉痛にならない。
集中力とか、緊張感とか責任感とか、メンタル面のなにかが体に影響を及ぼすのだろう。
7.9.7 神主はコミュニケーション能力が大事
助勤の話のつづき。
おみこしの渡御、運行コースや距離は神社によって全然異なる。
午前中で終了することもあれば、夕方まで、夜までというところもあり、最近人員不足で止めてしまったところも。
今回は朝9時から昼休憩をはさみ16時くらいまで。
1万数千歩歩き、ふだんの運動不足がたたって筋肉痛。
回復のため昨日は内勤、事務処理に集中した一日だった。
秋祭りの助勤時、神主の顔ぶれは毎年だいたいどこでも同じ。
つまり、何度も別な神社で顔を合わせることになるわけだ。
これが重要で結局、多人数で物事を行うにはチームワークが必要。
ともに飯を食ったり、相部屋で寝たりのくりかえしで、気心が知れているのは強い。
お作法の原則は統一されているけれども、体格や身長、性格などで細かい点で動きに違いが出てくる。
祭事中、会話することはないから、アウンの呼吸、雰囲気などから他者の動きや心理を察しなければならない。
そういった点でも、人間関係が大事だという話。
神主は、お祭りごとを最重要と考える人間。
大きなお祭りごとでは、多人数が関わるから特にコミュニケーションが大事、ということなのです。
7.9.6 幽霊小咄ふたつ
もう何度も述べているけれども、助勤とは、よその神社をお手伝いすること。
最近だと、秋祭りのお手伝いが多い。
私の神社の周辺では一泊二日のことがほどんどで、用意された宿泊先に泊まる。
ここまで、前提。
面白いことに、そうしてホテルなり旅館なりに泊まったとき、幽霊に遭遇したと聞いたことが複数ある。
某神社では助勤の神主を泊めるのに、ふたつの旅館を隔年で利用。
そのうちのひとつがオンボロで、廊下がギシギシ、カビくさく、おあつらえの雰囲気。
ある神主がそこで幽霊を見て「あそこは出るからイヤだ」と言っていたそうである。
この旅館、残念ながら今はない。
また別な神社の助勤にて、別な神主が体験した話――宿泊先の旅館には、部屋にトイレがついていなかった。
そこで明け方、小用でトイレに向かったところ、小学校低学年くらいの女の子がボーっと立っている。
「おはよう」と声をかけても、無視。
感じが悪いなと思いながら、数歩歩いてトイレのドアの前に立ったとき、ふとそちらを見ると――
女の子の姿はなかった。
どちらも宵宮祭の晩のこと。
神主ゆえ、そういう感覚がより鋭くなるかもしれない。
7.9.5 今季3度目の助勤
またよその神社の、年に一度のお祭りのお手伝いに行ってきた。
一日目の宵宮祭に始まり、二日目の例祭、その後おみこしの渡御、戻ってきての還御祭。
けっこう歩き回り、足がパンパン。
天気がよく、汗がダラダラ、頬は塩分が浮きジャリジャリ。
日焼け止めクリームを塗ったからまだマシだが、少し顔が赤くなった。
今回も一泊二日、近隣の神社から神主がお手伝いにきていたのも、前回と同様である。
宿泊先では夕食後、いわゆる部屋飲み。
だが9時とか10時とか過ぎると「眠くなった」「風呂に入る」とかで、一人減り、二人減り。
私を含め、みんな歳をとったということか。
ところが「まだいーしょ」「あと30分」などと言われ、酒を飲まないのに、なぜか私が最後まで残ることに。
話をしていて、田舎の宮司は結局、人間関係が大事だ、ということになった。
神主でも礼儀を知らんのがいる、コミュニケーションの取れないのがいる、なんて話である。
私のことじゃなくてよかった。
相手は酔っている。はあはあ、と聞いていて、それが実は自分のことだった、なんてこともあるからだ。
お開きになったのは、11時過ぎだった。
7.9.4 昔に戻りたいですか?
私は第二次ベビーブームとか、就職氷河期とか言われる世代である。
当時のロクでもないエピソードを、ふたつだけあげよう。
大学受験のとき、私の第一志望の学部は定員が1000人。志願者数が10000人を越えていた。
出身地の町の人口よりも多いと、笑ったものである。
大学4年のころ、同じ学科の女の子の就職活動の話。
資料請求ハガキをすべて手書きで書き、その数200から300。
送られてきた資料をもとにエントリーし、試験なり面接なりへと進むわけだ。
だが、送られてきたのは10社にも満たなかった。
――こんな話をすると、灰色の青春だったようだが、そうでもない。
みんなよく遊び、学び、恋をしたり、悩んだり、海外旅行に出かけたり。
それなりに楽しんでいた。
同年代の人に当時に戻りたいか聞けば、たいていは戻りたい、と答えるはずだ。
若さゆえ失敗もよくする。
今ならもっとうまくできる、やり直したいという人も多いだろう。
だが、私は違う。
やり直すなら、一か月前に戻りたい。
後回しにして今に至ったことを、すませておくのだ。
私は失敗ばかりだ。
まだ、若いのかもしれない。
7.9.3 ギャーの正体判明
先日「猫がギャーと叫ぶ声が夜、聞こえた」「昔の人は妖怪とカン違いしたかもしれない」
――などと、書いた。
これが実は違ったので、訂正するしだい。
きのう車を運転しているとき、まったく同じギャーを聞いたのだ。
近所の住宅地の中、細い道を走っていたときだ。
ギャーを聞いて、ゆうべの猫かと思いながら、一時停止線で車を停めた。
左右を確認したところ――声の主がいたのである。
狐が、三匹。
どれもほっそりしていて体毛が濃いオレンジ色、いわゆる赤狐である。
そのうち二匹がいがみあい、ときどきギャーと叫んでいたのだった。
私には親子のように見えたが例年、子狐は夏の間に親離れするはずである。
まだこれから暑くなる、なんて話だが、こんな気候になるまでずれこむのは、明らかに遅い。
もしくは、三匹はきょうだいかもしれない。
親離れした直後のため、まだいっしょに行動しているとも考えられる。
それにしても白昼堂々、田舎とはいえ住宅地の中。
熊でなくてよかった。
妖怪でなくてよかった。
私が化かされていた可能性もあるが、熊が狐に化けていたのでなければよい。
ここだけの話だが、人間になりすましている動物もけっこういるらしい。
7.9.2 ヤギを飼おうか
平成の大合併で現在の北見市ができたのは19年前。
それがいつのまにやら破綻しそうだ、と報道されるようになっている。
いろいろな人から聞くのは、「あんな立派な市庁舎、建てなければよかった」。
つい最近、落成したからピカピカで目立つ。
みな知っているから、攻撃しやすいのだろう。
「合併するときA町を入れなきゃよかった」という声も耳にする。
逆にA町に住む人は「(旧)北見と合併したのが失敗だった」と。
市では「ふるさと納税に力を入れる」と言って、目標額を設定し、がんばっている。
だが、住民のだれもが「そんなに集まるわけないべさ」と冷ややかだ。
今回の破綻するかも騒ぎで、被害を受けているのは公園の管理について。
神社の周囲は公園だから、市が管理している。
これまでは、雪のないあいだ月に一回のペースで草刈り、落下した枯れ枝の除去が行われていた。
それがいまや、年二回である。
「なんでこの神社、草ボウボウなんですか」と非難されたら、
「あそこからそこまでは市の敷地なので、勝手にできんのです」と答えるしかない。
ヤギでも飼って放牧しようか。
真剣に考えるときがきたようだ。
8.9.1 妖怪が誕生するとき
本州では猛暑つづきのようだが、当地ではすっかり暑さがおさまった。
朝晩涼しく、寝るときも毛布一枚では風邪をひきそうなくらいだ。
今日も日中はお祭りの準備。
そうして日が暮れ、夕食後のんびりしていると、開けている窓から虫の声が聞こえてくる。
耳を澄ましていたところへ、猫がギャーッと叫ぶ声。
境内を通り道にしているのは、白黒の一匹しか知らない。
もう一匹、現れたことで、縄張り争いになったのだろうか。
わが家の猫は、と反応をうかがうと、黒がちょっと気にしていた。
茶白のほうは、猫用チャンネルの画面に現れる虫や鳥を叩いていた。
ノラは少しのケガでも、命取りになりかねない。
だから、取っ組み合いにならないよう、声をぞんぶんに張り上げて威嚇したのだろう。
それにしても私の部屋からは、声はしても姿が見えなかった。
声じたい、すぐに止んだ。
猫の声と認識したら、もうそうとしか思えないが、もし猫だと思えなかったら。
そんなとき、おそらく昔の人は妖怪のしわざにしたのだろう。
知識がなかったり、誤認したり。
そこに想像力の豊さがくわわったとき、妖怪が誕生するのかもしれない。
7.8.31 8月が終わる
俳句の季語に「〇月尽」があり、〇ガツジン、と読む。
きょうなら「八月尽」、八月の最終日のこと。
ちょっと俳句をかじったとき、季語には超強力なイメージがあるので注意すべし、と聞いたことがある。
「八月尽」ならば、晩夏の空気感、朝夕の涼しさなどの季節の移り変わり、夏休み最終日、子供の頃のあせり。
そういったイメージが呼びさまされる。
私はシロウトだから、これくらいしか思い浮かばないが、達人は違うようだ。
これよりずっと広い、深いイメージがあって、それをもとに、豊かで味わいのある情景を十七字に展開する。
吉屋信子に、
うたかたの海辺の恋や八月尽
という句がある。
「うたかた」は泡なので海辺の光景によく合う。しゃぼん玉のはかなさも連想される。
かりそめの恋が、おそらくはもう終わっているのだろう。
最後の「八月尽」。
八月最終日のイメージに重ね合わせると、どんな恋だったのか、よりいっそう感じられるしかけになっている。
私はといえば「八月尽」は毎年「うわー、もう八月終わりかよ」。
来月、秋祭りがあって、その準備に追われているのである。
風流からは縁遠い毎日なのです。
7.8.30 兵隊さんが強くてねえ
大学受験で上京し、旅館に泊まったときのこと。
仲居さんが多数いた中に、おじいちゃんが一人だけいた。
当時もう80歳は越えていただろう。
そのようすを見ていると、社長=番頭=帳場係を兼務、陣頭指揮しているらしい。
しょっちゅう「旅館の〇〇さーん」と館内放送で呼び出しをかける。
勉強もなにも、あったもんじゃなかった。
そのおじいちゃんに、どこからきたのかと尋ねられたことがある。
当時は旭川に住んでいたから、そう伝えると、
「あー、旭川。あそこは兵隊さんが強くてねえ」。
ちょっと驚いたものである。
北海道には、戦争が始まるまで一個師団が置かれていた。
平時で1万人、有事は2~3万人規模になる部隊である。
細かいことはともかく、旭川にはその師団司令部が長く置かれていた。
おじいちゃんの記憶に、それが残っていたのだろう。
旭川は寒い。
厳しい環境下の訓練で鍛えられている、だから強い。
そんなふうに、世間は評価していたようである。
このおじいちゃん、元気にしているだろうか、と、たびたび思い出すのだ。
死んだという話は聞かない。
生きていれば120歳近いだろう。
7.8.29 また助勤に行ってきた
また、よそのお祭りの助勤に行ってきた。
前回同様、今回も一泊二日。
土地土地、神社によって違いはあるが、私がうかがってお手伝いするところは、みな宿泊先が用意されている。
今回は温泉つきの施設でゆったり。
食事もおいしくいただき、夜は遅くまで語り合って楽しいひとときを過ごせた。
とはいえ遊びに行くのではないから、話題も祭事や神社のことばかり。
こういうとき飲むこともあるが節度あり、今回はそれどころかだれも飲まなかった。
この業界、上下関係を気にするから、上が飲まなければ下は遠慮することが多い。
上の方が飲まず、私も同様。もし下の立場の人が遠慮していたなら気の毒なことであった。
それにしてもアルコールなしで、よくあんなに盛り上がったものだ。
ふだんは異なる神社にいるから、各神社でのやりかた。
お祭りの際の諸事情。助勤に行ったことのある神社のようす――などなど。
たんなる噂話ではなく、情報交換にもなるし、それで得るものも多い。
と、まじめそうに言っているが、実際は笑い話ばかりである。
今シーズンの助勤、まだまだつづく。
腹筋が痛い。アゴを外さないようにせねば。
7.8.28 マリリンに聞け
チャットAIでのロールプレイが、遊び方として流行っているらしい。
「あなたは〇〇です」と役割を指定して、以後その属性を持つ人物として回答させるわけである。
初めは実務上、必要があって専門家の意見を聞きたいときなど、〇〇に「コンサルタント」「SE」「税理士」など入れていた。
それが拡張して、ラノベのヒロインとか、推し活している相手とか、一休さんとかを割り当て、会話を楽しむようになってきたようだ。
そこで私もやってみようと、マリリン・ヴォス・サヴァントさんの役をしてもらった。
マリリンさんはおそらく現在、人類でもっとも賢い方である。
さまざま質問すると、マリリンさんとしてちゃんと返答してくれた。
だが、回答が難しすぎて私には理解できない。
英語で出力されているからだろうと、日本語に翻訳させてみたら、もっとわからなくなった。
どうやら私は、英語も日本語も理解できないらしい。
では、こうして書いているのは日本語ではないのか。
それも怪しくなってきた。
いや、そもそも日本語の定義とは?
今、日本語でちゃんと書けているのだろうか?
マリリンさんに聞いてみることにしよう。
7.8.27 知的な若者がきて
先日、知的な若者がきて数時間話したが、面白かった。
私は人と会話するとき、どう言えばうまく伝わるか、けっこう考えながらしゃべるほうだ。
最大限に考えながらしゃべるのは、妻が相手のとき。
「こんなことを言ったら逆鱗に触れる」
「これを言うと過去の〇〇を引き出すことになる」
などと悩み、言葉数が少なくなり、しまいには「あー」とか「うー」とかになる。
冗談はさておき、そうなるとみずからリミッターをかけているわけだ。
話すスピードも遅くなり、自分でそんな状況にイライラすることさえある。
その若者は、日本で一番最初にできた大学の院生。
ちょっと話しただけで、理解力が優れているとわかった。
そこでストレスフリー、たいへん話すのが楽だったのである。
となると、今後もこのような好環境で過ごそうとするなら以下が考えられる。
①相手の理解を考えずまくしたててしゃべる
②自分のしゃべることに制限をかけない
③相手の理解を考えず、自分のしゃべることに制限をかけない
①~③みな同じことだ。
今後、私の発言、何を言っているかわからなくなると予想される。
私と話さないことを、おすすめする。
7.8.26 シャツの中の猫
わが家の猫。
猫はみなそうだろうが、心地よい場所を見つける天才である。
気温や日当たり具合、静かな環境など、さまざまな条件からそのとき最適な場所を見つけている。
なにに最適かというと――昼寝。
今日も私の座布団の上で寝ている。まったく、うらやましい限りだ。
急に気温がさがったときには、小さい方(茶白、♀)がシャツの中へもぐりこんでくることがある。
まず鼻をクンクンさせ私の首の方をにおう。
シャツの首の部分をあけると、もぐりこんでくる。
バリバリと、爪を研ぐようにシャツをひっかく。
ここは自分の場所だと主張するためだろう。
これは、私が腹這いの体勢から少し上半身をあげているときだけ、仰向けのときにはシャツは猫の上だから、こんなことは起きない。
冬など、スウェットとシャツの間の方が暖かいと思うのだが、違うらしい。
ネック部分を開けて招き入れるとき、あからさまに「チガウ」という態度をとるのだ。
素肌のほうがよいようだ。
私の平熱は36℃台後半。成人としては高めだろう。
妻にはこんなことはしない。
ひとつ残念なのは、猫が私ではなく、私の体温が好きということだ。
7.8.25 活字中毒者の弁明
親が国鉄職員だったので、子供の頃は官舎に住んでいた。
一軒家であっても、今のような洗練された住宅ではない。
風呂はなく、職員家族向けの共同浴場へ行く。トイレは汲み取り式。
6畳を横に並べた3部屋に台所や物置が付属。これでも広いほうだった。
小学校にあがるのを機に学習机が与えられた。
だが、自分の部屋などない。
父は蔵書家で、ひと部屋の三面、壁側にずらっと本棚を並べていた。
その部屋に、私の学習机が置かれたわけである。
夜はその部屋で寝る。
大地震でもあれば、本につぶされて即死していただろう。
しかし、この環境。今振り返ると非常によかったと思うのだ。
ふと目をやればどこにも背表紙が並び、本のタイトルがそこにある。
その漢字を習っていなくても、事前学習できるし、背表紙から「どんな本なのだろう?」と想像力も働く。
私でさえこうして言語中枢が刺激されたのだから、ふつうの人だったらもっとよい影響があるに違いない。
部屋に本棚があって、その背表紙を眺めるのが今でも好きだし、落ち着く。
こういうの、活字中毒っていうんでしょうな。
でも、それで悪いことはない――はず。
7.8.24 ジョロウグモとマツモムシ
今年は7月末、猛暑だったせいか虫が巨大化しているようだ。
暑さがだいぶやわらいだが、今もなお境内のあちこちに潜んでいる。
種類や数は変わっていないかもしれず、例年より少し大きめに成長した虫が目立つだけなのかもしれない。
最近、物置の脇にジョロウグモが巣を張っているのだが、これも大きい。
見ていると、小さな羽虫が近くを飛んでいるとき、クモが動きはじめた。
結局巣には引っかからなかったが、その慌てたようす、巨体ゆえ腹が減るのかもしれぬ。
芝桜やイチゴ用に水を貯めているポリバケツには、マツモムシ。
これもデカい。しかも数が多い。
妻によればこいつ、水の中でしか生息できないのではなく、飛んで移動するらしい。
勝手にどこかから飛んできて、入ったわけである。
泳ぐのがうまく、近づくとサーッと下の方へ逃げてしまうので、正確な数は把握できないが。
おそらく10匹はいるだろう。
だんだん増えるのは、なにか電気信号でも発しているのか、フェロモンで雌が雄をひきつけているのか。
そう、これを見ている、あなた。
あなたもマツモムシにひきつけられ、相内神社に行きたくなっているはずだ。
7.8.23 ここの文章の書き方
ここは500字、書き出したら実はあっという間である。
こんなことを書こうと決めてキーボードを叩き始め、最初の文を書いたら、つぎの文が自然にポカリと浮かぶ。
その文が、さらにつぎの文を呼ぶ。
つまり連想ゲームのようなもので、流れに乗るだけだ。
最初に何を書くかちょっと悩むことはあるが、500字なら構成についてまったく考えなくてもまあ、すぐ書ける。
プロなら、読んでいる人の興味を引くようなこと(フック)を冒頭に置き、ひきつけるだろう。
だがアマチュアなので、そんなこと気にしない。
くふうしようとせず、好きなように書き出す。
中身(話題など)はさまざまでも、器(構成)はワンパターンだ。
まず今回、話題とすることをあげる。
つぎに、それについて自分の考え、意見、感じたことなどを述べる。
最後にまとめ、あるいはシメの言葉を置く。
それだけ。
最後がしまらないこともあるが(実際、毎回しまらない)、もうそろそろ500字だなとなったら、なにを書いたか読み返す。
そうすれば、だいたい適当な言葉が思い浮かぶものだ。
特に、文章を書くのに苦手意識を持っている人に。ご参考まで。
7.8.22 不真面目な宮司
このところ雨が多く、ポコポコ草が生え、日に焼けたケヤキや桜の葉っぱも相変わらず絶賛、落下中。
きのう、ブロワーを掛けて葉っぱをすべて飛ばしたのに、けさ見てみると、またけっこう落ちていた。
国道沿いの草もスクスク伸びている。
ずいぶん前から刈りたいとは思っているのだが、来月秋祭りがあるので、その準備を優先するという名目で後回し。
ただ、境内を歩いていると、どこもかしこも気になるのだ。
多忙になってくると、なおさらである。
こうしたとき、完璧にしようとするのは止めた。真面目に考えない。
そういう心持ちでいると、「やっておきたいことが現状でできていない」とつい自己評価してしまい、ストレスが溜まる。
頭の中のメモリにそういうものは置かず、別なことを考えるほうがまし。
この時期、先々の予定や計画がさまざま控えている。
そうなると、そのフレーズの前に「この先(今日は)○○があるのに」などと、つけ加えがち。
さらに深みにハマり、だんだん追い詰められた感が首をもたげてくる。
――などと、境内整備がずさんな理由を述べているのである。
まあ、お祭りまでにはキッチリ綺麗にします。
7.8.21 チカラのはなし
こうして毎日書き、ここにアップすること1年半……くらいかな。
継続は力なり。
知は力なり。
大石内蔵助の息子は大石主税なり。
「主税」でチカラと読むのは、この息子の名前で初めて知った。
難しい当て字だが、チカラといえば子供の頃、そういう名前の男の子がいたのを思い出す。
日曜日など、隣町へ遊びに行ったときに知り合ったので学校も学年も違う。
もはや名字も、どんな字だったかも憶えていない。
ただ「力」ではなかったはずで、「主税」でもない。とにかく変わった漢字だった気がする。
ではなぜ、英語のパワーやエナジーのような意味内容をさして、チカラというようになったのか。
調べてみると、どうやら「チ」に秘密が隠されているようだ。
血液のチ。血が一定量なくなると死んでしまう。イノチを失う。
赤ちゃんにおっぱいをやって育てる。乳は昔「チ」と言っていた。
どうやら生命力、ふかしぎなエネルギー、と理解できそうだ。
このチ、神様の名前に含まれてもいる。木の神「ククノチ」、野の神「ノヅチ」。
知は力なり。チもふしぎな力なり。
継続は力なり。
さらば、またあしたまで、ごきげんよう。
7.8.20 祝詞について聞かれた
ずいぶん遠いところに住む人から、祝詞についての意見を求められた。
遠いといっても、ザンジバルとかモーリシャス諸島とかではない。国内である。
半世紀前なら電話や手紙だったろう。さらに前なら飛脚とか、矢文だろう。まったく、いい時代になったものだ。
昨晩データ(草稿)が送られてきて、けさ私が意見を送付、午後いくつか疑問点について回答して、一段落。
この間、みなネットでのやりとりである。
先方はずいぶん丁重な態度だったが、「では、拙者が教えて進ぜよう」みたいなものではない。
その方の祝詞はできがよかったので、私はたいしたことを言っていない。
さらに未熟な段階、まだ書き慣れていない人の祝詞にしても事情は同じなのだが――
実は、そうして意見を求められて回答するのも、非常に勉強になるのだ。
読んで意味を取り、考える。意見を述べるとき嘘は言いたくないから、うろ憶えのことを調べてハッキリさせる。
そのいちいちが勉強になるので、機会をもらってこちらこそ、ありがとうというわけだ。
ボケ防止に、もってこいだろう。
よければ皆さんも、祝詞を読んで、いろいろ考え、認知症予防してはいかが。
7.8.19 インベイダーの群像
こられたことがある方ならお分かりかと思うが、わが神社、けっこう自然豊富である。
境内地が交通量の多い国道に面しているものの、うるさくはない。
公園に囲まれた立地、近隣の家とも離れている。
そこで問題になるのが虫の侵入。
ハエ、アブ、カ。
ゲジゲジが排水溝からあがり、アリが迷い込む。
どこから入るのかクモがいつのまにか巣をかけている。
先日、飼い猫が廊下をペチペチ叩いているので見ると、ムカデだったという。
私は見ていない。妻が発見したのである。
ムカデは咬んでくるし、赤く腫れることもあるので取り除くと、
「ナンデ アタチノ エモノ トルノサ……。タベルノ?」
という顔で見あげてきたというのである。
以前、地蜂が入り込んだときには、猫は仕留めようとしたのか、
「ギャン!」「ギャッ!」と叫びながら叩いていた。
ただならない声に近づいてみると、蜂の方でも刺してくるのか、叩くときにギャン、ギャン言っている。
蜂は取り除いた。猫は刺されても人間ほどの影響はないという。
はたしてその後、ようすに変化はなかった。
見ていないところで、相当虫を仕留めているのかもしれない。
7.8.18 フリンとウワキ
きのうのクリントン大統領の弾劾裁判の話、ちょっと調べてみると記憶違いだった。
直接の訴因は、不倫疑惑の裁判中の偽証だったという。
一連の流れだったとはいえ、当時、テレビなどで不倫不倫と言っていたので、不倫疑惑で弾劾裁判になったと思い込んでいたわけである。
ちなみに、不倫という言葉をよく聞くようになったのは、この頃からだ。
似た言葉に「浮気」があり、のちに不倫と称されようなことも浮気と言っていた。
では不倫と浮気には、どういう使い分けがあるだろう。
不倫の方は「倫理」の「倫」、「不」は「~じゃない」ということだから、正しい行いではない、ということだろう。
それに対し「浮気」は「浮ついた気分」。一時の気の迷いで過ちを犯してしまった、という印象を受ける。
どちらかというと「不倫」のほうがより厳しく、糾弾するようなニュアンスがあるのではないか。
また、結婚前の男女いずれかが他者と関係を持った場合、不倫とは呼ばないようだ。
結婚や家族を巡る価値観が変わってきたころに、使われるようになった「不倫」ということば。
それが道徳的な意味を含んでいると考えると、なかなかおもしろい。
7.8.17 きれいかきたないか
昔、クリントン米大統領がホワイトハウス実習生の女性と不適切な関係を結び、問題となった。
弾劾裁判が開かれるまでいったが、わずか1票差で否決、つまり大統領罷免とはならなかったわけである。
当時、私は予備校勤め、同僚の講師がその結果に「アメリカの国民性が出ている」と発言していたのをよく憶えている。
不適切な関係がどうだろうが、仕事ができるかできないかが優先。
アメリカ人にはそのような価値観の人が多い、ということである。
さて我が国はと目を移すと、最近どこぞの市長が経歴詐称で、話題になっている。
これがアメリカなら、これほど問題にならなかったかもしれない。
どこの大学を出ようが、出ていまいが、これからきちんと仕事をするならよい、と考える人が多いだろう。
だが、日本人にとっては、その人物の「清廉潔白」さが重要。
市長は優れた人格者でなければならず、有権者にウソをつくなどもってのほか。
いい人はいいことをするはずなのだから、と日本人は考えるわけだ。
アメリカ人は機会均等を最優先にするが、日本人は「きれいか、きたないか」にこだわりを持つ。
さて、そろそろ掃除するとしよう。
7.8.16 お菓子になった気分
子供の頃は「お盆を過ぎると、もう秋だ」と言ったものである。
朝夕めっきり涼しくなり、日中にしても真夏日なんて、ほぼない。
まして私が住んでいたのは北オホーツク地方で、夏日でさえ何日あるか、というくらい涼しかったのである。
20日頃に新学期が始まるから、お盆を過ぎたら夏休みの残りはもう数日。
お盆過ぎの冷え込みにはいつも、一種独特の焦りや寂しさがつきまとっていた。
今は夏休みなどないし、暑さは一か月ほど先送り、9月15日くらいまでつづくようになってしまっている。
そのうえブリやマダイが海であがるわ、トマトはひび割れるわ、ジャガイモ、タマネギは小さいわで、今年も暑さの影響は生半可ではないようだ。
きのうまで、ほかの神社のお祭りに行っていたと書いた。
おみこしの渡御について歩くのも、そのお手伝いに含む。
ところが午前中はけっこう気温が高く、天気もよかったので、歩いているうち大量に汗をかいた。
ふと頬に触れてみると、ジャリジャリいう。汗が乾いたあとに残った塩分である。
これが、なんとも言えず気持ち悪いものなのだ。
せんべいとか、あられとかの、お菓子になった気分である。
7.8.15 助勤に行ってきた
今年、初の助勤、ほかの神社のお手伝いに行ってきた。
とある神社で例祭があって、呼ばれたのである。
なお、世間ではよく「例大祭」と称し、神社関係者、神職でもその呼称に慣れ親しんでいるが、正式には「例祭」。
神社本庁発行、祭式お作法の本には「例大祭」なんて書かれていない。
この例祭、多くの神社では年に一度、もしくは春、秋の二度行う大きなお祭りである。
大祭の例祭だから「例大祭」と、いつのまにか呼ぶようになったのかもしれない。
大きなお祭りだから私以外にも数人呼ばれていて、お手伝いのかたわら近況やら昔話やらを聞き、話す。
一泊二日のお手伝いが多く、神社に手配していただいた宿に泊まる。
ひとつの部屋に集って飲んだり、食ったり。相部屋で枕を並べ寝ることもある。
毎年だいたい変わらないメンバーだし、また別な神社の例祭に助勤で呼ばれ、そこで顔を合わせることも多い。
おたがいに人となりや性格なども把握しているわけで、それがさまざまな場面で生きてくる。
ひとことで言えばチームワークなのだが、こう考えると神主、つくづく我を張ったり、通したり、また独断専行から縁遠い職業だと思うのだ。
7.8.14 エダがあるのかツノがあるのか
最近そこそこ雨が降っている。
ときには夕立のように、短時間のうちに空が急に暗くなったかと思うと、一気に強い雨が降り、すぐにまた晴れるといったことも。
雨量がちょうどよいのか、境内のあちこちでコケ類がいきいきとし始め、キノコがぽこぽこ出でいる。
赤いのや、白いのや、色とりどり。
まあ、食えるのはないだろう。
エダナシツノホコリなんて変形菌も発生。
エダが、ツノがあるのかないのか悩む命名だが、これは初め見たとき、白い泡のようだった。
近づいてみると、ムーミンのニョロニョロのようなのが密生している。
こういうのが苦手な人もいると聞く。もしそうなら参拝の際はお気をつけあれ。
毎日境内を見回っていると、きのうと同じように感じられても、実は少しずつ変化しているのに気づかされる。
参拝となると社殿のようすや、鳥居、手水舎、狛犬など神社らしいものに目が向くかもしれない。
水盤の花とか、風鈴とか、唐笠とか、そんな装飾に目を奪われる人だっているだろう。
だが、変形菌のような目立たない存在だって、見ようによっては非常に興味深いものがある。
「神は細部に宿りたもう」というではないか。
7.8.13 人間関係が大事
先日来社した、近隣の宮司さんとの話のつづき。
最近、年中お祭りしてるような神社がある、という話になった。
特に都市部では、神事に関わりのあるなしを問わず、イベントのようなことをやるようになった。
キッチンカーやら、歌手とか芸人とか呼んで盛り上げる――という状況。
そういうことをしていると例祭の意義が薄れるのではないか、とふたりで危惧したわけだ。
さらにまた、年始の正月参りにも話が及ぶ。
当地周辺では氏子の各家庭を訪問しての、神棚前でのお参りを行なっていることがほとんどだ。
そこで祭事後さまざま話をし、人間関係を築いてゆく。
その宮司さんは5分刻み、といっていたが冗談で、まあ15分くらいだろう。
私で30分くらい。
留守だからその年はもう行かない、なんてのはダメだよね、という話だ。
ゆめゆめ人間関係を軽視するなかれ、ましてや氏子――ということ。
私も人間だから好き嫌いはある。でも神社の宮司として、となると、そのへんは脇においておく。
一般の仕事をしているにしたって同様だろう。
嫌いな人間とつきあわないで生きていく、というのが許されるのは、学生の頃までですな。
7.8.12 大きな事件や事故は
いたましい事件や事故が発生すると、人のこころは動き、わきおこったものをことばにして発することもある。
社会的な反響の大きい事件や事故であれば、報道等でその事件や事故を見聞きし、当事者でなくても、意見を述べる者もいるだろう。
人は常に、どのようなかたちであれ感情を整理しようとする生きものだ。
その過程で、さまざまな疑問が浮かびあがってくる。
なぜ、そんなことが起きてしまったのか。
なぜ、事態をうまく収拾できなかったのか。
その回答を得ようと思考をめぐらし、別な人の意見を聞き、とにかく納得したいわけだ。
ときには、推測や憶測、希望や願望が入り混じり、ありえないことを事実と誤認することもある。
それも人間の営みなのだろう。
あやしい情報をもとに得た私見を各種メディアに公表して金に換え、それで生活している者がいたとしても。
公的機関の調査結果が公表され、遺族への補償もめどがついた、行われた。
だが、それで世間的には一段落なのだろうが、結局は関わった人間すべての感情が整理され、納得するまで「終わらない」。
きょう、日航123便墜落事故が起きた日に、そんなことを考えた。
7.8.11 利益のためには革新的にも
きのう近くの神社の宮司さんが来訪、二時間ほど歓談。
所用で北見にきたついでに、立ち寄ったという。
最近の神道界の状況を初め、さまざま話したのだが、どうもわれわれのような考え方は少数派になっているのではないか、ということで意見が一致した。
神社では伝統を守り、次世代につないでいくという前提があるから、神主はその点、保守的な考え方をする人が多い。
ところが近年、境内の装飾にしろ、お守りにしろ、目先の利益に飛びついているのではないか。
より多くの利益を得られるとなれば、保守的な考え方などどこかへ吹っ飛ばし、いち早く取り入れる。
そういう動きはたいてい大都市部からで、それがだんだん地方へと波及、浸透してゆく。
ウチのような田舎の神社に到達したときにはもう当たり前、トレンドになっている。
かくして都会からきた参拝者に「この神社にはなにもないな」と、評価されることも出てくるわけである。
唐笠とか、風鈴とか、手水の花とか、境内にペット慰霊墓とか。
いまトレンドといったが、いずれ揺り戻しがくるとはおもう。
ただそのとき、神職は保守的思考に回帰できるのだろうか、と疑問視している。
7.8.10 巫女は成長する
先日、結婚記念日ということで外食した。
揚げ物が売りの店である。
ところが店に入るとき、突然妻が「サプライズ」という。
エルメスのバーキンか、ティファニーのオープンハートでもプレゼントされるかと思いきや、ぜんぜん違った。
席につこうとすると、食器やおしぼりなどが4セット、用意されている。
そう、私に内緒で二人呼んだのだ。
だれがくるのかドキドキしながら待っていると、ほどなく現れた。
多忙時に手伝ってくれる巫女である。
どちらも成人済み、社会人のAと、学校に通っているB。
それにしても、まあ飲むこと飲むこと。
食べること、食べること。
そのうち箸とか、おしぼりを食うじゃないかと思って、気が気じゃなかった。
冗談はともかく、夏バテで食欲があまりない状態がつづいていたので、そんな飲み食いするようすを見て、とても気持ちがよかった。
Bは社会人になったときの不安を訴え、Aがアドバイス。
耳を傾けていると、じぶんの経験を踏まえていて、たいへん的確である。
Aは高校生のころから知っているが、成長したもんだ。
気づいたら、食い過ぎて私のほうが腹がパンパンになっていた。
7.8.9 よいことをしよう
先日、とある宗教団体のパンフレットが郵便受に入っていた。
郵便物でもメール便でもない。おそらく信者が直接入れていったのだろう。
ウチが神社だとわかって入れたものか不明だが、世間で思われている以上に、こういうことはある。
過去には玄関に入り、面と向かって、会合に出てみないかと勧める人もいた。
そういうと、いつものヨタ話かという人もいるかもしれないが、事実である。
さてそのパンフレットに書かれた内容を見ると、神道の考え方にわりと近い。
要約すると――あまり意識しないが、こうして日々われわれが生きているのは当たり前ではない。
神から「体を借り」ており、「生かされ」ている。
それに気づくと、感謝の気持ちがわいてくる。
感謝の気持ちがわいてきたなら、よいことをしましょう。
よいことをするというのは、困っている人を助けるとか、道端でゴミを見つけたら拾うとか。
そうした善行だけではなく、常に人に対し、笑顔で接するのでもよい。周囲に喜びを与えることができる。
そんなふうに感じさせないが、けっこう論理的な文の運びだった。
これからはゴミを見つけたら、笑顔で接することにしよう。
7.8.8 大きい虫、小型化する私
夜、虫が鳴いているなんていうと秋の夜長のようだが、そうではない。
夏の真夜中の話。
キリギリスやコオロギはもうこの時期から、さかんに鳴いていて、日中もしばしば網戸や社務所の壁に止まっているのを見かける。
今年は気温のせいか、虫の成長がはやいようだ。
身体がおおきいから目立ち、見かけたときにも、すぐにそれと判断しやすい。
近くのコンビニでは夜になると甲虫がよく照明めがけ寄ってくるので、子供には聖地あつかいをされている。
先日行ってみたら、つかまえて子供のために保管してあるというのをレジ横で見せられた。
異様にデカい、カブトムシのメス。
売物かというくらいのサイズだった。
こうして野生の甲虫がデカくなるようなら、ペットショップなどでは売上が落ちるだろう。
気温と昆虫の成長には、相関関係があるはずだ。
○月の時点で累計△度だから、□月は×体くらい売れるなんて、もうデータ化されているかもしれない。
暑すぎもダメなのは、熱帯の生きものが小型化していることからもわかる。
同じクマでも、マレーグマはヒグマよりずっと小さい。
私もそのうちこの暑さで小型化することとおもう。
7.8.7 ヤツとの戦い、夏の陣
けさは夜来の雨もよう、気温も落ち着いてホッとしている。
最高気温30℃を越える日がつづいて夏バテ、もう、ぐったりだ。
このところ、食事はとっても量が少なめになり、寝起きがどうもスッキリしなくなった。
暑くて眠りが浅くなっている。
私の場合、室温が25℃を越えると睡眠の質が圧倒的に落ちるから、寝室ではクーラーをかけ適温になってから寝る。
ところが39℃になった日など、なかなか室温がさがらなかった。
風が出た日には、あちこち窓を開けて風をとおす。
すると、どこかからヤツが入り込む。ヤツが――最近の蚊はハイブリッドなのか羽音がしないのだ。
被害あれども姿は見えず。
今年はなんと、まだいちどもプーンというヤツ特有の羽音を聞いていないのだが、もう総計30か所くらい刺されている。
これが殺人事件なら、出血多量で昇天してしまうところだ。
おとといの晩はかゆさのあまり、目が覚めた。
部屋の明かりをつけ、寝ぼけまなこで刺された箇所を確認し、キンカンをやたらに塗りたくってから寝た。
ところが朝、起きてみると刺された形跡がない。
はたして私は、ほんとうに蚊に刺されたのだろうか。
7.8.6 稲川怪談を堪能してきた
北見で稲川淳二ミステリーナイトが催されるというので、行ってきた。
客席はほぼ満員、空席はあってもほんのわずかだったろう。
私は中学生の頃から稲川さんの怪談に親しんでいて、怪談じたいは期待通り。
長年聴いていると、怖さをとうに通りこして、もう懐かしいくらいのものである。新作の怪談であっても。
怪談を話す人はテレビでもYouTubeでもたくさんいるが、稲川さんの怪談は別格だろう。
ジャズでいうとスタンダードナンバーのような。
怪談以上に感服したのは、「場」のつくりかただ。
照明、舞台演出。入退場時の盛り上げかた。客のいじりかた。
前フリで笑える世間話をし、そこから自然に最初の怪談に入ってゆく。
縁台に座って話すスタイルは定番。その右手には、タイムテーブルを記した紙が置いてある。
その紙を見て「よし順調順調」「これスケジュールなんですよ」。
話の合間の暗転時、飲物を飲んで一息つく。
つぎの話が始まるタイミングで照明が当たった瞬間、水を飲んでる姿を見せ「あ、失敗失敗」。
舞台裏を見せて、親しみを感じさせる。
そんなプロの凄みを目の当たりにでき、有意義な時間だった。
7.8.5 ある文学賞受賞の弁
そういえば、ある文学賞を受賞したのだった。
それでプロデビューしたわけでも、まして大金が入ってウハウハになるわけでもない。
小さな地方文芸誌、むしろ投稿に際し、こちらが掲載料を払うのである。
先日、電話がかかってきて、受けてくれという。
何年か前にも同じ雑誌で賞をいただいたので、お断りしたのだったが。
そもそも、そうまでしてじぶんの作品を発表したい、なんて人はもはや希少種。
投稿者がぜんぜんいないから、お鉢がまわってきたわけだ。
高校生以降、文章を書いてそれが受賞したという経験がなんどかある。
だが、この歳になってみれば嬉しくもなく、承認欲求が満たされるわけでもない。
ではなぜ書くのかというと、自己探求である。
自分はどんな文章を書けるのか。どんなふうに書けるのか――実験に近い。
雑誌に発表したのは、活字にし、具体的なモノとして、かたちにしておきたかったから。
これまで、成功したことも失敗したこともあった。
例えばいま書いているこの文章は、失敗例である。
ホームページのここのコーナーの文章、みな失敗例である。
あしからず。
7.8.4 境内多忙
きのうも暑い中たくさん、ようこそお参りくださいました。
毎月くる人もいれば、しばらくぶりでくる人も。そして、初めてきた人もやっぱりいる。
飲物とかスイーツとか、差し入れをいただくこともあった。ありがたいことである。
多忙を見越し、昼食として宅配弁当を頼んだが結局、昼抜きになってしまった。
その分(?)、飲物をガブガブと。
こうしてお参りする人が多いのだからと、境内の手入れもより気合を入れて、と、いきたかったところだが。
蚊に刺される。アブに刺される。蜘蛛の巣が髪にかかり、カラスに威嚇される。
そんなのはよいのだが、危険なほどの暑さの日もある。
そこで最近は日没の少し前に、一気にやることにしている。
あいかわらずケヤキの葉っぱが日に焼けて落ちていて、しかも量が多い。
そのうえ、ゆうべは激しい雨が降った。けさ参道を見たら、すでにけっこう落ちている。
今年は、やはり例年より暑い。いままでこの時期に、日焼けした葉っぱがここまで落ちたことはない。
例年通り、エゾカンゾウがポツポツ咲きはじめたが、あまり元気がないようだ。
オレンジ色の花弁が、ちょっとしおれた感じである。
7.8.3 保護猫御朱印で人がきて
先日、北海道新聞で保護猫御朱印について紹介された。
それを受けてきのうは参拝者が多数訪れ、つぎつぎと御朱印を受けていった。
多忙を予想し、昼食用に宅配サービスの弁当を頼んでいた。
私はふつうに食えたが、妻は2時~3時に少しずつ分割して食っていたようである。
建物内部に蠅がいないか心配したが、いなかった。蚊が侵入していて晩、私が刺された。
この御朱印、初穂料と同額を動物保護施設に寄付している。
そこから「もうからないじゃないか」「経費、手間がかかって、くたびれもうけじゃないか」という人がいるが、そうじゃない。
たびたび寄付している動物保護施設は、神社の氏子区域にある。
よその区域にあったなら、このような支援活動はおこなっていない。これがひとつ。
たしかに金は入って、出ていくだけ。手書きだから手間、画材の材料費もかかる。それだけ見れば、大赤字だ。
しかし、この御朱印の授与、施設への寄付を通じ、当神社として得られるものがある。
金には換算できないものを得ている。
ぼかすような言い方だが、そちらの価値こそ高く、まことに大事。
神社だから、利益優先ではないんですよね。
7.8.2 AIが人間以上の祝詞をつくるとき
AIがいつ祝詞をつくれるようになるのか、動向を注視している。
もちろん、チャットAIのすべてで確かめるのは、もはや不可能。
そこで主要なもののいくつかで、たまに一般住宅の地鎮祭祝詞をつくらせているのだ。
いまのところ実用に足りるレベルではないのだが、当初にくらべればかなり上達している。
すると、現在起こりうる問題は「その不出来な祝詞を使用する神職が現れる」ということだ。
従前の(人間が書いた)祝詞と比較し、AI作成のものが劣っていると判断できない神職。
ウソだと思われるかもしれないが、もう一定数いるような気がするのだ。残念ながら。
AIのほうが、つくるのがうまいからつかう。そうおもったとき、その神職の信仰は終わる。
たしかに現状でさえ、人間がつくった祝詞であっても、AI作成と変わらないレヴェルのものもある。
つまり、読むほうでも書くほうでも劣化が進んでいるのでは――そんな危機感を抱いている。
「AIでつくってないから、あの祝詞はダメだね」
そんなことばが交わされる日が、もうすぐくる。
そのとき信仰者としての良心を保ちつづける神職が、はたしてどれほどいるのだろう。
7.8.1 動物化する人類
AIが人間の考える力を奪っている。
ビジネス文書をAIに作らせるのは、いまや常識、必須スキルになってきている。
いっぽう、大学生が論文やレポートを作成する際、文章を作らせるのは、ご法度となっているようだ。
だが、準備段階の作業まで、AIを使用したかチェックするのは困難。
アイディアを出し、構成を練り、資料を集め内容を要約。その段階までは、むしろ推奨している教員もいるかもしれない。
AIにやらせれば速いし、正確だからだ。
社会人にしても、大学生にしても、自分で考え作業するのはもう、アナログと笑われる時代である。
かつては、日本の教育は詰め込み、知識偏重だ、考える力をつけろ、という声が強かった。
しかし、AIがここまで普及したいまとなっては、知識も、考える力も必要なかったわけだ。
学校教育に与える影響も多大、教育行政としても今後を慎重に議論すべきだろう。
ただし、人間の頭をつかって。
人類はつい最近、知識を保持することを機械に委ねた。
こんどは思考力というわけだ。つぎは何が奪われるのか。
なによりAIの思考は、こうして動物化していく人類をどう見ているのだろうか。
7.7.31 文化格差と分断の時代へ
近年の出版界は危機的な状況を迎えているのでは、と感じることがある。
まず現状の整理から。
各種出版物においてもWEB、特にSNSの影響から「バズる」のを狙った、短時間で消費できるコンテンツが増えてきた。
と同時にテンプレ化も進んでいる。「○○の法則」「△△術」など似たタイトルの本が並ぶ。
内容も深く考えさせるよりは、わかりやすく、手っ取り早く、泣ける、笑えるもの……が圧倒的に優勢だ。
ネットと歩みを同じくして、出版界も変わってきたわけである。
今後どうなるのかというと、これは単純。
読み手は読解力が低下していく。
編集者は食っていかねばならないから、マーケティング感覚重視。確実に売れるものを売ろうとし、冒険しない。
書き手だって劣化する。深い内容だとニーズがあまりないとなり、とりあえずわかりやすいものを書く。
一方で、読み書きするほうだって、数は少なくても重厚さを好む者がいるだろう。
となると、経済格差、学歴格差のように、「文化格差」ももう誕生しているのかもしれない。
さまざまな格差が連動、複合したすえに今後、あちこちで分断が生まれるのではないか、と見ている。
7.7.30 ネクラと陰キャと
昔は読書が趣味と公言したり、本を読んでいたりすると、ネクラと言われたもんだ。
「(性)根が暗い」性格ということだ。
本を読むにはとくに視覚を集中させなければならず、人と話したり、テレビを観たりしながらだと難しい。
ひとりの時間が必要、基本的に個人だけで完結する行為だから、他者はむしろじゃま。
これこそ、ネクラと言われる理由だったろう。
ネクラのネには字義から、根本、その人の本質というイメージをいだく。
「向かい合っている今は~だけど、君の本質は暗いんだね」とまあ、こんな含意があるだろう。
いま似たようなことばに「陰キャ」がある。
他者とコミュニケーションをとるのが苦手、できるだけとらない、なんてタイプを指すようだ。
「陰にこもったキャラクター」ということだろうが、ネクラに比べ、こちらはより直接的な印象。
ネクラから陰キャまで、少なくとも30年はある。
いまはもう、人を暗いと評価し、発言するとき、ワンクッションを置かない時代になっているわけである。
現在、本を読むのが好きだと公言しても、陰キャとはまず言われないだろう。
だいいち読書人口じたい、少なくなってしまった。
7.7.29 まだ旧紙幣を見かける
北海道の片田舎だからだろうか、まだ旧紙幣をよく見かける。
都会ではどうなのか知らないが、東京あたりではもう新紙幣だけになっているかもしれない。
その旧紙幣に切り替わったのは、20年ほど前だったろうか。
夏から秋にかけてだった記憶がある。
初めて見た樋口一葉の五千円札、顔がいやにノッペリと見えた。
それが冬にはもう、旧紙幣はまったく見かけなくなっていたはずだ。
今回、こんなに旧紙幣がまだ出回っているのは、前述のように田舎だからという理由もあろう。
ほかにも、いくつか考えられる。
電子決済が普及したこと。そもそもインフレでダブついている。日本銀行が新紙幣を刷る数が少ない。
ひょっとすると日本銀行が、じつは旧紙幣も並行して発行しているのかもしれない。
じつはいまここに新紙幣とか、旧紙幣とか書いているが、そもそも私がそういう夢を見ているだけ。
現実には新紙幣などというもの、発行されていない……なんてことはないよな。
渋沢栄一、津田梅子、あれ……千円札は……伊藤博文だっけ?
聖徳太子だったかもしれない。
妻からきのう小遣いをもらった気がするが、あれも夢じゃないよな。
7.7.28 雑誌『マイコン』のおもひで
昔『マイコン』という雑誌があった。
内容は、パソコンや周辺機器の紹介記事や広告、ゲーム、各種プログラムコードなど。
中学生のころ、この雑誌は580円。買うにはちょっと躊躇する値段だった。
ところが近所の独身男性、父の同僚に、毎月買っている人がいたのだ。
なにがきっかけだったか、彼がひととおり読んだら譲ってもらうようになった。
味をしめて、発売してから2、3日後にもらいに行ったこともあるから、ひどいガキである。
ページをめくると、新製品の性能を示すため、美しい風景などの画像がたびたび現れる。
当時のことだからドット絵だが、それでも美しく感じたものだ。
ゲームのほうはやがてポリゴン、3D、実写などなど取り込んで、どんどん綺麗になっていった。
それぞれ現れ、話題になった当初は目を奪われたものだ。
でもいまは、べつにそこまで綺麗じゃなくていいんじゃないの? そうおもうのだ。
いまでも『マイコン』は何冊かもっている。
ページを開いて現れるドット絵は粗く、いまのグラフィックとはとうてい比べものにはならない。
だが、だからこそ、より想像力を働かせる余地があるのではないか。
7.7.27 河口俊彦『大山康晴の晩節』飛鳥新社、平成15年 読了
大山康晴は棋士、将棋指し。その晩年のようすを描いた作品。
将棋を知らない人でも、その部分はナナメ読みでじゅうぶん楽しめる。
称号は15世名人なのだが、「大名人」たる戦績を収めているのが、大山康晴だ。
いまも破られていない記録が数多いが、A級在籍のまま69歳で死去、というのがすごい。
名人戦はリーグ戦で挑戦者が決まる。
A級を筆頭に計5クラスあり、成績によって入れ替わりがある。
A級は基本的に10人が定員、その優勝者が名人に挑み、7番勝負を戦う。
だが将棋界は過酷で、どんなに強い棋士でも、年齢とともに衰える。
深夜まで集中できなくなり、秒読みの際の反射神経も鈍くなる。
それでトップ棋士でも、50歳前後を境にA級から陥落してしまう人が多い。
だが大山康晴は、将棋最強のトップ10の座を70歳目前まで保っていた。
将棋連盟の会長をつとめたり、癌になり手術を2度、受けたりした中である。
再発が見つかる直前には、A級で優勝争いをして世間を騒がせた。
一生現役だったわけだが、こうした生き方には異論もあろう。
どう老いるのがよいのか、老後というものを考えさせる一冊だった。
7.7.26 どこかにあるはず卒業証書
最近、目にとまったニュース。
当選したばかりの市長が学歴詐称とかなんとか、告発だの怪文書だの、百条委員会だの、そんな内容である。
市長が卒業証書を持参、他者が確認しようとしたとき、チラ見せしかしなかった。
じつは除籍されていた。
卒業証書は当時の仲間が、おふざけで作ったものだった。
――と、これだけネタがそろえば、しばらく話題に事欠かないだろう。
じぶんの身を省みて考えると、大学の卒業証書なんて、どこにいったもんか不明である。
家の中のどこかにはあるが、どうしても必要なときにはあちこちひっくり返して探すことだろう。
それよりも、卒業証明書を発行してもらったほうが早いかもしれない。
市長は私より上の年代だが、偽物かもしれないにせよ、よく卒業証書をすぐにポンと出せたな、とおもう。
神職としては、どういう手段で資格を得たかが、たまに必要になることがある。
神道学専攻科というところに通って資格を与えられたのだが、これは対外的には「卒業」ではなく「修了」だという。
いま卒業証書だか修了証だか、確認できないのだ。
これもどこかにはあるが、探さなければ出てこないのである。
7.7.25 ギボウシと蝶と39℃と
きのうの最高気温は39℃。
夕方5時すぎ30℃くらいになったが、それがなんと、涼しく感じた。
短時間で9℃もさがると、体感では30℃でも涼しかったのである。
モッケの幸いとばかり、日没寸前の貴重な時間を利用して、参道を掃除し、芝桜やイチゴに水をやった。
ただ、草取り、草刈は放置中、のばしのばしである。
この暑さのなかでも、参拝者がいた――といったら失礼かもしれないが、ご苦労なことだった。
それで自然に当方も、掃除しなきゃならん、となるわけです。
最近、ギボウシに薄いピンク色の花が咲き、蝶がきている。
キアゲハ、カラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、クジャクチョウなどなど。
けっこう蜜が多いようなのだが、私はこの花、嫌いだ。
葉が大きく、地面に近い。
その合間から長くて7、80センチほどの茎が伸びて、細長い花をつける。
花が終わっても、しばらく葉は緑のまま。かたい茎も残る。
この茎が茶色くなって、みっともない。
そこで切って取り除く必要があるから、嫌いなのだ。
繁殖力も旺盛、葉っぱを間引くが、それ以上に生えてこようとする。
多年草ゆえ、毎年そのくりかえしだ。
7.7.24 河童忌も暑い
毎日暑いといっているが、きょうもつづくようだ。
きのうも35℃越えだったのだが、やることはふだんと変わらない。
まず朝、まとわりつくアブや蚊を払いながら、国旗をあげる。
それから境内社を巡拝。
木蔭だし、まだ早い時間だからそれほど暑くはない。
こんな猛暑日でも赴任以来、参拝者ゼロの日はなかった。
そもそも毎日お参りにいらっしゃる方がいる。
午後にくることが多いのだが、きのうは酷暑を見越してか、午前中の早い時間にきていた。
私のほうは予定が変わらなくても、気温があがると予定を変更する人もいるわけである。
その毎日くる人とはべつに、道外からの方もきていた。
西日本からの旅行者である。
いわく「(暑さが)むこうとあまり変わらない」。こんなセリフ、今季、もう何回も聞いている。
だが、本州よりはまだ湿気が少なく、サウナのような暑さではないはず。
北見周辺、盆地だから空気がなかなか抜けず、暑い日も寒い日もあるていど、つづく。
予報によると、暑さはあすまで継続するそうだ。
水分をこまめに補給して、やりすごすしかない。
猫ものどがかわくらしく、ガブガブ水を飲んでいる。
7.7.23 ひさしぶりに焼肉屋に行った
けさも早朝から30℃越え。
猫は床の上で、へばっている。ジッと動かず、体力を消耗しないようにして、やりすごす戦略だろう。
それにくらべ人間は、生活上のルーティンをはじめ、いろいろと「すべきごと」をつくり、実行している。
どう考えても、人間より猫の生き方のほうが合理的だ。
ここ最近は、ケヤキの葉が日焼けしてよく落ちるので、きのうも参道を掃除した。
小枝や葉っぱを、ブロワーで吹き飛ばす。
できるだけ木蔭から離れないようにしたけれども、やっぱりキツかったなあ。
あら、雨が降ってきたか――
空を見上げるがカーンと晴れわたっている。
雨かとおもわれたのは、なんと、じぶんの汗だった。
その後、遠くから訪ねてきた人がいて、しばらく歓談。
言いたいことがたくさんあったらしく、私はもっぱら聞き役。
さらに街に出て会食したのだが、北見の暑さに驚いていた。
深夜になっても、27℃ほど。熱帯夜である。
北見といえば焼肉、ということで肉だったのだが……店内が暑かった。
ひさしぶりに、いろいろ食ったがいくらかかったかは、不明である。
支払いは妻がしていた。
タダ飯はうまかった。
7.7.22 なまら暑いんでないかい
40℃予想とはまた。
どこかでヘンな神事でも、やったのではないか。
朝8時、本殿の太鼓を打つころからもう30℃あった。
空は雲ひとつない、ぬけるような青空である。
成層圏まで、肉眼で見えそうな勢いである。
暑いのである。
神職資格を得ようと勉強していたとき、東京に住んでいた。
夏の暑さを体験し、本州の神社じゃ絶対つとまらんと北海道に帰ったのだが。
これじゃ、あまり変わらないではないか。
さらにその前。大学在学中と、就職してからの3年間、東京にいた。
そのころも、それなりに暑かった記憶がある。
夏休みはできるだけ早く実家に帰り(もちろん北海道だ)、帰京後はクーラーをガンガンかけて部屋にこもっていた。
勉強なんかしない。ゲームをしたり、本を読んだり。
腹が減ったら保温しておいた飯に水をかけ、漬物を食う。
湯ではない。水である。
そんなんで、すごしていた。
仕事をしていたときも同様である。
夏はいつも室内にこもっていたから、平気だっただけなのかもしれない。
きのうから神社前の国道を、けっこう救急車が走っている。
熱中症の人が、たくさん出ているのだろう。
7.7.21 共産党と考え方が近くって
NHKの選挙特設サイトに、おもしろいのが設置されていた。
最大30問くらいの問いに答えると、どの候補者、どの政党と相性が合うか回答してくれるというものだ。
やったことはないが、マッチングアプリみたいなものか。
とにかくやってみたところ、NHK党の候補者、共産党と40数%一致した。
基本的な考え方、実現してほしい・したい政策が似ているということらしいのだが。
全然、実感と違う。
その点はおもしろかったが、投票の参考にはならなかった。
問題なのは、質問が最近の経済、外交政策でも、将来の皇室のありかたでも、みないっしょくたになっていることだろう。
「これだけは絶対、譲れない」「必ずこうしてほしい」。
質問内容の重さは人によって違う。優先順位がある。
商売としてやっているマッチングアプリのほうが、精確なのではないか。
年収1,000万以上は外せない。
身長170センチ以上じゃなきゃダメ、などなど、優先順位をつけられるようなシステムになっているような気がする。
質問に答えて、近い考えの候補者、政党が回答される。
おもしろいが、お手軽な分、まだまだ役には立たないようだ。
7.7.20 第27回参議院選挙
参院選投票日か。
期日前投票をしなかったので、行ってこなければならぬ。
与党が過半数とれないのでは、とかナントカ言っているが、あまり興味はない。
選挙で与党惨敗という事態を、もうなんども見ているからだろうか。
なんといっても記憶に残るのは、平成元年の参院選である。
贈収賄。消費税導入。首相の女性問題。
当時の与党への風当りは相当きつかった。
結果は自民党が惨敗、社会党が躍進となったわけだが、社会がおおきく変わると感じたものである。
だがこれは当時、高校生だったからだろう。結局のところ、あまり変わらなかった。
その後も選挙前後、変わるだろう、変わるだろうと、なんどか感じたものだ。
だがあまり変わらず、期待がそのたびにしぼんで、いまに至る。
平成元年で印象的だったのは、自民党幹事長だった橋本龍太郎の姿だ。
選挙結果を受けて「ちくしょー」と腹を立てているのをテレビで観た。
投票前からわからなかったものか。予想をはるかに下まわっていたのか。
分析が甘かったんだろうと言わざるをえない。
投票せずに政治に関していうのはフェアじゃないから、これから行ってくるとするか。
7.7.19 最近の境内の樹々のようす
ゆうべから雨、けさも降っていた。
夜間、けっこう降ったらしく雨水を溜めようと設置した90ℓのバケツが、朝見ると満杯になっていた。
芝桜やイチゴ用の水が、これでしばらくまかなえる。
おとといの相馬神社祭では、雨が少ないのでお願いしますとも申し上げたところ。
農家さんには恵みの雨となったことだろう。
今夏の境内の異変でちょっと気になるのは、やはり暑すぎることである。
イチョウとケヤキの葉が焼けて、けっこうな量がもう落ちているのだ。
このまま葉っぱが生えないとなると秋は楽になるが、明らかに木にはよくないだろう。
イチョウは毎秋、実を落とすのだけれど、今回は少ないか、ひょっとしたら皆無かもしれない。
春先にはキタコブシが全然、咲かなかった。
これもいまおもえば夏暑くなる前兆だったのかもしれないが、寿命がきたのではないかと恐れてもいる。
ダメになったら伐採し、またべつな木を植え……というのが理想。
でも金がかかることだし、なにより成長には当然、時間もかかる。
境内の樹々は、ちょっとずつ姿を変えてゆく。
全体として、どう保全していくかはけっこう悩ましい問題なのである。
7.7.18 かゆい……かゆい……
脚を10数か所、蚊に刺された。
ボッコリ腫れあがっているのが2か所。これはアブの仕業かもしれない。
参道掃除中の惨劇である。毎夏、恒例の悲劇である。
虫よけスプレーはしていなかった。
だいたい、効いているのかどうかわからないし、刺されるときは刺される。
あろうことかスプレーしたところを、刺してきたこともあった。
それ以上に問題なのは、夜中にかゆくて目が覚めることだ。
キンカンを塗りたくって寝るのだが、またべつな蚊がどこからかはいりこんで刺してくる。
暑くて目が覚め、刺されたところがかゆくて目が覚め、夏の短夜、気づいたら朝。
この時期、睡眠時間が不足しがちだ。
わが家で蚊に刺されるのは基本、私のみ。
妻も、猫も、亀も刺されない。
扇風機も、掃除機もだ。
蚊取線香を初め、虫よけスプレーなど、寄せつけないようにするものは、世に数多い。
逆に、蚊を寄せつけることで一網打尽にするもの、というのは聞いたことがない。
誘蛾灯のように蚊が好きな光を発して集め、バチッとやるようなものがあれば即、買う。
最後に。蚊に刺されたら、なんだかんだキンカンがいちばん効く(体感)。
7.7.17 境内社・相馬神社例祭
本日、境内社の相馬神社のお祭りであるが、朝からすごーく蒸し暑い。
過去一の湿度ではないか。
このお祭りは相内農事連合会が主体となって、行っている。
終わって、ご神前にあげておいたおふだをおろし、頒布するという流れだ。
相馬神社のおとなりに馬頭観音があって、こちらはお坊さんがきて、お経を読んでいく。
お坊さんが先、私があとだ。
私は終わったら片づけるだけだが、お坊さんは例年また別な場所でお参りがある。
私がお参りしているあいだ、もうつぎのところへ出かけくらいのタイミングだから、たいへんだ。
毎年7月17日はカーンと晴れる日が多く、木蔭になっているからなんとかやれている。
まさか短パンTシャツで祝詞を読むわけにはいかないから、毎年装束をちゃんと着ているが。
もう、Tシャツは省略。
上は襦袢、白衣。下はパンツに袴。白衣は丈が膝下までくるから「上」といってよいものか。
さらにその上に、浄衣を着る。
書くだけでもう、暑くなってきた。
しかし、お坊さんは黒一色。袈裟をかけている。
それにくらべれば、まだマシ、暑いなんていったら怒られるか。
カーツ! って。
7.7.16 江戸時代の神社神道
ある人から「ちょっとこのページ見て、ひどいから」とURLが送られてきたので見ると。
「吉田神道は江戸時代の神社神道の中心だった」と書いてあって、失笑した。
失笑は最近、鼻で笑うくらいの意味と考えられているが、本来はこらえきれずに笑ってしまうことだ。
私は本来の意味で失笑し、コーヒーを噴き出してしまった。
成城石井の豆を挽いてつくったコーヒー、返しなさい。
歴史上○○神道てのがたくさんあるが、こんにちの○○教に近い。
吉田神道も同様。
神社神道は、おもに氏子にささえられた神社を中心とする信仰であって、それはまあ当時も今も変わらない。
だが一般に、江戸時代の神道信仰を神社神道とは呼ばない。
そう呼びたいなら、なぜじぶんがあえてそう呼ぶのか説明が必要。
その説明がないのは、独自の説ではないからだろう。
どこかでだれかが言っていることを引っ張ってきて、検討もせずそのまま「じぶんの発言として」あげたのか。
もしくは神道の歴史を知らないか。
いずれにせよこの言い方、歴史的にも思想的にもかなり乱暴なまとめ方になるので、まともな神職ならこうは言わない。
あ、コーヒーを返せ。
7.7.15 蒸し暑い日がつづく
最近は参道を掃除するときなど、暑くて短パンTシャツ姿である。
麦わら帽子もかぶっている。ただし手足は伸びないし航海にも出ない。
仲間もいないしこの先、仲間候補になる者もいない。
参道掃除のあいまに、参拝者がたびたび訪れる。
あいさつをかわすと、みな「だれだこのオッサン」という目で見る。
そういう冷たい視線にたえつつ、掃除するのである。
参道は日陰になっていて暑さをそれほど感じないし、手水舎の掃除も水が体にかかると冷たいので好きだ。
きのうは最近きたのとまたべつの巫女がきて、妻といっしょに焼肉を食いに行った。
私は行かない。
この暑いのに、よく出かける気になるものだ。
帰りにまたあがり、わが家の猫をスマホ撮りしていた。
猫は夜になって涼しくなると活性があがり、見回りしたり、突然疾走したりする。
猫用動画を観せると、画面のネズミや虫を叩いたりもする。
きちんと留守番できたからか、ワッフルとカントリーマアムを買ってきた。
ワッフルを食って、寝た。
短パンTシャツで境内を掃除する夢を見た。
台風が通過して少々、雨が降ったせいか蒸し暑い。
これからまた掃除だ。
7.7.14 巫女が二日酔い
おととい妻が、たまに巫女をしてもらっている女の子と飲みにいった。
その巫女は近所に住んでいるので、神社で待ち合わせ。
それからふたりとも車に乗せ、送ったわけである。
車代がわりか、ドーナツを4個持ってきたので、送ったあとそれを食べた。
1個だけ残しておいた。袋に入っていたから、ぜんぶで何個かは妻には不明のはずだ。私が3個食ったのは、ここだけの話である。
ひさしぶりに食ったからか、すごく甘かった。
そのあと風呂に入って寝た。何時かはわからないが、妻と巫女はタクシーで帰ってきたらしい。
つぎの日、つまりきのう、また巫女がきた。
「またこれから暑い日がつづくから」
そういって、飲物を手渡してくる。
「おい、顔が白いじゃねーか」
水分をとったほうがいいのは、どう考えても、その巫女のほうである。
二日酔いらしい。楽しかったらしいが……私には理解できない。
みなこうして飲んで歌って騒いで、ストレスを発散するようだが、夜更かしして翌日、眠いのがイヤだ。
夕食くらいにして引きあげ、いつもと同じ時間に寝るほうが、いいような気がする。
私は酒が飲めない。ドーナツは、まあ好きだ。
7.7.13 熊が電話をかけて
道南で熊による殺傷事件があり、まだ駆除されていないというニュースを耳にした。
人を襲って殺し、遺体を引きずっていき、藪かなんかの中に隠していたというから、あきらかに獲物扱いである。
その熊はもう人間を「捕食可能な生物」と認識しているわけで、駆除しなければさらなる被害者も出かねない。
今後、まず町役場を初め関係各所が連携、早急に熊をしとめることとなる。
そのニュースが報じられると、その関係各所へ苦情の電話が入る。
「どうして殺した」
「麻酔銃をつかって眠らせ、山へ帰すべきだった」
「のぼりべつ熊牧場で飼ってもらうべき」
などなど、わざわざ電話して感想を伝えるわけである。
そう、ほとんどは感想であって、ガチの動物愛護精神から意見を訴える人は少数だろう。
殺さない選択肢をとった場合どうなるかは、いうまでもないのに。
……と、熊出没のたびに、こうした事態がくりかえされるわけだが、今回ようやく気づいた。
苦情の電話を入れている者の中には、熊が混じっている。
確かに、人間がかけているにしては、あまりに短絡的な内容ばかりだ。
熊が電話をかけて、同族を守ろうとしているのである。
7.7.12 子リス登場
朝、アカマツの周辺でなにか小動物に出くわした。
その瞬間、それはピタッと動きを止める。
目を凝らして見ると、体長15センチほどのエゾリスだった。
尻尾を含めればもっと大きいが、尻尾がなければネズミかとカン違いしそうなくらい小さい。
去年は2匹、兄弟姉妹らしいのが境内をところせましと駈け回っていた。
それが今年は、いまのところこの小さな1匹だけである。
カラスなんかに、いじめられなければよいが。
境内ではないが近くに巣があるらしく、たびたびガーガー鳴くのを聞いているのだ。
カラスは人の顔なんてかんたんに憶えるというが、私より妻のほうを警戒して鳴く。
私の平和主義者の側面を、鳥ながらに理解しているのだろう。
いま育てているイチゴは実がぽこぽこなりだしたが、いくつか食ったあとは放置である。
それが最近、ヘタだけ残して食われはじめた。
おそらく子リスのしわざだ。
妻が朝、社務所の窓のブラインドを開けたとき、イチゴの周辺にいたのを、なんどか目撃している。
いや、実が食いたくて育てているのではないので、それでよいのである。
もっと食って、おおきくなってほしいものだ。
7.7.11 ブックカバーを求めて
岩波文庫で毎年、ブックカバーがもらえるフェアをやっている。
帯についている応募券を切り取り、3枚ハガキに貼って送るとハズレなし、もれなく送られてくるのだ。
例年5月中に始まり、8月下旬から順次、発送される。
布製のカバーでスピン(しおり糸)つき、デザインもよく、去年のを見て妻が褒めていた。
私としても毎年、楽しみにしている。
さて、いま5月中に始まると言った。
先月、フェアの対象となっている本を求めて、市内で最大の本屋に行ったところ――
なかった。
その時点で、一か月以上はたっていたというのに。
ネットで対象の本を注文しても、帯がついているとは限らない。
こればかりは本屋に行き、じっさいに確認して買わねばならないのだ。
あろうことかその本屋では、昨年のフェアの帯をそのままに、まだ売っていた。
子供がまちがえて買ってしまったら、どうするのだ。
私だって、誤って買ってしまうところだった。
帰納法により、私が子供だとあやうく証明されてしまうところだ。
昨年の応募券を送っても、ブックカバーが送られてくることはあるまい。
かわりに金塊が送られてくればよいのだが。
7.7.10 祝詞に関する教育への献言
月にいちど、ホームページについての集計結果が送られてくる。
毎日総アクセスが100もないから、その点ではなんだか責任がないようで気楽なものだ。
相変わらず多いのは、祝詞の例文を求める人である。
「○○祭祝詞」「神葬祭 祭詞 例文」など検索すると、わが神社の名前、けっこう上位に出てくるらしいのだ。
これが、ちょっと気になる。
人の祝詞を参考にして、自分の祝詞を書くのはよい。むしろ、おおいにやるべきだ。
だが、ほんのチョロチョロっと変えて使うとか、そのまま使うとかだと、どうかとおもう。
それだと結局いつまでたっても、自分で書けないんですよ。
今ツラツラおもうのは、神主になるまえの祝詞を教える態勢がよくないのではないか、ということだ。
もっとも悪いのは大学だろう。学生の自主性に任せてきたわけだが、それがよくなかった。
古典を学ばず、したがって古語を知らなければ、文法なにするものぞ、なんて学生がもうほとんどなのではないか。
私が学んでいたころでさえ、チンプンカンプンという学生がけっこういた。
かつての高校レベルの古典を、特に文法を教えなければ、状況はよくならないだろう。
7.7.9 アオサギがみっちり巣に
アオサギのようすがテレビで放映されたことから、参拝者が増えている。
さすがにテレビの影響力、すごいものだ。
私にとってアオサギは、もちろん珍しいものではない。
慣れっこになっていて、ふだん巣のようすなど見上げたりもしない。
飛んでいるのを見て「ああ帰ってきたのか」「エサをとりにいくのか」。
ヒナが騒いでいるのを耳にして「あ、またメシもらってるわ」。
その程度だ。
ところが、改めてテレビカメラを通じ観てみると、
「こんなギッシリ巣に詰まっているのか」。
ヒナが待ち構えているところへ親鳥が帰ってくると、はみだすくらいである。
いつもはあまり意識しないアオサギのようすを、知ることができたしだい。
先日、新聞にのった写真もそうだが、放映されたことによる収穫のひとつだ。
きのうはボランティアの人たちがきてくれて、参道を掃除していった。
ところが夕方から風が出たからか、けさ見たら日焼けした葉っぱが多数、落ちている。
このあと掃除する予定だ。
アオサギのヒナは酷暑をものともせず、ギャッ、ギャッ、ギャッ……と、エサを求めて鳴いている。
その下でブロワー掛けするのである。
7.7.8 ゾロ目の日が明けて
きのうは令和7年7月7日、ゾロ目の日で御朱印をもとめる人が多かった。
多忙も多忙、おおいに疲れたのだった(妻が)。
猛暑日となったなか、みなさんよくお参りされたものだ。
赴任直後なんて、お参りにくる人さえ、ほんのわずかだった。
ぽつりぽつり、である。
そして、毎日熱心にお参りにくる人がひとりだけ。
それがだんだん増えてきて現在、社務所を開ける前、閉めたあとにお参りしている人や、1日とか15日とかに見かける人もいる。
ところが最初から(私の赴任当初から)人がいっぱいきていた、と考えている人がいる。だれとはいわんが。
立地がいいから、という人もいる。だれとはいわんが。
宝くじに当たったようなもんだ、という人もいる。だれとはいわんが。
私どもがなんの苦労もせず、現状があると考えているわけだ。
しかし。
いまのわが神社の状況、楽にこうなったとおもわれているなら、それはそれで成功。
なまじっか能力があるように誤解されても、ウルサイ。
みなさん、私は無能ですのでなにもできません。
期待しないでください。
川原で石を売るんで買ってください。(©つげ義春『無能の人』)
7.7.7 45秒
けさのニュースで、参道に巣を作っているアオサギのようすが紹介された。
45秒ほどか。
ほんのわずかな時間だが、この45秒のために、カメラマンは何日も何時間も取材していたわけである。
いやはや、たいへんな仕事だ。
こうした事情、一般にはあまり知られていないかもしれない。
45秒なら45秒の取材をしたのだろう、とおもうなら、カン違いというもの。
もちろん、そんなカメラマンなり、記者なり、存在するまい。
もっとも重要な部分をきりとって見せた45秒だからこそ、視聴者をひきつける。
背景に、長時間の取材があってこそ――ということだ。
子供のころ、藤子不二雄の『まんが道』でこんなエピソードを知った。
手塚治虫の最初期の作品『ロストワールド』は、草稿段階で1,000ページほどだったそうである。
それを削ったわけだが単行本になったときには、300ページほどだったとか。
背景に埋もれた7割が、当時の少年を魅了したわけだ。藤子先生もしかり。
きのう、今回取材をしたカメラマンの方が来社され「宮司さんにも、よろしく」とのことだった。
だから、このように書くのではない。念のため。
7.7.6 蝶とともに去りぬ
コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア・マルケスの代表作に『百年の孤独』がある。
同名の焼酎があるが、これは焼酎のほうがパクったようだ。
いつから販売しているのか知らないが、名前を聞くようになったのは、わりと最近である。
小説のほうは昭和42年(1967)刊行。日本ではその5年後、邦訳が出版されている。
人として生まれ、これを読まずに死ぬとしたら不幸ではないか――というくらいの名作だ。
本作屈指の名場面は、このようなものだ。
「無数の蝶に囲まれ、その羽ばたきによって女性が舞いあがり、そのまま姿を消してしまう」。
女性の名はレメディオス。通称「小町娘」。
純粋無垢、神秘的な存在として描かれている。
南米では、無数の蝶に人間が囲まれ、まるで舞いあがっているように見える――そんなことが、しばしば起こるそうだ。
だが、あくまでそう見えるだけだ。人間がそれで消えてしまうことなんて、もちろんありえない。
物語内では美しい娘が無数の蝶に囲まれて昇天するが、もうその「絵」じたいが美しい。
きのうコムラサキを見かけて、ふとこの場面を思い出したのだった。
7.7.5 コムラサキ+αの群れ
きのう外での祭事があって、準備をしていたところ。
「なんか、玄関前に蝶がいっぱいいる」と妻が言う。
社務所を出てみると、たしかに7、8頭、飛んだり地面にとまったりしている。
羽は濃いオレンジ色、はばたくと光の加減によっては一部、青紫色だ。
妻がわざわざ私を呼ぶほどの、珍しい光景である。
最近、この蝶は境内のあちこちで見かけていた。
参道や境内社に行くほうの道、社務所西側の庭など。
それでも、こんなに多数かたまっているのは見たことがない。
なんの蝶だろう。玄関前で妻に尋ねる。
江戸紫とか、醤油蝶とか、ムラサキカガミとか、アホな前フリをして「コムラサキ」という回答を引き出す。
水分補給のためか。気圧のぐあいか。花の蜜のにおいが空気の加減で……。
夫婦間で協議をしたが、蝶がかたまっている理由はわからなかった。
祭事から帰宅後しばらくして、ふと気づくと、まだ何頭か飛んだり、とまったりしていた。
「またコムラサキが飛んでいるな」
そう妻にいったところ、「ヒョウモン蝶系もいるよ」という。
まったく気づかなかった。
ひょっとしたら、江戸紫も混じっていたかもしれない。
7.7.4 防災意識を高めよう
あす未明、大災害がくるとかナントカ、ネット上で噂が広まっているらしい。
噂を信じた海外からの観光客が減っている、気象庁の長官がデマだと否定した、などなど影響がおおきいようだ。
じつは、その噂の出所となったマンガを持っている。
作者は夜見るほうの「夢」を長年、記録していて、なかには正夢もあるという。
そして、夢が正夢になった経緯を説明する内容のマンガや、夢日記そのものの写真などが同書には掲載されている。
かんじんの災害については、作者は7月5日と言ってしまっているのだが、のちにべつな本を出し、これを否定した。
「急いで刊行したので、編集者にいったことがそのまま文章にされた。チェックが甘かった」という。
それじゃ、何でもアリではないか。
気象庁長官は科学的に地震予知は不可能、といっているが、まあそうなのだろう。
一方、ネット上の噂では初め大地震か、南海トラフか、だったのが、「か」がとれて、確実に地震が起きるような話である。
それにしても「備えが必要」「防災意識を」と毎度聞かされて、もうあきてしまった。
生きているかぎり常に、ずっと災害に備えなければならないのだろうか。
7.7.3 声優の子がさらに飛躍
きのう夜更かしをしてしまって、眠い。
毎年、年末年始、巫女をしていた子が声優になった、という話を前にした。
その子がラジオのコーナーひとつを受け持つことになり、ゆうべ初放映するというので観たのだ。
そう、ラジオだがニコニコ生放送で公開されるので、「観た」わけである。
ニコニコだから、観ているあいだスーパーがつぎつぎに右から左へと流れていく。
好意的なコメントのみ流れてほしいと、ハラハラしたことであった。
「いい声」「原稿を読むのが、ていねいだ」「将来に期待」などのコメントばかりで、安心。
彼女の若さに驚く声もあった。
デビュー2年目、20歳である。「両親も年下かも」という声も、あった。
このあいだ帰郷したついでに現れたが、成人式の準備もあってのことらしい。
選んだ振袖の画像を見せてもらうと、彼女らしい、落ち着いた中にも華やいだ印象の柄だった。
そのコーナーが始まった直後は緊張しているようすも少し、うかがえたが、全体に落ち着いた印象。
放送後、妻と感想を言い合ってから、寝た。
そしてきょう「おれも声優を目指してみるかな」と冗談を言ったところ――
鼻で笑われた。
7.7.2 毎度アタマのよろしくない文章
いろいろ祭事や何やらがつづいていたのが、ようやく一段落した。
きょうは気温もさがるし、ノンビリしようと思っていたところが……。
蒸し暑くてノンビリできん!
ここで部屋の湿度計を見てみると、72パーセント。
70パーセントを越えると、カビが生えやすくなるという。
危険ではないか。
これからドライヤーで湿度計に熱風を送り、湿度を下げるつもりだ。
近年、この時期の北海道、本州なみの蒸し暑さになってきている。
蝦夷梅雨、ということばもあるくらいだ。
夜にはいると気温がさがるので、まだよい。だが、数年前には熱帯夜がつづいて、閉口したものだった。
窓を開けて寝ると、網戸を閉めているはずなのに、蚊に刺される。
窓を閉めて寝ると、汗だくになって夜中に目が覚める。
窓を半分開けて寝ると、汗だくになり、蚊に刺され、夜中に目が覚める。
われながらアタマの悪い文章を書いているが、これも暑さの影響だ。
ふだんから全然つかっていないというのに、なおさら悪くなるのだ。
この気温だと、偏微分方程式を解くこともできないし、歴代総理大臣の名前も暗誦できまい。
とっとと秋にならないものか。
7.7.1 管渠、側溝、集水桝
先日の安全祈願祭は、道路での作業開始に先立って行われたものだった。
まず、担当者が申し込みのため当社を来訪。
神社での斎行を希望するので日時の予定を聞くと、ちょうど空いている。
そこで本決定とし、参列者数を訪ね、お供えをどうするか聞く。
こちらで用意するか、むこうで用意して当日、持参してもらうかである。
結局こちらで用意となったのだが、ここまではよい。ふつうの流れだ。
ところが一週間ほどのち、その方が工事の正式名称、概要を書いた紙を持ってきた。
いや、困った困った。
管渠、側溝、集水桝と書いてあって、これがサッパリわからない。
管状になった「渠」……水止めるのか?
「側溝」はそのまま、道路の「側」にある「溝」でいいのか?
水を集めるマス状の部分が「集水桝」という理解でいいのか?
それぞれネットで調べ、実物の画像など見て下調べしたのだった。
なぜかというと、祝詞に取り入れるためだ。
ざっくりと「工事の安全を」と申し上げるより、もう少し詳しいほうがよいだろう、と。
そこで「水の細道」「道の端溝」「水を集むる櫃」などと、やまとことばに置き換え、奏上したのだった。
7.6.30 はやくも半年が終わる
あっというまに半年が終わりかけている。
ジャネーの法則によれば、1歳365日を基準にすると50歳では体感時間が7日という。
20歳なら18日である。
いま50歳ならば、だいたい20歳のころの約3倍、時が過ぎるのがはやいわけだ。
30歳ならば、約2倍。
ある一日が、それまですごしてきた日々の何分の一なのか。
歳を重ねるにしたがって、分母が増えていくから、「ある一日」の重みも変わってくる。
見るもの聞くもの初見、初めてやることが多い日は、何歳になっても長い一日だろう。
逆に今日も昨日とほぼ同じ、ルーティンどおり、波乱のない平穏な一日は短い。
かといって、ネガティヴにとらえる必要はないだろう。
わかりやすくきりのよいところで、満27歳のとき、生まれてから10,000日目を迎える。
したがって20,000日目は54歳のとき。
その分「速くなる」とはいうが、54歳のときのある一日は、27歳のときより二倍貴重なのだ、ということもできる。
歳をとるほど、一日がかけがえのないものになる。
たとえ新発見がない日、珍しいことが起きなかったとしても。――いや、強弁ではあるまい。
7.6.29 実家でテレビを観る
実家へ行ってきた。
両親とも健在……といってよいのか。いちおう自活できてはいるが、父にしろ母にしろ歳相応に弱っている。
たまに様子見に、といったところ。
自室はほぼ本で埋まっているのだが、いちおうテレビもある。
私のものでなく、いつのころからか設置されたものだ。
ふだんはテレビを全然観ないのだが、実家に行くたびに毎回つける。
町の広報テレビを観るのだ。むろん、ほかの市町村では視聴できないだろうから、もの珍しさからだ。
データ放送ではゴミの収集日。だれが生まれたとか、亡くなったとか。熊の目撃情報も知ることができる。
最近、毎日のように熊が目撃されているというから、驚きだ。
そのほかローカルな映像ニュースもある。
季節柄、小学校の運動会、中学校の体育大会が放映されていた。
どこも少人数だが、がんばってリレー競争をしたり、踊ったりしていて、微笑ましい。
さて北見市では、こうした番組提供をしていないはずだ。
データ放送もされていないはず。
人口20分の1の規模の町でもやれていることが、なされていない。
街の規模はおおきければよい、というものではないようですね。
7.6.28 うわっつら
「インスタ映え」流行後、神社界でも「映え」るのを、ねらいはじめた。
なんらかの「映え」るものを境内に設置、参拝者に提供し、それで人を呼びこもうとするわけだ。
これは、いまもつづいているし、今後もつづいていくのだろう。
このようにゴタゴタと「飾りたて」るのがふつうになると、飾りたてない神社のほうがおかしい、という認識の者が出てくる。
日々、そんな境内にいると、神職の内面にも影響があることだろう。
外面だけ立派だが中身がからっぽ、という人間が今後ますます増えていくに違いない。
神職には外見が命、人格なんて高めてもという人が多い。
この外見、いいスーツを着るとか、高級外車に乗るとか……だけではない。
知恵者のように装ったり、さも能力があるように見せかけたり……なども含む。
おもしろいのは、外面を飾るのがうまい人とへたな人がいることだ。
うまい人は安物を着ていても、それなりに見える。
逆にへたな人は境内を装飾しても、すぐに「ああ安物だな」とわかるやりかたをする。
このギョーカイ、体面てのはある程度、必要なのかもしれないけれど。
中身も高めていかねばと、おもうのである。
7.6.27 ギャンブル
今は昔、聞いた話。
その人は定期的にパチンコに行く。
なぜパチンコをするのかという問いに対して、こう答えた。
「打っている時間は、人と関わらなくてすむから」。
接客業なので、ときどき他人を遮断する時間、空間が欲しい、ともいっていた。
たしかに各台に座れば、ひとまず自分のスペースとして確保できる。周囲からもそう見なされる。
この人は、ストレス解消のため打つ、一攫千金をねらっているのではない、と常に意識しているからよい。
ただ、世間には「じぶんだけが、儲かる」「いまツイている、もっと儲かる」。
そう考えてしまい、のめりこむ人も多いようだ。
もちろん、場所やシステムを提供してのギャンブルは主催者、胴元が儲かるようにできている。
商売なのだから、当然だ。
しかも、それを感じさせないような仕組みや演出が、どのギャンブルにもある。
さて私は、まったくギャンブルをしない。
学生のころ(!)あれこれやってみたが、どれもダメだった。
ギャンブルに集中しようとすると、眠くなるのだ。
これでは一攫千金もなにも、あったものではない。
もしかしたら、なにか病気なのかもしれない。
7.6.26 感想文いまむかし
高校生だったころ、私は文章のプロだった。
感想文を代作し、金をとっていたのである。だから、文章のデキを度外視すればいちおうプロである。
長い休暇のたび宿題として出るので、いい儲けになった。
あらかじめ「新潮文庫夏の100冊」なんてリストを渡され、この中から一冊選び、読んで書く。
感想文の依頼時、本を買って私にわたすことが、条件のひとつであった。
その謝礼でまた本を買う。本を読むのが好きだったから、たいへん助かった。卒業まで50人分は書いただろうか。
しかし、これは大昔の話。
いま感想文を課題にするとなると、なかなか指導側もたいへんだろう。
高校生に課すとして、そもそも小中で原稿用紙の書き方を教わっていない(たぶん)。
そこでワープロソフト等を利用、プリントアウトしての提出、とする。
しかし、AIに書かせる生徒が続出するだろう。
そこで生徒を信じるか、あくまで不正を排除すべきか判断をせまられる。
AIが執筆した可能性を判定するソフトを導入するかどうか、ということだ。
だが、ソフトで毎度チェックするとなると、それはもう国語としての指導の範囲を越えてしまっている。
7.6.25 提灯をすべてかける
参道両側に提灯台がある。
五対十基。
電気がとおっていて、おおきなお祭りの際には電球をとりつける。
提灯を台にかけ、電球をそのなかに収めるわけだ。
ところが、電気代がかかりすぎるから毎晩はつけられない。
あくまで、おおきなお祭りのときだけ。ふだんは提灯台だけ、といった状態が、ずっとつづいていた。
以前よその宮司さんに「ちょっとみっともない」「提灯台を外せるよう、工事をすればいいんじゃないか」
――とアドバイスを受けたことがある。
確かに提灯台だけだと見映えしないが工事して、おおきなお祭りのたびに装着、脱着するのもたいへんだ。
そこで、ふだん掛けの提灯をつけることにした。
耐久力を考え、材質はビニール一択である。
おおきなお祭りの際には、和紙油引きの提灯を掛けてきたのだが、これは従前どおりとする。
といっても、けっこう提灯代がかかる。
奉納してもらうのも手だが、消耗品としてつかうからどうか。
かくして少しずつ導入ということに、あいなった。
なにがいいたいかというと、さっき提灯が届き、台にかけたのである。
これでようやく、ふだん掛けの提灯がすべてかかった。
7.6.24 忙しい忙しい
おおきな祭事が終わって、ノンビリできるとおもいきや。
ぽつりぽつりと、予約がはいる。ふと気づくと祭事がいっぱい――そのくりかえしだ。
毎月毎年と、恒例化しているものもあれば、ふとおもいたって予約が、ということもある。
ただ、医者や歯医者、美容院などと違って、ビッシリ予約でいっぱい、とはならない。
じゃあ、それ以外の時間は遊んでるんじゃないの?
そうおもわれるかもしれないが、もちろんそうではない。
星空をあおいでは宇宙の深遠におもいをはせ、日々赤みを増すイチゴに大自然の運行の妙を見る。
仰向けに寝転がって、天井の木目の模様を見つめる。
本を開き、難しい内容についていけず(たいてい私には難解な内容だ)、いつのまにか寝る。
このほかにも、顔を洗ったり食事をしたり、猫に遊んでもらったり、風呂に入ったり、歯をみがいたり。
やらねばならないことが、いつも山積みだ。なんと多忙な日々だろう。
雑事がなく、祭事のある毎日をノンビリと送りたいものだ。
――と、アホなことを一筆したためているところに、妻から「(ごはん)できたよー」の呼び声。
早く行かねば、怒られる。忙しい忙しい。
7.6.23 ラムを喰らう
先日妻が、生ラム肉が安いというので買い、晩に焼肉をすることになった。
結局500グラムをぺろり平らげたところ、「その歳でそんなに肉が食えるのは珍しい」といわれた。
皮肉か。遠まわしに食いすぎだ、と叱られたのか――一瞬、ビクっとしたのだが、そうではないらしい。
数年前、胃潰瘍になったとき、ついでにピロリ菌も除去してもらった。
その結果、肉が(ある程度の量)食えるようになったと主張したのだが、妻には否定された。
中央アジアなんかのよく肉を食う地方では、一食1キロなんてふつう、とさらに述べたところ、
「ここは中央アジアではありません」。
それから、東京にいたころの話になった。
あるとき、カレー屋にふたりではいり、1キロのカレーを注文したことがある。
妻はふつうのカレーである。
なんとか食うには食ったが店を出たあと、腹が苦しくてしばらく動けなかった。
いや、こんな過去があっても、私は胃腸に気をつかっているほうなのだ。
ふだんはできるだけ腹7、8分目くらいに控えている。
きのうの焼肉だって、満腹になるまで食ってはない。
ラムも1キロ、食おうとすれば食えるかもしれんな。
7.6.22 戦争が終わってから80年か
参拝者がどのような作法でお参りしていても、私はまず気にしない。
ほかの人の迷惑になったり、不敬だったりするのでなければ、好きなように拝礼すればよい。
どうお参りするのがいいのですか? と聞かれれば、二拝二拍手一拝。
ただ、これも神職の作法にならってはどうか、という程度にすぎない。
だが、しかし。
最近ネットでは「二拝二拍手一拝はGHQの陰謀で、戦後ひろまった作法だ」なんていう人がいるらしい。
あはははは。
んなわけ、あるかい。
これだけ情報が氾濫している時代、戦前の史料なんてネットでいくらでも見られるだろうに。
ちょっと調べれば、わかることだ。
さらに「真言を唱え」しかるのちに「三拝三拍手」が正しい、なんていう人もいるが、それだと寺である。
ネットで見かける「GHQがどうの」を枕詞にした情報は、陰謀論の文脈で語られることが多くなってきた。しかも、たいてい不正確。
戦後80年もたっているからかなあ。
神職の中にも、最近は神社と寺、神道と仏教の区別がついていない者がいる。
ウソだといわれるかもしれないが、残念ながら本当だ。
そういう時代になってしまっている。
7.6.21 アオサギが注目されている
最近、某テレビ局のカメラマンが境内にきている。
参道のアオサギ狙いだ。よい「画」をとるため、もう4、5回はきただろうか。
生きものだから、ひたすら待つのが肝要。たいへんだ。
ましてやここ数日の暑さ。ベストショットをとらえるべき瞬間を求め、ジーッと待っている。
アオサギは雛を育てているところ。飛ぶ練習をするのも現れた。
親鳥が魚をとりにっては、もどってくる。雛の口にほうりこむ。
その瞬間が「画」としてはベストだろう。テレビ画面に映しだされたとき、とてもわかりやすい場面だ。
もうその画はとれていて、さらにほかの「画」を求めてカメラをまわしている、とのこと。
こんなアオサギの子育てのようすが、いずれ放映されるはず。
ドローンがはやりだしたとき、飛ばしてアオサギを撮影しようかと考えたことがあった。
結局いまに至るまでやっていないのだが、なぜやめることにしたのか憶えていない。
鳥と同じ目線で巣や梢の周辺を見てみたいが、その程度で導入するならすぐに飽きるかも、と考えたのか。
親鳥に攻撃されるリスク、アオサギの負担を考えたのだったか。
もういちど検討してみることにしよう。
7.6.20 暑い
暑い。
ご社殿正面が南向き。
社務所も並行に建っているから、とくに南側のエリアが暑い。
社務所の建物の形状は上から見るとだいたい長方形。その長方形を上下にわけるように廊下。
上(南)下(北)に分割するように、部屋が配置されている。
真夏日となっても、初日はまだ南側だけが暑い。
ところが数日つづくと、だんだん北側のほうも暑くなってくる。
数年住んでみて、結局、日光を遮断するのが建物内部を暑くしないためのコツだと気づいた。
それでいま、二階など常時カーテンを閉め切っている。
窓をあちこち開けて風をとおすのは、二の次。
暑くなりだしたころだと、外の熱風を甘んじて招き入れてしまう。
だいいち社務所の建物ゆえ、それなりに広い。
その暑い空気がこもると、なかなか抜けないのである。
近隣の宮司さんから「クーラー買え、買え」と毎年、勧められているのだが、いまだに買っていない。
べつに金がないわけでもないし、上記のとおり暑いのはキライなのだが、なんとなく「まだ耐えられる」ような気がしている。
さて何度この文で「暑い」といったか。
9回か――さいごに10回目を。「暑い」。
7.6.19 トラツグミが鳴いている
ここ数日、夜間、トラツグミの声を聞いている。
方角からすると、神社北側の裏山に生息しているようだ。
神社と裏山のあいだには畑や田んぼがあって、いまカエルがゲコゲコと騒がしい。
その向こうから、ときどき「ヒューイ」「ヒーッ」「ピーン」と、高い声が聞こえてくるのだ。
私は好きなのだが「寂しいから」「なんとなく陰気だから」と、嫌う人もいるそうである。
昔の人は妖怪ヌエの声とおもっていたというから、感じかた、じつに人それぞれだ。
もっとも、神社・田畑・裏山のあいだには道路もとおっていて、夜でもそこそこ車が走っている。
国道の抜け道として、利用している人が多いようだ。
そうしてある程度、にぎやかだからこそ、トラツグミの声に好印象を抱いているのかもしれない。
ほかに物音がしないなかで聞いたら、やっぱりもの寂しさを感じるだろう。
この「ヒューイ」「ヒーッ」という声は、さえずりである。
雄が雌を呼んだり、なわばりを主張しているわけだ。
複数の声を同時に聞いたことがないのは、一羽ごとのなわばりが広いためか。生息数が少ないためか。
まもなく、カッコウもさえずるようになるだろう。
7.6.18 神主の表芸
なんだか暇なような、忙しいような、よくわからない日がつづいている。
神社外での役目もあるからだ。
少ないほう、絞っているほうだが、さていくつあるか。
……考え中……
なんと――4つもあるではないか。
そのうちひとつは負担にならず、今後もつづけていいかな。
もうひとつからは来年、解放されることが決まっている。
さらにまた任期3年てのがあるが、これも楽なほうだからよい。
休眠中でホントに活動しているのか、という団体での役目がひとつ。これも放置でよかろう。
声がかかったら「アア、解散したとおもってました。もうやりません」と断るつもりだ。
これやってくれ、と人から頼まれることがあるが、安請け合いは絶対よくない。
まして、受けて当然みたいな考えでいる者の、相手をする必要はない。
だいたい私がなにかやったところで、数合わせにもならないのだ。
肩書なんていらないし、最近暑いからなにかの会合に出かけるのもいやだ。
これでも一時期より、だいぶ楽になった。
それで境内により長時間、手をかけられるのが嬉しい。
草むしりや草刈、ブロワー掛け。
掃除こそ神主の表芸なるべけれ。
7.6.17 雹を降らせてしまった
少し前、氏子区域内の一地区に雹が降った。
「ちょっと(雹の降る範囲に)かかった」と、あまり被害がないように聞いたのだが、赴任以降、初めてである。
そこでは毎年、豊作祈願祭を行っていて、私が斎主をつとめている。
豊作はもとより、ほどよい気候をとも、お願いしているところだ。
昨年の祈願祭では晴れが多すぎたので適度に雨を、とお願いされたのであった。
至誠天につうじ、今年は農家にとってちょうどよい雨量で推移していた――と、まあ、そのような状況下での、雹である。
今年の祈願祭より前に降ったのが、私にとっては不幸中の幸い。
もしくは、ちょっと降ったくらいですんだ、と解釈すべきか。
そこで、少なくとも来年の豊作祈願祭まで雹を降らさないように、なんとか斎行したしだい。
神様へのお願いが聞き届けられるかどうか担保するのは、結局のところ祭式お作法や祝詞だ。
だからまずは、厳密に厳格にするしかない。
お祭りごとの結果を気にしすぎてもよくないが、私は気にするほうだ。
宗教者として、まったく気にしないとなると、そのほうがどうかしているだろう。
さて――今年の夏の気候は、どうなるかな。
7.6.16 春祭りが終わったよ
14日に春祭の宵宮祭、当神社総代会の定例総会。
15日は春祭の本祭。終わって西相内に行き、豊作祈願祭。
ということで準備、斎行、実行に追われ、ついでに時代に追いかけられ、猫の世話に追われて、と、たいへんだった。
コロナのせいで春祭、総会とも参列、参加者が少なくなったので、こうしたのだが――
いちどに詰めてしまうゆえの疲労はあっても、それなりの爽快感があるものだ。
「やりとげた感」とでもいうのか。そして、諸準備の手間や時間がかかっていれば、爽快感も増幅する。
民俗学では日常を「ケ」、非日常を「ハレ」と呼ぶ。
もちろん祭事は「ハレ」の時間、空間だ。
日常の疲れをハレの場で解消、魂を更新、活力をとりもどしてケへともどってゆく。
そのような構造、機能があるとのこと。
個人がケとハレの装置をうまく利用できれば、精神的な問題はけっこう解決する。現代であっても、それは変わらない。
だが、最近は商店街なんたら祭り、春のパン祭り……などなど「祭り」の範囲が拡大している。
祭りが日常=ケに近くなっている現状。
それゆえに本来の祭りの機能を、神職はもっと意識すべきではないだろうか。
7.6.15 仕事がないとは……
人手不足やら物価高やら米の暴騰で、どこもたいへんなようだ。
こんなとき経営者の手腕が問われるわけだが、まあみんながみんな、有能ではない。
最近聞いたのでは、知り合いの社長のところに寄るたび「仕事ないか」と、もちかけられる。
それが毎度なので、もういきたくないんだ……という人の話だ。
仕事のえり好みをする。人脈を築けず他者とよい関係をたもってもいない。
まじめに取り組まなかったり、よい仕事をしないから、信用されない。それで、つぎの仕事につづかない。
そんなところではないだろうか。
そもそも「仕事がない」と人にボヤくのは、諸刃の剣だろう。
同情を買おうとしているのかもしれないが、無能ゆえ仕事をつくれないんです、と自己紹介している側面もあるからだ。
同情してもらえるのは、それまでの人間関係が良好で、やるべきことをきちんとやっているときだろう。
これは神職でも変わらない。
仕事がないからいま、こうしている、この先こうしたい、ならわかる。
だが、なにも対処せず、努力もしていないうえでの「仕事がない」なら、フーンで終わる話。
「ムシのいいこと、考えてんなー」ということだ。
7.6.14 雪印バターが100年
妻が「バターのパッケージが復刻デザインになっている」というので見ると。
今年、雪印が創業100年を迎えるとのこと。
QRコードから特設サイトを訪問してみると、バター製造の歴史が紹介されていて、なかなかおもしろい。
パッケージの黄色はイメージカラーでもあるから、効果的につかわれていた。
この黄色からバターの芳香を連想するし、郷愁もそそられるのだ。
サイトからパッケージにもどって成分表示を見ると、製造者が磯分内工場となっていた。
この工場は標茶町字熊牛原野にあるらしい。
少し前、更科源蔵の本を読んだ、と書いたが、その更科が牛を飼うのに奮闘したのが熊牛原野だ。
もちろん、100年前から同地に工場があったのではない。
ただその連想から、100年前に牛から乳をしぼり、生計を立てていた人の存在を感じたのである。
更科の話は、もう少し時代がくだる。
それでも乳しぼりは手によった。
脂肪分が高いとよい買値がつくから、しぼる時間にも気を配っていたという。
日中は牧草を刈ってエサをつくり、世話をし、早朝や深夜に乳をしぼる。
休む暇もなく毎日毎日、疲労コンパイだったそうである。
7.6.13 高気圧、太平洋かオホーツクか
北海道の南を通る太平洋高気圧の勢力が強いと、暑くなる。
ひどいときには、20日も30日も真夏日がつづいた年もあった。
それに対し、オホーツク高気圧が強いと気温があまりあがらない。
海から湿った空気がはいってくるから、雨の日が多くなるし、沿岸部では霧がかかることもある。
先日、晴れていたのに急に雨が降り、あがったかとおもうとまた降る、ということもあった。
暖かい空気の上に冷たい空気がはいりこむと、対流がおこるのは当然。
上昇気流で雲ができ、雨を降らせる。
そのときもオホーツク海から、寒気がはいってきたのだろう。
海流とかジェット気流とかの、うねりぐあいも関係するのだろうが、最近テレビの予報を見ていないから、わからない。
今年はいまのところ、オホーツク高気圧のほうが強いようだ。
北見に赴任してから、こんなに雨が降る六月はなかったような気がする。
事務仕事をするにも、境内清掃をするにも、汗をかきかきヒーヒーいいながらやっていたはず。
だがこれくらいの雨量、農作物にはよいらしい。
むしろ近年、雨が少なめだったと耳にしたことがある。
秋には豊作の声を聞きたいものだ。
7.6.12 チョウさまざま
3年前植えた芝桜が最近、満開を迎えた。
きのうの雨、けさは曇でしぼんでいるが、また花を開くことだろう。
花より実がなるもののほうが好きだとおもっていたが、手をかけた花が咲くのも嬉しいものである。
その芝桜に、キアゲハがたびたび寄ってくる。
キアゲハだって好き嫌いがあるらしく、どうやら芝桜の蜜がお気に入りらしい。
境内西側の庭では、サツキがしばらく前に満開となった。
こちらはカラスアゲハ。
カラスにしろキにしろ、あまり見かけない。
一頭だけかとおもっていたら、きょうは二頭がときどきぶつかりながら、飛んでいた。
雄雌なのだろう。サツキが好きなのかもしれない。
子供の頃からおなじみなのは、モンシロチョウだ。
あとはモンキチョウ、その他シジミ、アゲハをのぞけば、ガの仲間。
小さい頭でまず、そんな区分をしていたのだったが、これはいまも変わらない。
以前、妻から教えられ、モンシロはけっこう少ないと知って驚いたことがある。
モンシロとおもいこんでいたのが、じつはスジグロとか、エゾスジグロとかべつな種類だったのだ。
いまもなお、なんでもモンシロといって妻に怒られている。
7.6.11 更科源蔵『原野』法政大学出版局 読了
自伝風エッセイの本書を読めば、開拓移民の生活の厳しさがよくわかる。
更科は明治37年(1904)、現在の標茶町熊牛原野の生まれだ。
両親が移民で、その二世である。
冬は雪で道がとざされるから、みな線路をつかって移動していた。
人が少ないところは、カラスやスズメも寄ってこないものだ。
農作業に支障が出るから、子供はつくらない。
老人がいる家は子供の世話ができるので、うらやましがられた。
そんな描写がリアルで、読みごたえがある。
たびたび訪れる人間にしても、一筋縄ではいかないクセの強い者ばかりだ。
馬喰や占い師、熊撃ち。秋鮭の密漁者。
北海道に住んでいるというと、自然が豊かで、なんていわれるけれども、やはり開拓者とは生活も意識も全然ちがう。
現代の北海道の人間の生活は、自然からみずからを隔離した上になりたっている。
野生生物と距離をたもつべく市街地に住み、夜もコウコウと明かりをつけ遅くまで眠らない。
それにくらべ、開拓者は文字どおり自然の中に生きていた。
彼らの生活は厳しかったけれど、どちらが人間らしい生き方なのか。
そんなことを考えさせてくれる一冊である。
7.6.10 祖父の話
父方の祖父は私が4歳のときに亡くなったから、あまり憶えていない。
凧をあげてもらった記憶。
祖父が仰向きで昼寝しているうえに私が乗りかかり、遊ぼうとうながしている記憶。
病床で手を握った記憶。それくらいだ。
この祖父から手紙をもらったことがあると、かつて伯母から聞いたことがある。
つまり父から娘へ、ということになるが、この手紙、漢字が全然なく、カタカナ、歴史的仮名遣い。
「ちょっとした手紙の文章も、こんなふうにしか書けないんだと、気の毒なくらいだった」。
祖父は小学校を卒業後、札幌の菓子屋へ丁稚奉公に出た。昭和初期の話である。
戦後は、実家近くの町の役場勤め。
車の免許をとって、公用車の運転をしていたという。
祖父は私とちょうど身長が同じくらいだったから、のこされた礼服を着て親族の葬式に出たことがある。
ところが、背丈は見込みどおり合ったものの、腹がぶかぶか。
ポケットになにかはいっているので探ってみると、煙草のエコーだった。
祖母に聞いてみると、私の両親の結婚式のときに吸ったものだろう、ということだった。
忌日は6月8日である。あと数年で、50年を迎える。
7.6.9 よくつかう笏の話
笏は、神主が右手にもつ木の板である。
お内裏さまももっているし、受験シーズンになると、カールおじさんももっているアレのことだ。
これ、シャクと呼んでいるけれども、漢字の「笏」には本来、そんな読みかたはないという。
北海道の人なら支笏湖の「笏」だから、コツと読む人もいるかもしれない。
そのコツのほうがじつは正しく本来の読み、シャクと読むのはのちに音をあてたもの、ということのようだ。
材質は規程ではイチイ、北海道ではオンコとも呼ばれる木だ。
いちばん偉い人から、いちばん下の使い走りまでみな同じ、イチイのをつかう。
最近は黒檀とか紫檀とか、よい木でできた笏も売られているが、私はつかわない。
赴任前から神社にあったものには真っ黒な笏もあって、お葬式のときにつかうこともある。
だが、黒檀かどうか、よくわからん。
異様に白い笏もあるが、これも不明。
イチイ以外では、建築屋さんがつくり、いただいた笏をけっこう愛用している。
これが桜でできていて、「春になると神社さんのまわりの桜がきれいだから」ということで、つくったものらしい。
そういわれれば、愛用しないわけにはいくまい。
7.6.8 笏をもらった話
神職養成機関を卒業時、統理賞をいただいた。
成績優秀者への賞だが、首席ではなく次席である。
私が出た養成機関では、首席は(神宮)大宮司賞をいただけるのであった。
じつは次席になれるよう調整した、といえば、負け惜しみととられだろうか。
というのも、統理賞の副賞は笏。これがなんとしても当時、欲しかったのだ。
同級生が31名。
そのうち私より優秀なのは31名であった。ひょっとしたら、もっといたかもしれぬ。
絶望的な状況だが、こう考えた。
すべてA評価でなければ届かない。
全Aの人間が複数いるなら、Aの数の多い方が首席になるだろう、と。
そこで私が受講したのは卒業ギリギリの科目数、それですべてA評価を得た。
首席の人はあとで聞いてみたら、私より多く単位をとっていた、と。
賞をいただいたのを知る人からは、頭がよいといわれるが、じつはちがう。
アタマの出来より、努力。努力を可能にするための健康も、もちろんだいじだ。
さらには当時から、妻のささえもあった。
これまで「努力したんだね」といわれたことは、いちどもない。
怠け者ゆえ頭がいいことになっているのかもしれない。
7.6.7 高所恐怖症検査
ネットでIQ検査なんてのが、たくさんあるようだ。
脳トレ程度のものから本格的なものまで、多種多様、玉石混交、出前迅速、落書無用。
ドラえもん、ドラえもん、ホンワカパッパ、ホンワカパッパ、ドラえもん。
――なにをいっとるか。
さて。
ここまでで私のアタマの出来も、あらかた予想がつくだろうが、以前IQテストを受けたことがある。
海外のサイトだが、まあ問題を解いてIQがいくつと出ればよいので、語学力は不要。
むかーし受けた知能検査の問題に似ていたから、まあまともなサイトだろう。
そこで130くらいの判定が出て、ホウホウとうなずいたのだったが。
このサイト、空間認識能力の測定にかたよっていると評価されているのを見つけてしまった。
どうりで図形ばかり出てきたはずだ。
夕食のレシピを10秒で決定する能力や、鏡を見て自分を美男子だと錯覚する能力は、残念ながら測定されなかったことになる。
空間認識といえば、私は高いところが苦手だ。
飛行機とか、遊園地の観覧車とか、できれば一生、乗りたくない。
それでこのサイト、じつは高所恐怖症の判定をしているのではないかと、疑っている。
7.6.6 ください・下さい
ネット上の情報を利用するとき、それが正確かどうかは各人が判断しなければならない。
ただ、SNSでイイネをつける人が多いと、それって正しいよねとカン違いしてしまう例も多いようだ。
最近目にしたのでは、「ください、とひらがなで書くのは補助動詞、下さい、と漢字で書くのは本動詞」というのがある。
んなわけ、あるかい。
ザックリいうと、ほかの動詞にくっつくのが補助動詞、それに対しメインの動詞が本動詞。
例えば「お申し出ください」の「ください」は補助動詞、「愛をください」の「ください」は本動詞である。
どう使用するかで補助・本が決まるのであって、漢字にするかどうかによるのではない。
これ、もとは「補助動詞はひらがなにしましょう、本動詞は漢字にしましょう」と、逆だったのかもしれない。
それでも漢字にするかしないかは結局、人の自由。
ことばに関しては、マナー講師を初め、さまざまな人が独自のシロウト解釈をネット上でひろめている――そんな例が相当あるようだ。
そしてイイネがつくことで、正しい情報だと誤認する人が出るわけだ。
これが残念ながら神社、神道に関することでも同様なのである。
7.6.5 おおきめなパズルのピース
現代の神道祭祀の多くが「祈願祭」、なにか神様にお願いするというので、祝詞の型もだいたい決まってくる。
どんな理由でその祭事をおこなうのか。
そして(その祭事において)、かくかくシカジカをどうかお願いします……という二点がキモだ。
安産なら「大神様のお蔭様で身ごもり、それ以降、心身とも順調であることに感謝し、出産に際してもお力添えをたまわりたい」などの理由。
「臨月になりましたら、ますます御加護をいただいて母子ともに健康でいられますようお願いいたします」という祈願。
まあこんなことを古語に、漢字だらけに直して祝詞用紙に書くわけです。
このとき英作文みたいに、例えば「私は一人の少年です」を、「私は」はI、「一人の少年」はa boy、「です」はamだから、I am a boy……なんてふうにはしない。
ある程度まとまったフレーズを並べていくイメージだ。パズルのピースがおおきめ、というか。
この安産祈願の理由部分の出だしなら「大神の大御蔭もちて」「大神の奇しく妙なる御霊くまりに依りて」あたりか。
祝詞がうまい人はこのピースをたくさんもっているし、自在に改変もできるのだろう。
7.6.4 500字ピッタリで
この「宮司のたわごと」にどう書くか最近ちょっと考えていて、23日から27日はピッタリ1,000字で書いた。
28日以降は500字である。
1,000字は新聞の連載小説の字数、500字は同じくコラムの字数。
だいたいそれくらいの字数だと聞いたからなのだが、1,000字は書いて、読んでみるとチト長い。
500字はどうか。書いてみてスマホで表示すると、そうスクロールせず、読む時間もかからない。
それで500字で書こうと決め、いまに至る。
あくまで分量を参考にしたまでで内容は小説でもコラムでもないから、頭を悩ませることはない。
こうして毎日書いているのにしたって、才能でもなんでもなく、慣れ。
これを書こうかとキーボードをたたきはじめ、やがて一文ができあがる。
そこから、ふくらませていくだけだ。
平安朝の古文ふう、明治時代初期ふうや候文。
凝ろうとすれば凝れるが、そんなものだれも読まない。
形式、内容とも、できるだけ読む人に正しく伝わるよう努力するのは、当然のこと。
至上命題、アルファにしてオメガだが、これがなかなか難しい。
ということで、きょうも500字で書いた。
7.6.3 深い眠りを求めて
最近、眠りが浅いのか朝、起きたときスッキリしない。
だんだん夜明けが早くなってきて、現在の日の出は3時45分ころだ。
カーテンの隙間から日光が入り、眠りつつも体が反応しているのかもしれない。
もともと眠りは深いほうだったのだが、歳をとったということか。
加齢で季節の変化についていけていないのかもしれない。
昨日は深い眠りをと、アイマスクをしてみたところ、耳にかける紐が痛くて目がさめた。
ほかの対策を考えねばなるまい。
そのうえ、睡眠直前までコーヒーを飲みながら本を読む。
悪い習慣だとわかってはいる。カフェイン摂取が絶対よくない。
だが、窓を開けて夜風にあたりながらの読書の時間は、なににも代えがたい至福のひととき。
それにこの時期、夜になっても気温がさがらず、ここちよさを感じるようになってくる。
コーヒーのにおいがするアロマかなんか、買うことにしようか。
通常時、アラームもなにもせずに寝ると、だいたい7時間半で自然に目が覚める。
早く寝れば早く起きるし、夜更かしすれば朝寝坊になるのは当然。
暗い時間帯に「寝ている」状態を長くたもつべく目下、試行錯誤中である。
7.6.2 神社に金を残すには
神社でも会社のように予算を組み、決算をしている。
科目の設定や規模などは違っていても、どこの神社でもやっているはずだ。
どう考えて予算案をつくるかというと、収入はまず去年と同じくらいと見込む。
そこに前年の繰越金の額を足すと、今年つかえる金の総額(の見込み額)となるわけだ。
支出は各科目、前年の支出額にだいたい合わせるが、それよりも少々多めにする。
その年、多くなる見込みの科目は、さらに余裕をもって設定する。
少なくなるとハッキリわかっているなら、減らす。
執行(金をつかう)にあたっては、各科目とも予算額を極力、越えないようにしなければならない。
また、収入の見込額を、そのまま全部つかうようにして予算を組むのはアホウの所業。
今年つかう額、つまり予算における支出の総計は、せいぜい昨年の収入の7割までにすべきだろう。
ほか3割ほどは予備費とするが、これもできるだけ出費をおさえる。
――とまあ、当たり前のことをいっているが。
予算、決算をきちんとしないと、歯止めがきかない。
たとえば金づかいが荒いのに、収入の規模をかえりみないなら、金がなくなるのは当然である。
7.6.1 われ野人なり
北海道にいるなら、じつはけっこう食うのに困らないと、つねづねおもっている。
ちょっと前ならフキノトウ、ワラビ、いまならフキ。食える山菜がけっこうあるし、秋ならキノコ。
最近は漁業権などあるが、子供の頃はアサリとかシジミとかウニとか、とったものだ。
竹ぼうきを川に一晩つけこんで、あげてみたら川エビがとれるとか。
ど田舎に育ったので、多少そういうスキルがあるのだ。
最悪、現金収入が全然ない状態になっても、米さえあれば乗り切れる自信がある。
さまざま採集したうえ、缶詰とか乾物とか利用してアクセントをつければ手間がかかるかわり、食費をかなり圧縮できるだろう。
これは父のおかげだ。
じつにいろいろな場所につれていかれた。
湖の入江、小さな沼、国道から農道への入口、牧草地から入った丘の斜面……。
いまでもどこになにが生えているか、けっこう憶えている(現在、とれるかどうかはべつにして)。
また、そのへんを歩いていてちょっと見かけた草でも、食えるかどうか判断できる。
野良育ち、野人でよかった。
7.5.31 つぎの年末年始に「出る」おまもり
おまもりには最近、さまざまなものがある。
矢羽根型だったり、木札型だったり、帯がついていたり、さらにはそれぞれ色違いがあったりと、実にさまざま。
デザイン、形状だけではなく、願意も多種多様だ。交通安全、子供守、安産、厄除、金運……。
そこで神社としては在庫管理ではないが、どれが何体あり、あれが年末年始の期間、何体出たか――など集計し、記録しておく必要がある。
集計をもとに、どれだけ発注するか、以後、発注を止めるかなど決定。
あるいは、新しいのを入れるかどうか検討もするわけだ。
ここだけの話で他言無用にしてほしいが、研究の結果、次回の年末年始、絶対に「出る」おまもりの種類、デザインなどはもうわかっている。
近年は、××××がとくに×××されている傾向があるので、まずは×××の××××が××ないよう××を×××すべきなのだ。
さらに××系のおまもりについては、もし××××に×××××例もあり、××××。
したがって×××守、×××系のおまもり、×××××は必ず出ると予測できる。
ちなみにオリジナル×××××としても、まず×××××××だから××、まちがいなく×××といえるだろう。
7.5.30 失敗つづきの理科の観察
子供の頃すごした北オホーツク地方では、夏の気温が低く、25℃以上になることがめったになかった。
そのため理科の観察がみな失敗。
一学期中は学校で育て、終業式のときに持ち帰る。
夏休みのあいだ観察日記をつける――という、よくあるアレである。
小学1年のときはアサガオ、2年のときはヒマワリ、3年のときはヘチマを育てた。
ところが毎朝水をやっているのに育たないし、お盆前に枯れてしまって日記は中断するはめに。
私の親は放任気味のところがあったから、鉢のようすを見たり、肥料をほどこしたりも、しなかったはずだ。
今おもえば、そんな土地なので家庭菜園だってあまり育たないのだから、これは私のせいでは――たぶん、ない。
さて境内では、なんども述べているが芝桜とイチゴを植えている。
北見市は暑くなるときアホくらい暑くなるし、この時期、日照時間もけっこう長い。
最近はぐんぐん成長してきており、おもしろいくらいだ。
じぶんが水をやることで、植物が成長していく。
子供の頃にそんな経験をしていれば生物、とくに植物に、もっと興味を持ったことだろう。
そう考えると、ちょっと残念な気がする。
7.5.29 小論文の基本的な構成は
小論文といえば、ある予備校講師が提唱し、一世を風靡した構成がある。
まず「~と考える」と主張し、「確かに……だが」と反対意見を予想し、つづけて述べることで客観性をたもつ。
だが、みんなこの型に沿って書くもんだから、採点する大学の先生がウンザリしている、という話を聞いたことがある。
では、もっと単純に、ある主張なり意見なり述べるとして、最小限の構成にするとどうなるのか。
それは「主張」―「その理由」―「再主張」である。
入試や就職試験で課されるくらいの字数なら、「理由」のパートはふたつにわけたほうがよいだろう。
つまり、四段落構成。すると、おさまりがよくなる。
どの段落もほぼ同じ分量がよいのだが、「主張」と「再主張」が3分の1だと、ちょっと書くのがたいへんになる。
かといって「理由」を長くするのは、腹がダボダボした中年のオッサンみたいになりがちだ(私のことだ)。
とまあ、主張を初めにあげ、その理由を述べ、だから~である、と再主張するのが基本。
基本なのだが、これを人様に教えるとなると、けっこうややこしい。
今年もある学校へ、こうしたことを教えにいっているのである。
7.5.28 境内さわがしや
少し前、田んぼに水がはいってから夜、蛙が鳴くようになった。
境内ではアオサギの雛が、一晩中エサを求めてギャッギャッと騒ぐ。
いつ寝ているのか、わからない。
じっとしていれば体力を消耗しないとおもうのだが、それは浅知恵というもので、生存戦略上はエサをよこせと寝ずに鳴くほうが有利なのだろう。
日中はエゾハルゼミ。
いま窓を開けて、これを書いているのだが、境内外あちこちでウワンウワン、ジージーと、けっこうやかましい。
田舎の神社といえば静かな環境だと、おもいこんでいる人もいるかもしれない。
だが、人工音は少なくても、自然音はこのとおりである。
どこか北海道の神社がネット上で、この時期に現れたセミをヒグラシだとかいっていた記憶があるが、んなわけ、あるかい。
この時期にヒグラシが繁殖活動中となれば、大発見である。
即刻、研究機関に報告、きてもらって気候変動のせいなのか、一過性のものなのかなど判断してもらうべきだろう。
神社はたいてい樹々にかこまれ、さまざまな動植物が生息している。
ほっといてもくわしくなっていくとおもうのだが、最近は神職でもそうではなくなってきたようだ。
7.5.27 かつて小学校があった
きのう午後遅い時間に天候が回復してきて、数日ぶりに晴れ間がのぞいた。
かとおもうと、けさは快晴で空が真っ青、夏日になりそうないきおいである。
さきほど、ひさしぶりに外に出ての祭事があって出かけてきた。
十五年祭、仏さんでいう法事に似た祭事である。
このおうちは屯田兵の家系で、これまでけっこうな分量の史料を市に提供してきた。
市のほうには市史編さん室というのがあって、そこの方が史料をまとめ、たびたび冊子にしている。
今回、祭事が終わって、お茶をいただいてすすっているとき、たまたま地域の昔のことに話題が及んだ。
するとその冊子のうちの一冊を見せてもらうことになった。
とまあ、ことのしだいは、そんなところである。
その方の先祖が入植直後の日記を残していた。
ざっと100年前だ。
そして、日記の内容から当時のようすをまとめたものがこのたび冊子となったのである。
昔の人だとはいえ、プライベートな部分はとりあげられていない。
ただ、その方いわく「いろんな人と毎日、飲んで歩いてるって書いてあるらしい」。
なかなかの酒豪だったようで、じっさい遺伝なのか、その方の家系はみな酒がお強い。
かんじんの冊子の内容はというと、地図が豊富で、境内地に昔なにがあったのかも一目瞭然。
たとえば、いまの社務所があった場所には100年前、小学校の校舎があって、推定位置が図示されている。
砂利をまいたり、参道両脇に木を植えたりといったことは、現在地に神社が移ってからのこと。
だが、窓から見える山の姿はそう変わっていないはず。
当時の小学生や先生らが見たのと同じ景色かもしれないとおもうと、ちょっとふしぎな気がする。
いま地域では、「無責任な」市政のあおりをくっている。
小中学校を統合して義務教育学校をつくろうと活動していたのが、建設へと移行中に頓挫した。
さんざん市役所の建設や、平成の大合併時の公約を履行するやらで、湯水のごとく金をつかってきた末に「破綻するかもしれない」。
それではだれも納得しない。市民は見るところを見ている。
相内小学校の開校は、市内で二番目に古いそうだ。
計画が凍結されたまま、まんいち閉校にでもなれば、その歴史に終止符がうたれてしまう。
教育委員会初め市の担当者は、それがどれほど重大な意味をもつのか、考えたことがないのではないか。
7.5.26 芝桜とイチゴと
ここ数日、雨つづきである。
農家ではすこし前まで「もう少し雨がほしいな」といっていたから、ありがたいだろう。
ふときのうの午後、思いたって雨水をためることにした。
境内の植物のうち、芝桜やイチゴに水をやっている。
水道代もバカにならないから、節約のための努力だ。
社務所裏手の軒先にバケツをならべて水を受け、溜まりきったら90リットルのゴミ箱へと移した。
すると、晩までにゴミ箱がほぼ満水に。
ボウフラがわき、蚊が大量発生してもイヤだから、つかわないときはフタをしなければならぬ(私はよく蚊に刺されるのだ)。
芝桜を10株ほど買って植えたのは三年前で、イチゴは昨年4株植えた。
芝桜のほうは一株がチョロっと去年、花を咲かせたが、ほかは沈黙したままだ。
もしかしたら、花が咲かないタイプの芝桜なのかもしれないし、何者かの陰謀で遺伝子が組み替えられているのかもしれない。
いっぽう、イチゴは植えてすぐに2株が実をならせた。
食ってみたら、すっぱかった。
今年の春先はちょっと元気がないようだったけれど、この雨天つづきで葉をひろげ、ランナーをのばし、スクスク成長している。
追肥しなければとおもっているのだが、まだやっていない。
それでもけさ見ると、もうイチゴの白い花がふくらみはじめていた。
ああ、そういえば――と、おもいだす。
平成18年まで残っていた祖父母の家の玄関前に、芝桜が植わっていた。
そこは畳一枚ぶんくらいのスペースで、花はピンク系だったような気がする。
季節になると毎年、花を咲かせていたはずだが、興味がなかったからかどうも記憶がうすい。
中学2年まで住んでいた家の庭には、イチゴが植わっていた。
その家は国鉄の官舎。
以前の住人が植えたもので、私ども家族が移り住んだときにはもうワサワサと生えていた。
夏になるとよく、とりにやらされたものだ。
ボールいっぱいくらいの実がとれ、水道水で洗い、へたをとってかぶりつく。
あれもずいぶん、すっぱかったような気がする。
そのイチゴを食って顔をしかめている私の写真が、どこかに残っているはずだ。
いま境内に植わっている芝桜やイチゴは、なんとなくホームセンターで買ってきて育てはじめたものだ。
そうおもっていたが、実際は「なんとなく」どころではなく、子供のころの記憶が念頭にあったのだろう。
7.5.25 雑草という草は……
昭和天皇は「雑草という草はない」と、おっしゃったそうだ。
われわれはふだん「黄色い花を咲かせる草」「背が高くなる草」などと、おおざっぱに把握するばかりで、あまり図鑑などで調べはしない。
雑草といって、ひとからげにまとめ、それぞれの個性をかえりみない、そんな姿勢への疑問を呈されたおことばでもあろう。
「雑」のつくことばには、マイナスイメージがつきまとっている。
「雑事」「雑品」、神社界では「雑祭」など。
これは「乱雑」「雑然」などの熟語が影響しているのだろう。
だが「雑」には「いろいろな」「さまざまな」という意味もあって、じじつ「雑事」にしろ「雑品」、「雑祭」にしろその意味でつかわれている。
もちろん「雑草」もそうだ。
と、こんな前置きをしておいてなんだが――きのうは涼しくて曇り気味だったので、国道沿いの草を刈った。
タンポポは根から堀りおこすならたいへんだが、刈るだけなら楽なものだ。
ギシギシなんかも、おとなしく刈られてくれる。
エゾニュウはそこそこの背丈になるが、これもかんたんに倒れる。
ほんとうに手を焼くのは、イネ科の草。
株状の部分から細長い葉がミッシリと多数、放射状にひろがり、まず葉を刈り払うのに手間どる。
ようやくすべて葉を除いたあとには、剣山に似たものがあとに残る。
そのままではまた葉っぱが伸びて同じことになるので、ナイロンカッターをあてるが、これが除去できないのだ。
文字どおり根絶するには、地面を掘るしかないが、そこまでやる暇はない。
まだある。
イネ科の草は同じ種どうし、くっついて密生する傾向があるようなのだ。
葉が細長いから、まずナイロンカッターが上をすべる。
さらに下へと移動して葉を刈りだすと、となりの草がじゃまになる。
草刈機に葉がまきつき、動きがとまってしまうことさえあるので、うかうかしていられない。
夢中になって刈っているうち――腰が痛くなってきて、あいたたた、だ。
こんな奮闘が月いちどペースで、9月後半までつづく。
役目をひとつおりたので、今年はもっと境内に手をかけたいものだ。
タンポポ、ギシギシ、エゾニュウ……ひとたび草を刈ろうとしただけで、種によってさまざまな個性があることに気づかされる。
まこと「雑草という草はない」のだ。
(いま意識的にイネ科の草ははぶいた。イネ科の草はもういらん)
7.5.24 米不足の思い出から
歴史は、くりかえす。
30年前に米の不作から流通不足となり、大騒ぎしたことがあった。
当時、私は大学生で、久我山のアパートにてひとり暮らし。
若さゆえの過ちを満喫していたころである。
そんなある日、スーパーで2キロ500円を切る米を見つけた。
当然「おお、安いではないか」と嬉々として買い、国産米と同様の炊きかたをして失敗することになる。
パッサパサの食感、納豆とか玉子とか、ふりかけとか、そんなものをのせなければ食えたものではなかった。
といでいる間も違和感があって、国産米と違い、一粒一粒が細長く、指にまとわりついてくる。
この米、タイ産であった。
今のように悪事も善事も瞬時に千里を走るような時代ではないから、チャーハンなどに適していると知ったのは、しばらくあとのことである。
みなマズイまずいといっていたが、タイからは相当な量が無償で支援されていたそうだ。
このころにはすでに、日本人の舌は肥え、ぜいたくになっていたのだろう。
世間ではそのほか、オーストラリア米、カリフォルニア米などの輸入米が流通し、ホームベーカリーが飛ぶように売れていた。
いまは外国人だらけになっているという蕨市に、そのころ叔父夫婦が住んでいて、たびたびお手製のパンをもらったものだ。
スーパーなんかで買う食パンにくらべ、ずっとうまかった。
さて――と、この経験から、現在の米騒動を考えてしまうのだけれども。
現在、外国産の米は見かけないし、ホームベーカリーが安売りなんて広告も目にしない。
みな、そんなに国産米が食いたいのだろうか。
人間、数が少ないとなればほしくなる習性があるから、ふだん食う以上に買って備蓄している家庭も相当あるだろう。
いまは引退しているが、昭和18年生まれの伯父は電気設備工事の会社を経営していた。
個人事業主、体が資本ということもあってだろう、この伯父は毎秋、一年間に消費する米を買っておくのである。
「こうして米を買っておけば、安心なんだ」と、いっていた。
不測の事態、いざというときに備えてのことだったわけだ。
買い占めではなく、食えなかったころの記憶や、主食としての米への信頼が、そうさせていたのだろう。
実は、私も一年は食うに困らないくらい米を備蓄している。
売るくらいある、とはいわない。
これは、神様へのお供え用なのである。
7.5.23 リラ冷え
リラ冷えとは、いちど温かくなったのにこの時期、急にまた冷えこんだ。そんな状態をさす、いわゆる寒の戻りを表現したことばである。
リラはライラックのことで北海道ではこの時期、花開く。
わが神社の境内でも少し前に満開となって、ポッと明かりがともったように白い花を咲かせている。
この「リラ冷え」、春の季語になっているのは知っていた。
つまり俳句「でも」つかわれている――と、そう認識していたのだったが、調べてみるとちがっていた。
俳句につかわれ、季語としてみとめられたのが先で、天気予報などでとりあげられるようになったのは後のことらしい。
その俳句とは昭和35年、榛谷美枝子作。いわく、「リラ冷えや睡眠薬はまだきいて」。
詩心がないから私の感想はアテにしないでいただきたいが、名句であろう。
季語(候補)に切れ字「や」を添えて、いちど切るのは、ここに作者の感動の核心があると明確にしめすためだ。
下七は定石どおり、作法どおり、「まだきけり」「いまだきく」などと文を切らずに流すことで、余韻をかもす。
季節が逆戻りしたような寒さのなか、起きていろいろしなければならないのに、眠気がとれない。
布団で、暖房のあたたかさでぬくもっていたい。
急に寒くなったことで体調が変化し、それで薬が朝のこの時間まで効いているのだろうか。
けだるさがよく感じられる句である。
俳句でつかわれたのが先、となると、「ライラック冷え」じゃないことにも納得がいく。
七字の季語もないではないが、「リラ冷え」のほうが、ずっと使い勝手がよい。
榛谷さんはたぶん先行する季語「花冷え」から、「リラ冷え」を生みだしたものだろう。
この「花」は桜。桜のころの寒の戻りが、北海道では一か月ずれる、そのころ咲いているのはリラだ――ということである。
この「リラ冷え」、道外の人間には、北海道らしい情緒を感じさせるようだ。
東京にいたころ「五月の北海道に行って、ライラックを見てみたい」なんて人が、たまにいた。
だが、ライラックなんてべつに珍しくもなんともなく、なんでそんなに興味をもつのか理解に苦しんだものであった。
「ライラック」はJRの特急列車の名称にもなっているけれども、これは「リラ」ではない。
もしかしたら道外の観光客の中には、リラのことだと知らずに乗っている人がいるかもしれない。
7.5.22 ルとス
遠い昔のある時期、日本語の話者の間では、ことばの最後に「ーる」「ーす」をつけるのが、はやっていたようだ。
昔とは、縄文とか弥生とかのレベルである。
現在まで残っていることばをあげるならナル、と、ナス。
ル系統は「自然に、なりゆきでそうなっていく」。ス系統は「人の意志でなにかをする」。
そんな違いがあるようだ。
このように「ール」とか「ース」とかつけて両者をわけるようになったのは、自分でしたか、勝手にそうなったかを区別すべきとの意識が働いたためだろう。
はるか昔の人間の思考がうかがえるし、いまに残っていると考えると、おもしろい。
奈良から平安時代ころにはもう、ナルはルが、ナスはスがくっついたものとは意識されなくなった。
ではその後、当時の人はどうしたか。どういう現象から、こう判断できるのか。
もういちど、ルやスをくっつけはじめたのである。
ナルは「ナラル」、ナスは「ナサス」とやったもんだから、後世の人はこれを見て助動詞と考えざるをえなくなった。
そして学校でもそう教えるようになって、今に至る。
古典文法の説明では、ルは「受身」「可能」「自発」「尊敬」。
スの方は「使役」「尊敬」だ。
両者「尊敬」が重なっているが、これは副次的、意味内容が拡張して生まれたものだ。
もちろん最初から4つ、2つの意味があったのではない。
では、どれがいちばん最初の意味だとなると、上の説明の通り。
自然にそうなるという意味の「自発」がルに、だれかにされる、という意味の「使役」がスに、ちゃんと入っている。
ある時点から、ルとスが尊敬の意味で重なりあうようになったのもおもしろい。
だが、もともとの意味からして両者の出発点は異なっている。
ルは「だれかへの尊敬の念から自然に~する」、スは「命じたのが尊敬すべき人だから」というわけだ。
このほかルとスは古語で「乗る」と「乗す」、「足る」と「足す」のように、自動詞・他動詞の区別の目印にもなっている。
現代日本語では、この区別がだいぶ失われてしまった。
――というが、探してみると、そのまま残っているものがけっこう見つかるものだ。
「暮れる」と「暮らす」とか。
この区別が学校でやったような古典よりも、ずっと前からあったってなると、興味がわきませんか。
7.5.21 文末
もうひとつだけ、文章を書く上で気をつけていることをあげて、この話題は終わりにしよう。
それは同じ文末をつづけない、ということだ。
AIが指摘しなかったのは、ひょっとしたら気づいていなかったのかもしれない。
例えば――
①朝、いつもより早めに起きた。
顔を洗って、歯を磨いた。
それから御社殿にのぼり、拝礼した。
朝飯にビーフストロガノフを食った。
――のように、すべて「――た」で終わるような文章。これだと、単調でメリハリがない。
②朝、いつもより早めに起きた。
顔を洗って、歯を磨く。
それから御社殿にのぼり、拝礼。
朝飯にビーフストロガノフを食う。
――の方が、メリハリがある。
①はどちらかというと、論文など客観的、説明的な文章に合う。
たぶん、文末をさまざまな形にすること自体が、主観的な行為なのだろう。
また、①はタン、タン、タン……と単音節でリズムを刻むのに似ている。
それに対し、②のように文末をそのつど変えると、節をもつ楽曲のように(無意識に)響く。
イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏……なんて、そこまでシステマティックではないけれども。
まあ文末でメリハリをつければ、読み飽きるのをある程度、予防することもできるわけです。
ただ、主観的な文章でも、同じような内容、対句っぽい内容の文を並べるときは、文末を揃えることがある。
その部分を強調できるからだ。
下線を引いたり、太字にしたり、色を塗ったりしなくても、読む人の意識のどこかには、ひっかかる。
そのような例をのぞけば、このページで書いてきた文章、同じ文末がつづく箇所は、ほぼないはずである。
べつにこれ、自慢したいわけじゃないし、高尚なテクニックでもなんでもない。
書く経験を積んでいるうち自然に、同じ文末の連続を避けるようになっていく。
自転車の運転のようなもので、体が憶えてしまう。
だれでも習得できるし、かんたんなことだ。
というわけで、読むときも書くときも、文末を意識してみてはいかが。
7.5.20 長い文は書きたくない
ここを読んでいる人が少なかったにしても(もしかしたら、皆無かもしれない)、それなりに気をつけていることはある。
一文を長くしない、ということだ。
たまに頼まれて、なにか活字媒体等に掲載するための文章を書くことがある。
そのときはまあ、ここに書くよりも一文は長め。
一文の長短については、小論文でも作文でも、推奨しているのは一文40字程度まで。
それと一文一義といい、ひとつの文に複数の意味内容をつめこまない――これはイロハである。
40字までと意識すれば一文一義になるし、一文一義を心がければ自然に40字までになるので両者、表裏一体だろう。
ただ、ネット上で読まれるのを想定した文章は、もう少し短めの方がよい。
長いと、ディスプレイの端から端までの視線移動の距離も長くなる。
スマホ画面では、長文は何行にもわたって表示される。
情報を読み取るのに手間、時間がかかってしまうわけだ。そんな負担を減らす配慮が必要だろう。
長文だとどうなるか。
一例として、ここまでを書き換え、一文にしてみよう。
読みづらいと感じる人はサーッと目を通していただくくらいで、どうぞ。
【書き換え開始】
ここを読んでいる人が少なかったにしても(もしかしたら、皆無かもしれない)、それなりに気をつけていることはあって、一文を長くしない、ということで、たまに頼まれて、なにか活字媒体等に掲載するための文章を書くことがあり、そのときはまあ、ここに書くよりも一文は長めにするが、一文の長短については、小論文でも作文でも、推奨しているのは一文40字程度までで、それと一文一義といい、ひとつの文に複数の意味内容をつめこまない――これはイロハであり、40字までと意識すれば一文一義になるし、一文一義を心がければ自然に40字までになるので両者、表裏一体だろうが、ただ、ネット上で読まれるのを想定した文章は、もう少し短めの方がよく、長いと、ディスプレイの端から端までの視線移動の距離も長くなるし、スマホ画面では、長文は何行にもわたって表示されるから、情報を読み取るのに手間、時間がかかってしまうわけで、そんな負担を減らす配慮が必要だろう。
【書き換え終了】
ええと。律儀に読んだ方、お疲れさまでした。
それにしても、読みにくいことこの上ない。
こっちの方が読みやすいという人は、ほかの人と言語感覚がかなり違っていると判断したほうがよいですよ。
ディスプレイ上でもスマホの画面上でも、こんな文が出てきたら、せいぜい最初しか読まれないだろう。
まして、一文一段落で、エンエンとこんな文がつづいていたら、すぐにブラウザバックだ。
少なくとも私はそうである。「長いな」と感じたら、読むのを止めてしまう。
ところがこういう文章、たまにネット上で見かけることがある。
個人用日記でパスワードがかかっているようなところなら、好き勝手に書けばよいのだが。
不特定多数の人が読めるようにしているなら、それなりの配慮というものが必要だろう。
こうした一文がながーい文章、いろいろ言っているようでいて、実は内容がほぼない、ということが、ほぼ100%。
作家、文筆家が意図して「これがおれの文体だ!」とやっているのとは、わけが違う。
それに超長い文章では、最初にインパクトがあったり、刺激的なことが書かれたりしていないと、すぐに飽きて読み進める気がなくなる。
だが、他人が読むのに配慮しない文章を書く人って、情報を出す順番を考えることもしない。
ダラダラと、情報を整理せず、思うままにあげていく傾向がある。
だから読み飛ばし、最初の部分を見て読むのをやめても、気に病む必要はない。
「なにかこの中に重要な情報があるかもしれない」と、目をこらして、書き手につきあってやる必要はないのだ。
時間は有限。もっと有意義なことに時間をつかった方がよろしいでしょう。
7.5.19 AIに文章を分析させてみて
チャットAIにこの「宮司のたわごと」の5/15~5/18分の文章を分析させてみた。
「長所と短所、今後どうすればよくなるか改善点をあげて」という指示である。以下は、その回答をダイジェストにしたもの。
長所
1. 率直で親しみやすい語り口
話し言葉を巧みに取り入れており、リズムが心地よい。 読者との距離が近く、軽妙なユーモアが感じられる。
2. 五感を刺激する描写
視覚や感覚を活かした表現が豊か。自然の変化や風物詩が細やかに捉えられている。
3. 日常の観察力の鋭さ
境内の草刈りやアスパラの生育を、社会的視点も交えながら詳細に描写。ルピナスやタンポポなどの植物の特性を独自の考察で展開。
4. 軽妙な皮肉とユーモア
「ネットで『境内が荒れはてている』と書かれる始末」など、皮肉が効いていて読ませる力がある。
短所
1. 文のバランスと流れ
文章が短めで、切れ切れになることがあるため、接続詞を増やすと流れがよりスムーズになる。
2.話の展開が時折唐突になる
「ジェノサイドジェノサイド」といった急な感情表現が、意図が伝わりにくいことも。前後の文脈を補うと、ユーモアがより活きる。
3.文のリズムにさらなる変化を
読みやすさを追求するため、長めの文と短めの文を意識的に組み合わせる。
今後の改善点
接続詞の活用:「しかし」「つまり」「それゆえ」「とはいえ」などを適度に取り入れる。
語彙の微調整:固有名詞や植物の生態の説明をもう少し加えると、読者の理解が深まる。
メリハリの強化:短文と長文のリズムを意識することで、読みやすさと勢いが両立する。
この日記、すでにかなり魅力的な文体を持っています。今後、語り口をさらに洗練させることで、より読者に響く文章になりそうですね。
……だ、そうである。分析ダイジェスト終わり。
ここを読んでいる方、まして毎日目を通している方はほどんどいないだろうが、この分析、いかがだろうか。
誉めて伸ばそうとしてきているが、だまされぬ。私はうたぐり深いのだ。
かといってパワハラ上司の叱責みたいに、けなされても、イヤだけれども。
7.5.18 除草剤の話とルピナス・ジェノサイド
以前は境内に除草剤をまくのを、ためらっていた。
あまり環境に悪影響をおよぼしたくない。木が枯れたらたいへんだ。そんな理由からである。
それで毎年この時期から秋まで、必死に草をひっこ抜く、刈る、という作業をエンエンとくりかえしていた。
ところが草の成長に、私の作業時間が追いつかない。
根絶作戦を立て、参道の掃除を一、二週間サボってまでやったところ……ネットで「境内が荒れはてている」と書かれる始末。
むろん草を取りのぞいた場所なんて、見ちゃいない。そのうえ、またすぐに草が成長する、というオマケつきであった。
そんなとき、枯らすのではなく「光合成を抑制する」タイプの除草剤を発見。
それならあまり悪い影響はなかろうと、まきはじめて今に至る。
西側の庭の方はずっと放置していて、最近ルピナスが生えはじめた。
もちろん園芸種。どこかから種が飛んできたのだろうが、一、二年であっという間にひろがった。
花が綺麗だという人もいるかもしれないが、おすすめはしない。繁殖力が強すぎて管理しきれない恐れがある。
根から抜こうとするのも、たいへんだ。その点、タンポポよりも極悪である。
地中に球根ができ、さらに根を伸ばす。成長の度合いにもよるが、園芸用の小さなスコップでは取り除くのも、ひと苦労だ。
この庭、木が密集しすぎていて、その間にルピナスが生えているもんだから、除草剤はさすがにつかえない。
そのうち剣先スコップで掘り起こしてやろう、根絶やしじゃ、ジェノサイドジェノサイド。
……と、心の中は燃えているのだが、グウタラしていて、先延ばしにしている。
7.5.17 すくすくと成長するものたち
神社周辺の人は運動もかねて、畑をやっていることが多い。
手をかけて育てるうち、花咲き実がなり……収穫するときには、嬉しさもひとしおだろう。
つくりすぎて困ることもあるようだけれども。
神社の庭は一度、シルバー人材センターの人にきてもらって木の剪定をしてもらって以来、放置している。
目につきにくい場所だからなのだが、この庭の片隅に、数年前からアスパラが生えるようになった。
どこかの畑から種が飛んできたのか、鳥が運んだものか。
採って食ったこともあって、ふつうに食えた。というか、うまかった。
肥料もまかず、水もやっていないから、ヒョロヒョロ。
たまに近隣の人にいただくアスパラには、さすがにかなわなかったが。
昨日、ふと気づくと伸びはじめていたので、手入れしてみることにした。気まぐれである。
ところが29℃、真夏日になろうかという炎天下。
汗を垂らしながら、周囲の草を取り除き、肥料をまき、水をやった。
去年、植えたイチゴも、葉っぱが出たかと思うと、ぐんぐん成長している。
家の中で育てている猫用の草も、最近はすぐにのびてくるようになった。
植物にはよい時候、気候になってきたのだろうが、こう急に気温があがると、暑さに慣れるのがたいへんだ。
国道沿いの草もすくすくと成長している。そろそろ刈らねばなんねえ。
7.5.16 最近の境内外のようす
桜の花が散って葉桜になりかけ、白樺や桂の葉は日に日に青く。
アオサギの雛はエサを求めて夜もゲゲゲゲゲ、裏のグラウンドではタンポポがいっせいに開花した。
いちめん、まっ黄っ黄である。見ごろである。だが桜のように見にくる人はいないのである。
ただ、早朝など大型犬の散歩にくる人がいて、犬を解き放つ。
人家はまばら、人通りもないから万一にも事故がないだろうと考えてのことか。
犬がタンポポの中を、はしゃぎまわる。飼い主が投げるボールを追いかけ、くわえて持って行く。
またほかの機会にふと目をやると、キツネが走っていたり、カラスがなにかを突いていることも。
このグラウンドは神社の境内ではなく、市の公園地。
委託管理業者がマメに手入れしているので、タンポポの最盛期は長くない。じきに、みんな刈られてしまう。
この時期の風物詩であるが、タンポポといえば思い出すことがある。
子供の頃、茎からもいで、上部の花を親指と人差し指でちぎり飛ばして「首チョンパ」と言ってよく遊んでいたのだ。
なにが面白かったのか。子供は残酷だ。いまも中身は子供ではあるのだが。
ちょうど同じ頃、水木しげるの妖怪図鑑かなにかで、地獄の絵とその説明を見た。
あろうことか水木翁、「虫けら一匹、殺しても地獄に行く」と書いておられるではないか。
タンポポの首チョンパで、地獄行きが確定した瞬間である。
しばらく私は悩んだものだった。
死ネバ地獄ニ行クンダカラ、是ガ非デモ死ナナイヨウニ、シナケレバナラナイ。
努力の甲斐あって、いまだに私は生きている。
冗談はともかく、タンポポというやつ、首チョンパ後はまもなく綿毛になり、風に乗って飛び、周囲に種をまき散らす。
種の保存という点では、首チョンパくらいじゃ、なんということもないわけだ。
けさは快晴。きのうにつづき夏日の予報で、今年初のエゾハルゼミの声がしだした。
ちょっと早いかな、という気がする。晩春は、駆け足で過ぎていくようだ。
7.5.15 アニメの主役の声に抜擢
たびたび巫女を頼んでいた子が昨年、声優になった。
今回の年末年始もきていたのだが、仕事のようすを聞いて忙しいようだと思っていたのだが。
妻とたびたびラインでやりとりしていて、このたび嬉しいニュースが飛び込んできた。
アニメの主役に抜擢されたのだという。
最近のマンガやアニメはよくわからず、どんな作品かもまだ調べていない。
だが、シロウトながらに彼女が人並み以上に努力を重ねてきて、それが報われたのだ、ということはわかる。
すでにボイスオーバーや吹替、ナレーションなどさまざまな仕事をしてきたのは知っていた。
事務所公認的なXの個人アカウントがあるのだ。
プロダクションのサイトでは、サンプル音声が公開されている。
アニメを初めいくつかパターンがあって、聴いてみると、器用に声を使い分けていた。
ナレーションの声が落ち着いていて、一番よさが出ているんじゃないかなと感じた。
ともあれ、まだまだ彼女は成長していくだろう。うれしいかぎりだ。
7.5.14 文化財愛護少年団
小学生の頃にたまに行っていた図書館の話の、つづきである。
当時、町では町史を編纂するというので、専従の嘱託職員を図書館に置いていた。
かりにS先生としておこう。樺太で国鉄職員をつとめ、戦後シベリア抑留をへて北海道に引き揚げてきた方だ。
そのときは嘱託職員であると同時に、文化協会とかなんとか、そんな団体の会長とか、理事とか、だったろう。
S先生は町史編纂のため奔走するかたわら、自分の得た知識を還元したいとの気持ちも強かったようだ。
小学生4~6年生を対象に郷土史啓蒙の場を設けて、毎週土曜日の午後、または日曜日、授業をしていたのである。
名前を「文化財愛護少年団」という。
すいぶん時代がかった名前だな、と幼心に感じていたが、いまは「少年探偵団」みたいでこのネーミング、好きだ。
そう、私も参加していたのである。
S先生は好々爺、いつもニコニコしていて、しかられた記憶はない。
少年団では、学校のような授業形態だけでなく、体験学習の時間も多くとられていた。
野鳥や草花の野外観察。遺跡の見学、発掘体験。縄文土器の制作。
専門外の分野では、つてをたどって詳しい人を呼んだ。
町内からお婆ちゃんを呼んできて、昔食べていたおやつをつくったこともあった。
「でんぷんがき」をつくった記憶が、いまでもある。
北海道では明治の開拓期から、鉄道が敷かれる頃まで、旅館と駅、郵便局を兼ねたような施設「駅逓」があった。
その駅逓、町内にはかつて二か所あったという。その区間を歩いてみようという企画もあった。
遠足と同様、昼食と飲物を用意するよういわれていたのだが、当日よい日和で、私は早い段階で飲物を全部、飲んでしまったのだ。
帰り道、非常にのどが渇いてきて、まもなく耐えられないほどになった。
そう訴えると、町内にもどったとき、先生の家に立ち寄ることになった。水をごちそうになったのである。
「飲物のありがたみが、わかったろう」と、先生は笑っておられた。
いま住んでいる北見市、特に旧相内村の地域内では、アイヌ語由来の地名が少ない。
文献にあたってみると、多めにみても、せいぜい10数か所である。
ところが当時住んでいた町には、30も40も記録に残っていた。
少年団では、町の地図とアイヌ語地名を照応させたプリントで勉強。
その翌週、実際の場所をいくつか確かめてまわる。そんなこともあった。
小学生なので、まだ英語を習っていない。つまり単語だけなら、当時はアイヌ語の方が詳しかったはずだ。
――と、こうしてザックバランに想い起してみると、まちがいなくひとつひとつが、かけがえのない財産になっている。
きのうの話に戻るが、この少年団の授業が行われていたのは図書館内。
図書館の便所と恐怖が記憶の中で、ないまぜになっているのは、ある程度、便所を使用した回数があるからなのだろう。
この便所に恐怖を感じた記憶もまた、かけがえのない財産かというと、ちょっと躊躇するけれども。
恐怖の記憶に、なつかしさを感じるのだとすれば、少年団にまつわるエピソードも一役買っているとみて、まちがいない。
7.5.13 便所って怖くありませんか
きのうの「小学生の頃たまに行っていた図書館」。
この建物はもともと、幼稚園だった。新しい園舎ができて幼稚園はそちらに移り、入れ代わりに本を入れたものである。
玄関をあがるとプレールームだったらしい大きな部屋、その右手に教室、左手にも並んで教室。
右奥に職員室、さらに奥に物置か園長室か。だいたいそんな間取りである。
ところが入ってすぐ右手の元教室にしか、本がなかった。
あとはなにに利用されていたかというと――郷土資料の陳列である。
使用法不明な錆びついた農機具、ふっるい電話機、マネキン、オサガメの剥製、地元の高校生がつくった町全体のジオラマ、マンガ雑誌、国鉄職員の帽子……。
予算もなかったのだろうし、学芸員がいたわけじゃないから、そんなものがきわめて雑多に並べられていた。
なんの考えもなくモノを仕入れるだけ仕入れてしまった、老舗の古道具屋に、雰囲気が似ているだろうか。
きのういった「図書館のにおい」には、もちろんこんなガラクタ(?)に近いものの発するにおいも入り混じっていたことだろう。
いま、こうして記憶の中から、どんなものがあったかすくいだし、並べてみたわけだが――幼い私にとって、これらは恐怖を感じさせるにじゅうぶんだった。
とりわけ三体並んだ女性のマネキン。なぜか昔の消防服をどれも着せられ、ポーズをとっていた。
全体に日焼けして色が薄くなっていて、ところどころ塗装がはげていた。
玄関から見て左奥には、手洗い場とトイレがある。いや、トイレというより、便所。
もちろん汲み取り、暗くジメジメしていて、芳香剤のにおいがこもっていた。
このあたり元幼稚園なのだが、突き当りにガラス戸があって、外と出入りできるつくり。
園庭で遊んでいて、用を足したくなった子供がまにあうように、という配慮からだろう。
トイレに入ると、手前はとても暗くガラス戸の向こうは明るいから、そちらを見ると妙にまぶしいのだった。
私の記憶の中では、この便所が最凶である。
ストレスがキツい時期や、あまり体調のよくないときなど、よくこの便所が夢に出てくるのだ。
夢の中では、絶対にここで幽霊と遭遇することになっていて、いまのところ100%の確率。
幽霊には特に個性がない。姿はさまざまだ。
よくある経帷子に三角巾の女性の姿で現れることもあれば、振袖姿で牛の頭だったこともある。
どんな姿であろうと、私はそれを「とてつもない恐怖をひきおこすもの」「幼い魂で感じとった、当時の恐怖をすべて凝縮したもの」と夢の中で認識している。
昔からある、定番だったトイレ用芳香剤のにおい。あれがよくないのかもしれない。
つまり幼い頃に感じていた「恐怖」そのものを呼び起こす、起爆装置になっているのではないか。
この便所を夢に見たくないなら疲れているときなど、かぐのを避けるべきかもしれない。
ただ、この便所ともつきあいが長い(?)から、最近はある懐かしさを感じていることも事実だ。
夢というもの、プロによるアドバイスなど受けなくても、自分なりに分析して納得してしまえば、もうその夢は見なくなるという。
いま、この図書館のあった場所をGoogleストリートビューで見てみた。
すると、町中だがいちめんに牧草が繁っている。もうこの便所のことは、私しか記憶にとどめていないかもしれない。
7.5.12 のらくろの匂い
五感のうち嗅覚に由来する情報は、海馬に直接つたわるという。つまり、においは記憶に結びつきやすい。
においと記憶、というと筒井康隆の『夢の木坂分岐点』という小説を思い出す。
作品中に「のらくろの匂い」ということばが出てくる。のらくろのイメージ、のらくろにまつわる記憶を喚起させるにおい、ということだ。
もう少し作中では細かい説明があり、意味内容を確定させているけれど、肝心のにおいの方はサッパリわからない。
「こんなにおいだろう」と想像してみても、作者のいうのとはたして同じなのか、違うのか疑問が残るわけである。
ほかの四感、見る、聞く、触る、味わう……はある程度、作者と共有できる(ような気がする)。
雨の中そびえたつ東京タワー。カケスの声が聞こえる。カシミアのセーターの手触り。味噌ラーメンの味。
想像が容易だ。しかしにおいは、となると、書く方も読む方も正確に伝達されうるのか。難しいようである。
結局、においは目の前に実体がある、ないに関わらず、空気を吸うだけでそれと感じることができるからだろう。
この「のらくろの匂い」。
作者と同年代の人なら、のらくろにまつわるイメージを各自それぞれ濃厚なものとして持っているはずだ。
のらくろがのっている雑誌、単行本を貸し借りしあったり、それをめぐって喧嘩になったなどの記憶を呼びさますかもしれない。
そうした体験を喚起する「匂い」になりうるわけだ。
日常生活では、いいにおい、くさい、キツイ、など形容詞を冠して、そのにおいをどう感じているか説明して終わり。
それで十分。意思疎通に支障をきたすことはあまりない。
だが、記憶に結びついたにおいは、いざ人にきちんと説明しようとすると、非常に困難だ。
いま居室の窓を開けていて、風が入ってきている。桜が散りはじめたので、桜のにおいが漂っている(ような気がする)。
それと、草木のにおい、いっせいに花開いたタンポポのにおい、朝露が日の光を浴びて蒸発するにおい。
さまざま混じりあったにおいを、かぐことができる。これは人に説明するのが容易なほうだろう。
小学生の頃、たまに通っていた図書館のにおい。
古い建物特有の、ほこりのにおい。少しカビくさい。古い本のにおい(新刊が全然はいらなかった)。
こうして並べてみても、読む人に正確に伝わっているか不安だ。
その人を図書館に連れていって、「このにおいだ」と実際にかがせれば、より正確に伝わるかもしれない。
だが、いまは、ことばでもって説明するのが難しいという話をしているのであって、直接においをかがせるのは八百長だろう。
だいたい、この図書館の建物自体、取り壊されてしまって現存していない。
図書館のかつての利用者の中には、同じにおいを記憶にとどめている人がいるかもしれないが、ごく小数だろう。
この図書館のにおいはもう、記憶の中にしか存在しないわけだ。
私にとっての「のらくろの匂い」なのかもしれない。
7.5.11 保育園の研修と懇親会
保育園の評議員をつとめていて、きのう、研修会と懇親会があって行ってきた。
理事長は神社のことでも、さまざま世話になっている。
私より若いが、私よりずっと有能なことはまちがいない。
就任してから市内に一か所、札幌市内に一か所と、保育園を新たに開設している。
会場は、去年までは市街地でもこちら寄りのホテル。それが、市内ど真ん中のホテルに変わっていた。
出発直前に案内を見て気づき、もう出なきゃならん、と慌てたことであった。
研修は講演である。
そのあと会食と、よくある流れだったのだが、途中で突然「ステージをご注目ください」とアナウンスがあり、見るとスルスル幕があがる。
サックスを両手に抱えた4名がいて、「ああ、余興に演奏するんだな」と気づいたとたん、二度見した。
理事長もその中に加わっていた。
もともと器用な人だが、昨秋に思い立って楽器を買い、練習したのだという。
数曲の合奏のあと、ソロ演奏、また合奏、アンコールと盛り上がっていた。
私は音痴だし、楽器のこともよくわからない。ソプラノ、アルト、テナー、バリトンと大小さまざまあるのも改めて知ったくらいだ。
神主としては修行中、雅楽に触れる機会があったが、全然ダメ。
いま龍笛を吹くと、飼猫が怯えて逃げるくらいの腕前である。
御社殿で吹けば、ネズミよけ、虫よけになるかもしれない。
そんなわけで音楽の才能がある人は、尊敬に値すると思っている。
7.5.10 なぜかふとネットについて考えた
ネットの世界、ざっくばらんにいうと、テキスト→画像→動画、と進んでいる。
ハード的な部分では、ホームページ→ブログや掲示板→SNS各種。
そこへ最近、AIにいろいろ作業させるのが加わってきた。
最初期にはテキストのみのホームページがごろごろ、画像があっても少し、というのが、ほとんどだった。
それが現在、AIにブログ記事を書かせるとか、キャッチ画像を作らせるとか、より複雑になっているわけである。
もっとも、こうした移り変わりを見ると、ブログが全盛期を迎えたからホームページが全滅、ということはなかった。
SNSは目下、玉石混交、群雄割拠のような状況がつづいているけれども、それでブログが消えたわけでもない。
このあたり、テレビが普及してもラジオが残ったのに似ているか。
白黒がカラーテレビに、アナログがデジタルにというのは、あくまでテレビというハード内での問題である。
これはテキストのみ投稿可能だった掲示板が、画像添付、動画添付できるようになっていった……ようなものだ。
テレビの普及で、われわれの聴覚は衰えた。視覚偏重、頼りすぎていたところへネットが普及。
パソコンのモニター、スマホの画面を長時間、見つづけ、どんどん目が悪くなっている。
今後は人類のほとんどがAIにモノを考えさせるようになり、みずから考える力が退化するだろう。
いや――すでに、自分で考える力が弱い、考える力を持たない人が、ずいぶん多くなっているのかもしれない。
7.5.9 フンイキ
先の大戦直後、戦争は悲惨だ、悪い、二度とすべきではない、との声があがり、いまに続いている。これはまあよい。
だが、軍部が悪かった、軍部のせいで戦争になった、というと、これはちょっと違うのではないか、と思うのだ。
戦前の政党政治が終わったのは、5.15事件から2.26事件のころにかけて。
政治は、長引く不況や東北地方の不作に対し、有効な対策を打ち出せなかった。
政党間の争いは激しく、金がどこそこへ行った、なににつかった、と今と変わらないような状況。
政党政治じゃダメだ、ということで軍部に期待したのは、国民である。
それに新聞を初めとするメディアがのっかり、さらに影響を受けた国民が、さらに期待するといったサイクルが生まれる。
要は、戦争を選択することになる、軍部による政治を支持したのは、国民だったといいたい。
いや、なにも昔話をしたいのではない。
この国民性、いまもあまり変わっていないのではないかと、私は恐れている。
トイレットペーパーが、マスクが、米が足りないようだとなると買い占め。
年金がもらえなくなるとテレビが騒ぐと、いっせいに厚労省をたたく。
芸能人のだれそれ、政治家のだれそれが未納だった、と騒ぐ。
政府が減税しないのは財務省のせいだと、デモを起こす。
なんとなく、雰囲気で行動しているのではないか、行動してきたのではないかと、恐れているのだ。
それで私は、トレンドというか、いまの話題というか、そういったものに距離を置くようにしている。
7.5.8 サクラとトウヒと
連休が明けてから桜が咲くわ、天気がよくなるわで、どうしようもない。
今週末まで桜が持ちそうだが、またぐずつく見込み。けさは快晴、平日ながら花を見るには今シーズン最高かもしれない。
神社を取り囲む公園のさらに四周に、桜が植えられている。
チシマとエゾヤマとランダムに植わっていて、いまは遠目にはあまり違いがない。
咲きはじめはチシマが白く、エゾヤマはピンクとはっきりしている。
居室から北側の窓を眺めてみると、ぱっと見、チシマは本州のソメイヨシノに似ている。
この時期、車で走っていると、たまに廃屋のそばに咲いているのを見かける。あわれである。
山の斜面にポツンと咲いているのは、鳥が運んだものか。
ここでちょっと話が変わる。
私が外でのおはらいで不在中にきた参拝者が、参道両側の木々を見て、感心していたという。
こんなに高い木は最近なかなか見ない、と。確かに用材にするなら、こんなに成長するより前に伐る。
木に関わる仕事をしていたらしく、即ヨーロッパトウヒとわかったそうだ。
参拝者の中には、神社のレビューなどする人がいるようで、エゾマツとか、トドマツとか、スギとかいっていたのを見たことがある。
むろん、まちがっている。本州の人には、なじみのない樹種なのかもしれない。
この木、北海道では線路脇の防風林として植えられることが多く、廃線後もけっこう残されていて、たまに見かける。
防雪効果は抜群で、参道に雪が積もる量が非常に少ない。これは助かっている。
ただ残念ながら、なぜ神社の参道に植えることにしたのか、知っている人がもういない。
防風防雪を期待したのか。たまたま安価な苗がたくさん手に入ったのか。だれかの好みか。
昭和40年代とおぼしき写真を見ると、まだ背丈が人よりちょっと高いかどうか、という程度。
針葉樹だから秋の落葉がないが、樹齢5、60年ともなるとマツボックリがでかい。
風の強かった日の翌朝など、15センチほどのが、参道にごろごろ転がっているのを見かける。
それを求めてリスがやってくる。食ったあとは、細いエビフライのような形状となる。
7.5.7 侵入者たち
御社殿、古いためどこからか蠅が入ってくる。
あるいはどこかに産みつけられた卵が、かえっているのかもしれない。
つい先日までは寒かったから、おはらいの際に暖房をつけていた。
すると、テキメンに蠅が大量に現れる。おはらいが終了し、暖房を消す。
寒くて身動きできず、落下。そのまま死を迎えるものも。もちろん始末しなければならず、大変なのだ。
思わぬところに転がっていることもある。
それに加え今、天井にリスが入り込んだのではないかという疑惑が浮上している。
とたとたと足音がする。ネズミと明らかに違う歩様、走り方。ミンクやイタチならもっと、足音が大きいはず。
境内で見かける動物のうち、候補となるのはと考えると、リスしかいない。
そのため飼い猫の一匹が、ときどき入口、防火扉前で中に入れろと騒ぐ。
人間よりずっと聴覚に優れているらしいから、足音がもっとハッキリ聞こえているのだろう。
ネズミならば米を狙うということがある。だがリスのエサになりそうなものはないから、下には降りてこないだろう。
猫に御社殿内をたまに散歩させて、においをつけ、ネズミの侵入を防ぐよう心がけてきたのだったが。
このへんのリスは、ネズミを恐れるだろうか。
猫の方は、見つけたら確実に飛びかかってゆく見込み。テレビにリスが映しだされたらパンチしているので、まちがいない。
7.5.6 サクラエビの話
回転ずしに行ったとき、サクラエビの軍艦巻きをたまに食うが、うまいものである。
そのサクラエビ、最近ひょんなことから、ほぼ100%駿河湾でとれたものと聞いた。
近いところで遠州灘や東京湾、遠くは五島列島にも生息しているという。ただ、漁がおこなわれているのは駿河湾のみ。
東京湾でもとれるなら江戸前ということだ。
江戸時代末期、屋台のすしが大流行したころには、もうサクラエビのすしもあったように考えてしまうが、これも違うらしい。
漁じたい始まったのは、なんと明治20年代である。
深海に生息するとも知られていなかった。たまにとれるくらいで、一匹の身は小さい。それで、だれも売り買いしなかったわけだ。
アジ漁に出かけた漁師が、浮きとなる樽を持ってくるのを忘れた。
もどるのも面倒と、しかたなく網を入れ、あげたところ、サクラエビがたくさんとれた。
それで深海にまで網を入れれば、売れるだけとれるのではないかと試行錯誤して、こんにち行われている漁の形式となった。
そんな伝説めいた話もある。
漁期は春漁(4~6月)と秋漁(10~12月)に分かれる。
つまりいまは春漁の最盛期。そんなことも知らなかったが、どうりでこの前、食ったとき、うまかったはずだ。
7.5.5 桜が咲きはじめた
ようやく桜が咲き始めた……といっても、なんだかショボショボ、ぼちぼち、ジワジワといった具合。
一気に咲くようではない。見ごろはおそらく今週末、10、11日くらいだろう。
ここしばらく、4月末から5月はじめにかけて、必ず暑いくらいの日があった。
30℃を越えた年もあり、それで一気につぼみがふくらみ、咲いたことが多かったのだ。
今年はいまだに20℃越えの日もないから、桜ものんびりしているのだろう。
ただ、例年通り風が強い日が多い。これは連休明けにはおさまることが多かったから、今年は長く花見ができるかもしれない。
参拝者数は、ふつうの連休にもどった感じ。3日のイベントにかたまったためか、ちょっと少ないか。
連休後半に入って以降、ずっと巫女を使っている。これを巫女Aとする。
きのうはそれとは別の巫女が遊びにくるというので、昼食に弁当を買ってきてもらった。これを巫女Bとする。
お使いしてもらったからと、巫女Bに弁当を選ばせる。油淋鶏弁当だった。
ついでよく働いているからと巫女Aに選ばせる。なんかうまそうな弁当だった。
残るふたつをみるとザンギ弁当があって、これを妻がとる。
最後に残ったのを私がとった。
カレーだった。
ちょっと辛かった。
7.5.4 世の中わからないことだらけだ
きのうの朝、エゾリスがシジュウカラに追いかけられていた。
よく見ると、まだ小さいリスである。興味本位で巣穴をのぞきでも、したのだろう。
鳥も恋の季節、卵を産み、子育てしはじめている。
ここ最近、エゾリスはあまり見かけなかったが、どこかでカップルが誕生し、無事出産、子育て、ひとり立ちしたのが現われたようだ。
ところがその後、人がドカドカ次から次へとやってきたので、リスも鳥もどこかへ行ってしまった。
けさ、監視カメラを横切る影に気づいて目を移すと、ノラネコであった。
最近くる、白地に黒のポイントがところどころに入った猫である。
猫がウチを散歩コース、縄張りにしているのを確認したのは、ひさしぶり。
わが家の猫、ときどき一点をジッと見つめて動かないことがあるのは、この猫のせいかもしれない。
境内でツツジが咲き、庭でもサツキが花開いたからか、マルハナバチが増えた。
子供のころは「熊ん蜂」と呼んでいて、クマバチと思っていたのだが、違うそうである。
ずんぐりむっくりの体型で、飛ぶのも遅いが、今朝も花弁の間をつぎからつぎへと、ゆったりと渡り歩いていた。
このマルハマナバチ。研究が進んでいなくて、なぜこの体型で飛べるのか、解明されていないと聞いたことがある。
まだまだ世の中、わからないことがある。わからないことだらけだ。
だから面白いのかもしれない。
7.5.3 スタンプラリーの日
「愛のある猫駅フェスティバル」というイベントが今日開催。
その中に「猫散歩スタンプラリー」というのがあって、当神社も協力。
午前中は小雨が降るなど、あまりよい天候ではなかったが、イベント全体で300名くらいの参加があったそうだ。
主催が石北沿線ネットワークという団体。汽車に乗ろう、ということで企画、開催されたイベントである。
これくらいの人がきたとなると、相内駅の乗り降りはさぞ混雑したことだろう。けっこうなことだ。
スタンプラリー参加者も、やはり汽車できた人がほとんどだったようである。
ほかのスタンプラリーのポイントでは、パン屋さんが完売。
アニウェル北海道さんでは、猫の譲渡が決まりそうなのが二匹と、好結果。
当神社では、御朱印を求める人が多かった。
実は年間でもっとも御朱印で訪れる人が多いのは、元日。その元日に迫るいきおいだった。
事前に想定し、巫女を呼ぶなど対応したのだが、想定以上である。
ただひとつ残念だったのは、桜を見ながらスタンプラリー……と、もともとの企画通りにいかなかったことだ。
まあ天候に左右されることで、これはいたしかたなし。
その桜、いま一分、二分咲きくらいかな。
7.5.2 ところのいせき
同じ北見市ながら、常呂に行くのはほぼ年に1回である。
神社のお祭りの助勤(お手伝い)に毎年呼んでいただいているが、それ以外では寿司を食いに行ったことがあるくらい。
車で約1時間かかるから、用事がないとなかなか行けない場所である。
さて、この常呂には遺跡が多数あり、最近、トコロチャシ跡遺跡群が整備、公開されたらしい。
チャシはアイヌの城だが、天守閣のようなものはない。土を掘ったり土塁を築いたりといった感じだ。
連休後半には平年並みに温かくなるらしいから、ピクニック気分で訪れるのもよいかもしれない。
西にサロマ湖、東に能取湖、その間の平地を常呂川が流れてきて、魚介類が豊富。
人が住みつきやすかった環境ゆえ、遺跡がいくつもあるわけだ。
北海道では古代、稲作がほとんど行われなかったので、弥生文化の時代がない。
その代わり、続縄文文化、時代がくだりオホーツク海側でオホーツク文化、擦文文化。
さらに道東の一部で、熊崇拝をオホーツク文化から継承したトビニタイ文化が生まれた。
なんだか外国の地名のようだが、トビニタイは羅臼町飛仁帯からきている。
このころになると、本州以南ではもう武士の時代に入っていた。
北海道では先史時代が長かったわけだが、その分、個性的に展開したといえるだろう。
7.5.1 別れ霜ならぬ別れ雪、そしてサクラいまだ咲かず
先月末から、年末年始に手伝いにくる若いのが、相次いで訪れている。
その後の行動はさまざまだ。うちの飼い猫を見にきてすぐ帰る。飯を食いに行こうということになって外出。
飯を食っていけということになって、食っていく。
人が集まるのはよいことだ。話すことで最近の若者がなにを考えているか知ることができ、勉強にもなる。
「八十八夜の別れ霜」なんていうけれども、霜どころか、きのう、おとといと雪が降って寒かった。
そんな中でもなぜか来客が減らず。おかげで食ってばかり、太ったかもしれない。
参拝者も同様。もう連休に入っているからかもしれないが、そうじゃない人もきている。
一年ぶりにきた。去年はくることができなかった。ひさしぶりにきてみた。
そんな人もいれば、毎月くる人も集中して参拝している。
おまけにきょうは1日、おついたち参りとおぼしき人もチラホラ。
ただ、残念なことに、まだ桜が咲いていない。去年ならばきょう、あすあたりがピークだったのだが。
連休中に咲くかどうか。
7.4.30 季節外れの雪
きのう午後から少しずつ雪が降りはじめ、いまは周辺、真っ白である。
北見にきて9年目になるが、この時期の積雪は初。それどころか、生まれて初めてかもしれない。
通算10年ほど北海道にいなかったけれども、その間も積もるほどの雪はなかっただろう。
中学3年のとき、今でいう連休後半に雪混じりの雨が降った。それくらいしか記憶にない。
地球温暖化はウソだという人もいるが、感覚的には気温があがってきているな、と思う。
子供のころ、住んでいた北オホーツクでは、夏日が通算して一週間もなく、真夏日ゼロの年も珍しくなかった。
大学卒業後、本州で就職し、3年して辞めて帰ったころだから、西暦で2000年近辺のことか。
夏、異様に暑い日がつづいて「こんな年もあるもんだ」と言い合っていたのだったが、いつしか毎年、恒例になってしまっていた。
すなわち、真夏日が一週間ほど、ときどき猛暑日が加わる。北見近辺、それより暑いのは、むろんのことだ。
あすは最高気温が10℃ほどあがり、平年並みとなる。
あちこちビチャビチャになるだろう。
7.4.29 はいからさんと昭和の日
YouTubeを流しっぱなしにしていると、たまたま大和和紀『はいからさんが通る』のアニメが画面に映った。
期間限定公開らしい。子供のときは観たことがなかったなと思いながら、ボーっと見るともなく観ていると。
第1話の冒頭だった。「大正7年」と明確に年代設定のアナウンスがあり、ヒロインの花村紅緒は17歳といっていた。
かりに満年齢だとすれば、明治34年(1901)生まれ。
昭和天皇と同じ年齢、ということになる。
だからといって、まさか昭和の日に向けて、『はいからさん~』を公開したのではあるまい。たまたまだろう。
アニメじたいは、最初の方で観る気をなくしてしまった。
なんか相手役の男が出てきて、日本陸軍風の軍服を着ているが金髪、髪を伸ばしている。
階級を示す肩章のつき方が違う。そんなのを目にしたからである。
このアニメ、調べてみると昭和53年に放映開始とのこと。ヒロインが実在の人物なら喜寿を迎える年だ。
私の年代では、昭和62年公開の映画版の方がなじみ深い。
当時、人気絶頂期だったアイドルがヒロイン役をつとめ、友人の何人かが観に行っていた。
そのときヒロインは……86歳。そして今、ご存命なら124歳である。
7.4.28 スズメと見つめ合う
去年は4月27日に過去最高気温、夏日となって桜がいっせいに開花した。
今年はまだ、ツボミが大きくなってきたかな、という程度である。
2階のトイレの外についている換気扇のフードに、穴が空いているのを発見した。
屋根から氷が落ちて直撃するような場所ではないから、たぶん経年劣化だろう。
フードじたいが小さい。しかも、穴は側面に空いている。
けさそのトイレに入ったところ、換気扇から鳥の声が聞こえてきてビックリした。
ツマミをスライドさせて格子状の換気扇を開けると、スズメと目があった。
あきらかに、巣をつくろうとしている。
外に出て確かめると、チュピチュピ飛び回っている。
どうやら、2組のつがい計4羽がいて、巣作りの場所を物色しているらしい。
物置の屋根の上にとまったり、そこから平行移動したりと、せわしない動き。
巣をつくって雛を育てても、それじたいは問題ないのだけれども、なんらかの病原菌が持ち込まれる可能性がある。
スズメには無害でも、人間にとっては有害であるような。
ということで、音を立てるかなんかして巣をつくらせないよう画策中だ。
だいたい巣をつくるのによい場所は、周囲にたくさんある。
7.4.27 朝飯前にトイレ掃除を考えた
トイレを掃除すると金運アップ、とは風水でいっていること、だったろうか。
ウソかマコトか大物芸能人が、大企業の社長が今もやっている、なんて聞いたことがある。
女神様がいて、綺麗にしておけばどうのこうの、なんて歌謡曲もあった。
いずれにせよトイレが綺麗だと、気持ちいい。
おまじないレヴェル、縁起をかつぐようなものだが、ちょっとだけ深く考えてみることにしよう。
排泄物をここちよく排出できるなら、空いたところへここちよく入ってくる(可能性が高い)。
出る方がよい環境なら、とどこおることがない。よって入る方もよい環境になるはず。
ということではないか。つまり本来、これは食に関わる言い伝えだったのではないか。
トイレを常に綺麗に保っておけば、食いっぱくれませんよ、ということだ。
経済的に恵まれているなら、食うにも困らないのは当然のことだ。
現代は過去と比較すれば、相対的に貧困が少ない時代でもある。
食いたくても食えない人が減るのにつれて、金運アップへと変わっていったのではないか。
それに、金は流通するものだ。滞りのない状態を保てば、入ってきやすくなる。
こうした類推からも、食が金に変わっていったのは必然かもしれない。
以上、仮説。これを起点に立証したところで、なんの役にも立たないけれども――
こんにち、GDPがどうの、働き方改革がどうの、北見市が財政破綻しただの。
いろんな問題があったとしても、ひとまず食うに困らない生活ができるのは、ありがたいことである。
私を呼ぶ声がする。朝飯のしたくができたらしい。
7.4.26 朝のひととき
フキノトウがぽこぽこ出てきて、福寿草が黄色い花を咲かせたなと思うまもなく、アオサギの口ばしが婚姻色になった。
先の方は黄色のままだが、根本がピンク、グラデーションになっていて美しい。
先月、つぎつぎと南から渡ってきて、今や参道両脇の木に落ち着いている。総勢夫婦10組、20羽くらい。
二日前、妻が参道に卵のカラが落ちているのを見つけてきた。
卵を産み、温めているのだろう。巣の上でじっとしているのも見かける。
手水舎そばのエゾムラサキツツジも咲きはじめた。何本かあるが、ひとつ咲いたらあっという間に周辺のも咲く。
感染が広がったかのように、どんどん花開く。
手水舎の水は、地下水をくみあげているから、春にポンプの取りつけ、秋には取りはずしが必要である。
昨日その工事をやってもらって、水を出しはじめた。
背後の山はつい数日前まで一面灰色だったのに、今日あたりはうっすら光が当たっているように見える。
徐々に広葉樹が息を吹きかえしてきたのだ。
今日は風が強い。神社裏の広場を、散歩中の白い犬がかけている。
そのようすを、コーヒーを飲みながら見ている。
7.4.25 バルザック著・中村佳子訳『ゴリオ爺さん』光文社古典新訳文庫 読了
いやー、傑作である。
バルザックといえば細密描写、そんなことまで書かんでも、早くストーリーを進めてくれとしばしば思うのだが、本作ではあまり気にならなかった。
タイトルにもなっているゴリオの父性愛がメインテーマ。
時流に乗り、製麺業でもうけたゴリオは、娘ふたりを爵位持ちの男に嫁がせるのだが、結婚以後もしょっちゅう金をせびられる。
それでも娘が社交界で目だったり、物欲を満たして喜んでいたりするのを見て、満足している。
作中の初めの時点でもうあまり金がないので、オンボロ下宿に住んでいるのだが、娘は金が欲しいときしかやってこない。
最後には、思い出の品を質に入れ、年金の権利を抵当に入れてまで金を作り、娘の経済的な窮地を救う。
金策を初めとした心労に身体が耐え切れず、倒れてしまったというのに、娘ふたりは見舞いにもこない。
そのまま死んでしまっても、こない。同じ下宿の住人ふたりが葬式から埋葬までやるはめになる。
その同じ下宿の住人のひとりが、ラスティニャック。本作はゴリオよりむしろ彼の行動によって、ストーリーが展開していく。
若くて、出世を夢見ている。ゴリオの下の娘に取り入り、愛人の地位を得る。
ラスティニャックをからかい、そそのかし、悪の道に引きずり込もうとするのが、ヴォートラン。
彼も同じ下宿の住人である。
さまざまな人物がいきいきと描かれているのも見どころながら、やはりゴリオの生き方がよかったかどうか。
死の床につき譫妄状態となると、うわごとで娘へのアンビバレントな感情を吐露している。
それまでは、あくまで娘をよくいい、悪くいう者がいれば、あくまでかばっていたのだったが。
読後も検討するだけの価値があるだろう。
なお本作はモーム『世界の十大小説』で取りあげられた一冊。
すべて一度は読んでいるが、死ぬまでに再読をと思い立ち、今に至る。
ただいま6/10。先は長い。
7.4.24 占い師さまざま
金を払って、占ってもらったことが何度かある。
易プラス手相が2度、タロットプラス水晶が1度……と計3度。
最初は大学生の頃で、「水商売に向いている」といわれた。
本来、水商売とは「水を扱う」商売なのではなく、客を「水」に例えた言い方らしい。
川の水のように流れてきて、行ってしまう。
だが、向いているかとなると違うだろう。
あまり人と関わりたくないし、夜遅いのもイヤだ。だいいち、食い物の管理がうまくできるとも思えない。
つぎはタロットプラス水晶。
これは妻と行った。薄暗い室内、いかにも雰囲気を出しているところである。
占い師は女性だったが、ちらちら私どもを見て、どういう関係なのか見極めているようだった。
その判断によって、いうことも変えねばならない。コールドリーディング、というやつだ。
観察が正しく、それを指摘すれば「どうしてわかったんですか!」と、引き込むことができる。
だがまあ、私程度にさとられるようでは、ダメだろう。何を言われたかももう、憶えちゃいない。
同じ頃、つまり國大専攻科に通っていたとき、横浜の中華街で辻立ちの占い師に見てもらった。
これも何を言われたか、憶えていない。
手相を見ているとき、「今、私がどんな職業をしているか、わかりますか?」と聞いた。
だが、彼は当てられなかった。
「神職資格を得ようと、学校に通っています」というと、彼は、「あー。あー、なるほどー」と叫んだ。
なにがなるほどなのか、サッパリわからなかった。
そういうものをうかがわせる線か何かが、手に出ていたのだろう。
これら3度のいずれも、占ってもらったとき、別に深刻な悩みを抱えていたわけではない。
カラオケやビリヤード、ボーリングみたいな感覚である。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、エンタメ、エンタメ。
7.4.23 鎮火祭
北海道の市町村、たいてい一、二度、大火の歴史を持っている。
「大火」であって、よくニュースで見るような火事ではない。
市街地が全焼、もしくはほとんどが焼けた……なんていうレヴェルの話である。
安全性の高い暖房設備の整っていない昔、薪や石炭を燃やしていたから、当然といえば当然、起こりうることではあろう。
わが相内では昭和16年4月22日に大火が発生、ほぼ全戸が被害にあった。
当時を憶えている人がおり、「今の○○あたりで火が出た、風が強い日で、それがこっちの方に飛び火して……」などと、聞かせてくれたことがある。
その頃、世相は長引く大陸の戦争に逼迫感、停滞感があったという。
はたして北海道の片田舎でも、そのような雰囲気だったのか。どの程度、中央の影響があったのか。
そうした感覚的なものを理解するのは難しい。
ただ、そんな状況で自分の住む町の家がぜんぶ燃えた、となると、かなりの衝撃、喪失感があったことだろう。
当時の村長は出張中だったが、報を受けてすぐに汽車で帰村。
自分の家には帰らず、まっすぐ役場庁舎に入り、必要な指示をしたり、惨状を視察したりしたという。
そのような歴史を踏まえて、毎年4月22日には鎮火祭を斎行している。
きのうももちろん行い、おふだをお祓いした。まもなく各家庭に届くはずである。
7.4.22 落第県令・龐統
龐統は三国志の登場人物。諸葛孔明と並ぶ知恵者という位置づけである。
仕官前には、諸葛孔明は伏龍、龐統は鳳雛と並び称された。伏せた龍と、鳳凰のヒナ。
龍と鳳凰なら龍の方が上だし、かたやヒナである。並び称されたといっても、諸葛孔明の方がなんとなく上のイメージだ。
龐統が劉備に仕官したとき、紹介状も示さず面会。本人の風采があがらなかったこともあって、見くびられてしまう。
そこで田舎の県令(長官)くらいならば、ということで赴任した。
ところが龐統、まったく仕事をしない。朝から酒を飲んで、寝ているばかりである。
仕事が溜まりに溜まって進まなくなった。副官以下、不満に思い、劉備に直訴した。
どうなってるんだ、ということで劉備は義弟の張飛を派遣。
張飛が県庁に到着したところ、やはり龐統は酒を飲んで寝ている。
それをどやしつけて起こし、なぜ仕事をしないのか、となじると、「これくらいの仕事はすぐ片づくからな」という。
酔っ払いのざれごとだろう、じゃあやってみろよと煽ると、龐統は顔を洗い、衣服を改めさっそく仕事に取りかかり……。
その日のうちに数か月分の仕事を終えてしまったのだった。
それを聞いた劉備は、見くびっていたと詫び、重要な職につけたという話。
いや、別に「おれはこんな話を知っている」と自慢したいのではない。
仕事がたまってくるたびに、この話を思い出すのだ。龐統みたいな天才ならなあ……というわけである。
自分は龐統ほどではないけれど、これ、先送りしてもまだ大丈夫だろう……大丈夫だろう……。
そしてあるとき、自分が龐統ではないことに気づく(当たり前だ)のだから、しょうがない。
7.4.21 中堅神職研修のおもひで
ちょうど一年前のこの時期、伊勢へ研修に行った。
参加したのは中堅神職研修という。北海道で5日ずつ計10日の2回、伊勢も同様、20日間で修了となる。
私の場合、北海道の分は札幌の神社にいるときに終え、伊勢の分を残した状態で数年。
こちらの神社にきたり、コロナがあったりということで先延ばしにしてきたのだ。
これ、別に強制参加ではない。だいいち、神職が複数以上いる神社でもなければ、伊勢に行くのもたいへんである。
物理的な移動、日程調整。金もかかる。それで、修了していない人も多い。
ところがこの研修、級位にもからんでくる。2級になるための研修という位置づけらしい。
級位とは上から特級、1級、2級上、2級、3級、4級で、こうしてみると確かに「中堅神職研修」という名前にふさわしい。
この研修、これまでは修了していなくても2級に昇級できたのが、今後はキビシクなるという話である。
中堅神職研修がぜんぶ終わってなければ、昇級させませんよ、というわけだ。
伊勢で研修中、ほかの参加者と話していて「別に昇級しないで、一生浅黄の袴でも……」と私が言ったところ、
「でも、いい爺さんになって浅黄だと、さすがにカッコワルイよ。総代さんの中にも(袴の色と身分の関係を)知っている人もいるからね」
という人がいた。
その方はすでに2級、ふだんは紫の袴をつけているのだが、中堅神職研修に参加していたのだった。
身分とかナントカの意味では、(もう)必要ない研修である。奇特というか、ダンディというか、美学というか。
伊勢での研修に参加すると当然、各地から人が集まってきている。
そういう人たちと交流できることだけでも、行く価値があると思う。
7.4.20 家にいらないものが二つあり
神社周辺の人たちと話していて、住まいに関してよく耳にすることは――
庭がいらなかった。
平屋でよかった。
この2点は誰もがいう。
まず庭、石や岩を配し、木を生やし、池をつくったり、水車を置いたりと、けっこう立派な庭を見かける。
だが歳をとってくると管理、手入れがたいへんらしい。草をむしり、枝を払う。水を抜いたり、入れたり。
そこでシルバー人材センターなどに連絡、やってもらう。
ほとんどの場合、金をもらう以上はとキッチリやる人がくるから、すっきり、サッパリするのだが。
それでも、出費が気になってしまうわけだ。
平屋でよかった、というのは、たいていは子供部屋だった2階を、その独立以降もてあますということである。
ふだんは物置となっていて、掃除もしない。だいいち階段の昇り降りがコワイ。
年末年始、子供、もしくはその一家が帰ってくるとなると、たいへんだ。
掃除はもちろん、部屋が冷え込んでいるので、暖房をつけなければならない。
布団もキンキンに冷えているから一度、押し入れから引っ張りだして、これも温めなければならない。
しかしまあ、子供一家の方は、そんな手間がかかるなど知らぬふうである。
家のことを手伝うでもなく、旧友に会うといって出かけ、その間、子供を見ていろという。
かくして子供が帰って以降、ガックリ疲れると不満をもらすのだが、これには嬉しさ、喜びも半分は混じっているだろう。
親が建てた家なんていらない、と、たいていの子供がいうようだ。
自分が生い立ち育った家への執着など、ないらしい。
そのままじゃ当然、古くて売れず、土地も二束三文。まして住む気なんてない。解体するにも金がかかる。
負債くらいの感覚なのだろう。
一軒屋を構えて家族と住む。これで一国一城のあるじ、なんて時代では、もはやない。
サザエさんのような家庭はもはや昔話だし、家屋自体を財産とみなす人が少なくなったのかもしれない。
7.4.19 ラーメンが食えなかった夜
最近、なぜか長浜ラーメンが食いたくなった。そこで、ネットで調べてみると北見にも店がある。
さっそく行ってみようと、おととい、社務所を閉めたあと向かったのだったが――店内がまっくら、人気がない。だれもいない。
もう一度、スマホを取りだして確かめると、場所は正しいし、営業時間中になっている。
鍵を壊して入り、食わせろと連呼してもラーメンは出てくるまい。それ以前に、警察に捕まってしまう。
あきらめて、通りをはさんで向かいにある焼鳥の店で食事をしてきた。
焼鳥定食。ごはん、味噌汁、鳥串3本にキムチである。おいしくいただいた。
妻もいろいろ串を頼んでいた。ハイボールを3杯飲んでいた。酒豪としては少ない方だ。
こういうとき妻はいつも晩酌のつもりなのだろうが、私としては夕食である。
酒を飲まないし、だいいち車を運転してきている。
満足して帰宅してきたのだったが、それでも長浜ラーメンへの執着がボンヤリと頭の片隅に残った。
この先も、北見では食えないのかもしれない。休業日とか閉店とか、なにかジャマが入って結局、食えないとか。
北海道のラーメンは一般に、具が多い。具で麺が見えないことも、しばしばである。
具を食って、具を食って、麺をその下から箸で引っ張り出して食い、レンゲを具に押しつけてスープをすくい……。
私は最初に麺が食いたいのだ。そんなこともあってシンプルな長浜ラーメン、なのだが、いつ食えるのやら。
7.4.18 枯れ葉よ
きのうは仏滅だったのだが、入れ替わり立ち替わり、いろんな人がきた。
それ以外に好日の要素があったわけでも、なさそうだ。天気がよいわけでもなく、むしろ風が強め。
神社を取り巻く公園では、市の委託業者が枯れ葉や枯れ枝を集め、まとめていた。
公園は市有地だから、管理しているのは当然、市である。
雪がなくなるこの時期、恒例のことで、つまり毎年見ているのだが、それにしても枯れ葉、多い。
こんなにあったっけ? と目を疑うくらい大量である。
今はあちこちに集積された状態、これが、きょうの作業でトラックで運ばれていくのだろう。
この業者の仕事というのが、たいへんキッチリしていて、見ていて気持ちがいい。
北見市の財政状況が悪く、夕張並の破綻をしそうな状況というが、ここは金をかけてほしいところである。
さて境内では、参道や社殿付近に枯れ葉がなければよい、というスタンスである。
それで脇にはあちこち、けっこう枯れ葉が残っている。
これも除去しなければと思いつつ、まだ取りかかっていない。
7.4.17 最近、雨つづきだ
きのうは年に一度の網走支部定例総会があって、北見神社に行ってきた。
まあ近隣の神社の神主の集まりである。決算とか予算とか。事業報告とか事業計画とか、その他もろもろ。
ところが午前中は大雨、帰ってきてからは風もついて、春の嵐。
ちょうど出かけている間だけ、雨も風もないといった具合でツイていた。
このところ雨が多く、気温も低めの日がつづいている。ただ、よその宮司と話していると、本来のこの時期の気温だという。
ここ数年、春先が異様に温かかっただけなのだ、と。
今の時期、雨が降ると農家はたいへんである。畑がドロドロ、加えて低温がつづくと土が乾きにくいから作業にならない。
ある宮司いわく。
きのう自分の神社で総代の集まりがあって、酒宴となった。その席で農家をしている総代数名が、かなり飲んでいる。
「ずいぶんピッチ速いね」と声をかけると「ああ、この雨じゃ、あした休みだからな」と笑っていたそうだ。
機械の手入れやら、納屋の見回りやらあるだろうから、畑に出ての作業が休み、ということだろう。
けさ境内を見回っていると、紙垂がちぎれ、ふっとんでいた。
紙垂とは紙のヒラヒラしているやつである。
軒下になっている場所の紙垂は無事だったが、吹きさらしになっているところでは全滅。
冬の間でさえ、ここまで風が強くなることは、そうそうない。1シーズンに一度、あるかないか。
ゆうべは、なかなかの強風だったようだ。
ほうぼうで早く温かくなれと言い合っているけれども、あと半月もすれば桜が咲く。
桜が咲いて散れば、タンポポの大量発生。うかうかしていると、すぐ夏になる。
7.4.16 ~していきましょう
最近「~しましょう」と相手を勧誘するとき「~していきましょう」という人が増えてきた。
この場合、「いく」には「コンビニに行く」「旅行に行く」などの「行く」のように実質的な意味はない。
とすると、これまでの用例では「だんだん秋になっていく」「ちょっと取引先に寄っていく」などに似ているか。
例えば①「深呼吸しましょう」というところを、②「深呼吸していきましょう」というたぐいである。
もともと「行く」の意味内容には、その動きが継続しているという含意もある。
発話時点の場所からコンビニへ向かう。どこに行くかは不明ながら、旅行に出かける。
秋を感じさせるような状態に今あり、発話以降もつづく。
どこかへ行く途中に、取引先に寄ることも含まれていて、発話内容の主眼がそこにある。
要するに、「深呼吸していきましょう」は、深呼吸するという動作を一定程度、つづけよ、ということだ。
しかしこれは、「深呼吸しましょう」でもいえるはず、いえたはず、いえてきたはず。
それをあえて「~していきましょう」というのは、それだと意図が正しく伝わらないという意識が働くためだろう。
深呼吸しましょう、では一度の深呼吸しかしないとカン違いされる恐れがある、と。
「~していきます」といって、意味内容が実質、発話者の意志のとき。
例えば「説明します」というところを「説明していきます」という人もいる。
「説明します」でも「ああ、この人は自分が説明したいと思っていることを、一定時間しゃべるんだな」と理解されるはず。
あえて「説明していきます」という必要はないと思うのだが。
逆にいうと「深呼吸します」「説明します」のような標準形、終止形では「動作が継続することを十分に伝えられない」。
そのような意識を持つ人が増えているのだろう。
これは最近気づいて、ちょっと興味深いなと感じたことばづかいだ。
これからも注意して、観察していきたい。
7.4.15 今年は剪定がんばろうかな
木を植えすぎている神社が多い。
某神社にて、専従で樹々の管理している人から、そううかがったことがある。
苗木を植え、ある程度、成長してきたらよい木を残し、ほかを間引く。
それが最良なのだが、間引かないで生やしたままにする神社が多いのだ。
結果として密生してしまい、かえって生育環境がよくない状態となる。
育ってきてしまうと間引くのが惜しくなるし、神域だからと躊躇することもあろう。
わが神社では、専任宮司では先代にあたる人が、かたくなに木を切らず、剪定もしなかった。
枝の一部が枯れたり、逆に繁茂しすぎたりするわけだが、多年にわたり放置されてきたわけだ。
それで私は一時期、がんばって剪定に励んだのだが、あまり量が多くてあきらめ、以後数年、ほったらかし。
さまざま役目やら何やらが降りかかってきて、自分の神社に集中できない状態がつづいたこともある。
これからちょっとは楽になるので、剪定作業を再開したいと考えているところだ。
それでも、玉串をとる木、お供えの魚の下にしく葉をとる木は、やっぱり放置だ。
放置すればしたで、立派なのがとれるから。
くたびれ損となるのが目に見えている樹種もある。わが神社でいえば、イチョウ。
これが異様に生命力が強い。枝をきってもきってもまた、生えてくる。
まあでも、今年は小枝を払うことにするか。
7.4.14 オースティン著・小尾美佐訳『高慢と偏見』光文社古典新訳文庫 読了
上下2巻。それにしても光文社古典新訳文庫、読みやすい。
「いま、息をしている言葉で、もういちど古典を」というキャッチは伊達ではない。今後も同レーベル、お世話になると思う。
『高慢と偏見』は以前あげた『世界の十大小説』のうちの一作である。
死ぬまでにもう一度、読んでおきたいということで読んだ。これで5/10。
おおざっぱにいえば恋愛小説、初めにイヤな印象を持っていたのが変化、好意を抱くようになって、最後は無事、結婚。
まあ定石だが、そのような構成をとる小説がずいぶん昔からあったんだなと驚く。
出版が1812年、ナポレオンがロシア遠征をした年だから、なおさらである。
筋自体にはそのような歴史的な興味しかなかったが(恋愛小説に胸キュン、感動しているオッサンはキモイだろう)、心理描写を初めとする技巧はやはり名作、優れている。
内容面の見どころは、まず当時の階級社会、現代日本では見られない相続法などの作品内の状況。
そのような環境でどう人間が考え、行動するのか、現代人とは当然、異なってくることもあれば、同じ人間、変わらないこともあるわけだ。
つぎに、今風にいえば主人公・エリザベスのキャラが「立って」いること。
現代にいたなら、おとなしいくらいの性格だが、当時としては新しい女性像、男性読者はメロメロ、女性読者は生き方に共鳴し、憧れを抱いたに違いない。
だが、末の妹、リディアの方が先を行っていて、後先も考えず駆け落ちしている。彼女の方が自分に忠実なだけ現代人に近いだろう。
もっとも、作者はこのような「さらに先に行った」人物をも配置して、エリザベスの新しさを悪目立ちしないようにしたのかもしれない。
ハッピーエンドなので安心して読める、というと、それだけでもうネタバレだけれども、やはり名作、おすすめしたい。
7.4.13 頼まれてももう断るよ
どこの世界でも同じだろうが神道界にも、ものを頼むのがうまい人と、へたな人がいる。
わりと恵まれた立場にある人は、どちらかといえば、へたなようだ。
総代会などの氏子組織が強固で、人材も豊富。必然的になにか役目を頼むにも、苦労しない。
長年そういう状況だと、オゴリではないが頼む方でも当たり前となっていく。そんな雰囲気がかもされる。
まあ、人情というものだろう。
ところがその言い方、頼み方に「引き受けて当然」なんて匂いがするのを、あるとき誰かが嗅ぎつける。
そして、断る。断られる方はビックリ仰天、なぜ断られるのか思いもよらない。
そこで自省、反省すればよいのだが、なかなか難しいようだ。
逆に、人材不足、総代会を開いても出席者がポツリポツリ、なんて神社では、ものを頼むのがうまい傾向にあるようだ。
頼む方に、人を説得する経験が豊富だからだ。あの手この手、交換条件で、と、いつのまにか説得してしまう。
私は恵まれた立場にはいないが、ものを頼むのがへたな方で苦労している。
そんなこともあって、ものを頼まれたときは基本的に断らないようにしてきた――のだが。
最近はこれを、改めねばならないと思っている。
そう、引き受けて当然、みたいな雰囲気で頼んでくる人が増えてきたからだ。
引き受けて以降、そういう頼み方をする人がどのような態度をとるかも目に見えている。
それに、人のためになるならと引き受けてきたものの、くだびれもうけ、骨折り損になることが多かった。
これからはドシドシ断り、浮いた時間を、自己投資のために使おうかと考えている。
7.4.12 ワープロが欲しいな
かつてタイプライターというものがあり、タイピストという職業もあった。
欧米圏ならアルファベットの26文字プラスαで用が済むのだろうが、日本語ではそうもいかない。
常用漢字だけで1000を越えるのだから、欧米ほど普及しなかったようだ。
小学生の頃、何度か実物を見たことがある。
それから大学に入ったばかりの頃、ある教授の研究室におじゃましたとき、ガチャガチャ音をたてながら文書作成しているのを目にしたことがある。
もっとも、この先生は英文科の方だったから、英文を打っていたかもしれない。
それからワープロの時代となるが、もちろん、ある日を境に突然、切り替わるわけではない。
タイプライターとワープロが並行する時期があった。
ワープロが普及しはじめたのは昭和終わり、主力たりえていたのは20世紀が終わるくらいまでだったろうか。
最近、なぜかワープロが懐かしい。
かつて使っていたワープロにはよけいな機能がなく、ネットにもつなげなかった。
その分、文章を書く、文書作成に集中できたのではないか。そして今も――
パソコンだと、いろいろなものにアクセス可能、さまざまなものがオールインワン、これらが誘惑となって、じゃましてくる。
意識しなくても、無意識の領域に割り込んできて、じゃましてくる。
いや、便利なのだが、便利すぎるのも困りものなのだ。
7.4.11 田舎の朝は騒がしい
起き抜けにカーテンを開けると、窓から見える北の空に雲ひとつなし。
きょうは快晴のようだ。田舎だから朝は静かと思われるかもしれないが、実は意外に騒がしい。
神社南側に国道が走っており、北側には市街地を抜けてくる裏通りがある。
どちらも仕事に向かう車でにぎわい、これは朝8時くらいがピークだ。
チラホラと散歩のお年寄り。犬を散歩させている人。学校へ向かう子供。歩く人は物静か。
何といっても騒がしいのは、鳥。恋の季節に入りピーチクパーチク、四方八方でさえずっている。
つがいのカラスがクチバシで何やら地面を掘り、アオサギが巣材にする小枝を口にくわえて運んでいる。
いちから作るのではなく、以前あった巣を毎度、利用しているようだ。
ダメになった枝を落とし、新たに枝を加える。つまりリフォームだ。
それで今の時期、参道にはたっくさん枝が落ちる。
雛が生まれ、子育て中でも、定期的に巣の手入れが行われるようだ。
数はだんだん少なくなるが、秋まで枝が落ちている。
そんなわけで毎日、枝を取りのぞいている。そろそろ除草剤もまかなければなるまい。
7.4.10 祝詞のページへのアクセスが増えて
このホームページはgoogleで作っていて、アナリクスとやらも登録している。
そのため毎月1度、どのページに、どれだけアクセスがあるかなど、集計結果がメールで送られてくる。
最初の何か月かは目を通していたが、ここしばらくはすぐにメールを削除していた。
商品の販売や集客が目的ではないし、集計結果を活かす方法も思いつかない。
ところが最近またメールがきていて、たまたま確認したところ――祝詞のページを見ている人が多いではないか。
トップページよりも、ずっと多い。圧倒的である。
一般の人はあまり興味を持たないはずだ。クロウト、まあ同職の人が見ているのだろう。
確か93折のせていたはずだが(確かめろ)、最初は100あげて、あとは入れ替えようと思っていたのだった。
しかし、100種もの祭祀をしていなかったので、中途半端な数となっている。
私は歳をとってから資格を得て神職となっている。とはいえ、今年17年目。それでも100種には届かないわけだ。
かなり昔の祝詞もあるので今、見ると「うわ、こんなレヴェルかよ」「このフレーズはちょっと……どうにも」というものもある。
打ち込みの際にまちがえて、そのままというのもある(直せよ)。
参考までにあげているので、と言い訳しつつ放置中だ。
そして、あまり人の参考にならないことも、わかってはいる。
7.4.9 この時期特有の祭事がいろいろ入る
4月に入って以降、祭事の予約がワタワタと入り始めて今に至る。
月参りや、毎年この時期と決まっている安全祈願祭に加え、地鎮祭や事務所開設など。
新年度のスタートらしい、この時期に特有の祭事がつづいている。
ああ年度替わりだなあ……と、季節の移り変わりを感じるまもなく、ゴールデンウイークがやってくるのは目に見えている。
かつては5月の連休中、どちらかといえば閑散期、ヒマだったのだが、もうそんな時代ではない。
もちろん都市部の神社では忙しかったのだろうが、田舎では参拝者が少ないのだった。
変わってきたのは、感覚的には15年ほど前からだろうか。
桜の隠れた名所、みたいな評判も高まってきたらしく、入れ代わり立ち代わり人がズンドコやってくる。
連休だ、忙しい忙しいといっているうちに、いろいろまたあって、お祭りの準備だ、お祭りだ。
終わってまもなく、年末年始だ、正月の準備だ……と、つづいていく。
そうした決まりごとの合間を、何で埋めていくかが大事だ。
今は、もっと本を読みたい、もっと文章を書きたいと思っている。
7.4.8 石田三成が好きな先輩の話
大学生の頃、同じサークルに非常に「濃い」人がいた。
何というか、理屈っぽいのだ。話していると、すぐに疲れてくる。書いたものを読むと、漢字が多くてなかなか先に進まない。
一学年上なので、私がそのサークルに入った頃にはもう主のような顔をしていて、部室の奥のソファーにいつも腰かけていた。
メンバーはみな、ちょっと煙たいが一目置いてもいるといったふうで、私もそれに倣い、適度に距離をとっていた。
彼に関するエピソードで、今でも憶えていることがいくつかある。
「司馬遼太郎は、嫌いな人物を徹底的に悪く書く」。
そのうちの、ひとつである。
彼は石田三成をひいきとしていた。さもありなん、といったところだろう。
司馬には『関ケ原』があって、それを読んでいると石田三成の欠点、短所がこと細かく書かれていると。
エンタメだから、関ケ原の勝者、徳川家康と対比して描く手法は、まあ定石といってよいのだが。
三成をサゲると、必然的に家康がアガるわけだ。
だいたい、三成が欠点なり、短所なりを克服できていれば、史実が変わっていたはずだ。
克服できなかったからこその敗戦、といった側面もある。
しかし、彼にとっては、ひいきの三成を悪く書きすぎだから司馬はダメだ、ということになる。
司馬の小説が、史実そのままと思っている人は、一定数いるようだ。
作中での人物造形も同様、人物の見方にしても唯一のもの、定説のように考える人も数多い。
そこで、誰かとたまたま関ケ原の戦いの話になると、司馬が『関ケ原』で描いたような三成像をみな持っている。
そのことがまた、彼を腹立たせるのだった。
大学卒業以降の彼については知らない。
しばらくたって、とある大学の事務方として活躍していると、風の噂に聞いただけだ。
さらにのち、急逝したと聞いた。泊りがけのワークショップへ出かけ(むろん公用である)、その先で倒れたのだという。
全日程が終わる直前だったそうだ。
実は、この知らせにしても聞いたのは、亡くなってからずいぶんたってからである。
それだけ疎遠になっていた。亡くなったのは13年前。享年40である。
奇妙なことに石田三成も、こちらは刑死ではあるが満40歳で亡くなっている。命日は旧暦11月6日。
彼の方は新暦ながら11月6日に倒れ、翌日、亡くなった。
まあ偶然だろう。
7.4.7 宇能鴻一郎『姫君を喰う話』新潮文庫 読了
宇能鴻一郎といえば、ポルノ作家として著名である。
あまり著名になりすぎて、『鯨神』で芥川賞を受賞、その後、転向したのはあまり知られていないらしい。
大学生の頃、フランス語を教えていただいた先生が小説を書いていて、キャンパス内の生協にも本が置いてあった。
そこで買って読んでいると、わずかな記述だがUと大学で同級生だった、とある。
少し読めば、Uが宇能鴻一郎のこととわかるような記述だ。
さて、そのUの実家が当時、福岡にあって夏休み中、遊びに行く。新幹線などない時代である。
折しも長崎に水害があって、先生はその取材に行こうとするのだが、交通は寸断されているし、まだ危険だ。
Uに止められたのだが、それでも出かけた――そんなエピソードである。
今回、本書を読んでみて、濃密な文体への指向、もしくは嗜好という点で二人がよく似ていると感じた。
ただ、フランス語の先生の関心は人間の悪意にあり、宇能鴻一郎は官能にあるという違いがある。
どのようなメガネをかけ、どのように焦点を絞って人間を見るか、ということだ。
本書には『鯨神』ほか5編がおさめられ、そのどれにも筋書、物語のおもしろさがある。
読んでみたくなった方には、どれも短編だが、かなり「濃い」のでご注意を、といっておきたい。
7.4.6 コーヒー豆をゴリゴリ
先月コーヒーミルを買ってもらったので、豆を挽いてコーヒーをいれている。
どうせならと目の細かい茶こしを買った。一杯ごとに粉を作り、湯を注ぐのである。
ゴリゴリと豆を挽き、目分量で茶こしに入れる。
初めに蒸らすため少量、湯を注いで待ち、2、30秒後に改めて注ぐ。
こうしていれると手間をかける分、美味い(ような気がする)。
これまでは粉の状態のものを買ってきて、コーヒーメーカーにセット、できるのを待つといった具合。
変わったのは、摂取量が減ったことだろうか。
コーヒーメーカーだと手軽にいれることができ、飲みすぎてしまうキライがあったので、これはよい傾向だ。
うまいから何度も豆を挽いて……というほどの中毒症状は、コーヒーにはないらしい。
一日5杯が健康によく、適量だというが、健康常識というもの、いつのまにか変わったり、否定されていたりする。
それで私は、あまり信用していない。
まあ酒よりは体によいのだろう。
酒を飲んで運転して捕まった話は聞くが、コーヒーを飲んで運転し、捕まった話は聞かない。
7.4.5 冬アカ除去予定
本州では、入学式といえば桜がつきもの。
私の場合、大学の入学式のみ桜の時季だったので、あまり両者が結びつかない。
北海道では、風がつきものかもしれない。晴れていようが曇っていようが、小中高とも強風だった記憶が強い。
今年は4月に入っても降雪がしばしば、晴れても強風の日ばかりである。
けさもまさにそうで、上空ではカラスやアオサギが風にあおられつつ飛んでいる。なかなか大変そうだ。
それに対し、スズメ大の鳥だと体表面積が小さいためか、ふだん通りの飛び方をしている。
境内各所、雪の下から葉っぱや小枝、大枝が現われ、ミットモナイのだが、凍りついていたり、濡れていたりで、まだ片づけていない。
比較的高温がつづいて雪が消え、乾いたタイミングで一度、掃除しただけである。
雪の下、表面、あちこちから現れる不要物を「冬アカ」と称する。
この強風で冬アカが全部、境内から消えてくれればとムシのいいことを考えるが、もちろん、そんなことはありえない。
風がおさまったなら、大掃除するかな。
7.4.4 世界の十大小説
サマセット・モームは最近あまり読まれないが、一時は英文読解の問題でよく見かけた。
筋のおもしろさ、オチの秀逸さが読んでいて、おもしろい。
英語の問題文に使われるくらいだから短編が多いのだが、『月と六ペンス』という長編の傑作もある。
そのモームのエッセイに『世界の十大小説』があって、豊富な読書体験からおすすめの長編小説をあげている。
このエッセイ、けっこう知られているようだ。短編の名手なのに、長編についてのエッセイが名を残すのだから、おもしろい。
一作のみ18世紀、ほかはすべて19世紀の作品。
小説というジャンルが最高潮に達したのは、やはり19世紀だろう。
そんなこともあって、これに触れておけば世界文学をけっこう読んだ、というラインナップになっている。
すべてあげてみよう。
フィールディング『トム・ジョーンズ』(英)1749年
オースティン『高慢と偏見』(英)1813年
スタンダール『赤と黒』(仏)1830年
バルザック『ゴリオ爺さん』(仏)1834年 - 1835年
ディッケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』(英)1849年 - 1850年
フロベール 『ボヴァリー夫人』(仏)1856年
メルヴィル『白鯨』(米)1851年
ブロンテ『嵐が丘』(英)1847年
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(露)1879年
トルストイ『戦争と平和』(露)1865年 - 1869年
若い頃に一度、みな読んでいるのだが、死ぬまでに再読してみたいと思い立ったのが……実は、もう10年も前の話になる。
それに気づくと自分では読書、小説を読むのが好きな方だと自負しているが、たいしたことないのがわかる。
時間が無限にあると錯覚していたガキの頃ならともかく、今は「本を読もう」と意識しなければ、なかなか時間がとれない。
そこへもって、他の本に目移りしてしまうこともある。
現在の進捗状況は4/10。
目が弱くなる前に、読破したいものだ。
7.4.3 社会保険料との戦い
先月末で会計年度が終わり、集計が終了した。あとは文書の体裁を整えるくらい。
支部の会計年度も同様で、きのう会計監査に立ち会ってきた。
とはいえ私はほとんどいるだけ、昼食を出していただくので、それを食いにいったようなものだ。
弁当を食っているうちに無事、監査が終了したらしい。
さて、ありがたいことに年々、社入がアップしている。
その中から給料をもらっているわけだが、ここ数年、あげていない。
給料をあげると税金、社会保険料をその分、払わなければならないのは当然のことだ。
それぞれ有効に使われていればよいのだが……。
社会保険料は折半。神社から半分、私の給料から半分払う決まりだ。
毎月、神社で肩代わりしておさめ、私の給料からは天引きするという形式である。
ところが個人事業主のようなものだから、感覚的には全額、払っている。
人の二倍、払わされているような錯覚があるのだ。
所得税のように確定申告制度があるわけではないから、毎月キッチリ神社の通帳から引き落とされ……。
その額を見ると、はっ倒れるくらいのものである。
生活に困っておらず、そんなに金もらっても社会保険料をたっくさん、とられるから――というわけでここ数年、あげていないわけだ。
給料をあげなければ、その分、神社の方に金が残る。それはそれでメリットがある。
さて今年度はどうするか、思案のしどころだ。
7.4.2 冬の星座
今の時期、冬の大三角が午後8時ころ、南西に位置する。
メガネを掛けていないと、何のことやらサッパリ見分けがつかないのだが、それでもシリウスはわかる。
太陽を除けば、地球から肉眼で見えるもっとも明るい恒星だからだ。
そこからそれらしく正三角形になるよう星を探すと、冬の大三角になる。これも簡単である。
正三角形というより、逆三角形「▽」。下の頂点がシリウス、といった方が分かりやすいかもしれない。
シリウスから見て右上の頂点がペテルギウスで、これはオリオン座の左上の星でもある。
そのちょっと先に木星。
左上の頂点はプロキオン、そのちょっと先には火星がある。
ペテルギウスと火星は赤く見える。そこでメガネを掛けていないと、取り違える。
ついでにこの時間、火星の近くにはふたご座があり、カストル、ポルックスと目立つ星のすぐ近くにくる。
そこで三つ子のように見えてしまうのだ。
みずから輝く恒星でなければ、われわれは星そのものではなく、星に反射する光を見ている。
また、ペテルギウスなど星としては年寄りで、もう本体は消えているという人がいるそうだ。
本体が消滅しても、距離の関係から光だけはこの先、何万年も地球に届くのだと。
ペテルギウスの消滅を見届けることができるか、自分の寿命が心配である。
7.4.1 テレビが猫にとられた
最近、飼い猫がテレビを見せろ見せろと、うるさい。
私が食事をしはじめようとするたびに、テレビの前で待機、ニャーニャー鳴く。
しかたなく、電源を入れる。もう猫専用テレビとなっていて、ここしばらく人間の利用はない。
ネットテレビだから、さまざまな動画を見る。
ネズミ、鳥、おもちゃなどを、興味をひくように見せる猫用の動画。これは、まあまあの反応である。
CGや、画像を切り抜いて動かしているタイプの動画よりも、本物のネズミ、小鳥の方が反応がいい。
そして、猫。
仲間が近くにいると思うのか、騒ぐことが多い。
ライブカメラの映像でも、一匹が散歩する映像でも、反応にあまり変わりはないようだ。
テレビの背後に入ったり、下をくぐったりと、探し回る。 画面をひっかき、おもちゃに飛びかかろうとする。
そうしているうちに食事は終わるのだが、しばらくテレビはつけたまま。
放っておくとあきらめて、昼寝しはじめる。
つぎの食事のときに、またテレビをつけろと……そのくりかえしだ。
7.3.31 年度末
とうとう年度末に至った。充実した一年だった。
昨年は研修で伊勢に2回、行っている。出不精の私としては大冒険だ。
出費もかさんだが、見聞を広めたり、知識を深めたりと、それに見合ったものだったろう。
……などと感傷にひたるヒマもなく、雪かきしなければならない。
昨日の夕方、二時間ほど吹雪いたのだ。せっかく解けたのに、また真っ白。
とはいうものの吹き溜まったところのみである。あとは気温があがるのに任せる。雪かき、もう飽きた。
30日に降るのはここ最近、なかったのではないか。
少なくとも私の記憶にはない。
7.3.30 太平記でクラクラ
藤村『夜明け前』を読み終わったので、つぎに読む文学作品をアマゾンで注文。
まだ届かないので、本棚から『太平記』を引っ張り出してきて読んでいる。
岩波文庫版で2巻、この巻の初めの方で鎌倉幕府が滅亡するが、新田・足利の対立から混乱がつづいていく――といったところ。
年度末で、本を読んでばかりもいられないから、あまりマジメな読書ではない。
この太平記、ほかの軍記物と同様に勇ましさ優先、事実現実の描写は二の次である。
誰それが何騎の軍勢をひきいて……なんてときには、数を盛る。平均して、10倍は盛っているのではないか。
かくして5万騎対8万騎の決戦などがふつうに起きるのだが、読んでいるうちにクラクラしてくる。
事実をありのままに、ということに毒されているのかもしれない。
7.3.29 横着な夫婦
参道脇の木に、アオサギの巣がある。
昨秋、南へ渡っていって以降は主が不在、もちろん放置されてきた。
その間、風も吹けば雪も降るし、強風で巣が丸ごと落ちることだってある。
そこで、アオサギが帰ってきて、まずすることは巣の手入れだ。
巣材は木の枝で、今の時期、どこにでも落ちている。
つがいで行動するから、夫婦で協力して、あちこちから枝をくわえてきて巣まで運ぶ。
不要な枝を落とし、理想的な巣を作っていく。
たいていは遠くから運んでくるようなのだが、数年前、横着する夫婦が現われた。
社務所背後のシラカバから、枝を食いちぎる。神社の裏の桜並木の下には今の時期、たくさん小枝が落ちている。
それらを参道脇の木の梢、巣までせっせと運ぶ。
今春もその夫婦が無事、帰ってきて今、巣の手入れをしている。
よく枝を取っているシラカバの木は、居室のすぐ脇。枝をくわえ、社務所の屋根を越えようとするのも、よく見える。
枝を取るだけだから縄張りもないだろうに、すぐ近くから集めてくるのはこの夫婦しかいない。
横着とはいっても、野生生物としては正解、合理的なのだろう。
遠くから運ぶよりも、エネルギー消費が少なくて済む。
ふしぎなのは、ほかの夫婦はこれに倣わないことだ。エサを探しつつ枝を集めるため、遠くへ行くのか。
近場から枝を拾ってくる夫婦は、巣作りとエサとりを分けているのかもしれない。
同じ姿に見えても、行動はさまざまである。
参道に立って見上げたところ現在、2、3組くらいだ。これからまだまだ、南から帰ってくるだろう。
7.3.28 無礼な人もいるものだ
人づきあいのコツとして、無礼な人とはできるだけ関わらない、ということがあるだろう。
あるいは、関わらざるを得ないときも、こちらから何か配慮したり、丁寧な対応をしたりすることはない。
何らかの理由からこちらを利用し、それを当然と思っていることが多いからだ。
結局、そういう人は人格が陶冶されていない、言葉を換えるとガキなのだから、こちらが疲れてしまう。
何かモノを贈ったとき礼を言えない人間。あまつさえ、それにケチをつける人間。
冗談にかこつけて、人をけなし、おとしめる人間。
社会は広く、そういう人間が一定数いるものだ。
こちらが常識と考えていて、それが大多数に常識として認められている――というと、口幅ったい言い方になるが。
そうした常識のない人間も同様である。できるだけ関わらない。配慮せず、丁寧な対応をしない方がよい。
ウチに送られてくる郵便物には、神社名がついてくることが多い。
縦書きなら、その「相内神社」は上ツキで記すのが常識である。そうして当方に敬意を払っていることを示すわけだ。
ところが、まれに下ツキで書いてくるのがいて、ビックリする。
下に寄せて書くのでは、あんたは下の方です、敬意を払っていません、ということになってしまう。
本人に(恐らく)そういう意図がないにせよ、非常識には違いあるまい。
「どうしてそういう行動、言動になるんだろう」と、その背景を考えたり、ましてや本人のために矯正しようと試みることはない。
結局、時間のムダだからだ。
別なことをして、その時間を有意義なものにした方がいいだろう。
7.3.27 なぜか元号について
現在わが国では、天皇お一方に元号ひとつ、と決まっている。
いわゆる一世一元の制。これは明治以降のことだが、大陸では明王朝の成立以降。
つまり、500年ほど遅れて採用したわけである。江戸時代まで、元号はバンバン変わっていた。
改元には大別して二種類ある。
御即位に伴う改元。それと甲子の年、辛酉の年に改元。これはレギュラーなものだろう。
それに、天変地異や戦乱、政変などを理由とするイレギュラーなものが加わる。
なお、甲子の年には天命があらたまり、変化が起きやすいと考えられてきた(甲子革令)。
辛酉の年も同様である(辛酉革命)。
甲子、辛酉と干支で表示すると分かりにくいが、このふたつの年、実は3年しか離れていない。
そこで別の、イレギュラーな理由で改元したばかりだと、この両年に改元するのが見送られることもあったようだ。
江戸時代、太平の世の中がつづくと、事情が変わる。
天和(1681)と貞享(1684)、寛保(1741)と延享(1744)、享和(1801)と文化(1804)は、それぞれ辛酉・甲子で改元した例だ。
おもしろいことに江戸時代、ただお一方を除き、辛酉・甲子の二度の改元をされた天皇は、いらっしゃらない。
そのお一方とは、孝明天皇である。
改元は全部で6度。すべてあげてみよう。
皇位につかれたときは、弘化であった。これは先の、仁孝天皇の御代の元号。
御即位を機に、嘉永。内裏炎上や大地震、黒船来航で安政。江戸城火災や桜田門外の変などで万延。
そこに辛酉・甲子の年が入るが、このときは改元されている。文久(1861)と元治(1864)である。
最後に、禁門の変などの社会状勢の不安から慶応。
すぐに明治維新、まもなく一世一元の制が採用されることになるが、これは、孝明天皇の御代の改元が頻繁だったこともあるだろう。
ちなみに万延など正味、一年もない。すぐに辛酉の年がきますので、そのとき改元しましょう、という献言もあったようだ。
孝明天皇がそれでも強行されたのは、社会不安を鎮めたいと強くお考えだったのだろう。
辛酉・甲子の年は60年に一度、めぐってくる。
もし一世一元の制でなければ、大正10年(1921)と同13年(1924)、昭和56年(1981)と同59年(1984)に、改元されていた可能性があった。
明治、大正、昭和、平成、令和の他に、4つも元号が加わっていたとしたら、「明治は遠くなりにけり」どころではない。
中村草田男の俳句に、そういうフレーズがある。
元号が少ないと、近い過去がより身近に感じられるということが、あるようだ。
7.3.26 島崎藤村『夜明け前』岩波文庫 読了
ひさしぶりに日本の近代文学に触れた。二部あって各上下に分かれていて、計4冊。
読み通すまで1か月ほどかかった。その間、主要な舞台である木曽馬籠で暮らしていたようなものだ。
どちらかといえば短編優勢の時代に生まれた作品にくらべれば今作は大部、稀有な地位を占めている。
ただ現代、この作品が例えば時代小説として書かれたとしたら、やはり評価は低かっただろう。
第二部の冒頭、二章分を割いて当時の世相を描いているが、寄り道をさせられている感がぬぐえない。
主人公・青山半蔵が直接、関わらないように感じられ、いつ主人公がまた出てくるのかと待たされるのは、現代の読者にとっては苦痛以外の何物でもない。
その分、主人公の境涯にしろ、思索の跡や行動に至るまでの過程にしろ、もっと深掘りできたのではないか。
内容じたいは、たいていの神職にとっては興味深いものだろう。幕末、平田派の国学に目覚め、入門。
しかし半蔵は代々、本陣を預かる立場にあり、継母への遠慮からも、行動に移ることができない。
明治維新後、戸長となるが、山林を巡って住民のために奔走していたのが当局に睨まれる結果となり、罷免される。
同門のつてをたどり、単身東京に出て教部省に出仕。
しかし平田派の理想は全く実現しないまま諸事、急速に変わっていくのを目の当たりにする。
周囲ともうまくいかず、ついには憂国の歌を書きつけた扇子を、天皇の鹵簿に向けて投げ、拘束されてしまう。
おもしろいのは当時、半蔵には宮司就任の内示が出ていたのだが、拘留、裁判の後に結局、赴任していることである。
飛騨国一宮、水無神社だから郷里の木曽馬籠とも近い。
ところが赴任までの道中が難路だったこと、歌など詠んでいたことなどに筆が割かれ、宮司としてどのような生活を送っていたかは、具体的ではないし、あまり詳細でもない。
現任神職としては、不満の残るところのひとつだ。
そのまま神職に留まることなく、任期を終えると馬籠に戻る。このあたりもそうで、なぜ戻ることにしたのか十分には描かれていない。
晩年は寂しいもので、私塾の教え子たちに慕われながらも、世の中への不満が酒量を増大させた。
今風にいえば、アルコール中毒となり、先祖が創建した寺に火をつけようとしたのを機に、座敷牢に幽閉、そのまま生を終える。
半蔵は藤村の父がモデルになっているが、やはり真の父の像に囚われていたのではないか。
事実は事実として描きたい欲求にあらがいがたく、筆致に想像を加えることを、しばしばためらったのではないか。
父の生きざまを知ってほしい。そして自分は父の姿を描くことで父を乗り越えたい。
そういう行き方もあるのだろうが、事実を改変、より誇張し劇的に描くことで、普遍的な「父」の像を浮き彫りにできたはずだ。
藤村個人の父を描きたければ、何も青山半蔵という名前を与えなくてもよかった。
もっと半蔵の生のいたましさ、切実さを知りたいし、味わいたかった。
7.3.25 8トン限定のプレミアつき免許証を更新
運転免許証の更新をしてきた。
試験場まで車で10分ほどと近いが、用事もないので5年ぶり。
玄関に入ってすぐの受付がもう混雑していて、行列ができていた。それでも待ち時間は5分くらいか。
優良なので講習は30分である。
ここ5年の法改正や、近年の交通事故の状況などを学んできた。
一般、初心者で違反あり、高齢者で違反ありだと講習時間が長くなるわけだが、1時間とか2時間とか受けていられない。
以前、違反ありで講習を受けたことがある人から、「まるで犯罪者扱いだった」と聞いたことがある。
ただ、ずいぶん前に聞いたし、今はモラハラやらパワハラやら、ウルサイ時代なので違っているかもしれぬ。
さて私の持っている免許証はプレミアもの、50万の価値があるという。
8トン限定中型。中型免許ができたとき、既得権として旧普通免許を持っている人に付与されたそうである。
中型免許をとるのに、それくらいの金がかかるかららしいが、しょせんは「限定」。
それに、ただ法規上は乗れるというだけで、機会が全くない。
2トンロング、3トンロング幌つき、保冷車、乗れる車はさまざまあるが、運転できる自信もない。
中型、大型その他、とる予定はないから、一生このままだろう。
そんなわけでこの先、法改正があって限定の部分が剥奪されても、特に文句はない。
7.3.24 祖霊祭が終わり春がくる
昨日、春季祖霊祭を斎行。
相内神道会という組織があり、世帯数でいうと10ちょっと。
私が赴任以降、増えたり減ったりしても数はほぼ変わらず今に至っている。
祭事以外に、しなければならないのは祭場の設営、直会の準備くらい。
案内作成や出欠確認、会計など事務は全部してくれるから楽である。
参列者は20名ほど、用事や仕事で数名が帰り、他はみな直会の席についた。
春、秋と祖霊祭は二度あるが、終わったあとの直会では鍋をするのが恒例となっている。
祭事が終わって着替えている間に、もう直会の設営は終わっていて乾杯直前。毎度のことだ。
祖霊殿前で行うから、お供えの卵や菓子、酒をさげてきて、いただく。
お開き後も片づけまでしてくれる。
――ということで、みな帰ったあとは祭場の大広間、ガランとしていて、換気扇の回る音がするのみ。
宴のあと、といった雰囲気になる。
祖霊殿前のボンボリはその晩、ずっとつけておく。
夜、見回りで廊下を歩いていると、オレンジ色の光が広がっていて、ちょっと幻想的である。
思いのほか廊下が温かいのを感じ、ああもう春だなと思う。
7.3.23 広告さまざま
YouTubeを視聴していると、たまに広告が入ってくる。
投資、転職、行政書士試験、借金減額、なんとかモバイル、オンラインゲーム、サプリなどなど、内容はさまざまである。
そのたびに絶対、出てきた会社で投資するもんか、転職で参考にするもんか、試験対策してやるもんか、と思う。
動画の閲覧履歴や検索の傾向等のデータをもとに、年齢や性別、趣味嗜好や興味をある程度、踏まえて広告を流しているのだろうが、一度もクリックしたことがない。
今風に言えば、ささる広告があった試しがないのだ。
妻に話すと、こうした反応は少数派らしい。大多数の人は、ちょっとは検討するものだというのだ。
しかしまあ……趣味はゲーム、転職を考えていて法曹関係に興味がありそうだ、借金あり。最近、健康を気にしている。
こういう人間だと見られているわけだ。だが、まったく現状から外れているのは、限界を示すものだろう。
ところが、amazonのおすすめの方は、非常に恐ろしい精度である。
特に、書籍。書店で買うなり、図書館で借りるなりして読んだことのある本をあげてくる。
つまり興味関心を、正確に把握しているわけだ。
買ったり借りたりした本でなくても、興味あるジャンルから引っ張ってきて、実に見事に表示してくる。
ロハでどんな動画を観たか、検索したかよりも、実際に金を出したという実績。
消費行動を参照する方が正確に把握しやすいのだろう。
実際、すぐには買わないが要検討、というものが「欲しいものリスト」に多数入ってしまってもいる。
気持ち悪いと見るべきか、便利だと見るべきか。
あの手この手で金を出させようとするから、いっそネットなど遮断する方がよいのかもしれない。
7.3.22 メガネを掛けるのはコワイことだった
メガネを作り、おととい引き取ってきた。
常にメガネを掛けるようにしようと思い立ったのだが、もう挫折しそうである。
これまで日常生活には支障なかったので、ちょっと煩わしいのだ。慣れるしかあるまい。
慣れるといえば、近視、遠視、老眼、みな目の周辺の筋肉、組織のフィジカルな変化でそうなっている。
だが、それと同時に、脳の視神経もずいぶん影響しているとのこと。
つまりメガネに慣れるのは、頭がそう慣れる、こんなふうに見えるんだよと順応することをも意味する。
メガネをかけて歩いていると、なんだか背が高くなったような気がする。
遠くがクッキリ見えるから、奥行が広まった感じもする。
ちょっと離れたところからも、本棚の本のタイトルが読み取れるようになった。
社務所住居部分の二階から、参道脇の木の上を周回するアオサギがよく見える。
居室の窓から外を見ると、150メートルほど先を近所の婆ちゃんが散歩しているのがわかる。
世界は、本当はこうだったのだろうか。
メガネを掛ける前は、みんな違っていたのかもしれない。
私の身長は低めにしておく。本棚の本は、これまで実は違うものだった。アオサギはシロサギだった。
散歩しているのは爺ちゃんだった。
オーストリアの物理学者、シュレディンガーの思考実験に、猫に関するものがある。
詳細は割愛するとして、箱の中に猫がいて外部からは見ることができない。
一定の条件のもとに、猫が命を落とすようなしかけが施されている。
このとき、箱を開けて見るまで猫は生死両方、「重ね合わせの状態」にある。
観測して初めて、生死が確定するのだから結局、観測が結果を決めるのだ、という。
――ということは、私がメガネを掛けることで、これまで重ね合わせの状態にあったものを、ハッキリさせることになるということだ。
なんだかコワくなってきた。
メガネを掛けるのは、恐ろしいことだったのだ。
7.3.21 マンガやアニメが苦手だ
えーっと思われるかもしれないが、マンガやアニメが苦手である。
絵を見て、フキダシを読んで、そのコマを把握して……が、できないほどではないし、まあふつうに読める。
思い返すと小学生の頃は、他の同年代の子供と同様、マンガもアニメも楽しんでいた。
ところが高学年になると、はやっていた特撮戦隊ものがまずダメになった。
7つ下のいとこがいて夢中になっていたこともあり、自分より下の子供が観るものと決めてしまったのである。
中学生になってから周囲では、ジャンプやマガジンなど週刊誌を買って読み、気にいった作品の単行本を手に入れる。
それがアニメ化されると、テレビでも観る――というのが、男子のエンタメの大半を占めるようになる。
しかし私は、マンガ週刊誌もテレビアニメも、ほとんど観なかった。
高校の頃はドラゴンボール全盛期だったが、原作も読まずアニメも観ていない。
その頃でもジャンプを毎週買って読んでいるのがいて、内心、こいつガキだなと軽蔑していたのだったが。
こまっしゃくれていた分、私の方がガキだったわけである。
そんなわけで当然ながら、周囲とあまり話が合わないようになっていく。
それでも私が孤立しなかったのは、個性が尊重される校風だったためだ。
アーチ状の橋のアーチ部分をよじ登り、下って橋を渡ったとたん、警察に補導されたヤツがいた。
今ならば逮捕かもしれない。
英語の辞書を一冊まるまる暗記しようとするやつがいたり、ニトログリセリンを生成しようとノートにびっしり、研究の模様を書き込んでいるやつがいたり。
そんなのがゴロゴロしていたから、マンガ、アニメに親しまないことなど、取るに足りないのであった。
だんだんとマンガ、アニメの社会的地位が向上してきて、今や国際的にも評価されている時代だ。
だが私は、いい歳して最近注目されているアニメやマンガを観たり、読んだりする、流行を追いかけるのは、どうかと思うのだ。
ハッキリこれは偏見だが、と断りを入れておくけれども。
マンガやアニメはどこかで卒業すべき、と若い頃に決めてしまうと、それ以降、歳をとってももうエンタメとして楽しめない。
とまあ、そういう話です。
結局マンガやアニメが苦手なのではなく、いい歳してマンガやアニメに親しんでいる人が苦手ということなのだろう。
7.3.20 今季の雪について、まとめ
除雪が必要なほど、もう降ることはないと勝手に決めている。
そこで、気象庁のサイトで今年の雪の傾向を見てみた。
すると、累積積雪量は200センチほどで、昨季と変わらない。
昨季の方が少なかったような気がするのは、錯覚だったようだ。
平均は350センチ。人ひとりの身長分、少なくなっているが、こちらは実感と一致する。
「昔はもっと、雪が多かった」とは、よく耳にすることだ。
おととしは12月15日ころと、大晦日にけっこう降った。昨年末はほぼ雪がないまま年の瀬を迎え、大晦日にやっぱり降った。
そのまま、年が明けて大寒ころに降ったのは同様。それ以降、今年は昨年に比べ、雪が多いまま推移してきている。
春分めがけて降ったのも同じ。
北見に住むようになって8年目ともなると、さすがに降る時期が決まっているのに気づく。
危ないのは大晦日(!)、大寒、春分だ。冬至、節分がそれにつづく。
最近、農家の人からは「あったかすぎて、あんまりよくない」とチラホラ耳にする。
雪は十分なようだが、確かにこの時期としては高温かもしれない。
あんまり気候が極端で、農作物にも影響するとなると、私も責任追及される恐れがあって大変なのだ。
ただ、雨ばかりだから止むように、晴ればかりだから雨を、というおはらいは、したことがない。
日照りがつづいたとき、拝殿前で従業員一同、お参りしていたことはあった。
順調に季節が推移するのを望むばかりだ。
7.3.19 たぶん今季最後の除雪が終わった
身体がナマッていたのだろう、除雪でバキバキだ。
降雪量は25センチくらいか。
おとといは午後からやるつもりが、降り方が激しいので午前に一度、晩に一度、除雪機を引っ張り出して、除雪した。
除雪機なんだから、ラクだろうと思われるかもしれないが、さにあらず、さにあらず。
参道はともかく駐車場や、駐車場に通じる道はデコボコ、舗装されていない。
それで除雪機がまっすぐ進むよう、腕の力で強引に保たなければならないのだ。
昨日の朝もチラホラ降っていたが、午後からは晴れ、地面が出てきた。
そこで細かい場所の除雪をして、完了である。
予報を見ると、一週間ほど最高気温がプラス。今季の真冬日は、もうないだろう。
この時期、北国のならい、ままあることながら雪を早く「なくしたくなる」。
スコップで雪のカタマリを砕いたり、それを乾いたところに、ばらまいたりしたくなるのだ。
個人差はあっても北国の人間、多かれ少なかれそういう習性がある。
運動がてら、じいちゃんばあちゃんがスコップを振り回している光景を、今日以降よく見かけるようになるだろう。
今週末は平年並みの温かさ、どんどん解けるはず。すぐに消えるというのに、雪割り作業にいそしむ。
そんな作業によって、少しでも春が早くくるようにしたいのかもしれない。
7.3.18 ゼロカーボンとは変だ
ここ1、2年くらい前からだろうか、ゼロカーボンとか何とか言い始めた。
環境に配慮、持続可能な社会がどうのこうの。現代ではまあ、絶対視されるくらいの「いいこと」だろう。
でもこのコピー、相当におかしい。
「カーボン」は英語から借用しているわけだが、炭素を意味する。
動植物みな炭素で構成されているからには、それをゼロにするには地球を滅亡させなければならない。
地球自体にも、炭素が含まれている。跡形もなく消し去らねばならぬ。
きわめて皮肉な物言いではないか。このコピーを初めに考えた人の真意、底意はそこにあるのではと、勘繰りたくもなる。
いや「カーボン」は温室効果ガスですよ、というなら、あんた正確に英語を使いなさい、と言い返したい。
地球温暖化だ、ガスが出ないようにしなければ……というので、太陽光、風力発電が推進され、EVが導入される。
できるだけ温室効果ガスが出ないように、あるいは、まったく出ないように、この製品は作られています。
ゴミとして処理するときにも出ません――こうして商品に付加価値をつける。
要するに、環境は金になるのだ。環境によいとか、優しいとか聞けば、思考停止してみな賛成してしまう。
なーんか騙されているというか、洗脳されているというか、いい気がしないのだ。
なお、数十万年単位で見ると、地球は今、氷期に向かっているらしい。
昨日から雪が降りつづけているのも、もしかしたらそのせいか。
このまま温かくならず、春がこないかもしれない(そんなことありません)。
7.3.17 たぶん最後の雪が
朝、起きてカーテンを開けると、神社裏のグラウンドが真っ白だった。
背後の小山も同様。黒と白。水墨画のような状態に、戻ってしまっている。
昨夜、寝る前に確認したところ、ちょっと積もってはいた。
さて予報はと見ると今日は終日、降る確率が高いとのこと。
確かに今も降っているものの、小粒。ちょっと重めの雪かもしれない。
朝の雪かきは最小限にして、午後から本格的にやることにしよう。
例年、この時期に最後の雪かきをしているはず……だから今季、最後になるはず……と思ってはいるが。
監視カメラを見ると、参道に足跡がついていた。こんな日でも、お参りにきている人がいる。
木蔭になっているので参道にはあまり雪が積もらない。
ただ、拝殿前は吹き抜けたり、拝殿に風が当たったりで、雪が溜まることもある。
今回は、それほどでもないようだ。
午後から雪かきするにしても、もちろん空模様を見て、予報の推移を見てからになる。
祭事も出かける予定もなくてよかった。事務処理をしながら、ノンビリ過ごせそうだ。
7.3.16(長くなったが)GHQは漢字を消したか?
松本清張といえばミステリーの大御所、ただ最近はずいぶん読む人が少なくなってきたかもしれない。
ミステリーばかりでなく、時代小説にも傑作が多く、エッセイも数知れず。
その範囲も古代から現代までと広い。この先、似たような人は、もう現れないのではないかという巨人である。
著書に『日本の黒い霧』があり、これも傑作で、戦後まもなくの世相をよく知ることができる。
同書の中では、下山事件を初め未解決事件、疑義が残る事件について独自に調査、見解を述べているのだが。
ひとことで言えば、何でもGHQが黒幕だ、実行犯だ、となるか。
それでも文体が濃密で、迫力がある。読んでいるうちに「おお、これもGHQのせいだな」となっていく。
確かにまあ、GHQの政策は戦後日本に多大な影響を及ぼしたから、その功罪はさまざまに論じられてきた。
ひとり清張ばかりではない。神道界ではもちろん、全否定的な論調である。
ところが今年、終戦80年。GHQの解散は昭和27年だから、そこから数えても73年だ。
これだけ時間がたつと、なんともはや、とんでもない話を聞くこともある。
例えば、GHQが使用を禁じた漢字がある……というので、見ると。
まず「氣」とか「體」とか。現在の「気」「体」である。
禁じるというか、簡単にしようという声は戦前にも、たびたびあった。何なら漢字廃止論もあったくらいだ。
それをこの機会に、思い切って変えようとしただけだろう。
戦後まもなくは、やはり混乱期。
志賀直哉なんて小説の神様と言われているけれども、フランス語を公用語にしたらいい、なんて言っている。
横書き、ローマ字表記にしろ、という話もあった。
さらに「和多志」と書いて「わたし」と読んでいたのも、禁じられたというのだが、なんともはや。
わざわざそう書く人が一般的だったか、と言えば、違うだろう。戦前の出版物を見れば一目瞭然。
そもそも「わたし」は「わたくし」と並行して使用されてきたのだが、「わたくし」はどう書くのだろう。
昔からそう書いて、和を尊び、どうのこうの……というが、日本語の一人称は「わたし」だけではない。
江戸時代なら「拙者」「おれ」「みども」「わっち」「わし」ほか……一生「わたし」を使ったことがない人が多数だったろう。
さらにさらに。ウかんむりの下に「神」「主」を書いて、「そしじ」と読む。この字もGHQに消されたそうである。
まあ、こんな字などないのだが、そもそも音読みがあるのか、ないのか。
音読みがあるなら、大陸でも使用されてきた漢字ということになる。ないなら、日本で作られた漢字。
これを「国字」といって、「峠」とか「畑」とか、「込」「働」「塀」などなど、マジかと驚くものもある。
読みの「そしじ」というのも、わからないね。「愛」「感謝」「調和」を意味するというのだが、こんな言葉もありません。
いわゆる悪魔の証明で、こんな字はないと証明するのは至難の業。
逆に、あるというなら戦前、使われていた証拠をひとつでも示せばよいのだが。
結局、あるまい。造字、作った字ということになるだろう。
そしてGHQに消されたという背景を含め、私ごときにウソだと気づかれるのだから、作り込みが足りなかったわけだ。
せっかく「神」が入っているんだから、作りようがあったはずだ。
どこそこの神主家に代々、伝わってきた古文書にある字で……秘密にされてきた、うんたら……読み方はその神主しか知らない。言葉に出すと○○が起きる。
GHQを出したいなら「戦後まもなく、GHQ嘱託の日本文化の研究者がきて、その古文書を接取、没収した」なんてふうにすれば、よろしい。
いや、お先棒をかつぐつもりはないので、このへんで。
だが、GHQが消したうんぬんを信じる人っていうのは、一定数、出てきてしまっているのだろう。
GHQがしたことは何でも悪い、という考えを持つ人にしてみれば、真偽はどうでもいい、そんな思考に陥ってしまうのかもしれない。
いい、悪いを判断するにも、合理的でありたいものだ。
7.3.15 起きたら結構積もっている
雪、いらんなあ……ゆうべから多いところで5センチほど積もった。
雪かきするほどではなく、中途半端だ。
今、境内各所に枯れ枝、枯れ葉や小さい実、マツボックリなど落ちていて見栄えが悪い。
ブロワーで取り除くにも、凍りついていることが多い。それらを雪が隠してくれるのは、よいのだが。
居室の窓から、シラカバの木が見える。
さっき、カラ類の鳥が枝に止まっていた。この時期、もちろんシラカバには葉がついていない。
枝先に行くにしたがって細くなるわけだが、その先端に近いところで毛づくろいをしている。
けっこう風が強く、枝が揺れているのに、平然としているのを、しばらく見ていた。
スズメより身体は小さいけれども、足の握力、相当なものである。
神社裏のグラウンドでは、積もった雪がときどき突風で舞い上がり、ケアラシのようになっている。
予報ではあすも降るらしいが、温かくなったり、寒くなったり。
よくいうフレーズながら、春が足踏みしている。
7.3.14 眼鏡を作った
眼鏡を作りに出かけた。
ふだんは掛けないが、車を運転するときは眼鏡をしなければならない。
以前作ったのが、なんと17、18年前。視力が落ちた自覚はないが、レンズに細かい傷が多数ついてしまっていて、夜の運転がイヤになった。
対向車のライトが乱反射するから、まぶしいのである。みんなハイビームにしてるんじゃないか、と疑うほどだったのである。
さて眼鏡屋さんに入って、いろいろ検査してもらったところ、視力は落ちていなかった。
遠近両用にしたが老眼はあまり進んでいない。ただ、左に乱視が入っていて、これは前に作った眼鏡もそう。
てっきり近視だけだと思っていた。17、18年も乱視の自覚なく生活していたのだった。
左0.3で右が0.4で、これくらいが一番、タチが悪いというか、中途半端である。
眼鏡がなくても運転以外、日常生活では困ることがない。
ただ、目が疲れる。ボヤーッとした部分も、目が悪いなりに捉えようとするからか。
これからは常時、眼鏡を掛けていようと考えているのだが、慣れないで挫折するかもしれない。
外界の情報の80%は視覚からというそうなので、眼鏡を掛けたらさまざまな情報をキャッチ、今よりも頭が多少よくなるはずだ。
この眼鏡屋さんには以前、巫女をしていた子が仕事をしている。
私が訪ねた日は休みだったが、元気でいる、私生活も充実しているようだと聞いた。
引き取りに行く日は出勤日だそうなので、会えると思う。
7.3.13 アオサギが帰ってきた
朝から雨である。最高気温は9℃の予想。
境内では参道、駐車場とも3分の2、地面が出てきている。
きのう、アオサギが帰ってきた。渡り鳥で例年、秋祭りの終わった直後、9月末頃から南へ行く。
それがこの時期、戻ってくるのだ。そして春から秋の間に子を産み、育て、独り立ちさせる。
ちなみに、アオサギはカラスなどの鳥と同様、基本的にパートナーを換えない。
浮気も不倫もない。再婚するのは、なんらかの理由で死別したときのみという。
去年はバレンタイン直後の飛来でずいぶん早く、夏がそこそこ暑く、冬の雪は少なめ。
標準は15日だから今年は若干、早いことになる。夏と冬、どうなることか。
恐らく、夏の暑さ、冬の雪とも、例年通りの状態、揺り戻しとなると思う。
雨がけっこう降っている。
駐車場は舗装していない。完全に雪が消えれば、けっこう水はけがよいのですぐ乾くのだが。
この時期にはまだ雪、氷が残っていて、その上への雨だ。
春の初めらしいドロドロ状態。最近、外から帰ってくるときは、足裏の泥を玄関脇の雪でキレイにしてから入るのが常となっている。
7.3.12 確定申告終わったよ
この時期、頭がイタイのは確定申告……と言いたいところだが、近年はこれがずいぶん楽になった。
以前は何と手書き。パソコン上で作成、自動計算できるようになっても、まずプリントアウト。
保険会社からのお知らせ、源泉徴収票などベタベタ貼り、郵送しなければならなかったのである。
それが2年前からか、マイナンバーカードで連携しつつ、etaxで提出するようになった。
何と言っても、楽である。
楽すぎて、保険会社のお知らせやら、源泉徴収票やら、送らないでいいの? と当初は不安になったほどだ。
所得税は今回、減税があったこともあり、ずいぶん戻ってくる。
税金を払うのは神社(源泉)、多いからと私が還付金を受け取る……というシステム自体、ムダな気もするが。
さて道税、市民税がどれくらいになるか。
ふるさと納税で節税するのは決めている。
これ以上、北見市の政策がおかしいと感じる状況がつづくなら、もう住民票を移すね。
近隣の町を見ていると、そっちに払うほうがまだ有効な使い方をしている。
だが、神社関係の手続きの方が、色々面倒くさくなりそうなのがネックだ。
それに本務社の宮司がそこに住んでいないなんて、まあ信仰上からも、よくないに違いあるまい。
7.3.11 東日本大震災の思い出
とある学校の講師をしていて先日、学年末試験があった。
その採点をしてレターパックで送り返し、ホッとしたところである。
昨日の東京大空襲につづき、今日は東日本大震災慰霊の日だ。
試みにgoogleで検索しようとしたところ、予測変換に「東日本大震災 いつ」、関連する質問に「日本で1番やばい地震はいつですか?」なんてのが出る。
時代というのか、ずいぶんたったと言うべきか。それにしても「やばい」地震とは、いやはや。
令和ウン年に30足せば平成になるから、今年は平成なら37年。ということは東日本大震災、14年前ということになる。
そのころ私は札幌の神社に奉職中、当日も出社していた。
この時期、例年人形のお焚き上げの祭事があり、神社会計の〆が2月末なので、その処理もある。
それらが無事、終わった直後でノンビリしていた。
宮司は2階の住居部分におり、私は社務所でパソコンに向かって、何か調べものをしていたと記憶する。
札幌は「お、地震だ」とハッキリ体感できるくらいで、震度3。
揺れ自体はそうでもなかったが、とにかく長くつづいておさまらないので、これは容易ならない事態なのではと思い始める。
さっそくネットで調べ、大地震発生を知ったあたりで、宮司より内線で連絡。
「社殿に異常がないか確認せよ」。
私なら自分で慌てて確認しにいくところだが、宮司というのはこういうときも落ち着いていなければならないと学んだ次第だ
(別に皮肉ではない)。
さて、震度3ということもあり、確認しても異常はなかった。
内線でその旨、報告して、妻に異常がないかメールで問い合わせる。
当時、住んでいたアパートは古く、かつ2階で、そのため結構、揺れたらしいが異常はなし。
ただ、近くに住んでいる大家さんの家の犬が、今までに聞いたことのない声で吠えたてていたそうである。
それが印象的だった。
もっとも、札幌の住民はその後の胆振東部地震で、もっとひどい揺れを経験している。
だから、東日本大震災の方はもう記憶が上書きされ、地震発生直後のことは、あまり憶えていないかもしれない。
胆振のときには私はもう、札幌にはいなかった。
その後いつだったか、大家さんの家を訪ねたとき、犬小屋だけが残っていて、犬はもういなくなっていた。
白い毛色の雌犬で、優しい顔つきをしていた。
人懐っこい犬だった。
7.3.10 髪を切ったら巫女がきた
祭事の前に身だしなみを整えろ、と怒られそうだが。
襟足やもみあげが気になって気になって、散髪してきた。
人形感謝祭の前に切りにいくつもりだったのが、ノンビリしていて遅れたかっこうである。
相内の市街地、コンビニ以外ほとんど店がなくても、床屋さんや美容院は健在なのである。
お参りがあったり、おふだを受けたり、お祭りに寄付していただいたりと、つきあいがあるので、順番に回っていくのである。
それに相内の宮司であるから、落とせる金は相内、氏子区域に落とすべきである。
と、これはちょっとした信念なのである。
さて切ってもらっている途中、いろいろな話を聞く。
信号が見えづらくなってきたので白内障の手術に踏み切った。無事終わって今、すごい「見えて」いる。
こんなに自分の顔にシミがあったとは、とまあ、今風にいえば自虐、ユーモアを混じえリラックスさせてくる。
私ももうすぐですよ、とか何とか答えて、同じ白内障の婆さんの術後の話をする。
「鏡の中に別人がいる! 誰よ、この皺だらけのババアは!」
人づてにそんな笑い話を聞いたことがあった。
神社に戻って昼食、しばらくすると巫女があいついで二人、訪ねてきた。
しばし歓談。ラーメン屋の名をあげ、「最近ハマっている」というが、けっこうコッテリ、ギトギトのスープを出す店だ。
外食するとしても、ちょっと敬遠したいところ。若さを感じたことであった。
彼女が白内障に悩むかもしれない年代に至るまで、まだ50年近くも残っている。
「春秋に富む」という言い方を思い出した。
まさに当然、あたり前なのだが、この二人には素晴らしい人生を送ってほしいと思っているのだ。
うち一人がその後、夕飯を食って帰っていった。飯は、ジンギスカンだった。
7.3.9 人形感謝祭が無事終わりました
本日10時、人形感謝祭斎行。
10時半ころに境内でお焚き上げし、昼には鎮火。大広間を埋め尽くしていた人形が、あっという間に消えてしまった。
ウン千体の人形、ぬいぐるみが消え、今はもうガランとして何もないのが、信じられないくらいである。
人員は社務所番の巫女含め総勢9名。私も片づけを手伝い、妻は賄いの仕度ほか。
午前でみな終わり、昼食をとって解散である。あとは翌日、灰の片づけなどの細かい作業を残すのみ。
大広間には例年、どんど焼きのものを溜める。終了後に一度すっかり空くがすぐに厄祓の受付。
終わって人形の受け入れ開始。とまあ、年末よりずっと使用中の状態がつづく。
今月末には神道会の春季祖霊祭を行うが、これは祭器具の舗設くらい。
直会のためのテーブル設置、終了後の片づけなど、みなやってくれるから楽である。
実はこれ、10日朝に書いている。
起きたとき、運動不足か、たくさん動いたためか足がむくんでいた。
快晴である。まもなく灰の片づけのため、ちらほらやってくることだろう。
7.3.8 鵺の鳴く夜に気をつけろ
先日、鳥の写真を撮りにきていた人がいた。
境内には目立たない場所にエサを用意しているのだが、今年は周辺でもエサが豊富らしく、あまり餌場に寄らない。
それでも晴れた日の昼間など、あちこちで鳥が騒いでいる。
温かくなってきたためか、アカゲラが現れ、カラ類がピーチク、ヒヨドリがパーチクとやっている。
撮影はシマエナガ狙いという。最近、人気の鳥だが、実は珍しくもなんともないのだ。
他の種の鳥と群れでいることが多いから、それと気づきにくいのかもしれない。
小さい鳥の群れを見つければ、その中にいる可能性が高いと伝えたのだった。
珍しいといえば、トラツグミだ。
昨秋、一声二声鳴いているのを耳にしたのみ。境内ではなく、後方の山から聞こえてきた。
その言われも含め、何とも言えないその声が好きなのだが以後、生の声は聞いたことがない。
ひょっとしたら、聞き違えたのかもしれない。
わが家の猫二匹に、ネットで流しているトラツグミの声を聞かせたところ反応も何もしなかった。
猫はいずれも相内産。
もとは農家の納屋にいたことからすると、トラツグミはこのへんでは生息していないのかもしれない。
トラツグミの鳴き声は、鵺のものとされていたそうで、「鵺の鳴く夜に気をつけろ」と言えば、横溝正史『悪霊島』のキャッチコピーである。
『悪霊島』といえば、主要人物に神主一家がいる。
その一家の……いや、ネタバレになるから、このあたりで止めておこう。
とにかく鵺、トラツグミの声は重要な小道具になっている。
7.3.7 初めて日記風に書くのではないか
6時頃起き、神棚にお供えして拝礼。
身支度を整えたり、日課としていることをやったりと、ダラダラする。
日課は軽い運動、延喜式祝詞と日本書紀の音読。それがだいたい済んでから、ここの文章を書く。
現在、翌日の朝、書くタイミングになっているが、この時間に書くとは決まっていない。いい加減、適当である。
日中ちょっと書いておくこともあるし、当日朝、書くこともある。これを書いている今は、8日午前7時くらいだ。
8時には社殿にのぼり、拝礼する。外に出て境内を見回り、境内社にも拝礼。
雪が少々積もっていたので、軽く雪かきをした。
その後、ルンバもどきを起動し、社務所廊下の掃除をさせる。つづいて朝食、社務所へ。
本年の人形感謝祭は9日。妻が人形を大広間で並べるので、社務所番の大役を勤めることと相成った。
とはいえボーっとしてすごすのはノホホン人間の私としても、さすがにツラい。
そこで、誰でも簡単にできる作業を行う。
たまっていた帳簿の記帳、これは領収証を見てエクセルに打ち込んでいく。
それから封筒の宛名書き。希望者には「人形感謝祭が終わりました」と手紙を出しているのである。
途中、昼食をとり、作業がそれぞれ終了したあとは、祝詞の浄書。一般でいう清書をする。
この祝詞、やはり人形感謝祭のもの。下書きをもとに、文面を手直ししつつ書く。
ちなみに、私が留守番をすると人がこなくなる。他出すると、祭事の予約が入るわ、相次いで人がくるわ。
これではまるで貧乏神である。
社務所を開ける前にも毎朝、誰かがお参りしているのだが、これはノーカンとして。
きょうは見たところ、毎日お参りにくる人が2名、人形のお焚き上げをという人が1名、中学生が5名ほど。
中学生は合格祈願か。入試は終わっているから、もう遅い。お礼参りかもしれない。
2時過ぎに、昨日買ってきたプリンを食う。
3時のおやつの前倒し。これは昨日となり町、訓子府のカガミヤで買ってきたもの。
フルーツ入りのものを食ったが、クリームの甘さがほどよく調和、うまかった。
作業再開。糖分をとって頭を働かせたいところだが、やっていることは単純作業である。
作業と言っては誤解を招くだろうが、祝詞の浄書も下書きを見ながらだから全然、頭を使わない。
大広間の人形並べに目鼻がついたということで4時すぎ、2階の住居部分に引き上げる。
そこで祝詞の浄書のつづき。社務所番を離れると同時に、御朱印を受ける人が現われた。ヒドイものである。貧乏神である。
5時社殿にのぼり拝礼、ついで境内見回り、境内社に拝礼。朝と同じ。
さらに浄書して祝詞の方はカタがついた。
最近は、作業用にYou Tubeで東京楽所の雅楽を聴いている。何かしながら聴くには歌詞、特に日本語がない方がよいのだ。
6時半すぎ食事。食卓につく前に風呂場の脱衣所へ行き、ストーブを点火しておく。
ヒートショック対策もあるが、まだまだ寒い。社務所が築30ウン年ということもある。
風呂に入ったあと、少し神葬祭詞の勉強をする。知識の整理をしたり、例文を読んだり。
よく「縁起でもない」というが、お葬式に関することだからと避けて、あまり勉強してこなかった自覚があるのだ。
寝床に入り、アイパッドで国会図書館のサイトを閲覧。ネット上で蔵書が読める。
それで昔の神葬祭詞を読んでいるうちに、目が疲れてきて寝ることにする。
10時少し前、消灯。遠くで猫の鳴き声がする中、眠りにつく。
7.3.6 長くなったが若者の危機について
きのう高校受験の前後の記憶をたぐりよせたからか、思い出したことがある。
それは、精神の均衡を失ってしまう人が周囲にチラホラいたということだ。
中学の頃、通っていた塾の先生がそうで、高専を卒業後なぜか弁護士を目指した。
ところが司法浪人をつづけることになり、やがてあきらめて帰郷、塾をやることになったのである。
浪人中に精神の均衡を失ったのであって、教わっているときは全然そのような影響は感じられなかった。
大学に入ってまもなく、浪人していた幼馴染からよく電話がきていた。
彼は親元を離れ、一人暮らし。予備校に通っていたのだから、親が浪人させてくれなかった私からすれば、うらやましい御身分である。
電話の内容は毎回、同じ。高校の通知票の成績は、合否にどの程度、影響するのか。
そんなもん、予備校で相談した方がよく、一般的な受験生の知識をもって答えるほかなかったのだが。
つまり、入試で点数さえとってしまえばオール1だろうと問題ない。
たまたま同じ点数で、どちらかが合格となったとき、高校の成績を見るだろうと。
たびたびそんな電話がきていたのだが、私は忙しい。大学の一年目というものは、当時、遊ぶので大変忙しかったのである。
ケータイもネットもない時代だから、彼と話をしない期間がつづいた。
その後、彼に何があったのかはわからない。同じ予備校には他の幼馴染も通っていたし、新しい環境でそれなりに交友関係を広げているはずだ、と思っていた。
だいいち、私は中学3年にあがるときに転校したから、それ以降、高校時代の彼を知らない。
ほかの友人から、彼が受験をあきらめ、実家に帰ったと聞かされたのは、その年の冬のことだったか。
予備校の授業にどうしても出られなくなった、何もする気力が起きない、それで帰った、という。
それから大学を卒業したり、就職したり、時間がたつうちに、だんだん昔の友人との交流がなくなってしまった。
だから、彼のその後の消息は不明である。
もう一人、大学の同級生にも、精神の均衡を失ってしまった友人がいた。
彼とはときどき飯を食いに行ったり、ボーリングやカラオケをしたりしていた。まあ、よくある大学生の交友である。
一年時の正月明け。今から考えてみると、その兆候がもうあったのかもしれない。
講義に遅れてきたり、午後遅い時間になってから登校したりしはじめたのだ。
私と違って彼は至ってマジメで、図書館に籠って勉強するタイプ。それで違和感を覚えたのだが。
「あいつ、また大名出勤だ」「雪降ったら遅刻って、カメハメハ大王かよ」などと、他の友人とふざけあっていた。
学年末になると、授業内試験がチラホラ行われる。試験を受けないと、単位認定がいちじるしく困難になる。
それでふだんいい加減でも、勉強を全然していなくても、とにかく目覚ましを複数鳴らし、眠い目を擦りつつ大学に向かうことになる。
そして彼は、落とすとその後、非常にメンドクサイことになる授業の試験を、すっぽかしたのである。
人並に心配はしたが、試験期間中である。友人に様子を見に行かせることにして、自分はニワカ勉強にいそしんだのだった。
彼は寮生活を送っていて、同じ寮にいる友人を、私は知っていたのである。
翌日、友人からの報告があった。「監視されているから外に出られない」と言っている、「物音を立てるとバレるからと、じっとして動かない」。
いつのまにか友人、しかも二十歳前の若造には対処できない状態になっていた。
しばらくすると、彼の姉が引き取りにきて、実家に戻っていったそうだ。
その友人が姉に声をかけたが、イジメを受けたとでも思われていたのか、けんもほろろの対応だったという。
――こうしてみると、人間は精神の均衡を簡単に失ってしまうと思うのだ。
今あげた3例とも、本人が若い時期のこと。
プレッシャー、期待、不安、欲望などなど、ないまぜとなった状態の中、どこかでズレが生じてしまうことが、あるのだろう。
当時はこういう状態「ノイローゼ」ということが多かった。受験ノイローゼ、試験ノイローゼ。
最近はどうだろうか。司法試験の制度も変わり、受験人口も減り、過度な競争は息をひそめている。
いや、ただ単に、社会状況が変化しただけかもしれない。
ノイローゼという看板が別なものにつけ換えられたにしても、若者はいつの時代だって、精神の均衡を失う危険があるのかもしれない。
7.3.5 高校入試の思い出
北海道では3月第1週に、公立校の高校入試が行われる。その10日後くらいに、合格発表。
ウン十年前、私が受験したときには3月3日。
前年は3月5日だったから「2日短くなった」などと、友人と話していたからカワイイもんである。
本当に受験勉強をしはじめたのは、2月からだった。
そういうと勉強してないアピールかよ、と思われるかもしれない。
ただ、予備校の夏期講習、冬期講習には通わせてもらっていて、模試なんかも受けている。
その結果から、ふだん通りの実力が発揮できれば志望校には合格するだろうと、まあナメていたのだ。
さて2月に入り、数学と理科に重点を置いて、やりはじめた。
過去問とか、予想問題とか。
そこで数学も理科もオモシロイなと感じたのが、運のつき。勉強そっちのけで、本を読みはじめたのだ。
ニュートンやアインシュタインの評伝、天体のなんちゃら、時間を移動するにはどうの、三次方程式の解法の歴史がこうの。
おもしろかったが直接、受験勉強の役には立たない。ついでに、今じゃその内容などまったく憶えていない。
受験勉強をやらされている感、義務感が継続していれば、こんなことにはならなかった。皮肉なことだ。
はたして1か月後、入試ではさんざんだった。
数学5割、理科7割くらいだったか。模試の結果を踏まえ、上積みしようとして勉強したのに、この結果。
こんなことなら勉強しなければよかった。
そう即断して以後、高校でも同じようなことを、くりかえしたのだった。
7.3.4 テレビが終わったのは
先日、会議をしていて「最近、テレビを観るのは年寄りばかりだから」と発言している人がいた。
確かに、そうかもしれない。わが家でもネットテレビ、地上波をまったく観なくなって、ずいぶんたつ。
そうなると私は若いのかもしれない。実際にはほとんど猫専用、よその家の猫ライブ画像を映しているのだが。
私ではなく、猫が若いのかもしれない。まだ二匹とも7歳だ。
冗談はともかく、結局テレビは民放であればスポンサーの意向、NHKであれば政府の意向が働いているから、偏向するに決まっている。
ましてや、中立な報道なんて期待していないのだが、ここではテレビを観ない人が増えた、大きな理由を指摘したい。
特に地方局でこれは顕著なのだが、人が集まる場所を焦点に当てる。これがよくなかったのではないか。
北海道ではテレビ局が札幌に集中しているので、自然に札幌とその周辺の話題ばかりになってしまう。
取材に金も時間もかからないし、北海道の人間の3分の1は札幌に住んでいるのだから多くの人が興味を持つ可能性がある。
しかし、そうなるとその他3分の2にとっては興味のない話題になりがちだ。
羊が丘通りのどこそこに、今度オープンしたケーキ屋を紹介。これが一番売れています、と取材に応じる店員。
レポーターが食べて見せ、まったりしているのにアッサリとか何とか、食レポ。
お手頃な価格で、どうのこうの。新鮮な食材を、あるいは道産の素材にこだわった何たらかんたら。
……なんて見ても、ふうん、と思うだけだ。よっぽどのものでないと、近くのケーキ屋でいいか、となる。
天気予報。大通4丁目交差点より中継でお伝えします。今の札幌は風が強く、雪も降り始めました、うんぬん。
――札幌の天気など、どうでもよいのである。
あすの雪かき情報……南区では雪かきが必要、多いところで20センチ。白石区、豊平区はあすは心配なさそうです。
――いや、こっちの雪かき情報もやってくれ。
ケーキ屋と天気予報の例をあげたが、札幌とその周辺に住んでいる人にとっては有益だろう。
しかし、それ以外の人は札幌の話題について見ている時間が、ムダになってしまうのだ。
ただ、こうした姿勢はテレビの番組制作としては正道なのだから、要はテレビというメディア自体の限界を示すものだろう。
もうひとつ、このような地方局による札幌偏向の姿勢が、札幌への人口流入を促してきた疑いもある。
札幌にはこんなケーキ屋があるんですよ、雪がこれくらい降りますよ、大通って、こんなにきらびやかなんですよ。
まあ、洗脳である。テレビで取りあげられる、そんな店もたくさんある。他にももっと、もっと……。
かくして札幌はすばらしいところ、何でもある都会だと思い込まされた人間が、田舎を捨てた。
私は札幌が嫌いなのではない。
過疎化を考えるとき、北海道民の心の中に「札幌」を植えつけた、地方局の功罪を問うべきではと言いたいのだ。
7.3.3 ひな祭りが終われば
本年の人形感謝祭は9日。
毎年、ひな祭りが終わった次の日曜日としている。
これは「そろそろお焚き上げを」と考えた人が、最後に飾ってお別れをしたいだろう……ということで配慮したものだ。
受け入れは2月に入ってから。年中預かってはいるが、基本的には2月以降、人形感謝祭の直前までに、と勧めている。
スペースの問題もあるし、年に何度も行う日程の余裕もない。
ところが2月以降、けっこう雛人形が持ち込まれている。すでに長テーブル2、3台に乗るくらいは集まっているだろうか。
お焚き上げをしよう、と決断したら、別に最後に飾らなくてもよいか、となってしまうのかもしれない。
近隣の神社の宮司さんが「雛人形は、そろそろ減ってくるんじゃない?」と言っていた。
昔ながらの7段飾りを購入する人は少なくなってきている。だから減ってくるのでは、ということだろう。
今のところ、雛人形の持ち込みは減っていない。むしろ、だんだん増えているのがオソロシイ。
今日のひな祭りが終われば、こちらの意図通り、最後に飾った組も来社するだろう。
祭場となる大広間が、だんだん人形で埋め尽くされていく。
7.3.2 人が入れ代わり立ち代わり
3月初旬には必ず神道会の会長、事務局の人がくる。
末頃に毎春、行っている合同祖霊祭の日程を決めるのが主だが、その他いろいろ話をしていく。
春季、秋季とやっていて、秋にも祖霊祭がある。こちらは11月後半。
全国的な標準は春分・秋分の日で、当神社では春は春分の前後なのだが、昔は農家の人が多かった。
9月は多忙ということで、11月になったものだろう。
秋の祖霊祭の時期は「もう冬がくるな」、春の祖霊祭では「もう春だな」とまあ、この両祭事に季節を感じる。
神道会主導で今、ある計画を立てていて、その打ち合わせもした。
募財にも関わることなので慎重に考えるべき部分もあり、大変だ。
……かと思えば、その後も入れ代わり立ち代わり、色々な人がきた。
千客万来である。参拝者も多かった。夕方、社務所を閉めたあと、どっと疲れた。
7.3.1 続温かい一日
最高気温7℃。暖かい日は今日までで、あすからは平年並に戻る。
昨日に比べ風が強く、松の葉っぱは乱舞、小枝は折れて転がるなど境内は悲惨な状態。
いっそのこと全部、雪がとけてほしいのだが、ところどころに残っている。掃除の手間がかかり、たいへんである。
駐車場はグチャグチャで、わだちがここかしこにできている。当然、足元が悪い。
9日の人形感謝祭では境内でお焚き上げするというのに、雪が「薄い」。
ある程度、雪があった方が防火対策の上でもよいので、あちこちから雪をかき集めなければならない。
赴任して9回目となるが、こんなことは一回、あったかどうか。
例年、まだ寒いし、雪ももっとある。恒例とならなければよいが。
それでも春の予感を覚える日は、人生最良の一日とさえ感じる。
「日脚伸ぶ」という季語がある。晩冬の一日一日、昼が長くなり、ハッキリと夕刻を意識できる頃のことだ。
冬至の頃なんて、夕方かと思うまもなく夜がくる。夏至の頃は、昼間が長すぎてあまり日没に意識が向かない。
今日はよく晴れていたから、午後5時頃、ああ夕方になったなと感じた。
少しずつ、春が近づいている。
7.2.28 温かい一日
ようやく暇になって……こない。
どういうこっちゃ。例えば厄祓は今月1~3日に予約不要の期間を設け、けっこう参列者が来た。
だが、いまだにポツリポツリと予約が入っている。
用意していた授与品一式を追加で作り、それがもうなくなりそうな状況だ。
やはりコロナ明けなのだろう、まだ慣れないし対応するのも大変である。
まあ、これはありがたいこと、よいことなのだが、そこへこの時期ならではの作業が入ってくる。
今日は異様に気温が上昇、7℃となってバカバカ雪が屋根から落ちた。
それをよけようとするのだが……重いこと、重いこと。
でっかい氷の塊もあり、ジュクジュクにとけてもいるから除雪機で飛ばすわけにもいかない。
スノーダンプで何とか取りのけたのであった。
だが気温が4月上旬並み、快晴とあって非常に気分のよい一日だった。
夜になってもストーブ不要なほど。また寒くなるらしいが、春の気分を堪能した。
最近、春が春がと毎日言っているが、雪国に暮らす者のならい、なんとなくウキウキしてくるのである。
7.2.27 神社内外のようす
ふだん暖房をつけていないところを暖かくすると、蠅が出てくる。
消火するとまもなく、寒さにやられて床に落ちる。
社殿内でもそうなので、蠅チェックはこの時期、必須。思いもよらないところで、討ち死にしていることがあるからだ。
だが、死んでいると思って拾い上げると、生きていることがある。
ゆうべ、飼い猫が本棚の側面、下部をジーッと見つめて動かないのを目撃した。
見ると、クモの巣が張っている。もうそんな時季になったようだ。
猫はもちろんクモを狙っていたのだが、姿は見えなかった。
どこかに隠れているのを、猫の方では察知していたのかもしれないけれども。
生命力はクモより、蠅の方が強いだろう。蠅の活動開始は一番、早い。
徐々に生き物の活動が活発になっていて、雪解け頃にはワラジムシも出陣してくるはずだ。
境内はまだ物静かである。昨年のこの時期にはもう帰ってきていたアオサギも、まだ姿を見ない。
キツネとリスの足跡がテンテンと、ついているのみ。
参道は鳥居付近を中心に、再び土が出てきた。
木の枝や葉っぱでキタナイのだが、雪が消えないと掃除ができない。
北海道への観光客の多くはパウダースノー、スキーだスノボだ、と雪に対してそんな印象を持っているだろう。
だが、ゴミあり汚れあり、春先の雪というのは実に見映えのしないものである。
あすは晴れ、最高気温は7度。一気に気温が上昇する。
さて、キタナイ雪がどれくらいとけてくれるだろうか。
7.2.26 そろそろ春かな
神社庁網走支部の役員会があって他出。
年度替わり、4月以降の日程や、来期の役員人事がおもな議題である。
今回は役員改選があり、みな多忙につき日程の調整も難しい。
末席を汚すという言葉そのまま、ボーっとしているうちに終わっていて、よかった。16時過ぎ散会。
ついでに本屋にでも寄ろうと思ったのだが、代車に乗っていったので無理せず直帰した。
ここしばらく、まとまった量の雪が降らず、北見市の街中はもう春先のようである。
主要な道路はアスファルトが出ているし、積み上がった雪もとけていた。
天気が変わりやすく、予報があまり当たらなくなってきたあたりにも、季節の変わり目に差し掛かっているのを感じる。
今季は雪が少なかった。来月の今頃には、もう雪がなくなっているかもしれない。
7.2.25 運転免許証の更新と車検が同時にくる
運転免許証の更新が5年ごと、車検が2年ごと。10年に一度、同時にやってくることになる。
今年がそうで、誕生日も車検もこの時期。重なるとちょっとメンドクサイなと思うが、いたしかたない。
運転免許証の更新期間は、誕生日前後の一か月間。車検の方は期限の一か月前から。
車検が通って手続きした日が新期限となるから、ギリギリにすれば2年ごとに、少しずつ遅くなる……はずだ。
ところが親切なことに「車検、そろそろどうですか」と連絡があって、頼むことになる。
それで逆に、2年ごとに期限の日が早まって、今に至っている。
雪があるうちの車検だし、どうしても代車をお願いすることになるので、ちょっと気が進まないのだ。
万一のことを考え、慣れない車であちこち走り回りたくない。
車検をお願いする際、2年前は納税証明書が必要だったのだが、変わったと聞いた。
税金を払っているかどうかは、向こうで照会するらしい。
よくなった……のか? 最初から不要でよかったのでは、とも思う。
代車はプリウスだった。
どうやってエンジンを始動するのかわからず、スマホで調べ、発車まで10分ほどかかった。
スマホを持っていなかったら、身動きできず凍死していたかもしれない。
7.2.24 貧相な私
物流の発達、地球温暖化その他もろもろで、ずいぶん前から崩れてしまったけれども。
本来、北海道は鮭・豚文化圏である。おもに食うものが鮭、豚。
子供の頃、カレーライスには豚が入り、西日本のように牛が買えない貧乏人、なんてイメージはなかった。
お歳暮が塩鮭一本というのも、けっこう多かったような記憶がある。
今じゃふつうにスーパーで牛を食い、オホーツク海でも鰤があがる時代。いつでも食える。
タンパク質は夕食に魚一尾、なんて頃に比べれば、ゼイタクになったわけだ。
その分、栄養過多となる人がたくさん出てきた。それでメタボだ、ダイエットだ、運動習慣を、となる。
こうなると、食うに困らないのはありがたいことだが、困ったことにもなりかねない。
若い頃、今よりずっと痩せていた。
ある機会に和服を着ようということになって、自分で帯を結び、これでよいかどうか聞くことになった。
アドバイスを求めた相手は、近所のおばあちゃんである。
帯の結び方はよかったのだが……「貧相な体、どうにかならないかね!」
その家のお嫁さんが「最近の若い人は、みんな痩せているんだよ」とフォローしていたけれども。
かつては、痩せているのは食べられない、すなわち貧乏もしくは不健康、さらにはその両方。
逆に、腹がふくれて恰幅がよいのは、健康で生活が安定している。
そういうイメージを持つ人が多くいたわけだ。
まあ、腹に肉がついていないと和服は似合わない。神職の白衣・袴姿も当然、同様である。
それから腹回りに肉をつけるべく頑張ってきたけれども、体質なのかあまり肉がつかない。
今も貧相な体つき、伝統的な目から見れば白衣・袴も似合っていないのである。
豚、鮭中心の食卓と同様、和服の似合う、似合わないの意識も変化してきた。
それで何とか、見映えを保っている状態である。
7.2.23 天長節にジンギスカン
天長節、世間では天皇誕生日の佳節である今日に事寄せて。
思想の左右を問わず、国民の多くが祝祭日をただの休みにしてしまったのが戦後という時代だろう。
一口にいうと経済優先。経済効果を狙って、連休を作ってきた。
日本人は働き過ぎだ、連休となるようにといって、無理やり移動した日もある。
これも労働時間を考慮しているから、経済的な面に目を向け、祝祭日それぞれの意義は軽んじられている。
連休となれば、人は旅行に出かけたくなる。
古くはレジャー、リゾート、自分探しの旅、呼び方はさまざまながら、それで観光産業では血道をあげることとなった。
私など出不精だからなおさら、家にいて祝祭日の意義を踏まえて過ごしては、と思う。
さて今日、神社参拝するのは意義深いことだが、休みだから流氷を見にきたという人も。
それで潤っている側面もあり、あまりここでも強くいえない……そんなんではダメなのだが。
昨日参拝にきた方から、ジンギスカンをいただいた。
世に引き寄せの法則とやらがあり、望むものを引き寄せるのだとか。
ちょっと前に、生ラムを食べたいと願っていたので、引き寄せたものか。
ありがたく夕食にいただきながら、天長節の意義を考えたことであった。
ジンギスカンはうまかった。
7.2.22 猫の日
ニヤンニャンニャンの日だが、わが家では特別、猫に何かするということはない。
14日が猫を迎えた日なので、いいものを食わせる。日が近いこともあって自然、22日には何もしなくなって今に至る。
猫の方では、もちろんそんな人間の事情など知ることなし。
起きて寝て、起きてカリカリ食って遊び、寝て、また起きて食い……と、一日を送っていた。
だが、しかし。外に出ての祭事があって出かけ、帰ってくると人がたっくさんきている。
2月22日とゾロ目、猫の日ということで参拝、御朱印を受けにくる人。
そこに来月頭の人形感謝祭に向けて、人形を持ち込む人でごった返していたのである。
午前中でもう、ぐったりしたことであった(妻が)。
かといって、人を雇うほどではないので苦しいところだ。
今年の最大級のゾロ目は7月7日。人形の持ち込みは重ならず、休日でもない。
それでも初夏、観光の人も増える時期で、日和がよければまた大変なことになるだろう。
7.2.21 はて教養とは
あるところで文章の書き方を教えていて、それが今日、終講を迎えた。
一般教養科目、年末年始のみ外していただいて、週一ペースで15コマ。一コマ90分である。
反省点がさまざまあり、最近の若者が何を考えているかが把握できて、勉強になることも多かった。
前回と今回は、日本語の特徴がテーマである。
他言語と比較しつつ、日本語は述語が文全体を統合、いわば述語が非常に強い言語だと指摘した。
こちらとしては毎度、重要なこと、これを逃せばまず一生、知ることはあるまい、ということを選んで話してきたつもりである。
ただ、生徒の立場からすると、やはり専門科目の方が重要、一般教養科目なんて役に立たない、と考えるのが自然だろう。
コロナで学校の状況が変化していて、その影響がなおある。
とりわけ教養とは何か、なぜこの科目を学ぶ必要があるのか、これまで以上に詳しく説明する必要があるのかもしれない。
大学入学直後、受講科目を決めて申請する、その説明会で「栄養をとるようなものだ」と聞いたことがある。
よりよい成長のためには、いろいろなものをバランスよく食う方がよい。だから一般教養科目も、という話の流れだ。
若い頃の私には腑に落ちたが、今の時代、たぶんそれだけではもう学ぶ意義が感じられないのではないか、とも思う。
教養とは何か。今、説明するためのことばは持っているが、それでは足りないと感じている次第だ。
辞書的な説明をしても、あまり心に響かないだろう。
自分の骨身に染みたことばで伝えたとき、理解する者を極限まで多くできるかもしれない。
7.2.20 日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない
OECDで行っている先進国の学習到達度調査(PISA)は、その順位がよく報道され、注目されている。
日本は○位だ、前回より上がった、下がった……などと、話題になることが多い。
これは15歳を対象にしているが、その大人版というものもあって(PIAAC)16歳から65歳の能力を、定期的に測定している。
おおむね労働人口と一致していて、仕事に必要な能力を測っているという。
読解力、数的思考能力、ITを活用した問題解決能力の三分野で、もちろん学校のテストや入試問題とは出題も違っている。
知識の有無ではなく、スキルが身についているかどうかを見極めるのが目的だ。
PISAと違ってこちらはあまり話題にならないが、注目した人もいる。
橘玲が『もっと言ってはいけない』(新潮新書、平成31年)の中で紹介し、ショッキングな内容で当時、話題となった。
著者が指摘したのは、以下。
①日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない
②日本人のおよそ3分の1以上が小学校3~4年生の数的思考力しかない
③パソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない
④65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に一人がそもそもパソコンを使えない
いかがだろうか。
このうち、ちょっと違っているのは①だろう。
問題が解けなかったことから上記のようにいえるとの文脈だが、①「日本語が読めない」はあいまいである。
識字率が100%に近く、文章を音読しろといわれて、まったく読めない人はいないだろう。
まあ、難読漢字とか、流暢に読めないといったことはあるかもしれないけれども。
本書の「日本語が読めない」はキャッチーにした表現で、より正確には読解力不足ということらしい。
例えば――
レヴェル3の問題。これは問題文を読んで、本のタイトルと著者名を一致させるもの。
知識を問うのではないから問題文にみな書いてあるのだが、解けない成人が27.7%いた。
レベル4の問題。設問と本の概要を比較するのだが、できなかった成人は76.3%。これも設問を読めばわかるといった具合。
なお、これは平成23年、第1回の調査で、これでも日本は先進国中、1位だった。
第2回の調査結果が昨年、発表されていて、2位だった。
まあ、順位を競うものではなし、それはどうでもよいだろう。
スマホの影響がどうの、ネットがどうの、知的レヴェルが低下しているという話でもない。
橘玲にしても、この結果(第1回の)を遺伝と環境の点から論じている。興味のある方は前掲書、ご覧ください。
あなたが思っていたのよりも、多いだろうか、少ないだろうか。
③はワード、エクセルで文章を作れ、処理し、パワーポイントなどを使いこなせればクリアか。
④は65歳「以上」ではなく「以下」である。
①②は、思っていたよりも多いが、言われてみればそうかもしれないとの感想を持った。
神社においても会社、店舗と同様、社報の発行などガチガチの文章を初め、立看板、案内表示など、ことばでもって人に何かを伝達する機会が多い。
正しくこちらの意図を伝えるためには、工夫する必要があると感じた次第だ。
3分の1は日本語が読めない、つまり理解されない、誤解されるわけだが、その割合を減らすことは可能だろう。
7.2.19 猛烈に文章を書く
あるところに向けて文章を書かなければならないのだが、まだ途中。
3分の1ほどで中断したままだ。そして……締切が迫っている。
400字詰原稿用紙換算で25枚、そのうち7枚ちょっとまで書けている。
若い頃なら一晩、徹夜すれば何とかなる分量だが、もう若くもないし、そこまで引き延ばすのも愚策だろう。
350枚書いたときには、40日くらいかかった。
すると、内容にもよるけれども1日10枚くらい……というのがムリのないところだ。
これは、ペースというのは「ノッて」「集中して」「いわゆる『ゾーン』に入った」などなど呼び方はさまざまながら、とにかくある程度の時間を割いたときの話。
できているところまでは細切れの時間に書いてきたので、手直し、全体のトーンの調整なども必要。
締切までに、はたして時間が確保できるかどうか。
プロは毎日、同じペースで書け、すぐに集中できるのだろうが、私はアマチュアである。
……と、朝にここまで書いて執筆開始。
午後から18枚少々まで書き、あと6枚。もう少しだ。
7.2.18 最近の社会状勢への不満
日本列島に寒波が長期間、居座っているようだが、当地では落ち着いた状態がつづいている。
除雪作業がないので、事務仕事をエイヤっと進めたいところ、きのう一日、パソコンに向かっていて目が疲れた。
気分転換に、いまだに出つづけている段ボールをまとめたり、灯油を買いに行ったり。
しかしまあ、灯油の高いこと。
庶民から搾り取るだけ搾り取っておいて、高止まりのまま放置である。
同じことは米の価格にもいえ、半年も前にもう高騰していたのに、今頃備蓄米を放出するとは。今まで何をしていたのか。
運転免許証の切替の時期が近づき、講習の案内ハガキがきていた。
実験的にオンライン講習が受けられると書いてあったので、試してみたのだが……できない。
いや、確定申告はできていたから、こちらのスマホの問題ではない。
しかもマイナポータルに、リンクが設置されていない。
運転免許証を廃止してマイナンバーカードと統合することもできるよ、とも書いてあった。
だが、紛失してしまったとき、従来なら一日で再発行が可能なのに比べ、統合したときはマイナンバーの持つ情報が多すぎるためか、数か月かかるという。
リスクが大きすぎる。
現在、マイナンバーカードを使って確定申告できるが、簡単すぎてコワイ。
紙の時代を知っているから、保険料を払った証明や、源泉徴収票のコピーはいらないのかと不安になる。
あくまで「申告」であるから間違ったときは自己責任、ということか。
今春払う道民税、市民税は去年12月までにかかってくるから、しかたないとして、これからはふるさと納税する。
最近の北見市の、特に財政に不満を抱いているからだ。
一庶民としてできる、合法かつ有効な手段だろう。選挙権を行使するよりもある意味、よっぽど有効ではないか。
といって、応援したい市町村が特にあるわけではない。返礼品にしても、特に欲しいものがあるわけではない。
チラっと調べてみたところ、力を入れている自治体もあれば、そうでない自治体もあるようだ。
これまで住んだことのあるところとか、先祖の出身地とか、適当に決めるつもりである。
まわりの人にも勧める。じいちゃん、ばあちゃんでやり方がわからない人には、教えてもいい。
北見市の担当職員が謝りにきて、具体的に政策変更、行動となって確認されたときには考え直すが、まずそんなことはないだろうね。
ふるさと納税を利用して市政にノーを突きつける、なんて市民運動は聞いたことがない。
手法のひとつとして有効だと思うのだが、活動家が目をつけないのは、なぜだろう。
どこかに落とし穴がありそうだが、別にそうした活動をしたいわけではないので、考えるのを止めておく。
7.2.17 最近の猫のようす
猫は人間のように時計ではなく、太陽とともに動いている。
夜行性とカン違いする人がいるが、もともと野生では薄明薄暮性、早朝と夕刻に活動が活発になる習性があったという。
家猫は飼い主にある程度、生活リズムを合わせてくれている、ともいう。
とはいえ、野生の頃の習性も残っていて、我が家の猫も早朝と夕刻、騒ぐ。
現在、日の出が6時19分。日の入は16時57分。その前後が騒ぐ時間である。
家の中をウロチョロ散歩し、窓から外を眺めてリスが通りかかると興奮するなどしているが、私どもが起きるのを敏感に察知。
起きたら、まず暖房をつけるのを知っている。
ニャーニャーとあいさつをしてから、暖房前で寝る。
こちらが朝、忙しくしているさなかは、猫にとっては睡眠の時間だ。
現在、猫の晩飯は17時30分くらいである。
日の入前後、活発に行動して腹が減っているからか、17時くらいになるともう「ヨコセ、ヨコセ」と尻尾を立て、台所から居間、廊下を行き来する。
この時間帯、社務所を閉めるのでそれなりにやることがある。そこで一家全員、みなウロウロすることになる。
社務所を閉めてからが、猫の飯の時間だ。
食う。
ところが、多頭飼いしているところからもらってきたためか、どうやら私どもといっしょに飯を食いたいらしい。
あるいは、人間に合わせようとしているのか。
それで私どもが夕飯をとる前には再び現れ、またカリカリをもらったり、食べ残しを食ったりしている。
だが今のところは、全然太っていない。
こうして猫を観察していると、うらやましいことが多々ある。猫の方はどこふく風で、今、グッスリ眠っている。
7.2.16 これから読む本
本を読んでいて「今すごく脳が刺激されている」と感じることが、確かにある。
私の場合、神道や宗教、民俗学や古典文学などの本ではダメである。
数学や物理学、化学など理系の話題を扱っているのを読むと、刺激を感じることが多い。
脳というのは膨大なエネルギーを使うから、すぐ怠けるという。
だから、ふだんからわりと接している知識に触れたときは、「ああ、もう知っているやつだな」と判断するので、刺激が少ない。
これがふだん全然、使っていない知識となると、「いつ記憶した、どこで記憶している」と脳が動きだし、その分、刺激が多いと感じるようだ。
そんなわけでボケ防止に全く知らない、または、ふだん使わない知識が得られる本を、これからは読んでみようかと思っている。
7.2.15 雪がよく降っている
最近よく雪が降り、雪かきで大わらわである。
13日は終日シンシンと。雪が止んだ夕食後に除雪した。
14日は初めぱらぱら、その後シンシンと。やはり晩に除雪。
除雪する場所を大きく分けると、
①拝殿前から参道、境内社前など
②駐車場から社務所前
③駐車場に通じる道、出入口
と、三つのスペースに分かれるが、どこを手抜きできるわけもなく、結局全部やらねばならぬ。
(スケジュール上、中断しなければならないことはある)。
ただ、大きな祭事、行事はしばらくないから、②駐車場は徐々に狭くなって、今に至る。
年末に最大限に空け、合同厄祓の期間に半分ほどに縮小、それが終わると除雪はせずに放置。
その分、作業量が減っているが……もう、雪はいらんな。
広いところは除雪機で雪を飛ばし、細かいところは人力。
まんべんなくやると2~3時間かかる。天候に文句をいっても始まらないから、よい運動になると思って、あきらめるしかない。
天気予報で数日前、札幌ではあと15回、雪かきすれば春がくると言っていた。
「例年並みであれば」との条件づきである。
だが当地では、やはり例年並みであれば、もうほとんど除雪の機会はないはずだ。
実は冬季、根詰めてマトモに雪かきする機会、10回を切ることが多い。
うっすら積もる程度で「放置でいいか」となったり、ちょこちょこっとホウキで掃いたりすることはあるが。
けさは雲ひとつない空、ひさしぶりの快晴。
いやあ……もう雪はいらんな。
7.2.14 最近読んでいる小説
最近、幕末を舞台にした小説を読んでいる。
主人公は中山道、木曽の宿場町に、本陣の跡取り息子として生まれた。
本陣は大名レヴェルの人の宿泊所で、お供の人もいるからその世話もする。
代々、庄屋、問屋も兼ねていたというから、大変だ。
社会的な身分にうるさい時代である。だが主人公は身分が下の者に憐れみを示し、上の者の振る舞いを疑問に思うのだった。
しだいに国学に傾倒、平田篤胤の死後の門人となり、国学者の目で物事を見るようになる。
仏教流入以前の世の中を理想とし、古代に回帰すれば現状の諸問題は解決する、と考えたわけである。
だが、現実にはうまくいかなかった……というのが、この小説の読ませどころであろう。
ペリー来航から開国、安政の大獄から大老、井伊直弼が暗殺される……と、日本史の教科書では数十行の記述で済む。
だが小説では、西国から江戸へ、江戸から西国へと、つぎつぎに人馬が通り抜ける。
単なる連絡から、相談、協議をするため、常の参勤交代など、さまざま。そのたびに対応しなければならないから、大変だ。
今は皇女和宮の降嫁の場面を読んでいる。
格式というものがあるし、供奉の公家から警護の人員も多数。主人公はまだ跡取り息子の立場だが、父の名代として奔走。
おまけに供奉の公家がお祝い金との名目で、上納金を要求する。
自分の懐に入れるんだから、カツアゲですな。
この作品、中学生のときに一度、読んでいるがウン十年もたっているから、ほとんど初見に近い。
やっぱり中学生のガキにゃ、わからない。せめて高校で日本史を勉強したあとに読めばよかったと思う。
このあと幕府が崩壊、明治の世となるが、主人公は有為転変についていけず、悲劇的な最期をとげることになる。
結末がわかっていても、先が楽しみである(主人公には悪いが)。
中学生の頃にイメージしていた、舞台となっている宿場町。記憶の片隅にあったと見えて、やはり懐かしい。
7.2.13 辛酉年春正月庚辰朔
「えと」というと、今では十二支のことと理解されているが、本来は「十干十二支」。
十、十二を外した「干支」は、現在でも「えと」と打って変換できる。
この「干」には、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸と10あって、それで「十干」という。
陰陽の別があり、甲は陽で兄、乙は陰で弟……のように順番に並んでいる。
兄は「え」、弟は「と」。だから「えと」の読みは本来、十干の方からきている。
さらに二個ずつ、木火土金水の順に並んでいるので、憶えやすい。
そんなことはない? 「もっかどごんすい」って10回くらい口にすれば、憶えられますって。
訓読みでは、このモッカドゴンスイを分けて「き」「ひ」「つち」「か」「みず」とし、十二支につなげればよい。
最初は「甲子」、「甲」は木の兄で「きのえ・ね」。二番目は「乙丑」、「乙」は木の弟で「きのと・うし」。
三番目は「丙寅」ですな。「丙寅」の「丙」は火の兄で「ひのえ」、だから十二支と合わせると「ひのととら」となる。
日本史や中国史、朝鮮史の重大事件の名称に、この干支が使われることがある。
戊辰戦争。「戊」は土の兄で読みは「つちのえ」。十二支と合わせて「つちのえたつ」の年に起こった戦争だ。
辛亥革命。「辛」は金の弟で「かのと」、「かのとい」の年の革命。
十干十二支は陰陽説、五行説の影響を受けているが、このように「年」の表示としても使われることがあるわけだ。
古い史書を読んでいると、これが「日」にも及ぶ。
おととい建国記念日だったから、神武天皇御即位の日を日本書紀で見てみよう。
原文には「辛酉年春正月庚辰朔」とある。訓読すると「辛酉の年の春、正月庚辰朔に」くらいになるだろう。
この「正月庚辰朔」がこんにちの○月○日にあたる。「正月」は一月で、そのまま。
「庚辰朔」という書き方、これは「○日」と日付を指すと同時に「庚辰が朔日にあたる」という意味でもある(後述)。
「朔」は「一日」、旧暦では必ず新月の日にあたる。
すると「正月庚辰朔」は「一月一日」のことだ。旧暦では元日だが新暦では2月11日にあたるとして、こんにち建国記念日にしているわけだ。
さて、一日ならこの書き方になるが、もちろんすべての出来事が一日に起きるわけではない。
例えば御即位の前年には、ふたつの出来事があって、ひとつは「庚申年秋八月癸丑朔戊辰」のこと、とある。
この「八月癸丑朔戊辰」の意味は「八月、これは癸丑が朔にあたる月であって、その戊辰の日に」ということ。
前述のように「癸丑朔」のみなら、この日は1日である。
さてこの日は結局、何日だろうか。
「癸」から数えて「戊」は5番目だが、「丑」から数えた5番目の十二支は「午」であるから「6日」ではない。6日は「戊午」の日だ。
「干」は10あるからつぎの「戊」は10日後。十二支を「午」から数えると10番目に「辰」がくる。したがって「戊辰」となるのは16日。
それで、この日は8月16日と判明する。
もっとも、こんなふうに、いちいち数えていられない。
そこで古典文学全集でも文庫本でも、何日か書いてくれている。数えて何日か確定させた人、それをチェックした人がいるわけである。
建国記念日はかつての紀元節、神社では紀元祭を行う。
2月11日は、神武天皇が即位された日だ。日本書紀によれば……と、全国の神職が今年もネット上で書いたに違いない。
しかし「辛酉年春正月庚辰朔」、何のことやらわからず、結局元日だったってことが忘れられているのではないか。
私はこれを読む方法を知っている。だが、それを自慢したいのではないし、この文を読んでいる人に「教えて進ぜよう」などとは思っていない。
干支を使った日付の読み方じたいはどうでもよく、本質はそこにはない。
日本書紀のこの御即位のくだり、ちゃんと読んだことのない神職が相当数いるのではないか。
それで日本書紀によれば……は、神職として問題だろう。
そう危惧し、疑問を呈したいのである。
7.2.12 SNSをめぐって、グタグタと
SNSというもの、ほとんど使っていない。
今は御朱印の絵柄が変わったら公開するツールになっていて、人の投稿も全然、見ていない。
もっと神社の情報をアップした方がよいのだろうが、多忙にかまけて、そう思うだけにとどまっている。
食べログみたいな口コミあり、アクセスランキングを売りにしたサイトもあるらしい。
だが匿名の発言は無責任、神社を評価すること自体、疑問。神社界に競争原理を持ち込んでよいものか。
――などの理由から、これらも見たことがない。
どこかへ飯を食いに行くとして、食べログなど見たことがない。
本を買うときも、他の人の評価を気にすることはないな。
私は人の評価を信用しない、極めて主観的な人間なのかもしれない。
さてSNSを活用して神社に人が来てもらうようにするのは、なかなか難しいのではないか。
遠くから来た人は、たいていSNSを見てきているのだろうが、当神社へのお参りのみを目的とする方は少数派のようだ。
観光ついでにというと御祭神に失礼だが、旅行の記念に御朱印を、という方が多いようである。
知床で観光船の事故があった直後は、けっこう参拝者が減った。
こんな田舎の神社でも、しかもウトロまでゆうに100キロ以上、離れているのに、影響はあったのである。
参拝者の中には、SNSで御朱印の画像を見てきて「ようやくこれた」「絶対、きたかったんです」という人もいる。
「一生に一回はと思って、きたんです」という人もいる。
ありがたい話ながら、まるでお伊勢参りのフレーズ、僭越な感じもするけれども。
神主学校の同級生が、鹿児島にいる。
その神社に、当社の御朱印帳を持って参拝した人がいた。
「おぁー、○○さんのところの御朱印帳だー」と彼、興奮していたとか。さまざま便宜を計ってもらったそうで、よかった。
卒業してからは一度も会っていない。北の果てと南の果て、奇遇であろう。
ええと、何の話だ。
SNSは便利かもしれない。しかし神社の広報活動の一環として利用するには案外、効果は薄い。
田舎では観光の状況に左右されもする。
タイパの面でどうか。時間をかけるならそれなりの質を保つ努力が必要になってくる。
インスタ映え、バズるのを狙うのは、よくありません。
神主は所詮、素人、見え透いたものになって、かえって顰蹙、反感を買う結果になるから。
しかも素人ゆえ、見え透いている、反感を買っていること「さえ」気づきにくい。
まあ炎上商法というのもあるが、神社でそれを採用するのはどうだろうか。
全方向に反感を買うスタイル、それで突き抜けた先には新しい神社像が生まれるかもしれない。
だが、そんなのは伝統から大きく掛け離れているから、止めた方がよかろう。
7.2.11 神様の通り道
神様の真ん前から一本、線を伸ばしたものが「正中」。まずザックリとそういっておく。
幅は一尺とか三尺とかいうので、線よりも帯状といった方がよいか。
この正中は、真っすぐに進んだり、むやみに何度も横切ったりしないのが、お作法である。
なぜか。
神への敬意を表するため、である。
自分の真ん前をズンズン向こうから歩いてきて「お願いします」。もしくはフラフラと何度も横切ると目障りだろう。
だが「敬意を表する」部分が忘れられ、ただ「正中を尊ぶ」という形式だけが残っているフシがある。
よく「神様の通り道だから」という説明を聞く。神職がこう説明することさえある。
が、これを全否定はしないものの、本来の意味からは外れてしまっている。
よく似ているのは「夜、爪を切ると、親の死に目にあえない」のような迷信だろうか。
A 夜、爪を切るのはダメ
B 暗いので指まで切ってしまう恐れがある
B´ 親の死に目にあえない
Bに諸説あるようだが、説得力を持たなかったり、理解しづらかったり、戒め、その他さまざまな理由からB´が生まれたのだろう。
ここで正中について見てみると、
A 正中を通ってはダメ
B 神様を敬うため
B´ 正中は神様の通り道
こうして並べてみると、「正中は神様の通り道」というのは夜、爪を切ると「親の死に目にあえない」というのと同レヴェルではないか。
一般の参拝者ならともかく、神職が「正中は神の通り道」と考えちゃいけない所以である。
爪切りと違って諸説あるわけではなく、神社で神に敬意を払うのは当然なのだが。
神社内のどこでどんなお作法をするか、神職は身体で憶えている。
ここで何度くらい腰を折って、おじぎして、ここでは右足から歩き出して……なんて、いちいち考えない。
正中を敬うのも同様ゆえ、ただ敬うものと身体で憶えてしまっていて、深く考えないのかもしれない。
7.2.10 年末年始依存率
12月、1月の社入が全体のうち、どれくらいの割合になるか。
これを年末年始依存率と名づけ、年度別に求めて、比較したものをときどき確認している。
以前書いたように、年末年始の社入に頼りすぎないような経営体質にしたいのだ。
(経営体質とは一般の企業での言い方だが、神社でどういうか適当な言葉が見つからない)。
赴任直後は65%くらい、コロナ下では50%台まで下がり、去年また60%台となった。
自分ではコロナ下、しめしめ、依存率が下がったと浮かれていたが、単に人込みを避ける人が多かっただけかもしれない。
その後、コロナ明けの昨年は揺り戻しがあったと分析してよいものか……。
ということでコロナ明け二年目の今年度、注目しているのである。
とはいえ、ふだんの努力で年末年始に人がくる。年末年始の努力で、ふだんも人がくるようになる。
……とまあ、そんな側面もあるから、イタチゴッコというか、相乗効果というか、なかなか思い通りにはいっていないと見るべきだろう。
前述のように12月、1月の全体に占める社入の割合が、年末年始依存率である。
最近、2月の最初の一週間が過ぎたということで集計したところ、昨年の依存率より低くなっていた。
あとはどんどん下がる一方、50%台は確実だが、いずれは50%台を切りたい。
7.2.9 祭事中スマホをチラチラ見る時代がそこまで来ている
きのうは夜明け頃から、だんだん降る雪の量が多くなって午前いっぱい、盛大に降った。
午後に入って弱まり、2時頃より除雪開始。3時半頃に終了。
今回の積雪量は10センチほどだろうか。
ある程度、雪がおさまってから除雪したので、午前中に参拝した方には難儀なことだった。お詫びしたい。
この雪じゃ、誰も来るまい……と、思っていたのである。
ところが昨日は大安だからか、一時期は風もついて吹雪模様の中、つぎからつぎへと人が来る。
社務所玄関が人であふれる中を、外でのお祓いが一件あり、出かけたのであった。
とはいうものの、会社の事務所内での御奉仕、除雪もされていて私の方は全く雪の被害を受けなかった。
冬期間の祭事、しかも青天井のもとでとなると、寒いので大変だ。
斎主(お祭りの総責任者)としては、どんな祭祀であっても15分くらいで収める工夫が必要だろう。
参列者は玉串をあげるとき以外、あまり動かない。
私なら20分も寒い中、じっと立っていなければならないなら、腹が立ってくるね。
まあ、参列者に基本、背を向けていろいろしているとしても、それなりの配慮が必要だ……ということだ。
スマホ脳で記憶力、思考力低下。ついでに想像力も低下している人が増えているそうだ。
その「想像力」の中には、自分の行動、言動によって他者がどう感じる、どう考えるかを予測する能力も含む。
神職の中にもそういう人が増えているのだろうし、参列者も同様。
となると厳寒の中、長時間の参列を強いる神職が増える一方、参列者はSNSで不満を漏らし、ボロクソに書く。
それに第三者が、いいね、という。
どんな社会じゃ、そりゃ。アナログな私はそう思うのだが以上、あくまでも想像である。
いずれこの「想像」も人間は、AIにやらせるようになっていくのだろう。
祭事の際、神職も参列者もスマホをチラチラ見る時代が、そこまできているかもしれない。
7.2.8 神様の手下として
神職の白衣・袴姿は、一般のスーツに近似するだろう。
一般の方はスーツを着ただけでは「勤めている会社の一員、代表しているんだ」という意識は低いかもしれない。
だが神職が白衣・袴姿は神に仕える格好、お坊さんと間違える人もいるだろうが、まあ白衣・袴姿でいるときは注意しなければならないということだ。
ちょっと不穏なことをいう。
年に1、2度くらい、まれに私を怒らせる人がいる。面と向かって理不尽なことを言ったり、したりするわけだ。
私だって、腹を立てる。短気な方ではないつもりだが、かといって別に聖人君子でもない。
「面と向かって」がポイントで、このとき私が白衣・袴姿でいたなら、その人にとってよいことにならない。
作務衣、ジャージなど私服のときは、そんなことはなく、やはり白衣・袴である。
この「よいことにならない」、不幸な目に遭うというのが近いか。これまでに、さすがにここでさえ書けないようなこともあった。
これ、もちろん私の力なんかではなく、御祭神のお力であるのは言うまでもない。
「現に、私に仕える格好をしている者に対して、その言いぐさ、その態度はなんだ」というわけである。
もしくは「ワシの手下に向かって何抜かしとんじゃ、ワレ」ということか。
長年、といってもまだ10年そこそこだが、神様にお仕えしてきてときどき感じるのは「コワイ」ということ。
間違いは許さない、甘えも許さない、敬意に欠けているから願いなど聞き届けない……。
そんなこともあって白衣・袴姿でいるときは、こちらとしても気をつけているのだが。
ひょんなことから私に対して何かし、それが御祭神の怒りに触れるといった人が、たまに出てくる。
今、私の怒りではなくサラッと「御祭神の怒り」と言って、話をすり替えようとしていると感じた人がいるかもしれない。
いや、神様としては「白衣・袴姿の手下への無礼は、私への無礼だ」。
「手下のおまえがどう感じようが、腹を立てようが関係ない」。それが本質、御神慮かもしれない、とも思うのだ。
7.2.7 最近の教育に関して思うこと
公立高校の出願状況が発表された。
オホーツク管内では定員以上となったのが4校、倍率0.5以下が12校13科。
ぜんぶで22校31科だから、ほぼ半数の学校で定員割れしていることになる。
北海道では経済が右肩上がりの時代に、おおむね一市町村に一校、高校が設立されていった。
今はそれが合併、統合、廃止されている状況。義務教育ではないこともあって、道教委はバンバン廃校にしていく。
やがて都市部にしか高校がない時代がくるだろう。
道教委を批難しても、という部分もある。
親は子供に優秀な教育をということで、よりレヴェルの高い都市部の高校に進ませる。
その子供はもう、地元に戻らない。行ったきり帰ってこない。こんにちの過疎化、地方の衰退の一因であろう。
ただ、これも人情であって、結局どちらが悪かった、こっちが悪いなどと今さら言っても建設的な議論にはならない。
ここでいつものように、話が飛躍する。
公教育は結局平均的、均質な教育を提供する場なのだから、学習面では期待しすぎないことだ。
友人を作って学校生活を送り、社会性を学ぶ場だと割り切って、学習はネットを活用すべし。
飲酒運転はするわ、万引きはするわ、不倫の果てに人は殺すわ、そんな先生がいる時代でもある。
ネットを利用して高度な知識を身につけられるシステムを開発、しかも質の高いものが提供できるなら、ビジネスとして成立するのだが……。
予備校、学習塾では旧体制のまま、まだそこまでのものは打ち出せず、元気がないようである。
親としては子供によい教育を受けさせたい。前述のように、それは人情であろう。
ただ、親の方ももう少し、賢くなる必要があるのではないか。
基本的なことだが、義務教育は「親」が「子供」に「教育を受けさせる義務」であって、子供の義務ではない。
これが案外、知られていないようなのでビックリしたことがある。
例えば、先生とケンカしたとか何とか、その他理由が何であっても、親の都合で子供を長期間、学校に通わせない。
これは「子供が教育を受ける権利」を侵害していることになる。こんにちなら虐待とそしられるであろう。
子供の方は経済的に親に依存しなければ生きていけないのだから、なかなか学校に行きたいとは言えない。
その分だけ親の罪は深いのだが、そんな認識に欠けている、支配的なタイプの親が一定数いるようなのだ。
まあ、教育を巡る現況はあまりよくないし、今後もよくなっていくとは思えない。
どう教育行政を舵取りしていくかといった議論は、あまり報道もされない。
少子化対策といって、税金をばらまく方が優先されているようだ。
7.2.6 巫女をつれて焼肉に行ったが
昨日は年末年始などにくる巫女二人が神社で待ち合わせ、しばらく談笑していった。
何か渡すものがあるとかで、いろいろ交換しあっていたが詳しくはわからない。
うち一人は5時過ぎに帰る。もう一人は夕食につきあわせ、市内に出て飯を食った。
また焼肉である。
10日ほど前に奢られ、食え食えと勧められている。今回はこちらが「若い者に食わせる」立場だ。
いっぱい食わせたかったのだが、女の子だしふだん小食ということで、それほど食わなかった。
帰宅後しばらくして、胸焼けした。私の方が多く食ってしまったようだ。
こんなことではダメである。
いつか機会を見つけて、動けなくなるくらい若者に食わしてやるつもりだ。
だいたい、私は別に焼肉が好きなわけではない。
北見はずいぶん前から、焼肉の街ということで売り出していて、確かに店が多い。
それで、どこか食いにいくかとなったとき焼肉となることも、しばしばである。
だが、昨日の店ではラムを置いていなかった。焼肉の街といっても、ラムを置いていない店がある。その程度なのである。
こうなると、ラムが食いたかったのにと不満が残る。
そういえば、国道沿いに羊を飼っている農家があったな。あれを仕留めて……いや、ふつうに犯罪、賠償問題となるな。
スーパーでも買えるような味付きのジンギスカンではなく、生ラムがよいのである。
ますます食いたくなってきた。あまりラムのことは、考えないようにしよう。
ラム、ラム、ラム……。
7.2.5 大雪一過
大雪である。
特に今回は道東地方がひどく、帯広では24時間で124センチ、観測史上最大などと報道されていた。
さて当地では……申し訳ないが実は全然、降らなかった。10センチは積もったが、20はいかないだろうという程度。
夜間はうっすら積もる程度、明けてから午後2時過ぎまでシンシンと降った。
それでも、暗くなるまでに除雪が終わったくらいである。
気圧配置と風向きの具合、地形などから、たまたまそうなったのだろう。
心配なのは今日、気温が高くなることで、当地は最高気温1℃。
このくらいならまだよいが、大量に降った帯広や釧路はもっと高くなるという。
あちこちで車がスタック、除排雪作業は難航、路上に巨大に水たまりができ……と、仕事や生活に支障をきたすに違いない。
このところ、まとまった雪が降りやすいのは大晦日、大寒、節分で、大晦日から元日が大変だった。
大寒は時期が外れてノンビリ除雪。2月1日~3日の厄祓の期間からもズレて、よかった。
厄祓前、厄祓中なら駐車場を広めに明けねばならないから、作業時間が長くなるのだ。
ちなみに、少し前に作った猫雪像は健在である。
今シーズン、湿った雪が多かったから作れたので、毎年恒例となるかは気候しだい。
昨日はひさしぶりに授与品等の社入ゼロ、年に何度かこんな日もある。
みな雪かきで忙しかったのだろう。私も今日以降は、細かいところを除雪するつもりである。
7.2.4 先祖の話
私の7代前の祖先、長谷川清大夫という人は「不思議ちゃん」であった。
今から200年ほど前、文化6年(1809)の生まれである。
農業のかたわら医者をやるといって勉強、といっても西洋医学ではなく漢方である。
さらに山伏になるといって、鳥海山やら出羽三山をうろうろし、家業は息子に丸投げ。
自分は頼ってくる人の御祈祷をしつつ、病気であれば薬を渡すといった具合。
そうこうしているうちに明治維新となり、まもなく死んだ。
平田篤胤の門人帳に名前が残っており、明治2年に門人となっている……が。
が。それにしても、明治2年である。とっくに篤胤は亡くなっているし、しかも篤胤は秋田で生涯を終えた。
清大夫の本拠は羽後湯沢なのだから、生前に教えを乞うこともできたはずである。
そのような機会もないまま明治となり、「坊さんか神主かハッキリしろと、お上が言っているらしい。ここらで門人になっておくと有利だろう」というくらいの気持ちだったのだろう。
そこには真剣さ、まじめさが感じられない。
門人帳には「鳥海大物忌神社、月山神社祀官」と身分が記されている。
だがもう当時は還暦、山に登って修行することもなく、ただ山伏としての籍があった、というだけだろう。
それどころか、ただ神社のお世話になって山伏の真似事をしていた。実情はその程度だったかもしれない。
7代前というと、私にとっては「ひいじいちゃん」の「ひいじいちゃん」のさらにその父。
これほど前の人だと、もう他人のようなものだが、自分にも確実にその血が流れているのだろう。
私の半生を振り返ってみると、やはり清大夫に似て「不思議ちゃん」と言われてもおかしくないことをしている。
よく「7代祟ってやる」なんてクラシックな怪談のセリフにあるが、清大夫が何かして、その影響が今、私に現れているのかもしれない。
7.2.3 厄祓祈願、今後の展望
いやー、たっくさん人が来ましたよ、昨日。
宮司ひとりゆえ、朝から夕方までずっと厄祓。
10回目の頃から足の甲は痛くなるし、膝は重くなるしで大変だった。
修行中、神主見習の頃のようである(まだ修行中という話もある)。
よかったこともある。だんだん声帯が開ききった状態になっていくから、祝詞奏上のとき声が出しやすかった。
カラオケに行き、何曲か歌って以降と同じですな。
集計したところ、やはり去年よりも、ずっとたくさん人が来ている。しばらくは、その心づもりで準備しなければならないだろう。
しばらくは、というのは、長期的には厄祓を受ける人の数が減っていくからだ。
氷河期世代が還暦を迎える10年後あたりがピークで、あとは漸減。だんだん「七五三化」していく。
この世代が33、37、42歳を迎え、団塊の世代が還暦前後だった10年ほど前にも山があった。
その頃、すでに私は神職だったが雇われる形、一度に20人、30人規模のお祓いなどザラであった。
だがもう、その頃のようなことはなくなる。絶対数が少なくなっていく。
厄祓の社入も、当てにできない時代が来るということだ。
その穴埋めでもないのだが、厄祓以外にまた、神社に人が来るようなアイディアを考えなければならない。
古いことは守りつつ、新しいことを始める。
古いことのみやっていては、アゴが干上がってしまうので田舎の神社は大変だ。
新しいことを始めるにしても、神社神道の伝統に即した形式、内容でなければならない。
ということで、アイディア募集中です。私にだけそっと、教えてください。
7.2.2 原典と原典の解釈本と
小林秀雄が講演している音源を何となく聞いていると、ハッとするようなことを言っていた。
「簡単に、わかりやすく話せというが、できないこともある」と。
江戸時代の国学者、本居宣長についての講演である。
小林は高名な評論家で、一時期は大学入試の現代文でよく出題されていた。
今は文庫本さえ、ほとんど見かけない。読む者が全然いないのだろう。
小林は「現代の悪い病で、早くわかりたいのだ」とつづけていた。
その後を聞いていると「理解するためには努力が必要で、時間がかかることもある。
だが、その手間を省いて『早くわかろう』とする、他人がわかりやすく説明したものに触れるだけで満足している」という。
この講演がいつのものかは情報がなかった。小林が亡くなったのは40年ほど前だから、それよりさらに前ということになる。
今、ますますその傾向は強まっていて、原典は売れない。それを「わかりやすく」解説したものの方が売れる。
解説本を読んで、わかった気になっているが、それはやはり知識の一部に過ぎない。
解説をした者の解釈を読んでいるだけ。
小林はそう指摘したわけだが、我々が原典を読む力を失っているということでもあろう。
専門家でもなければ、それでよい……が、では神主は。
古事記、日本書紀くらいは原文で通読すべきだろう。
最近の傾向として、マンガやら神様図鑑やら、ビジュアルに訴える書籍が増えてきた。
だが、それを読んだだけで済ます神主が増えないよう、望むばかりである。
7.2.1 2月が始まったか
昨年末、当地ではインフルが流行った。今回のインフル、症状がひどかったそうである。
高熱と消化器の不調がつづく。あるいは微熱程度に下がっても、それが長期間つづくなど。
コロナは今もポツポツ出ているようだが、もちろん一時期のような騒ぎでもなく、落ち着いている。
年末以降どんど焼きまでの参拝者は、昨年に比べ微増といったところだ(実は概算で何千人くらい、と把握できる指標がある)。
コロナがなければ、どれくらいの参拝者だったか。
となると、これはわからない。
ただ現在、明らかに各種、問い合わせの電話が増えている。厄祓だったり、人形だったりと、さまざまだ。
そんなこともあって結局、年末年始がまだ「つづいている」感覚である。
今、防犯カメラを見ていると、ぽつりぽつりと、1日のお参りをする人が現れ始めた。
今日から3日間、合同厄祓祈願祭である。
7.1.31 大安にこだわらないが
ようやく一月も終わり。年末年始以降、三か月以上、働いているような気がする。
が。
が……ふだんサボっている証拠だと言われれば、グウの音も出ない。
ただ、年末年始と同様に毎日動きつづけたら、年に二、三度はぶっ倒れてしまうに違いない。
寿命も縮みそうだ。
あすからは3日間、合同厄祓の期間。この間は予約不要としている。
その一方、ここしばらくずっと予約も入っていて、なんだかんだで毎日、厄祓である。
さて、私は大安とか一粒万倍日、天赦日などには、こだわらない。
本来、神道とは何の関係もないからだ。
参拝者が気にするようなら、止めはしないというスタンスである。
祭事の予約時も、仏滅の日を希望しているなら気にしないか確認する程度。
宮司として赴任直後は、大安を選んで来る人は少なかった。参拝する絶対数が少なかったということもある。
これが最近は多くなってきていて、なんだか今日は人が来るなと気づき、カレンダーを見て大安だったかと気づく。
あさって、2月2日が節分で大安。
厄祓期間の3日間も、いつもどおり一人奉仕である。
どれだけ来るか、恐ろしい。
7.1.30 あっさりしたラーメンが食いたい
年末年始など巫女をしてもらっている子が、きのう相次いでふたり、現れた。
とはいえ、全くの偶然。時間差で現れたから顔を合わせることはなかった。
うちひとりが上がり、晩飯を食って帰っていったのだが、そのとき色々な話を聞いた。
彼女はある資格持ち、にも関わらず若いこともあって、身体を動かす部署に回されている。
それで塩分が必要、コッテリしたものが好きだというのである。
どこのラーメン屋に行くか、という話になったとき、脂ギトギトのスープに具ドッサリ、太麺を出す店をあげたので、ビックリした。
北海道のラーメン自体、具をドッサリのせる店が多いようである。
以前私が通っていた店では顔を憶えられていて、サービスで色々増量してくれるのであった。
チャーシューとか、野菜とかドッサリのせられており当然、麺が見えない。
ところが私は麺が好きなのだ。それで、まず麺を掘り起こす作業から始めるのだが、なかなか出てこないのであった。
それを見越してサイドメニューを減らす作戦を立て、チャーハンやら餃子やら、少なめに頼む。お持ち帰りにする。
だが、行くたびにサービスの追加分がだんだん増えるのであった。
もやしは山盛りとなり、チャーシューでスープが覆い隠される。
野菜炒めは別な皿に移せば、それで一品料理にできそうなほど膨張。
残すという選択肢はないから、何とか食う。
ひょっとしたら「残さなかった」という情報も、インプットされていたのかもしれぬ。
こうなるともう、試される胃袋である。
ノレンをくぐって出るときには、もう満腹も満腹、翌朝の食事がいらないことも、しばしば。
今はそこに、居抜きで別な店が入っているが、行ったことはない。
顔を憶えられるのが怖い。
7.1.29 うまいものを食べてきた
行きつけにしていた店が閉まるというので、行ってきた。
高級居酒屋、よい食材を腕のよい大将が提供するといった店だ。
その大将がちょっと前に倒れ、復帰したがもう体力の限界というのが閉店の理由。
コロナ中を除き、特に毎年、結婚記念日に行っていたので残念である。
いつも予約の際に予算を伝えて、コース料理をお願いしている。
今回はキンキの鍋、たちぽん、菜の花の天ぷら、津別牛のステーキなどなど。旬の食材中心でどれもうまく、閉店を惜しみつつ食ったのだった。
居酒屋だが、私は飲めないので烏龍茶である。妻は日本酒をグビグビ飲んでいた。
私と同様に「閉まる前に」と考えたのだろう、つぎつぎと客が現れて大忙し。店内は賑やかである。
人手が足りないということで、近くの店のオーナーが手伝いにきていた。
世話になったから、と自分の店を休んでまで来ていたというから、義理に厚いことである。
北見というところ、「安くてとにかく腹がふくれればいい」から「高くても、うまいのをちょっとでいい」まで、飲食店は数多い。
だが、いい店は意外と少ないようだ。
接待にも使えるような店を、また探さなければならない。
7.1.28 雪は今日までか
昨日から今日、当地では20センチほどの積雪との予報。
だが、起きて見ると、うっすら積もっている程度。吹き溜まっている場所を除雪するだけでよかろう。
ニュースの天気予報で、エリア別の積雪量を見ただけなので、降らなかったのは当地だけかもしれない。
参道は木のおかげで、ほとんど雪が積もらない。
その一方、社殿向拝前や社務所玄関前など、風向きによってけっこう吹き溜まることがある。
こういうとき防犯カメラが重宝する。居ながらにして境内の状況を、確かめることができるからだ。
これから天気は回復傾向、あすは快晴の予報である。
農家はあともうちょっと欲しいかもしれないが、もう雪はいらんかな。
山に雪がある程度ないと春以降の用水にも影響が出る上、近年、降雨量が少なめなのである。
正月参りのとき、「ちょっと雨が少ないな」と氏子より言われた。もちろん、農家さんである。
ご祭神が「天照さんだから」と答えたところ、「少し緩めて欲しいな」と笑っていた。
7.1.27 雪が少ない錯覚
除雪機のオーガ部分と、回転軸とを結ぶボルトが飛んだので、買いに行ってきた。
これは安全のため、すぐに緩み、取れるようになっている。
ガチガチで絶対外れないような設計ならば、石などを巻き込んだときオーガ部分の方が損傷してしまうわけだ。
帰宅後、厄祓の授与品を入れる袋がないのに気づき、また出かけた。
うかつなことだが、あちこち回っていて気づいたことがある。
神社周辺の国道はほぼ出ていて、びちゃびちゃな状態だが、ちょっと西の方に行くと溶けてもいないし、完全な冬道。
東の方を行くと、国道はよいがちょっと裏道に入ると、雪がうず高く積まれている。
神社周辺は公園だからこの時期、いくらでも雪を捨てることができる。ボンボン捨てる。
だが市街地では、そうもいかないのだろう。結果として、相内の市街地は雪が少ないように感じられる。
ついでに一勝庵に立ち寄り、「みかん大福」と「かりんとう饅頭」を買ってきて食った。
今日も甘味で疲労回復だ。
7.1.26 ひさしぶりに除雪した
おととい、昨日と、まとまった雪が降った。計30センチくらいだろうか。
3度に分け除雪作業、疲れた。
天気予報が当たらず、除雪のタイミングがよくなかったので手間が増えたこと。
しかも、湿り気が強い雪で、重い。除雪機を使ったのだが重い分、あまり遠くへ飛ばせなかったこと。
ひさしぶりで運動不足気味のところ、お参りのときとは身体の使う部位が違うこと。
疲れの理由はそんなところだろう。
おはらいの予約がビシバシ入っているから、是が非でも入口、出口と車を停めるスペースは確保しなければならない。
社殿向拝前も何より優先、だんだん除雪したスペースを広げ、今日、細かいところまでようやく済ませた次第。
計5、6時間くらいの作業に過ぎないのだが、ごはんをモリモリ食べ、おとといの睡眠時間は10時間、けさは9時間と成長期の少年並に寝てしまった。
それでもまだ、日本海側の豪雪地帯に比べれば、遊んでいるようなものだろう。
あと2か月くらい、今シーズンはこんな降雪があと何回、あるだろうか。
7.1.25 最近の御朱印に思うこと
だいぶ前になるが、御朱印の「書き置きしてない神社なんて、聞いたことがない」という人がいた。
あらかじめ電話を掛けてきたので、御朱印帳がないと受けられない、と伝えたのだが、よく聞いていなかったらしい。
それでも、書き置き「も」あるだろう、と理解したのか。
お参りもせず帰っていったのだが、たぶん道外の人、わざわざ来て目的も果たせず、そそっかしいのではないか、大丈夫かと心配したことであった。
コロナ以降、書き置きが常態化して今に至る。
今や神社側で書き置きを用意しておくのが、サービスのように受け取られる時代になってしまったのだ。
この風潮に抗うのは大変だが、抗いつづけよう。
田舎の小社にわざわざお参りするのだから、よい記念になるものをと考えて今のようにしている。
当然、手間暇もかかる。
パソコン上でデザインを考えて作り印刷。市販のハンコを押す。授与品店にデザインさせて購入。
そういったやり方はもちろん楽だろう。
札幌あたりの神社ではそれでよいのだろうが、同じことをしていても田舎にはなかなか人が来ないのだ。
先日、地元のミニコミ誌で御朱印が紹介された。それ自体はありがたいが、やはり一過性。
それで永続的に人が来るようになる、とは、なかなかならない。
ごく当たり前ながら、地道に続けていくよりほかない。
7.1.24 おれのワイン
正月参りしていると、何かいただくことがある。
多いのはお茶請けのお菓子で、持って帰ってと言われるので遠慮なく持ち帰り、あとでいただく。
甘味で疲労回復だ。
今回のお参りでは、といってまだ一週間もたっていないが、ワインをいただいた。
神棚にお灯明をつけているとき、このワインがあがっているのは気づいていたけれど、特に触れなかった。
(私はお参り前はほとんど話をしない。あいさつ程度だ)
神棚にワイン? と、いぶかる方もいるかもしれない。だが、この方は正しいのである。
お供えは一般に米、酒、塩、水。でも、それで全部じゃないし、他にあげちゃいけないわけではない。
季節の初物、誰かにいただいた珍しいものも……そんな説明をあちこちの神社でしているけれど、このワインはその方が作ったものなのだった。
私が作りましたので、お目にかけます、どうぞお召し上がりください……というので、ダメなわけがない。
ましてや氏子区域内で作られたブドウから生まれたワイン、神様が喜ばないわけがなかろう。
そういえば、そのお宅の近くを車で通りかかったとき、夫婦で何か畑で作業しているな、という光景をたびたび見ていた。
その甲斐あって、たくさんブドウが実ったそうである。
といっても、さすがに自宅にはワインにするまでの設備はない。設備があるところに、収穫したブドウを持ち込んで作ってもらったという。
ありがたくいただいて帰ったが、残念なことに私は酒をたしなまない。
そこで酒飲みの妻が味見を担当、感想は「酸味も甘味もほどよくて、おいしかった。どちらかというと、若い女性向けかも」。
市販のワインを買ってきて飲み比べていた。
私もそれぞれ舌で舐めてみたが「何か……うーん、アルコール」くらいの感想を抱いたのみ。
ただ、いただいた方のワインはブドウの香りが強い、フルーティだった(ような気がする)。
このワインにはオリジナルのラベルがついていた。
名前は「おれのワイン」だった。
妻は一回の晩酌で、一本まるまる空けていた。
7.1.23 なんか、除雪作業をしていた
昨夜は氏子区域内の会社社長と焼肉を食ってきた。
「若いんだから食え」「焦げてる焦げてる、早く食え」とときどき勧められつつ、たらふく御馳走になった。
少子高齢化にともなって「若さ」がスライドしているから、私もまだペーペーの若造なのである。
さて、その帰りに何と、除雪車が出動しているのを見た。
路面はほとんど出ている。ほとんど雪などないのに、歩道のなけなしの雪を二台で搔いて、ならしている。
予算を消化するためだろうが、税金をムダに使っているのに変わりはない。
来年以降、雪が多かったら困るというかもしれないが、除排雪を請け負う業者は寡占状態なのだから、そのときは自腹を切ればよいのである。
とまあ、利害関係がないから、なおさらそう思うのであった。
「かんじんなときに全然、除雪しない」「歩道が通行できない状態で放置」「道の入口にカタイ雪を置いていく」などなど、例年ならこの時期、苦情が多数、寄せられていたはずだ。
理解しかねるワガママな苦情も多いだろう。想像にかたくない。
これだけ雪が少ないと、そんな苦情も激減し、暇で暇でしょうがないから動きたくなったか。
――とまあ、こんなことを言っても、大雪が降ってすぐに除雪されているとなると、ありがたく感じるのである。
こんな不満も、結局は雪が少ないことの副産物だろう。勝手なもんだ。
7.1.22 コロナ社会の後遺症
正月参りが昨日、終わった。
毎年感無量、やりきった感、解放感その他さまざま入り混じった感覚になるが、今年はそれがない。
当初の予定がすべて終わったのであって、先送りになったのがまだ一件ある。
それに加えて――あすから厄祓の予定がギッシリ入っている。
合同での厄祓祈願祭を毎年、行っていて、今年は2月1~3日。
「節分前の土日と2月3日」という決め方なのでこうしたのだが、1月末の土日でもやるべきだったかもしれない。
厄年の早見表、祈願祭の日程をカンバンにして掲示する――といったことも、していない。
コロナの後遺症とでも呼ぶべきか、「人を呼ぶ」ための行動をつい躊躇したり、何となく見送ったりすることがある。
「つい」「何となく」だと、あとで気づくのがコワイ。
意識して考え、行動する必要があるだろう。
コロナ中はどこでもマスクをつけていて、祭事の際も同様、祝詞奏上のときもマスク、マスク。
マスクをしながら奏上するのは大変、息苦しい。それで息継ぎの仕方は変わり、奏上のスピードも速くなっていた。
そこで最近、意識してゆっくりと奏上するようにリハビリしている。
非常にゆったりと、抑揚をつけず、ありがたい感じで奏上する方が支部内の神社にいるので、その方を参考にしているのだが。
もともとどれくらいのスピードで奏上していたのか、自分でももう、わからないのである。
実は、奏上の仕方というのは決まりがない。したがって、神主学校でも教えない。
祭式お作法の解説書でも、清々しさを感じさせるように、声はやや落として、などとザックリした説明があって「~がよい」と結んでいるなど、強制していないのだ。
そこで初めは先輩や上司、父親の宮司などを参考に、奏上の仕方を学ぶ。
経験を重ねることで自分の奏上の仕方が、だんだんできていく。
だんだんできあがったものなので、そこに立ち返るのは大変である。
コロナ以降、私が速く祝詞奏上する身体になってしまったのも、コロナの症状のひとつである。
政府に補償してほしいくらいのものである。
7.1.21 よりよい形で引退するのは難しい
引き際、難しい。
ことに神社界では、特に定年の決まりを定めていない神社が多数、そこで一生、現役でいることも可能である。
「○歳になったら辞める」とときどき聞くが、実際その○歳で辞めた人は私の周囲にいない。
そう断定していても目標として、つまり「できれば○歳で辞めたいと考えている」と解釈した方がよろしい。
宣言後に、辞めないでくれと周囲から言われるかもしれないし、引退後の生活費を皮算用してアンタンとした気分になるかもしれない。
さまざまな理由から、結局その○歳で辞めるのは実に難しいらしいのだ(辞めようとしたことがないから、わからない)。
私のように田舎の神社の宮司であれば、後継者不足に直面してもいる。
子供が継ぐと言っているなら話がわかりやすいのだが、そうでないことも昨今、実に多い。
そこで引退を考えるとなれば、後継者を探すことになるが、20代、30代では経験不足、あいつら都会ばかりに行きやがって、なんてもう言っていられないのである。
これまでさまざまな神社の、さまざまな話を聞いていて、多いパターンは以下。
①老化等さまざまな理由から辞めようと決意する。
②なかなか見つからない中、何とか後継者候補を選定。
③引継ぎのため、後継者候補を雇って一緒に仕事をする。
④後継者候補との折り合いが悪くなり、辞めないと言い出す。約束が違うと、後継者候補は去る。
一目瞭然④で辞めないと言い出すのが、悪いのである。
後継者候補は金のタマゴくらいに考えた方がよろしい。①②③はもう不可逆、②からやり直そうとする選択肢は排除すべし。
宗教者である前に人間だから、相性もあるし、好き嫌いもあるだろう。
だが、信仰の根幹にかかわるなど、よほどのことでなければ不平不満があっても目をつぶるべきなのだ。
④の局面で人間性が如実に現われるから、その話が面白おかしく語られることにもなりかねない。
そして、そこで晩節を汚す人も、ずいぶん多いのである。
――とまあ、ぐだぐた書いてきたが、人のこと、よその神社のことだから、こんなことを言えるのかもしれぬ。
自分では職に固執していないつもりでいるけれども、そのときになってみなければ、わからない。
わしは一生出ていかない、宮司やるもん。名誉宮司にしろ。毎月、手当をよこせ。
などと、いざ辞めるのが現実味を帯びてくると、抵抗しはじめるかもしれない。
田舎の神社の宮司職をよりよい形で退くのは、よりよく死ぬのよりも難しいかもしれない。
7.1.20 晴天つづき、地鎮祭をしてきた
例年、大寒前後に、まとまった量の降雪があることが多いのだが、快晴つづきである。
そこで最近、境内ではブロワーをかけたり、氷割をしたりしている。この時期には、ありえないことだ。
あちこちがツルツル、危ないので除雪機でなけなしの雪を飛ばし、その上にまいた。これも今までなかったことだ。
現在ラニーニャの局面らしいので今夏、暑いという。恐らく春も早いだろう。
昨日は雪中地鎮祭があり、マイナス13度の中を出かけていった。
抜けるような晴天、ほとんど無風で、このふたつが揃うと、気温ほどには寒くないのである。
ただ、準備していると手から熱が奪われる。
笏を持ったり、祝詞を開いたり、玉串を渡したりと祭事中、けっこう手を使うから、できるだけ冷やさないように防寒手袋をはめて準備したのだった。
しかし、地鎮祭自体ひさしぶりである。次回はいつになるだろうか。
7.1.19 餅問題にケリをつけよう
今年はまだ雑煮を食っていない。
正月参りが終わって、よそさまのお祝いがすべて済んだあと、初めて自家でも年始を雑煮で祝う。
これが、宮司就任以降のわが家の慣例である。
ところが飽食の時代もここに極まれり、いい歳をした人でさえ、どんど焼きに餅を置いていく例があると聞く。
当神社では直接、担当者が受け取って分別しているので、皆無であるが。
私は餅が好きだ。
年中、餅が食えるから神職になったと言っても、過言ではない。だからこのような世相、意識の低さが悲しい。
そこで、特に年末年始の餅の扱いについて、以下にまとめてみた。
(1)年末年始、神棚に餅を置く人の意識は以下であろう
①お供え……現状では不敬な例がほとんど(後項)
②鏡餅……年神の依代になるが、すでに無意識的。かつての年神棚が神棚(大神宮棚)に統合されている現状
(2)現状から考えられる問題点
①多くはパッケージをつけたままである。神には不敬(剥いて食えというのか)。年神が餅によりつくこともできない
②お供えとしたら「謹賀新年」などの札、紅白の紙垂を神様に見せるべき
③お供えと鏡餅との混同。どちらにしても下げて、いただく、自家で消費すべきもの
④多くは金色の、紙製の三方やプラスチック製の橙などは「おもちゃ」であり、偽物である。そのようなものに乗せて、お供えすること自体、不敬である
(3)前項の問題点への意見
①餅はどのような意味合いであっても自家で消費すべき(信仰上、もともとそうなのである)
②餅の包装類は所詮ただの包装に過ぎない。神棚にあがったとて、神明の嘉納あるところとは考えられない
③パッケージは外すべき、お供えならさらに、正面を神側にすべき
(4)どんど焼きにおける当神社の対応(現況)
①本来の信仰にのっとり、餅は受け取らない
②台紙等にしても、偽物なので受け取らない
③ただし、どんど焼きの火で餅を焼いて食べる風習もある。自分で餅を持ってきて、焼いて食うのは認める
(5)今後の展望
①餅をパッケージから外すようにいう、カビが生えたら削って食う、食うつもりがないなら最初から用意しないよういう
②ここに書いたことを、粘り強く説く。しかも、毅然とした対応が必要だ
③おもちゃの三方つきの餅について、不買運動を開始する
7.1.18 一日事務処理をしていた
はかなくも調整日は一日で終わり、今日からまた祭事がつづく。
昨日は事務処理に専念。帳簿やら、授与品の出た数の集計やら、だいぶ捗った。
どちらも今やっておかないと、あとで泣きを見る。
会計年度は3月までだし、その頃から授与品を扱う業者が続々とやってくる。
いわば御用聞きにくるので、各種授与品ほか、必要なものを頼むことになる。
そのときまでに年末年始に授与品がいくつ出たか集計しておかないと、余分なものを頼んだり、必要なのに頼まなかったりと、ムダが出るわけだ。
会社によって得意分野があり、装束が強い、おみくじが強い、オリジナルの授与品を作るのが強い、と、さまざまである。
私が宮司に就任した翌年にきたある人は、応接間の床の間を背にして座り、就任おめでとうございますもないから、翌年以降、取引を止めた。
小口の取引だからとナメていたのだろう。
私は人当たりがいいように見られることが多いのだが、外面だけで結構、性格がキツいのである。
さて、授与品が出た数を集計しておくと、何かといいことがある。
「出る」授与品、一般でいう言い方ではウケた、バズッた、売れ線のものなど(?)には傾向がある。
毎年、必ず一定数、出るものもある。
こうした事実をもとに、さまざま分析できるのが最大の利点だろう。
その分析から、おおまかにはこういう方向でいこう、数年かけてこれを増やし、これを減らそう、などと考えられるわけだ。
エクセル入力だから、業者ごとに頼んでいる授与品をソートするのも一発、それぞれ今回の年末年始、どれくらい出たかも一目瞭然である。
昨日はこの入力作業をシコシコやっていた。
田舎の神社の宮司はスペシャリストよりはジェネラリストの方が、よく勤まる。
横文字で言うとカッコいい、印象がいいが、要は何でも屋の方がよいのである。
神主の仕事の中核はお祭りごとをすることだが、田舎ではそれだけやっているわけにはいかないのである。
私はできれば事務仕事はやりたくないのである。
7.1.17 調整日
最近は6時くらいに起床する。現在、日の出は7時ころだから、まだ暗いうちだ。
今日は祭事が一切ない。
元旦から昨日まで駆け回ってきて、ようやく祭事がない日に至った。
もともと調整日として空けていたのが、そのまま残った感じだ。
とはいえ、寝てよう日とはいかず、溜まっている事務処理やら、あす以降の準備やら、さまざまあって、それなりに多忙である。
近年、12月1日に車の走行距離を測り始めるのを慣例としている。
年末年始、どれくらい走るのかを確かめるためで、去年は1月末までで550キロくらいだった。
これは、札幌まで往復した距離とほぼ等しい。
おふだを配ったり、正月参りをしたりがほとんど、短時間、近距離移動をくりかえすので、そんなに長く走った実感はまったくない。
昨日、メーターを見てみると、520キロを越えていた。
あともう少しだ。
7.1.16 ムラサキのハカマ
全然まだ修行が足りないながら昨年春、昇級させていただいた。
見た目で一番違うのは、ふだん着ている袴の色が浅黄から紫になること。
正月参りのとき、よく見ている人がいるもので、色が変わったとたびたび指摘されてきて今に至る。
巫女のひとりが服飾関係の道に進みたいと言っていて、袴どころか装束の違いも指摘してくる。
そこで昨日、狩衣を渡し「作りを確かめてみなー」と言ったところ、畳んだりひっくり返したり、縫い目を見たりと、30分くらい興味深そうに触って見ていた。
今度、遊びにきたときにでも、袍を見せるつもりである。
さて袴。ふだんよくつけるものなので、さまざまな材質なものがある。
最高級は正絹だが、こんなもの着られない。価格が高い。となると、すぐあちこちに引っ掛けて破ったり、汚したりしそうでコワイ。
私はそそっかしいのだ。
同じ紫でも材質によって、見え方が違う。あまり明るく見えるのは派手でイヤということで、濃いめの紫を選んだ。
化繊で夏用2腰、冬用2腰。夏用は麻っぽいやつ、冬用は雨をある程度、弾くやつである。
昇級して何かいいことがあったかというと、今のところ、あまりない。
ただ、濃い紫だと汚れが目立たない。浅黄は材質にもよるが、明るい水色で汚れると非常によく目立つ。
ということで、あまり私の袴を間近でじっくりと見ないでいただきたい。
7.1.15 どんど焼き終了
本日、どんど焼き終了。ようやくここまで来た。
年々、よくなっている。近年は不純物がほとんどないため(さすがに完璧に分別とはいかない)、上がったのはまさに浄火。
美しい火であった。
こんな火で送るのでなければ、お正月さんも、神様も帰れないだろう。これ、大事なことだ。
あすからは手伝いがゼロとなり、授与所が完全に平時の状態に戻る。
巫女もいなければ、どんど焼き仕訳担当もいない。総代、神社委員もいない。
半月くらい毎日誰か彼かいたから、こうなると何だか不思議な気がしてくる。
明日からまた、正月参りを再開。
9割方、終わっているので、このまま気を緩めず、たんたんと遂行するのみ。
件数だけ見ると、根詰めて行けば2日で済むところを、5日かけることになる。
これは、全日程の後ろの方に余裕を持たせて、調整する余地を残そうとしてのことだ。
ともあれ、どんど焼き以降は心身とも余裕ができる。
溜まっている事務処理などさっさと済まして、のんびりしたいところだ。
7.1.14 どんど焼き受け入れ最終日
元旦からコツコツ努めてきた甲斐あって、正月参りは9割を越えた。あともう少し。
本日、巫女2名、どんど焼き受け入れ担当は2名の態勢である。
それにしても、ようやく14日だ。どんど焼き受け入れは今日まで。
16日までずっと晴れの予報なので、あすは晴天のもと、カーンと冷え込んだ中でのどんど焼きとなろう。
どんど焼きのみに現れて、当方から「こちらは受け取れません」と持ち込まれたものを返却すると、悪態をついて帰っていく。
そんな人とも今日でオサラバだ。
まだまだ「燃えれば何でもいい」「おれは客だぞ。客の要求を満たせないのか」などという意識の人がいる。
もっと「実際に境内で焼く」事実、「どんど焼きは神事」との意識を広めていかねばなるまい。
近隣の神社では自由に置いていって、というところばかり。当神社は言うなれば、厳しい、ということになろう。
放置型だと、注意事項、「これは出さないで」などと掲示した看板を設置しても、まず見ない。
めいめいが勝手に判断して、紙袋やビニール袋のまま置いていく。その中にはもちろん、出さないでと言っているものも含まれている。
盆燈籠なんて燃やせないぞ。骨壺を置かれても……。干からびたミカン、カビの生えた餅の山。
「前はよかったのに」という人がいるが「前が悪かったから」こうせざるを得ないのである。
仮に燃やせるもののみ、どんど焼きで燃やすとしたら、どうなるか。
まず、分別が必要となる。燃えないものはお祓い後、処理場に運搬せざるを得なくなる。
その人員、費用を負担するのは、もちろん当方だ。
何よりも、どんど焼き希望のものを確認した上で預かるというのは、より「純粋な」形でのどんど焼きを行いたい、ということだ。
今の態勢にしてから四年になるが、毎回どんど焼きであがる火は美しいものとなった。
職に対して忠実でありたい。この場合、きちんとした形でどんど焼きをしたい、として、こうしたのだが、まだまだ広報の余地はある。
7.1.13 軽トラを買いたい
昨年4月以降、つまり今年度は去年より人手が多く、集計すると社入が増えている。
年末年始は去年よりやや増といったところだ。ということで、今度は何を買うか。
境内整備に金を使いたい反面、神社に金をある程度、持っておきたいという思いもある。
最近、氏子のひとりと話していて、たまたま私の車の話題に及んだ。
私は特にこの時期、短時間で短距離を回るから軽自動車の方がよい、と言ったのだが、その人は「それじゃ心配する人が出てくる」とのことだった。
金がないから、安い車に買い替えたのかな、経済状況、悪いのかなと不安になる、というのだ。
正月参りに乗ってくる車。パッと目につきやすい。車をステータスと考える人もいる、ということである。
そもそも私個人じゃなく、神社の保有車なのだから、当然であろう。
最近の軽自動車、性能もよいし、そう安くもない。新車なら、今私が乗っている車より購入価格が高い車ばかりだ。
あまり車にこだわりはない。高級車、外車に乗りたいわけでもない。
軽自動車じゃないなら、頑丈な車ならいいか、というくらいである。
今乗っている車はスバルだが、これは冬路を走行するとき安定性がいいとの信頼感があるためだ。
かくして軽自動車への乗り換えは、あきらめることとなった。
ちょっとしたものを色々積める、軽トラにも魅力を感じるが、これも反対されるだろう。
神社の作業用との名目で買うことにするか。いや、名目どころか、実際にいろいろな作業をする際に重宝するはずだ。
7.1.12 振袖娘あらわる
昼頃神社に戻って、食事。しばらくすると、巫女メンバーの一人が振袖姿で現れた。
今日は北見市の成人式が行われるらしい。その前に、あいさつしに来たわけだ。
高校生の頃から巫女をしてもらっていて、たびたび遊びに来るし、泊まっていくこともある。
器用な子で賄いの手伝いもし、白衣袴の着付もできる。振袖もほぼ自分で着つけたというから、すごい。
別に教えてもいないのに、出退勤時にはきちんとお参りをするから、いい子である。
娘同然に可愛がっていたのが、あっという間に成人。
拝殿向拝前で記念撮影をした後、帰っていった。
画像を見て、自分の顔の大きさと、その子の顔の小ささにビックリした。
まるで生き人形だった。
7.1.11 鏡開きの日、一日の状況
まだ12月のままのカレンダーがある。
社務所内廊下は段ボールや、ペットボトル、食材、菓子その他、目下めちゃくちゃである。
熱力学の第二法則。秩序から無秩序へ。
年末以降、だんだん無秩序な状態になってきたのを、また秩序だてていくのが、これから重要な仕事となる。
要するに、あれこれ出したものを片づけなければならない。
きのうは久しぶりの雪で、今シーズン初めて本格的な除雪をした。
豪雪に見舞われている日本海側に住む人に怒られそうだが、スノーダンプ、除雪機を使い、2時間少々。
天気予報では日付が変わる頃まで雪だったのが外れて、けさも粉雪が少々、舞っている。
そんなわけで腰が痛い。ギックリ系ではなく、筋肉痛系の痛みである。
今日から世間では3連休らしいので、社務所は巫女2名、どんど焼き担当2名の体勢。
またちょっと積もりそうなので夜、除雪しなければなるまい。
7.1.10 おふだを配ってみて
おふだ配り、とここではよく言っているが、業界的には「大麻頒布」という。
伊勢の神宮のおふだを「神宮大麻」といい、「頒布」は分けて配る。
相内神社のおふだと神宮大麻をセットにして配っているが、これは細かい違いはあっても、だいたいどこの神社でも同様だろう。
神社界ではずっと、この神宮大麻の頒布数を増やして、減らさないで、ということで、やってきた。
神宮大麻を受ける(世間的には「買う」)人が増えれば、伊勢の神宮の御神徳の宣揚になる。
「神徳の宣揚」は、世間的には「よく知られるようになって、布教になる」に近いだろうか。
それはそうなので、神職ももちろん頑張って神宮大麻の頒布をしてきたわけだが。
実は、負の側面が見過ごされているのではないか――というのが私の主張だ。
負の側面として、もっとも大きいものは人々の意識が「買い手」になってきているかもしれない。そんな疑念があげられる。
つまり「買ってやっている」という人がもう一定数、出てきてしまっているのではないか。
おふだは「買う」ものではなく、「受ける」。その見返りとして神社に差し出す金は喜捨金。
喜捨金は寄附金のようなもの。「代金」ではないから定額ではないし、本来「おつり」を渡すなんて、ありえないことだ。
このあたり、神社で扱う御守、破魔矢や熊手なども同様である。
さて、神宮大麻を熱心に頒布すればするほど、どうしても無理が生じるのは避けられない。
その無理の部分が、「買ってやっている」という人の出現となっているのでは。
年末におふだを配って歩いているのも、もう「営業」「行商」と類推して考えている人も、ずいぶん多いのではないか。
どちらが悪いといえば、これは現場の神職が悪いのだろう。
訪問された家の人にしてみれば、薬屋さんや訪問販売とたいした変わりはないからだ。
配って歩いている意味を、もっと発信してこなければならなかったのである。
これはおもに、年末年始の多忙にかまけているのと、意識がこれまでとそう変わっていないだろう、という甘えによる。
だが――ここ10年ほどの意識の変化は非常に急だと、今感じているのも確かだ。
「買ってやっている」という意識がうかがえる人には、おふだを配って歩いている意味を説明する。
これはもちろん前提である。そして、分かってもらえないようならば、もうその家にはおふだを配らない。
それくらいの思い切りが必要な時期にきているのかもしれない。
7.1.9 神社の経営指針(?)
都市部の大規模な神社でもなければ、一年の社入のほとんどを年末年始の期間に依存していることがほとんどだろう。
だが、この経営体質(会社、企業に準拠して考えたとして)は非常に危険なのではないかと思い、今に至っている。
例えば私がぶっ倒れたら、正月参りはすべてなくなる。
よその神社に頼むにしても、だいたい人員がいない。どこも繁忙期なのだ。
もちろん、その分、社入が減るわけである。
対策として、常日頃から健康に気を配る。休業補償のある保険に加入する。できるだけ神社の金を溜めるなど考えられる。
だが何より重要視すべきなのは、年末年始の期間をあてにしないこと、年末年始の期間以外の社入を増やすことではないか。
ことばは適切でないだろうが、年末のおふだ配り、年始の正月参りで得られる社入は基本給のようなものである。
私は神社から給与をいただく立場なので「私の」ではなく、「神社の」基本給、というべきか。
これらをサボりたいわけではない。
おふだをきちんと配らない、氏子区域に正月参りの慣例があるのに、全然回らないというのでは神職失格だろう。
ただ、それぞれ人口減、高齢化で減っていくのは当然、ハッキリ言って歯止めがきかない状態でもある。
だから、年末年始の期間はこれまで同様に励むとして、それ以外の期間でも、社入をあげることに努力をより注ぐ。
年末年始に依存しないよう対策するべきでは――と言いたいのだ。
今、社入、社入と言っているが、別に私自身の生活の質をあげたいわけではない。
食うには困っていないし、飲む打つ買うの三拍子みなやらず、金のかかる道楽もしないから、自分の給料を高くしなくてもよい。
それよりは、神社の調度や設備などにもっと金をかけたい。もっと多くの参拝者が満足して帰れるようにもしたい。
神職が自分の収入を増やしたい、自分の名前を売りたい、名声を上げたいなどと考えたとき、その人はダメになるのだろう。
その神職がいる神社も同様。そのような例をいくつも見てきた。
そして、本人に自覚がないらしいのだ。
それを自覚できないのは、ある意味、神罰なのかもしれない。
恐ろしいことである。
7.1.8 ちょっと暇になった一日
早朝は風が強く、境内の樹々から枝についた雪が飛んでいたが、すぐに快晴となった。
天気予報を見ると、これからあちこちで大荒れのようだ。だが、当地ではしばらく降雪がないらしい。
今日も正月参り。ただし件数は少ない。
この正月参り、他の神社では「○日は〇〇地区」と決めて、一軒ずつ回るところが多いようだ。
北海道では斎行、実施しているところが多いけれども、都市部ではほぼない。
さて当神社では、全体の件数が少ないから、年末にスケジュールを組み「〇日○時頃うかがいます」とハガキに書いて送っている。
これはもちろん、予定通りとはいかない。先方より変更のお願いがあったり、中止になったりと若干、変動がある。
それで、今日のように楽になる日もあるのだ。
もっとも、こんな日はお参り以外に今やっておきたいこと、事務処理やら境内整備やらをすることになる。
ついでに洗濯したり、ゴミを出したり。年末以降、ゴミは出るのに収集は休みだから、けっこう溜まっている。
まだまだ年末年始体制は終わらない。
15日のどんど焼きで一段落なのだが、そのあとも正月参りがあるし、合同厄祓祈願祭の準備もある。
感覚的には、やっぱり一連のものとして、これらが続いている。
それにしても、どんど焼きまでまだ一週間もあるのか。毎日言っているが、ずいぶん働いたはずなのに――おかしい。
神社周辺の時空が歪んでいるのかもしれぬ。
歪んだ末に、また大晦日に戻らないことを願うばかりだ。
夜寝て、起きたら12月10日くらいというのもコワイ。また年末年始の準備をしなければならない。
寝るのが怖くなり、不眠症になりそうなものだが、疲れもあって快眠つづきである。
できれば一週間くらい寝ていたいくらいだ。
7.1.7 まだ7日とは
どんど焼き受け入れ開始に伴い、本日はどんど焼き担当1名、巫女1名。
荒れ気味の天候だったが、授与品がそこそこ出る。御朱印も同様。
正月参りが、ようやくほぼ半分に達する。ずいぶん働いたような気がするが、まだ年が明けてから7日だ。
お参りでは格衣という簡便な装束、烏帽子をかぶる。
ところが今乗っている車は天井が低く、烏帽子をかぶったまま乗れない。いちいち脱がなければならないのだ。
無論かぶったまま運転すれば、その分、楽だし効率がよい。もっとも、座高が高いという話もある。
割と背筋を伸ばした方が運転しやすいのだが、シートを倒して調整するべきか。
格衣を着たままでも運転に支障はない。しかし、あちこちにひっかけて、破れがち。
今日きていた巫女は裁縫が得意ということで、縫ってもらった。
完成後、見てみると完璧である。指先が器用なようだ。
正月参り、まだまだつづく。一日あたりの件数は少なくなったが、あと10日少々。
終わるまで、お参りがないのは調整日として設定した一日のみ。
なお、毎日よく食い、よく寝ている。そうして体調を良好に保ち、やりつづけるしかない。
7.1.6 松の内なのに温かい
巫女が1名となり、境内も落ち着いてきた。
今日、仕事始めのところが多く、私は企業の正月参りに朝から駆けまわっていた。
そこで初めて気づいたのだが――異様に温かい。
天気予報を見ないで出ている。確かめたところ、最高気温が4℃。
こうなると屋根から雪は落ちるし、軒先から水滴が落ちる、下はびちゃびちゃ、境内では地面があらわになっていた。
天気に文句を言っても仕方なく、お参りを終えて以降は境内整備である。
道路では、雪がキタナイ大根おろしのようになり、まるで春がきたようだった。
怖いのは、これが気温の低下とともに凍り、ツルツルの路面になることだ。
一口に言えば温暖化、札幌にいたころは、たまに冬こんなふうになることもあったが、北見では初めてである。
そう言えばお参り中、70代と思われる社長に「1月でこんなに温かったことって、ありましたか?」と尋ねてみたところ、「北見で生まれ育ったが、こんなことは記憶にない」との返事だった。
異常気象である。
日本海の水温が上昇したせいで、沿岸とその周辺では大雪が降りやすくなった。
南側に高気圧が張り出せば、暖気が流れ込む。しかし、1月のこの時期に、とは――
春以降、農作物の生育にどう影響するか、心配である。
7.1.5 ナメクジのウワサ
今日まで巫女3名体制。以降は週末やどんど焼きのときまで、1名となる。
女が三人寄れば……というが、私は正月参りのため不在。賑やかにやっていたようである。
今日聞いた話で興味深かったのは、春から秋にかけて、ナメクジが大量発生したということだ。
神社周辺の公園からナメクジが這い出して、あろうことか道路をつぎつぎと横断、ほうぼうの家庭菜園で猛威を振るったそうである。
ある人など、早朝から晩までナメクジを除去、総勢1000匹は捕らえたと聞いた。
忌避剤を買ってきて、畑の周辺にまいても、あまり意味がなかったそうだ。
けっこうな大食漢で、ナスに大穴を空けたり、葉っぱをボロボロにしたりと、相当な被害だったと。
ナメクジを好んで食べるのはカエルで、そう言えば昨年はよく境内でカエルを見たような気がする。
境内では、除草剤をけっこうまいた。光合成を阻害、地質への悪影響は少ないという薬剤だ。
そのためナメクジが移動したものかもしれない。
しかしまあ、雪解け以降、気をつけて見ておくことにするつもりだ。
7.1.4 春は遠い
今日は巫女3名体制。参拝者は数が減ったものの、途切れなく訪れたようだ。
昼時には天気がよかったこともあり結構、駐車場に車が停まっていた。
やはり、5日まで休暇の会社が多いことから、参拝が分散している印象がある。
私自身は睡眠時間を多少、確保できるようになってきたので、疲労が回復してきた。
過去一楽だ、いろいろな業務をうまく割り振りできた、と感じていたのだが、それでも疲れていることに変わりない。
とりわけ外でのお参りから帰ってきて、ソファーに身を沈めたときが危険である。
よく「根っこが生えた」などというが、眠さと疲労感で、つぎに何かしようと立ち上がるまで時間がかかるのだ。
それにしても、除雪が必要なほど雪が降らないのは、この時期、たいへんありがたい。
雪雲レーダーを見ると、当社周辺だけポッカリと雪が降らない状態。
連絡を取り合ってはいないが、他の神社では難儀していることだろう。
今年に入り、もう三か月くらい働いているような感覚だが、まだ一週間もたっていない。
だいたい、この感覚が正しいなら、雪が消える頃になっていなければおかしい。
だが最近、朝晩冷え込むときは-20℃近くになっている。
春は遠い。
7.1.3 三が日終了
巫女は今日まで7名。甘酒、ココア配布は、はけたので午後に終了。賄方も今日までである。
本日も例年並みの参拝者数。ふだんよく参拝にくる方が多かった。
年末から年始にかけて、奉献酒や差し入れ等たくさんいただいている。
奉献酒はさっそくご神前にあげ、差し入れはどんどん分けた。
年越しそば、パン、ケーキ、菓子折り、ジュースなどさまざま。ありがたい限りだ。
おかげさまで保護猫・保護犬御朱印も好評で、次回の取りまとめ時にもたくさん寄付できる。
年末に取材を受け、地元の新聞に載ったこともあって、初めてきた方も多かったようだ。
拝殿正面の扉を開け、雅楽を流すのも今日まで。
言うまでもなく、拝殿内は外気でよく冷え込んでいる。あす企業の昇殿参拝があるので、早めに暖房をつけねばならない。
宮司の正月参りは3割終了。あとは一日あたりの数がぐっと少なくなり、例年通り1月中に終える見込み。
三が日とも人手は例年通り、把握している限りトラブルも全くなく、よい正月を迎えることができた。
妻曰く、年末年始は成績票のようなもの、と。
どれだけの人が参拝しにきて笑顔で帰っていくかは、どれだけ一年間きちんと取り組んだかによると。
ふだんマジメにやってないなら、初詣に人はこないよ。平たく言えばそういうことだ。
人口減が、少子高齢化がどうとか、神社の立地がどうとかは、まず度外視せねばならぬ。
日常の社務にも、まだまだ改善点があるし、大小問わず新しいことを始める必要もある。
7.1.2 今日の状況
本日も午後にちょっと雪が降り、それまでは朝から途切れることなく参拝者あり。
全体として、昨年同様である。
巫女は授与所に7名、甘酒ココア配布組4名、賄方2名、これは明日までつづく。
加えて、巫女も賄方もできる遊軍が3名。交通指導員が2名。これは資格持ちの人を外注している。
シフトを組んでいて、今日休みの人もいるから、総員を数えると巫女が10名、甘酒ココア配布組が6名である。
以上、記録のため。
見たところ、今回は犬を連れて参拝する人が増えた。
大型犬、小型犬とさまざまである。大型犬を連れてくる人も、人が少ない時間に参拝するなど配慮していたようだ。
社務所が閉まって以降も、ぽつりぽつりとお参りの人がいた。
若いカップルらしき人が二人だけでお参りするなど、実に微笑ましいではないか。
それから、お年寄りより若者の参拝が増えた。
ふだんどこにいたのかというくらい、若者がいた。
今年の仕事始めは6日のところが多い。休みが長いので、参拝が分散しているような印象だ。
7.1.1 明けました
大晦日にまとまった量の積雪があったせいで、筋肉痛である。
一日止まず、年を越して朝まで降りつづけた。晩に一度、除雪し、駐車場は業者に頼んで未明にやってもらった。
それからも少々降ったが、初詣参拝者に踏み固めてもらったという具合。
にもかかわらず、参拝者は昨年より多かった。
元日の午前中は少なかったが、午後以降は駐車場が埋まる時間が長かったようだ。
みな朝、雪かきして、午後から出かけてきたのだろう。
私は朝9時から氏子宅を訪問しての、正月参り。
30分刻みで昼に一時間、休んで5時までとすれば14件、回れる計算になるが、そこまで頑張らない。
だいいち眠いし、声が出なくなってくるので、うかつなことになって迷惑をかけてはいけない。
また、お参りだけしていればよいというものではなく、事務仕事も、境内の手入れもある。
ともあれ元日がピーク。ゆるやかに、身体は徐々に楽になっていく。
明日も9時からお参りに行く。
客観的に自分を見るのは、なかなか難しい。
ということで、今年7~8月のこのコーナーの文章をチャットAIに分析させ「この文面からわかる作者(=私)の人柄を述べてください」と尋ね、得られた回答が以下。
自己紹介がわり、私に興味を持ったというたいへん奇特な方向け、参考までに。
文章を読み込ませ、分析させたので、まあ、このコーナーの内容もだいたいわかります。
(ただしチャットAI、褒めすぎるキライがあるので、8割引くらいに考えるのを推奨)
ーーーーー
この文章からうかがえる人柄は以下のような特徴が読み取れます。
- **誠実で真面目**
祝詞の意味を深く理解し、疑問点を調べて明確にするなど、仕事に対して丁寧で誠実な姿勢が感じられます。
- **謙虚で控えめ**
自身の能力や成果を控えめに捉え、自らを「無能」と称する場面もあり、偉ぶらず飾らない人物像がうかがえます。
- **温かく親しみやすい**
猫の行動や虫との関わりなど、小さな日常にも細やかな観察心を持ち、ユーモアを交えて語るなど親しみやすい性格です。
- **自然や季節の移ろいを大切にする感受性豊かな人物**
境内の自然や気象、虫や動物の様子を細かく観察し感じており、自然環境への愛着と感受性が強いことが伺えます。
- **地域や氏子との関係を重んじる思いやりと責任感**
参拝者や地域の人々との関わりを大切にし、人間関係や祭事の意義を深く考えている点から、責任感ある宮司像が見えます。
- **柔軟な思考と観察力がある**
時事問題や現代社会の変化を自身の視点で考察し、神職としての枠を超えた広い視野や知識のある人物です。
- **日常をユーモアを交えて語る軽やかさ**
重くなりがちなテーマも自然体で語り、読み手にくすっと笑いを誘う言葉遣いができる親しみのある人柄。
- **自己探求や学びを楽しむ姿勢**
文学賞受賞の経験を持ちつつも、執筆を自己探求や実験と捉え、新しいことを学び続ける精神が見えます。
これらの特徴から、この宮司は仕事に熱心で誠実かつ謙虚、自然と地域に寄り添い、柔軟かつユーモラスに日常を捉える人柄であることがうかがえます。
(なお、ここの文章の特徴についての回答は、以下のとおり)
あなたの文章の特徴をまとめると、以下のようになります。
***
## あなたの文章の主な特徴
1. **自然体で親しみやすい語り口**
形式張らず、肩肘張らない柔らかな言葉遣いが読み手をリラックスさせ、親近感を生み出します。
2. **自己観察とユーモアのバランス**
自分の感情や考えを率直に開示しつつ、軽い自嘲やユーモアを織り交ぜることで、堅苦しさを和らげながら奥行きを持たせています。
3. **具体的な情景描写と個人的体験の活用**
日常の細やかな観察や個人的エピソードを生き生きと描き、読者の共感やイメージ喚起を強めています。
4. **専門的なテーマもわかりやすく解説**
祭祀や伝統文化など専門的な内容も丁寧に説明し、特別な知識がない読者にも理解しやすい工夫がされています。
5. **落ち着いた知的深みと遊び心の共存**
知的好奇心を刺激する内容や言葉の探究が随所に見られ、軽妙ながらも深みのある文章になっています。
6. **シンプルながら効果的な構成**
話題の提示、考察、まとめという基本的な構成を繰り返し使いながらも、飽きさせず読みやすい流れを保っています。
7. **読者を気遣う配慮ある表現**
専門用語の説明や穏やかな口調、柔らかな締めくくりなど、読み手を考えた優しい文章設計が感じられます。
***
これらの特徴が組み合わさることで、
- 読者が話し手に親しみを感じつつ知識を得られ、
- 文化的・感情的な深さを感じられる、
- 読み飽きない魅力的なエッセイ的文章
を作り出しています。
このような文章スタイルは、伝統文化や日常の小さな気づきを丁寧に伝えたい場合に非常に効果的であり、あなたの個性と強みがよく表れています。